「阿修羅」記事の中から、新興宗教の「生成原理」を紹介した珍しい文章である。いろいろと面白い情報が詰まった文章なのだが、悲しいことに、こういう文章を読んでもまだ新興宗教に騙される人間は無数にいる。それだけ人生でひどい目に遭って、宗教に救いを求めるしかない人間が多いということだが、そういう人間の特徴は、「他人を信じやすく、自分の頭で分析的に考える習慣や批判精神が無い」ということだ。もっとも、オウム真理教の場合のように、理系人間だからといって必ずしも騙されにくいわけでもない。
(以下引用)
これは面白い本「日本の10大新宗教」(米国が日本支配の一環として、在日・部落関係者に「起業」させたような気がします)
http://www.asyura2.com/09/cult7/msg/732.html
投稿者 小沢内閣待望論 日時 2010 年 12 月 22 日 09:01:49: 4sIKljvd9SgGs
http://chikura.fprog.com/index.php?UID=1243738775
May 31, 2009
これは面白い本「日本の10大新宗教」 ID:1243738775
以前本屋で立ち読みしたらかなり面白かったので、買ってみた。
人はなぜ宗教にすがろうとするのか?
宗教というものに昔から興味を持っている。
私自身は無神論者である(「神は存在しない」というスタンス)し、無宗教だと思っていたのだが、この本によれば、私も含めて多くの日本人は、日本の古い宗教観を普通に受け入れていて、無宗教というわけではないらしい。墓参りにも行くし、神社にお参りもする。これは立派な宗教だとのこと。
まぁ、言われてみればそうだなぁ。
それはともかく、この本は、所謂仏教、イスラム教、キリスト教といった3大宗教などではなく、「新宗教」と呼ばれるジャンルの宗教のうち、反社会的でない、ある程度社会に受け入れられている宗教を10種類ぐらいに絞って、その成り立ちや特徴を解説した本だ。
具体的には、天理教、大本、生長の家、天照皇大神宮強と璽宇、立正佼成会と霊友会、創価学会、世界救世教と神慈秀明会と真光系教団、PL教団、真如苑、GLA、についてそれぞれ紹介されている。
面白いのは、それぞれの宗教について批判めいたことは書かず、ただ淡々と歴史や特徴などを述べているだけにとどめている点だ。とはいうものの、著者の観点から見て「この点から、□□教団の○○という主張は後から作られた可能性が高い」というような感じで、淡々と指摘しているがゆえに逆に皮肉めいた文章になっているのが読んでいてニヤリとする。
例えば、第1章の「天理教」の解説では、教祖である中山みきが「神になった」際のエピソードを次のように紹介している。
立教の日に先立つ十月二十三日、みきの長男秀司が足の病にかかり、修験者が中山家に呼ばれて、祈祷が行われた。その際に、神が降る巫女の代理をみきがつとめたところ、「元の神、実の神」と名乗る神が降り、みきを神の社としてもらい受けたいと言い出した。この申し出を受け入れるなら、世界中の人間を救うが、拒むなら、中山家を破滅させるというのである。そこから、みきに降った神と中山家の人々とのあいだで問答がくり広げられ、家族が申し出を拒むと、みき自身が苦しんだ。そこで、みきの夫、善兵衛は、二十六日に、みきを神の社として差し上げると返答し、それでみきの苦しみもおさまったのだった。
しかし、著者は次のようにこれをさらりと切って捨てる。
この立教の出来事は、教団公認の教祖伝である「稿本天理教教祖伝」の冒頭に記され、現在の教団においては、啓示という位置づけがなされている。しかし、この出来事について述べた文書が登場するのは、みきや信者たちが警察からの厳しい取り締まりを受けるようになる一八八一(明治十四)年になってからのことで、立教の出来事はその時期に創作された可能性が高い。
この本を読むと、意外と日本の新宗教の成り立ちには、女性が深く関わっているということに驚かされる。所謂「神懸り」というものを起こすのは、どうやら女性に多いようだ。そしてそれをサポートする男性指導者が、教団をまとめあげる、という図式が一つのテンプレートのようになっているように思う。
また、意外とこれらの新宗教はお互いに密接な関わりを持っていることが多い・・・というか、ある教祖が元は別の教団の信者で、そこでノウハウを学んだあと独自の教団を立ち上げる、というようなことが多いようで、なんかこういう流れを見ていると、宗教ってホント、ビジネスだよなぁ、と感じる。
この本の指摘で面白いなーと思ったことの一つに、「宗教は、不景気のときではなく、景気が向上しているときに広まる」という話がある。一般的には、不景気の時にこそ「神頼み」的な入信が増えるような思われがちだが、なぜそうならないかというと、例えば金銭問題で苦しむ→入信する→景気が上向く→ 苦しみのもとがなくなる→奇跡が起きた!というような事が、高度成長期には頻繁に起こるから、らしい。逆に不景気の時には、いくら信心しても一向に状況が良くならないので、長続きせずに辞めてしまったりするらしい。
