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徽宗皇帝のブログ

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カルトと革命と法華経
「混沌堂主人雑記(旧題)」から転載。
この神主(宮司)さんの書いた記事は、いろいろ情報が多い。特に、大学生時代の政治や宗教(統一教会)のカルトの話は、実体験だけに貴重だ。
混沌堂主人さんの書いた部分にも「生長の家」が「法華経系新興宗教」であるなど、私の知らなかった情報はあるが、何でもかんでも天皇批判に結びつけるので、「尊皇主義者」の私としては引用できないわけだ。
で、「法華経系新興宗教」と言えば、創価学会もそうなのではないか。なぜか、法華経はカルトと親和性が高いらしいのが面白い。創価学会の本尊(まあ、本仏と言うのか、言葉は良く知らないが。)と思われる日蓮自体が当時の仏教界に反旗を翻した「元祖新興宗教」みたいな印象が私にはあるが、仏教史の知識が私はほとんど無いので論じることはできない。
確か、昭和の「改革派軍人」つまり、226集団みたいな連中の中にも法華経信仰者が多かったような気がする。あるいは宮沢賢治のような「宗教的コスモポリタン(世界人)」も土台は法華経だったようで、法華経の何がそのように「革命」や「改革」と結びつくところがあるのか、誰かに説明してほしいところだ。で、その革命性が、カルト集団と結びつきやすそうなのである。カルトへの入信は基本的に「現在の社会への不満」が土台になるのだから。
まさに「地獄(カルト)への道は善意(世界を救いたいという気持ち)で舗装されている」わけだ。オウム真理教ですらそうだった可能性はある。教祖はともかく、信者の大半は善意の持ち主だった気がする。
カルト擁護の気持ちはまったく無いが、すべての宗教史はカルトが伝統宗教のひとつとなっていく道程かもしれない。つまり、伝統宗教は本当にカルトと区別できるか、ということだ。

(以下引用)

