忍者ブログ

徽宗皇帝のブログ

徽宗皇帝のブログ

いい大人が、胸にバッチをつけてにこにこですか?
秋は叙勲の季節である。叙勲される人間の8割くらいが元公務員、官僚、政治家という、自分で自分に勲章を与えるイベントを、国民がポカンと口を開けて見るというのが叙勲だが、さすがに、以下の記事に書かれているような国民蔑視思想の持ち主で、国民劣化策の推進者への叙勲を見たら、心ある人間なら自分の勲章をお返しします、と言いそうなものだ。
「ほととぎす 厠半ばに出かねたり」とは、夏目漱石が博士号を辞退したときの句だったと記憶しているが、勲章もこうなるとウンコのようなものである。


(以下「阿修羅」記事より引用)


日本人愚民化政策推進者に旭日大綬章ですか?おめでたい管政権
http://www.asyura2.com/09/idletalk38/msg/796.html
投稿者 唖然 日時 2010 年 11 月 03 日 15:07:05: 1agVVD4osk606


11月3日は文化の日で、毎年日本のために多大な功績を残した方々に勲章が贈られます。

今年は4,173人が受賞だそうです。

誰がどのような基準で人選し選考するのか解りませんが、「桐花大綬章」(とうかだいじゅしょう)「旭日大綬章」「旭日章受章」など様々で、こうして見ると人間には矢張り相当なランク、格差があるようです。

「職業に貴賤はない」と言うのは真赤な嘘です。政治家でなくては「桐花大綬章」は受けられず「旭日大綬章」は政治家、高級官僚、大企業経営者でなければ受けられないようですね。

そうした人たちだけを顕彰すると文句が出そうなので「旭日小受章」などを作ってランク付けをするわけです。

その受賞者たちの顔ぶれを見ていると「へえ」とか「なぜこの人が?」と言うような疑問を持たざるを得ない人物がいます。

もう10年近く昔の話ですが・・・・

2001年3月22日に放送された「NHK放送記念特集・テレビはどう変わるのか~IT革命とデジタル放送の未来~」という番組を私は漫然と見ていました。

10年前はITの何たるかがまだ一般人にはよく解っていませんでしたが、テレビに対してパソコン普及が脅威になるかと言うような討論番組でした。

出演者は以下の方々でした。

・森下 洋一  松下電器産業会長

・立川 敬二  NTTドコモ社長

・氏家 齊一郎  日本民間放送連盟会長

       (日本テレビ社長)

・重延 浩  テレビマンユニオン社長

・山根 一眞 ノンフィクション作家  

・海老沢 勝二  NHK会長

・司会  森田美由紀アナウンサー

 長屋龍人(放送文化研究所)

この時私は氏家齊一郎 日本民間放送連盟会長(日本テレビ社長)の発言にわが耳を疑いました。

その時の文言を正確には覚えていませんが記憶では

・テレビなんてものは大衆の娯楽に徹すればいい。

・テレビは大衆の求めるものを、これでもかと言うほど与えておけば好い。

・テレビで難しい話をしても誰も聞く耳を持たない。

大衆と言うのは難しい話を理解できる能力を持たない。

・大衆は一日の労働を終え、缶ビールの1本も飲んで、今日はジャイアンツが勝った、負けたで

一喜一憂し、下らない漫才を見て、ははは、世の中には俺より馬鹿がいると安心して、また明日の

労働に備えるために寝る。テレビの使命なんてそんなもんだ。

と言うような発言をしました。

それをNHKの当時の会長 海老沢勝二氏ははらはらしながらも黙って聞いていましたが、制作現場で長い間働いてきた、重延 浩 テレビマンユニオン社長が敢然と氏家氏の発言に異を唱えました。

・そう言う発言は慎んでほしい。我々制作現場のスタッフは少しでも番組の質の向上を目指して日々努力をしている。視聴者にも失礼だし、制作現場のスタッフもそれでは立つ瀬がない。

と、このような反論に氏家氏はニタニタ笑いで答えました。

・製作スタッフなんてのは消耗品だよ。代わりは幾らでも居るんだ、気に食わなきゃあ止めりゃあ好いんだ。

 この後も氏家氏は自分の発言を正当化して、重延氏の反論に耳を貸しません。

 NHKの海老沢氏も内心では氏家氏に同調はしているものの、立場上何とも言えないというもどかしさがあったようで、目を白黒して聞いているだけでした。同席する人々も同じくさしたる発言はなく、次の話題に移ったのを今でも明瞭に覚えています。NHKはアーカイブでこの番組を放送してほしいものです。