なるほどなーと感心しきりである。思えば、株取引などの「必勝法」だとか「○○をすれば勝てる!」的なノウハウ本がやたらと出回って、みんなが株だ株だといい始めるのも、景気がいい時だけだ。
また、教祖の「奇跡」によって信者を集めるいくつかの教団では、教祖の身内(主に子供)が亡くなるといった不幸が教団の危機になる、と説明している。なぜなら、教祖の奇跡の力に対して懐疑の目が向けられるようになるからだという。
例えば真如苑では、教祖の伊藤真乗の子供が亡くなった際に、教団に「抜苦代受(ばっくだいじゅ)」という新たな教義を取り入れることでその危機を乗り越えている。これは、子供が、信者達の苦しみを代わりに引き受ける為になくなった、という教えだそうだ。伊藤は、伊藤自身が信者の病気を治す奇跡によって信者を集めていたこともあり、新しい教義の導入で矛盾を解消したのだそうだ。
同様な流れは天理教でもあり、他にもキリスト教の「復活」のエピソードも、神の子たるキリストが普通に十字架にかけられて死んでしまったので、その後の教団の運営にとってあまりにも都合が悪く(「神の子なのに、なんかあっけなく死んだな」というイメージ)、その為に後から作られた創作話だろう、という意見が紹介されている。
この本はそういう面白エピソードに満ちているのだが、中でも面白いなーと思ったのはGLAの話だ。
GLAの教祖・高橋と言えば、それなりに有名で名前を聞いたことがある人もいるかもしれない。といってもGLAがどういう宗教なのかこれまでよく知らなかったのだが、こんな感じらしい。
彼の前に、十四代前の先祖があらわれ、信州新野の千石平で武田信玄勢によって殺されたときのことを語りだした
そして、同年七月六日には、高橋の義弟に紀元前千三百年、エジプトで生まれた「ワン・ツー・スリー」という霊が下って、人間のあり方について教えられた。また、高橋の守護霊が、四世紀ごろの中国にいた「フワン・シン・フワイ・シンフォー」であることを教えられる。ほかにも、そうした不思議な現象が次々と起こった。
普通、新宗教で霊と言えば、先祖の霊が基本である。高橋にも先祖の霊が降りてはいるが、それよりも重要な働きをしたのが、古代エジプトや中国の霊である。こうした霊が下ることは、新宗教ではめずらしい。そこに、GLAの新しさがあった。
ちなみに、福井の名物となった(?)白装束集団「パナウェーブ研究所」の教祖である千乃裕子について、「GLAの元信者で、高橋の死後の後継者争いに敗れた」という紹介のされ方をしたらしいが、実際にはGLAは千乃がGLAの信者であったことを完全否定しており、この著者の意見としても、信者でもなければ後継者争いに巻き込まれたということもなかった、という結論になっている。
福井でも良く見かける「真光」だが、見るたびに名前が微妙に変わっていたりするのでなんなんだろうと思っていたら、分裂・統合を繰り返しているのだそうだ。なぜそれほどまでに分裂や統合が多いかというと、ひとえに「簡単だから」だという。真光で行う「奇跡」は「手かざし」というものが基本になっており、これは誰でも出来てしまう為、大体のやり方を学んだ後、分派していくのだそうだ。教義が簡単だと人集めも簡単だが、その分簡単に出て行ってしまうのし、難しくしすぎると分派もしにくい代わりに信者集めも大変、という、なかなか宗教運営も難しいと感じるエピソードである。
最後に、PL教団について。高校野球で有名なこの教団、どういうものなのかなーと思っていたのだが、アルファベットからイメージするものとは打って変わって、大元は普通のお寺からスタートしていた。教祖が元は貧乏寺の住職で、生活が立ち行かなくなったので、当時流行っていた「徳光教」という宗教に入信して、その後を継いだ、というエピソードが紹介されている。PL教団の面白いところは、病の苦しみを教祖が引き受ける「お身代わりの神事」という迷信めいたようなものがあるのと同時に、教団内に普通の病院であるPL病院を持っており、そこでの治療も行う、という感じで、近代医学も認めている点だ。この辺、まさにビジネスチックで面白い。
この本の著者の考えだと思うのだが、話の中で「宗教の教えによって、貧困層が真面目に仕事について働き、生活苦から逃れることができる」というものがあり、それについてはなるほどと納得した。私は宗教が好きではないが、そういう効果は確かにあるのだろうな、と思う。
こんな感じで大変面白い本なので、興味ある人はどうぞ。新書で安いです。
(以下引用)
これは面白い本「日本の10大新宗教」(米国が日本支配の一環として、在日・部落関係者に「起業」させたような気がします)
http://www.asyura2.com/09/cult7/msg/732.html
投稿者 小沢内閣待望論 日時 2010 年 12 月 22 日 09:01:49: 4sIKljvd9SgGs
http://chikura.fprog.com/index.php?UID=1243738775
May 31, 2009
これは面白い本「日本の10大新宗教」 ID:1243738775
以前本屋で立ち読みしたらかなり面白かったので、買ってみた。
人はなぜ宗教にすがろうとするのか?
