日本中の虐げられた若者から激しく憎悪されている邪悪な拝金主義者の竹中平蔵は、この数年、自民党政権からも、派遣会社パソナの経営者も見かけ上離れて、なるべくニュースにならないように、こそこそ隠れているように見えた。

 竹中平蔵の過去の悪行である、脱税やミサワホーム乗っ取り、タックスヘイブンの隠蔽工作などが次々に暴露され、何を言っても若者たちから総スカンを食い、もうツイッターで発言する余裕もなくなっている。
 https://zaiten.co.jp/article/2020/09/post-20.html

http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5827226.html

 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6078996.html

 現在、自民党リーダーたちの思想は、ほぼ竹中平蔵の新自由主義一色に染まっている。
 殺された安倍晋三も、麻生太郎も、小泉純一郎も、河野一郎も岸田文雄も、維新党も、すべて強硬な新自由主義思想であり、言い換えれば強烈な市場原理主義と拝金主義である。

 竹中は、日本のすべての社会インフラ、健康保険も病院も、自治体生活インフラ(上下水道)も、高速道路も、山林管理も、ありとあらゆる生活インフラを、外資(ユダヤ金融資本)に委ね、市場原理に支配させろと主張し、実際にそのように社会を改悪してきた。

  「水道はすべて民営化する」麻生太郎の腹の内と、日本を食い潰す外資の正体 2017年10月3日
 https://www.mag2.com/p/money/312562

 この結果、外資に経営を委ねた水道事業で、料金滞納後、すぐに支払ったにもかかわらず、二ヶ月間も水道が復旧されないという事態が起きたり、外資は金のかかるインフラ整備事業を老朽化ギリギリまで放置して、崩壊寸前に自治体に買い戻させようと画策するので、契約した外資系水道管理企業が、利益を吸い取り尽くしてから撤退するという悪質な事例が頻発している。
 これが竹中平蔵の提唱する公共事業・外資開放の実態である。
 https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/437

 竹中平蔵は、2016年のパナマ事件というタックスヘイブン情報流出事件で、大規模脱税の捜査対象になったが、時の安倍晋三政権が、隠蔽したといわれている。
 http://www.cfolibrary.jp/column/taxation/9538/

 このとき、私は、「いよいよ竹中も年貢の納め時か」と小躍りしたのだが、結局、安倍晋三が手を回して、竹中の名前が出ることはなかった。
 私の竹中平蔵に対する憎悪は、このことで究極に達した。竹中の真実を知らない若者たちに、竹中に関する情報を残すことは、私の使命だと感じた。
 新自由主義の拝金思想を日本に蔓延させることは、日本国家の腐敗崩壊の最大の病根であり、ガンどころではない、人間社会に対する巨大犯罪だと認識した。

 昨日付のニュースで、久しぶりに、また愚劣なアピールを行った。
 私は見出しを見た瞬間に、憎悪で煮えくり返った。
 この男を日本から駆除しない限り、一体、どれほどの不幸が再生産されることか……。

竹中平蔵「日本人の生活はそんなに苦しくなってないのに騒ぎすぎ。もっと頑張れ」岸田減税は何の意味もないと断言…「社会安定のため国民に施し(給付)を」11/15(水)
 https://news.yahoo.co.jp/articles/2a9d5505b244757564afeea851ea34a8480d63d0

 みんかぶプレミアム特集「規制をなくせ、税金下げろ」第5回は経済学者の竹中平蔵氏が「岸田政権の期間限定減税政策は何の意味もない」と切り捨てる。
 また「日本は非常事態だなどと国民も政府は騒いでいるが、実際は非常事態のようにふるまいお金をばら撒いているのが現状。日本人の生活はそれほど厳しくなっているわけではない」と指摘するーー。

 財政拡大政策をやる必要性はない
 岸田文雄政権の支持率が下がっています。10月30日に公表されたANN世論調査で、岸田内閣支持率は過去最低の26.9%でした。
 国民に低く評価されている中で、岸田総理がこの度発表した総合経済対策はあまりいい内容であるとは思いません。”酷い中身だ”という批判も聞こえてきます。岸田首相は国民に対して過度に迎合しています。

 日銀は10月4日、日本経済の需要と供給力の差を示す「需給ギャップ」が2023年4~6月期にマイナス0.07%だったとの推計を発表しました。
 これは13四半期連続のマイナスですが、マイナス幅は縮小しています。需給ギャップがほぼゼロな状況だといえます。需要不足がないところで、岸田首相はあえて17兆円という大規模の需要を付けると発表していますが、これは何のためにやるんでしょうか。
 不足があればそこに対してお金を出すのが普通の政策です。マクロ経済的に見て財政拡大政策をやる必要性はないでしょう。

