リーマンショック時の大不況からの教訓は、FRB(中央銀行)は、消費者物価の上昇なしに、何もないところから生み出される無制限の信用(徽宗注:もちろん「信用創造」のことだが、市場に溢れるのはそれで作られた「カネ」であり、それを「信用」と言うのはどうなのか。)で金融市場をあふれさせることができるということだった。
しかし、多くの人たちは当然、この教訓に疑いを持っている。
ご存知のように、FRB の安価な信用(徽宗注:ここも同様に、「信用創造」で簡単に作られたカネのこと。)が株式、債券、不動産に流れ込んだ。金融資産を所有する階層の人たちは、この流動性(徽宗注:現金やその代替品である小切手や証券全体のこと。)の高まりから恩恵を受けた。しかし、労働者階級と中産階級の労働者たちは、そのような恩恵は得なかった。
そして、経済状態が落ちつく中でも、FRB は再びそのふざけた態度を取り続けた。
しかし今回は、大企業や金融市場の救済だけでなく、国民も救済を要求している。そして、現代の通貨理論(MMT)の観衆は、過去 10年間の教訓と、物価が上昇していない点から、紙幣を無制限に印刷することを正当として指摘することができるようになってしまった。
しかし存念(徽宗注:もちろん、「残念」の誤記)ながら、これが完全に間違った教訓であることがわかるだろう。(徽宗注:ここが最大の問題で、結論部分が「説明無しの断定」である。論文としては落第だろう。)
経済生産が落ち込み、失業率が急上昇した場合、自由資金は富の格差問題を解決しない。むしろ、社会的な不和、不満、不協和音とともに、人々をひどく苛立たせるだろう。(徽宗注:「自由資金」とはMMT思想によって社会に投入されるカネのことかと思う。そして、この段落も「説明無しの断定」である。)
今、私たちは「パンデミック、経済崩壊、完全な社会的崩壊」というフレーズを知ることになった。
このフレーズは力強く、確実なものだ。(徽宗注:まるで、「パンデミック、経済崩壊、完全な社会的崩壊」が望ましいことであるような表現で、その意図が不明だが、単なる修辞的表現だろうか。)
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