宗教というものに昔から興味を持っている。
私自身は無神論者である(「神は存在しない」というスタンス)し、無宗教だと思っていたのだが、この本によれば、私も含めて多くの日本人は、日本の古い宗教観を普通に受け入れていて、無宗教というわけではないらしい。墓参りにも行くし、神社にお参りもする。これは立派な宗教だとのこと。
まぁ、言われてみればそうだなぁ。
それはともかく、この本は、所謂仏教、イスラム教、キリスト教といった3大宗教などではなく、「新宗教」と呼ばれるジャンルの宗教のうち、反社会的でない、ある程度社会に受け入れられている宗教を10種類ぐらいに絞って、その成り立ちや特徴を解説した本だ。
具体的には、天理教、大本、生長の家、天照皇大神宮強と璽宇、立正佼成会と霊友会、創価学会、世界救世教と神慈秀明会と真光系教団、PL教団、真如苑、GLA、についてそれぞれ紹介されている。
面白いのは、それぞれの宗教について批判めいたことは書かず、ただ淡々と歴史や特徴などを述べているだけにとどめている点だ。とはいうものの、著者の観点から見て「この点から、□□教団の○○という主張は後から作られた可能性が高い」というような感じで、淡々と指摘しているがゆえに逆に皮肉めいた文章になっているのが読んでいてニヤリとする。
例えば、第1章の「天理教」の解説では、教祖である中山みきが「神になった」際のエピソードを次のように紹介している。
立教の日に先立つ十月二十三日、みきの長男秀司が足の病にかかり、修験者が中山家に呼ばれて、祈祷が行われた。その際に、神が降る巫女の代理をみきがつとめたところ、「元の神、実の神」と名乗る神が降り、みきを神の社としてもらい受けたいと言い出した。この申し出を受け入れるなら、世界中の人間を救うが、拒むなら、中山家を破滅させるというのである。そこから、みきに降った神と中山家の人々とのあいだで問答がくり広げられ、家族が申し出を拒むと、みき自身が苦しんだ。そこで、みきの夫、善兵衛は、二十六日に、みきを神の社として差し上げると返答し、それでみきの苦しみもおさまったのだった。
しかし、著者は次のようにこれをさらりと切って捨てる。
この立教の出来事は、教団公認の教祖伝である「稿本天理教教祖伝」の冒頭に記され、現在の教団においては、啓示という位置づけがなされている。しかし、この出来事について述べた文書が登場するのは、みきや信者たちが警察からの厳しい取り締まりを受けるようになる一八八一(明治十四)年になってからのことで、立教の出来事はその時期に創作された可能性が高い。
この本を読むと、意外と日本の新宗教の成り立ちには、女性が深く関わっているということに驚かされる。所謂「神懸り」というものを起こすのは、どうやら女性に多いようだ。そしてそれをサポートする男性指導者が、教団をまとめあげる、という図式が一つのテンプレートのようになっているように思う。
また、意外とこれらの新宗教はお互いに密接な関わりを持っていることが多い・・・というか、ある教祖が元は別の教団の信者で、そこでノウハウを学んだあと独自の教団を立ち上げる、というようなことが多いようで、なんかこういう流れを見ていると、宗教ってホント、ビジネスだよなぁ、と感じる。
この本の指摘で面白いなーと思ったことの一つに、「宗教は、不景気のときではなく、景気が向上しているときに広まる」という話がある。一般的には、不景気の時にこそ「神頼み」的な入信が増えるような思われがちだが、なぜそうならないかというと、例えば金銭問題で苦しむ→入信する→景気が上向く→ 苦しみのもとがなくなる→奇跡が起きた!というような事が、高度成長期には頻繁に起こるから、らしい。逆に不景気の時には、いくら信心しても一向に状況が良くならないので、長続きせずに辞めてしまったりするらしい。
なるほどなーと感心しきりである。思えば、株取引などの「必勝法」だとか「○○をすれば勝てる!」的なノウハウ本がやたらと出回って、みんなが株だ株だといい始めるのも、景気がいい時だけだ。
また、教祖の「奇跡」によって信者を集めるいくつかの教団では、教祖の身内(主に子供)が亡くなるといった不幸が教団の危機になる、と説明している。なぜなら、教祖の奇跡の力に対して懐疑の目が向けられるようになるからだという。