 たしかに国民生活は苦しくなっています。実質賃金が下がっているからですが、ただそんなのは当たり前の話です。円安で今まで100円で買えていたものが200円払わないといけなくなったからです。
 物の値段が上がれば、我々の購買力が吸い取られるので、その分生活レベルが落ちてしまいます。そして、同じことが今海外で起こっているのです。国民は困っているでしょう、しかしはっきりいって「海外ほどではない」のが現状です。
 日本の物価上昇率は現在3%ほどですが、IMFが10月10日に発表した世界経済見通しでは2023年の海外の消費者物価上昇率は6.9%と予測しています。

 こういうと厳しく思われるかもしれませんが、はっきりいってこれは日本人が甘受しなくてはいけないレベルの話です。
 もちろん生活困窮者に対する支援は必要ですが、生活が大変だといっても、全体としては海外に比べれば程度の低い話で、非常事態でもなんでもないのに非常事態のようにふるまいお金をばら撒いているのが今の日本です。

 そもそも日本の経済実態はそんなに悪くありません。輸出関連企業では最高益を出す企業も出ています。逆に世界では逆風が吹いている国も多く、正直日本にはささやかな追い風を受けているような状況と言えます。これに対してアメリカなどは「もっと日本しっかりやってくれ」と思っているのです。

 かつて日本の半導体が強かった時にアメリカは日本の半導体を抑えようとしていました。しかし、今、アメリカは日本の半導体を強くしようしてくれてる。だからこそIBMがラピダスと組んだのです。日本にそんな追い風が吹いているのだから、それを思いきり生かそうとすべきです。

 施しは社会の安定のためには必要なこと
 さて、総合経済対策の中には期間限定の所得減税も含まれていました。

 まず減税って何かというと税金を払っている人に対して「もっと頑張ってください」とお願いする制度です。所得を稼いで税金を払っている人は資源をうまく使っている人なので、そういう人たちにもっと頑張って動いてもらいましょう、と。ところが、今回の減税は「国民が生活に困っているから」という理由で実施されます。でも本当に生活に困っている人はそもそも税金をそんなに払っていなかったり、免除されたりしています。そうなると今回の減税政策は何の意味があるのでしょうか。

 そういった批判を受けた政府ですが、今度は「低所得者たちには給付する」というのです。それでしたら、最初から全員に給付すればいいだけの話で減税など必要ありません。給付することに政策的には意味があるのです。給付とは「施し」です。施しは社会の安定のためには必要なことです。

 今回の総合経済対策に関していえば、マクロ経済的には必要のない政策です。経済的にはやる必要はないが、政治的にやる必要があるならやっぱり給付をすればいい。そうしたほうが実施コストもかかりません。
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 引用以上

 自民党の拝金主義思想のバックボーンでもある竹中平蔵が主張していることは、「年金支給を70歳以降にせよ、90歳まで働かせろ、正社員雇用を廃止し、すべて解雇の容易な臨時労働者にせよ」などだ。
 すべて、自分の利権を肥え太らせる戦略である。これらの主張は、日本最大の派遣企業の隠れた最高経営者、極悪政商=竹中平蔵による中抜き利権を産み出すものでしかない。

 平蔵が自民党政権の思想的支柱になったのは、1998年の小渕政権だったといわれる。以来、ハーバード大ロックフェラー経済研究所から派遣されるような形で、ユダヤ金融資本の代弁者として、自民党における「新自由主義思想」の伝道者となった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E4%B8%AD%E5%B9%B3%E8%94%B5

 2001年の小泉純一郎政権で、竹中平蔵は経済相に就任し、新自由主義思想の根幹である①労働基準法のような政府の企業への規制を廃止する ②経済を市場原理だけに委ねる。つまり金になることだけをやり、金にならないことは廃止する。 ③人間の最大価値は金儲けであり、日本を「金融投機国家」に変える。
 という社会改革をはじめた。彼は、中曽根康弘が最初に持ち込んだ、労働基準法の適用を受けない臨時、派遣社員を大幅に増やし、日本から正社員待遇を追放するという政策を実現しはじめた。
 
竹中平蔵パソナグループ会長の「正社員をなくしましょう」発言と派遣法改正案の関係 佐々木亮弁護士・日本労働弁護団幹事長 2015/1/4
 https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/02fcd0eccd5ec9d916630daee71d774810a1f636

 竹中平蔵の正体は、まさにハーバード大ロックフェラー経済研究所の本質である「ユダヤ金融資本」の代理人であり、新自由主義思想の伝道者である。
 この男は、ユダヤ金融資本が提唱してきた「グローバルスタンダード」=世界統一政府を推進するダボス会議の常任運営委員でもある。
 その思想には、徹底的な搾取、労働者の奴隷化、市場原理による弱肉強食社会しか存在せず、「人情」という言葉は、かけらですら見つけることはできない。
 我々は、竹中の対極にある「人情社会」を目指しているのだ。