何故私が約10年も前のこの放送のことを覚えていたかと言うと、私自身が番組制作スタッフとして3K(きつい・きたない・給料やすい)にめげず頑張っていたからです。狭い編集室でハンバーガーと缶ジュース、徹夜徹夜の連続で、風呂もシャワーも浴びられず。気絶状態で新聞紙をかぶって仮眠をとる。所帯を持つ程の給料が出るわけでもなく残業もつかない。局の正社員とは月とすっぽん。王子と乞食でした。

足を洗って早10年。とんでもない経験でしたが、往時に比べて広告宣伝費が抑制される昨今製作費のコストダウンで、現場スタッフの職場環境は更に劣悪化しているのではないかと気がかりでなりません。

この番組での氏家氏の発言は私にとって大衝撃でした。

 

そしてあのニヤニヤわらいの目は「お前はゴミだ」「お前はカスだ」「お前は糞だ」と蔑みの目だと言われているようで、はっきり言って凍りつきましたね。大衆は馬鹿で愚鈍である。しかし自分が馬鹿にされていることすら気づかない。政権や財界に不信や疑いを持たないぬるーい人間の増殖が目的ですから、スタッフも当然同レベルの人間でなくてはならないと考えているのです。知恵と勇気がある後輩スタッフ諸君にご忠告申し上げたい。もうそんな仕事はおやめなさい。自給自足でもいいではないか。主体的に未来を切り開いて生きてください。

その経営思想は今日まで脈々と受け継がれ、下請け制作会社の社長以下社員の皆様には本当に御気の毒に思え、馬鹿な番組さえ、涙なくして満つことができません。

そう考えているのは氏家氏一人ではなく、放送事業経営者なら9割の人たちが同意見でしょう。

考えてみれば「読売中興の祖」正力松太郎という人物が、CIAの意向で作った日本テレビです。表面的にはプロ野球の父、テレビ放送の父、原子力の父とも呼ばれていますが、とても怪しい人物です。

以下WIKI転載

週刊新潮2006年2月16日号で、戦犯不起訴で巣鴨プリズン出獄後は正力がCIAの意向に従って行動していたことを早稲田大学教授の有馬哲夫がアメリカ国立第二公文書館によって公開された外交機密文書を基に明らかにし、反響を呼んだ。アメリカ中央情報局(CIA) と日本へのテレビの導入と原子力発電の導入で利害が一致していたので協力し合い、その結果"podam"、"pojacpot-1"というコードネームを与えられ、これらの件に関する大量のファイルがアメリカ国立第二公文書館に残ることになった。CIAに正力松太郎を推薦したのは、カール・ムント米上院議員だったという[1]。

この正力松太郎と言う人物は大正12年(1923年) には警察官をしており、同年9月 - 関東大震災において「朝鮮人暴動の噂」を流布させた(地震騒動を利用して朝鮮人が井戸に毒薬を撒いているというデマを広げる)ために、多くの在日朝鮮人が日本の民衆暴動によって殺されたという悲劇を生んでいる。

また、戦時中に大政翼賛会総務に就任し戦争推進の旗振りをています。

そして敗戦、A級戦犯に指定され巣鴨拘置所に収容されます。しかし

・昭和21年(1946年)1月 - 公職追放。

・昭和22年(1947年)9月 - 不起訴、釈放。

・昭和25年(1950年)10月 - 読売新聞、有限会社から株式会社に改組。

・昭和27年(1952年)10月 - 日本テレビ初代社長に就任(1955年まで務める)

・昭和28年(1953年)8月 - 日本テレビ放送網本放送開始。

WIKI転載終わり

A級戦犯で公職追放されたものが不起訴、釈放され新聞社を買収して社主になり放送局まで始めると言うのは、素人が見ても司法取引でアメリカの飼い犬になったことぐらいわかります。

まあ当時は岸信介というA級戦犯が日本の総理大臣になった例もあります。これも同様の取引があったことは否めません。この正力松太郎の衣鉢を継いだのがナベツネこと渡辺恒夫と氏家齊一郎です。アメリカによる日本国民への愚民化教育をなし遂げた点において、GHQのエージェントたる文部科学省のお眼鏡に叶ったのでしょう。それが 2010年「旭日大綬章」につながったのだと思われます。

本当におめでたいのは、民主党管政権ですね。  

拍手

PR

コメント

コメントを書く