例えば真如苑では、教祖の伊藤真乗の子供が亡くなった際に、教団に「抜苦代受(ばっくだいじゅ)」という新たな教義を取り入れることでその危機を乗り越えている。これは、子供が、信者達の苦しみを代わりに引き受ける為になくなった、という教えだそうだ。伊藤は、伊藤自身が信者の病気を治す奇跡によって信者を集めていたこともあり、新しい教義の導入で矛盾を解消したのだそうだ。
同様な流れは天理教でもあり、他にもキリスト教の「復活」のエピソードも、神の子たるキリストが普通に十字架にかけられて死んでしまったので、その後の教団の運営にとってあまりにも都合が悪く(「神の子なのに、なんかあっけなく死んだな」というイメージ)、その為に後から作られた創作話だろう、という意見が紹介されている。
この本はそういう面白エピソードに満ちているのだが、中でも面白いなーと思ったのはGLAの話だ。
GLAの教祖・高橋と言えば、それなりに有名で名前を聞いたことがある人もいるかもしれない。といってもGLAがどういう宗教なのかこれまでよく知らなかったのだが、こんな感じらしい。
彼の前に、十四代前の先祖があらわれ、信州新野の千石平で武田信玄勢によって殺されたときのことを語りだした
そして、同年七月六日には、高橋の義弟に紀元前千三百年、エジプトで生まれた「ワン・ツー・スリー」という霊が下って、人間のあり方について教えられた。また、高橋の守護霊が、四世紀ごろの中国にいた「フワン・シン・フワイ・シンフォー」であることを教えられる。ほかにも、そうした不思議な現象が次々と起こった。
普通、新宗教で霊と言えば、先祖の霊が基本である。高橋にも先祖の霊が降りてはいるが、それよりも重要な働きをしたのが、古代エジプトや中国の霊である。こうした霊が下ることは、新宗教ではめずらしい。そこに、GLAの新しさがあった。
ちなみに、福井の名物となった(?)白装束集団「パナウェーブ研究所」の教祖である千乃裕子について、「GLAの元信者で、高橋の死後の後継者争いに敗れた」という紹介のされ方をしたらしいが、実際にはGLAは千乃がGLAの信者であったことを完全否定しており、この著者の意見としても、信者でもなければ後継者争いに巻き込まれたということもなかった、という結論になっている。
福井でも良く見かける「真光」だが、見るたびに名前が微妙に変わっていたりするのでなんなんだろうと思っていたら、分裂・統合を繰り返しているのだそうだ。なぜそれほどまでに分裂や統合が多いかというと、ひとえに「簡単だから」だという。真光で行う「奇跡」は「手かざし」というものが基本になっており、これは誰でも出来てしまう為、大体のやり方を学んだ後、分派していくのだそうだ。教義が簡単だと人集めも簡単だが、その分簡単に出て行ってしまうのし、難しくしすぎると分派もしにくい代わりに信者集めも大変、という、なかなか宗教運営も難しいと感じるエピソードである。
最後に、PL教団について。高校野球で有名なこの教団、どういうものなのかなーと思っていたのだが、アルファベットからイメージするものとは打って変わって、大元は普通のお寺からスタートしていた。教祖が元は貧乏寺の住職で、生活が立ち行かなくなったので、当時流行っていた「徳光教」という宗教に入信して、その後を継いだ、というエピソードが紹介されている。PL教団の面白いところは、病の苦しみを教祖が引き受ける「お身代わりの神事」という迷信めいたようなものがあるのと同時に、教団内に普通の病院であるPL病院を持っており、そこでの治療も行う、という感じで、近代医学も認めている点だ。この辺、まさにビジネスチックで面白い。
この本の著者の考えだと思うのだが、話の中で「宗教の教えによって、貧困層が真面目に仕事について働き、生活苦から逃れることができる」というものがあり、それについてはなるほどと納得した。私は宗教が好きではないが、そういう効果は確かにあるのだろうな、と思う。
こんな感じで大変面白い本なので、興味ある人はどうぞ。新書で安いです。
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