トクヴィルの「アメリカの民主政治」から、現今のアメリカの内乱の根本原因をはっきりと示している部分を幾つか書き抜いてみる。
念のために言えば、トクヴィルは奴隷制度にも黒人差別にも反対する者であり、ただし、それが断片的抜き出しや一部の表現(たとえば、ヨーロッパ人全体を主語とするとき「我々(ヨーロッパ人)」と表現すると、ヨーロッパ人の態度や思想がトクヴィル自身のものと混同される可能性もある。)のために誤読される可能性もあることに注意しておく。
(以下引用。訳は井伊玄太郎による)注釈は徽宗の主観的判断による。
アメリカ連邦の将来を脅かすすべての災厄の中で最も恐ろしい災難は、連邦の土地に黒人が存在していることから生じている。連邦の現在の困惑と将来の危険との原因が探求されるとき、どこから出発するにしても、殆ど常にゆきつくところは、この第一の主要な事実である。
人間には自分より劣等な者(徽宗注:これは置かれた地位や環境による劣等性である。)が自分と平等になってからも永い間、その人を軽蔑させるようにしている自然的偏見がある。運命または法律がつくっている真実の不平等に、風習に根ざしている想像的(徽宗注:「無根拠な」の意味。)不平等が常にあとにつづいている。
古代人で(徽宗注:奴隷制度の廃止や隷従からの解放を実行する際に、という文脈)もっともむつかしかったことは法律を改正することであった。現代人では風習を変えることがむつかしいのである。
それはどうしてそうなっているかというと現代人では奴隷制の非物質的な一時的な事実(徽宗注:制度や法律などを意味する。)が人種の相違という物質的な永続的な事実と最も痛烈に結合しているからである。奴隷制の記憶は人種(徽宗注:黒人種であるということ。)を不名誉なものにしており、そしてまた人種は奴隷制度の追憶を永久化している。
諸君はニグロを自由なるものとして解放することはできる。けれども、諸君は対ヨーロッパ人の関係で彼を異邦人の地位にないものとすることはできないであろう。
(徽宗注:これに続く部分にヨーロッパ人一般の黒人種への偏見が書かれており、それが前説で書いた、トクヴィル自身の考えみたいに誤解されかねない部分で、痛烈な内容だが省略する。ここから少し後に出てくる部分で、現代でもそのまま残っている黒人差別の「目に見えにくい部分」をトクヴィルが1830年代に既に見抜いていたのを書き抜いておく。)
奴隷制が廃止されている殆どすべての州ではニグロに選挙権が与えられている。けれども彼が投票しようとすると、彼の生命はあぶないのである。彼は圧迫されれば訴えることはできる。けれども彼には自分の裁判官として白人ばかりしかいない。それにしても法律は彼に陪審にたよれるようにしているが、偏見が彼に陪審をあてにできないようにしている。彼の息子はヨーロッパ人の子孫が教育される学校から排除される。劇場では、彼は主人の席のそばに、金貨を支払っても席をとる権利を買うことはできないだろう。病院では別のところに隔離される。
(徽宗追記)
念のために言えば、トクヴィルは奴隷制度にも黒人差別にも反対する者であり、ただし、それが断片的抜き出しや一部の表現(たとえば、ヨーロッパ人全体を主語とするとき「我々(ヨーロッパ人)」と表現すると、ヨーロッパ人の態度や思想がトクヴィル自身のものと混同される可能性もある。)のために誤読される可能性もあることに注意しておく。
(以下引用。訳は井伊玄太郎による)注釈は徽宗の主観的判断による。
アメリカ連邦の将来を脅かすすべての災厄の中で最も恐ろしい災難は、連邦の土地に黒人が存在していることから生じている。連邦の現在の困惑と将来の危険との原因が探求されるとき、どこから出発するにしても、殆ど常にゆきつくところは、この第一の主要な事実である。
人間には自分より劣等な者(徽宗注:これは置かれた地位や環境による劣等性である。)が自分と平等になってからも永い間、その人を軽蔑させるようにしている自然的偏見がある。運命または法律がつくっている真実の不平等に、風習に根ざしている想像的(徽宗注:「無根拠な」の意味。)不平等が常にあとにつづいている。
古代人で(徽宗注:奴隷制度の廃止や隷従からの解放を実行する際に、という文脈)もっともむつかしかったことは法律を改正することであった。現代人では風習を変えることがむつかしいのである。
それはどうしてそうなっているかというと現代人では奴隷制の非物質的な一時的な事実(徽宗注:制度や法律などを意味する。)が人種の相違という物質的な永続的な事実と最も痛烈に結合しているからである。奴隷制の記憶は人種(徽宗注:黒人種であるということ。)を不名誉なものにしており、そしてまた人種は奴隷制度の追憶を永久化している。
諸君はニグロを自由なるものとして解放することはできる。けれども、諸君は対ヨーロッパ人の関係で彼を異邦人の地位にないものとすることはできないであろう。
(徽宗注:これに続く部分にヨーロッパ人一般の黒人種への偏見が書かれており、それが前説で書いた、トクヴィル自身の考えみたいに誤解されかねない部分で、痛烈な内容だが省略する。ここから少し後に出てくる部分で、現代でもそのまま残っている黒人差別の「目に見えにくい部分」をトクヴィルが1830年代に既に見抜いていたのを書き抜いておく。)
奴隷制が廃止されている殆どすべての州ではニグロに選挙権が与えられている。けれども彼が投票しようとすると、彼の生命はあぶないのである。彼は圧迫されれば訴えることはできる。けれども彼には自分の裁判官として白人ばかりしかいない。それにしても法律は彼に陪審にたよれるようにしているが、偏見が彼に陪審をあてにできないようにしている。彼の息子はヨーロッパ人の子孫が教育される学校から排除される。劇場では、彼は主人の席のそばに、金貨を支払っても席をとる権利を買うことはできないだろう。病院では別のところに隔離される。
(徽宗追記)
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