 この立場から、昨日報道された上の竹中発言を見てみよう。
 
【日本の物価上昇率は現在3%ほどですが、IMFが10月10日に発表した世界経済見通しでは2023年の海外の消費者物価上昇率は6.9%と予測しています。
 こういうと厳しく思われるかもしれませんが、はっきりいってこれは日本人が甘受しなくてはいけないレベルの話です。】

 日本の物価上昇率だけを指摘しているが、所得上昇率を一切言わないのが竹中のあくどい手口だ。日本人は物価だけ際限もなく上がるのに、所得の上昇率は、先進諸外国の半分にも満たないことは口にしない。

 日本人の平均収入推移


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 上のグラフは、労働環境の保障された正社員だけのものであり、竹中平蔵によって労働者の半数が臨時派遣雇用に貶められた日本では、さらに低く、横ばいどころか実質低下していることが常識である。
 竹中は自分に都合のよい正社員データしか口にしない。自分が貶めた非正規採用労働者の待遇は一切口にしないのだ。

  私が煮えくり返ったのは次の発言だ。
 【給付することに政策的には意味があるのです。給付とは「施し」です。施しは社会の安定のためには必要なことです。】

 まさに、これが新自由主義の本質である。ユダヤ人=アメリカ人は、富裕層に成り上がると、構造的に労働者を豊かにする政策に激しく反発し、弱肉強食の競争差別社会を死守したがる。
 億万長者になると、必ず上から目線の「寄付」をすることで、自分の立場を正当化しようとし、絶対に構造的に弱者を豊かにする政策を認めようとしないのである。

 これは、アメリカ建国以来のユダヤ人の根源的姿勢であり、まさにタルムードに描かれた超優越感=選民思想から来ている傲慢そのものである。
 http://oujyujyu.blog114.fc2.com/blog-entry-218.html
 これは、ユダヤ教徒の思想であり、シオニズムに共通するものだ。

 「施しをする」という竹中平蔵の発言は、自分が特権階級に成り上がって、他のすべての人々を、上から目線で見下して「施してやる」とお情けをかけてやろうというわけだ。
 だから、竹中の新自由主義は、徹底した市場原理のもたらす弱肉強食の思想である。

 「金持ちになれば、貧乏人に施してやればいい」
 弱肉強食をもたらす競争主義は死守する。世界を市場原理だけで支配し、金のなることはやるが、金にならないことは廃止する……これが竹中イズムである。

 我々は、弱肉強食をもたらす市場原理への依存を廃止し、「みんなが幸せを平等に分かち合いたい」とする「人情主義」を主張しているのだ。
 竹中は、この「みんなを大切にする利他主義」に真っ向から敵対して、世界のすべてを金儲けという利己主義一色で染め上げようとしているのだ。

 そもそも、90年前に市場が飽和して、ニューデール大恐慌が始まったとき、当時の資本家たちは、労働者を構造的に富ませるケインズの需要優先主義に対し、「労働者に施すのはいいが、構造的に富ましたなら自分たちの優越性が失われてしまう」と危惧し、「不況が起きるのは供給が不足しているせいだ」と決めつけ、資本家に金を与えて生産力を増やすだけの「セイの法則」を持ち出した。
 これが古典経済学の本質である。

 この愚劣さ幼稚さはケインズによって論破されたのだが、1980年代に入って、フリードマンらが新自由主義を提唱すると、死んだはずの古典経済学とセイの法則をゾンビのように復活させて、「新古典経済学」なるものをでっちあげた。
 これも原点には、国家が資本家階級を優越させ、弱肉強食の市場原理だけにより世界を支配するという思想が含まれている。

 岸田文雄が、先の国会演説で「供給を増やす」と繰り返したのは、まさに、近代経済学から嘲笑されている「セイの法則」を実行すると宣言したものだ。
 岸田の思想も、徹底的な上から目線で、「国民に施す」という姿勢しか存在しないのは、岸田が竹中平蔵の弟子だからだ。
 つまり、小泉、麻生、安倍、菅、岸田らの思想は実は竹中平蔵の薫陶によるものである。

 我々が求めているのは、構造的な労働者の豊かさである。施しなど必要としない自立した労働者の権利である。
 竹中平蔵は、強欲に支配された利己主義一択社会を作り出すことで、我々の人情社会への願いを排除しているのである。

 我々の人間として生きる満足は、利他主義の実現でしか成立できない。
 前回も書いたが、人は自分の死を迎えるとき、利他主義に生きたということだけが満足を与えてくれる。
 利己主義だけに生きた人の死は、どんなに最先端の医学による立派な病室であろうと、どんなに豪奢なケア施設であろうと、それは姥捨て山にすぎないのだ。

 だが、どんなに貧しい、悲惨な死であろうと、利他主義に生きた者には、本当の満足があり、そこは決して楢山ではない。