2022 - 08/26 [Fri] - 19:23

清州日吉神社 HP  より

上記文抜粋
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統一教会について2022年8月15日   投稿者:宮司
 安倍元首相への銃撃事件を発端に、統一教会(世界基督教統一神霊協会、現在は世界平和統一家庭連合と改称)の情報が話題を攫っている。
 私は1967年に名古屋大学へ入学したが、当時のキャンパス内では、新入生のオルグ合戦でさまざまな組織が火花を散らしていた。日本共産党系の民主青年同盟(民青)と全共闘系の諸派は、中でも激しく対立していた。その中で、目立ちはしなかったが、素直で純真な新入生に優しく語りかけていたのが、当時どの大学にも入り込んでいた原理研究会であった。科学と宗教を統一させる原理を説明するというのが謳い文句であった。
 私は、民青の合宿にも誘われ、全共闘のセクトの連中と議論を闘わせ、どちらにも与しなかった。実は、原理にも声をかけられた。それは偶々上京した時、渋谷駅前で勧誘をしていた原理の学生の話を聞いたのがきっかけであった。当時、神職の高位資格を取るためにキリスト教の勉強をしていた私は、彼らの語る聖書解釈が実にいい加減で一方的なものであることに気づき、激論を闘わせたのである。4、5時間も話していたと覚えている。原理の学生たちは根負けして、場所を移して続けようと提案した。私はそこで、これから名古屋へ帰らなければならないと言って別れた。これが唯一の接点であった。
 その後、学生運動も下火になった頃、学生の不良化防止のためと称して、個別訪問や交差点で停止した車両に花束を売りつける若者が目立った時期がある。これもおそらく原理、すなわち統一教会の資金集めであったろう。
 1980年代になると、統一教会の霊感商法が社会問題として取り上げられるようになった。元々、日本人の中に、死者の慰霊をしなければ、その霊魂が怨霊や悪霊となって現世に様々な不幸をもたらすという信仰がある。これは、平安時代の御霊会がその原点であり、祇園祭や天王祭に代表される日本の夏祭りは全てこれと関係があると言ってよい。従って、先祖の慰霊を怠れば現世や未来に不幸がくるので、お金を出して、あるいは行動を通して慰霊しなさいと言った言説に日本人は極めて脆弱である。新宗教や新新宗教の大部分はこれを布教に利用している。
 私は、1985年頃から、iarf(国際自由宗教連盟)という宗派を超えた交流と世界平和の促進を図る組織と関わるようになった。その中で、立正佼成会の方々から、当時統一教会の日本の初代会長であった久保木修己という人が、立正佼成会から脱会した人物であり、いわばヘッドハンティングされたということがわかった。彼はまた、1968年創設の国際勝共連合の日本の初代会長でもあった。統一教会は、この他に世界日報や世界平和教授アカデミーといった関連組織も作っていた。
 つまり、文鮮明という1954年に統一教会を創始した人の狙いは、政治、学問、宗教、マスコミ等多岐にわたって社会に影響を及ぼし、自分が世界を裏からコントロールすることを最終の目標としていたのではないか。何よりも、政治への世界的影響力を持ち、世界政治を裏側から操ろうと試みたのではないか。それは反共産主義と朝鮮民族主義を核とした政治活動であり、宗教は人々を洗脳するための道具であったように思われる。つまり統一教会は宗教を手段の一部とした政治活動である。
 反共産主義を掲げたので、日本では笹川良一、岸信介といった右翼大物との接点が生まれ、現在の自民党右派との繋がりに続いている。また、朝鮮民族主義は、日本で詐欺まがいの莫大な募金を行い、これを韓国をはじめとする海外の政治宗教活動に使用するという仕組みを支える、アダム(主人)は韓国、イブ(奉仕者)は日本という論理構造に示されている。さらに冷戦終了後は積極的に北朝鮮の金一族と接点を持ち、献金を通じて一定の関係を築き、朝鮮統一の足がかりにしようとした態度にも示されている。なお、統一教会のなりふり構わぬ反社会的な資金集めは日本に特徴的なことである。それほど日本人は扱いやすいということだ。
 ところで、統一教会はキリスト教と関係があるのだろうか。文鮮明は自分が唯一神の啓示を受けたといい、再臨の救世主であるといっていた。しかし、キリスト教側から見れば、これを全く敵視していたといって良い。1993年にiarfが中心となって万国宗教会議百周年記念日本大会を伊勢市で開催した時、私は事務局を統括していたが、参加教団の中から、統一教会が紛れ込んでいたら参加できないとの苦情が表明された。当時の統一教会は様々な団体名を使って社会に潜り込んでいた。困った私を助けてくれたのはカトリックだった。数百名の参加者の中から、統一教会の関係者を3名、選び出してくれたので、彼らの参加を丁寧にお断りして、無事大会が実施されたことを覚えている。すなわち、宗教界のはみ出し者が統一教会であった。
 幸か不幸か文鮮明教祖は2012年に死亡し、統一教会もその妻の韓鶴子氏を指導者とし、組織の名前も世界平和統一家庭連合と変更し、その活動も穏健なものに変化すると思われた。しかし、相変わらず強引な集金活動を続けているようで、その結果が今回の銃撃事件となったと思われる。安倍元首相にとっては不意の事故にあったようなもので、誠にお気の毒であるが、それとは別に、統一教会の反社会的な活動は調査され、規制されなければならないと思う。
 最後に統一教会と神社界との関係について述べておく。愛知県神社庁に統一教会の信者が出入りしているのを発見したのは、随分以前だ。事務局に注意を促し、しばらくすると姿が見えなくなった。当時、日本を守る国民会議の愛知県支部事務局が神社庁に置かれていた関係ではなかったか。神社界はこれを統一教会とは知らず、まして宗教関係とは知らず、ただただ勝共連合という反共組織として提携していた。これが現在の日本会議まで続くことになる。日本会議の中核的な思想は、生長の家原理主義(現在の「生長の家」の思想とは異なる)だが、実行部隊は統一教会である。統一教会が宗教ではなく、政治活動が主体であるということがよくわかる。
 現在の世界平和統一家庭連合のホームページを見ると、「人生とは愛の完成の追求」であり、人々が「神を中心として、愛を育て幸せを作る家庭」を作り、それを世界に広げることによって「世界は文鮮明総裁と韓鶴子総裁を父母とする家族となっていく」と書かれている。儒教を基礎とする家族主義であり、文鮮明を指導者とする「修身斉家治国平天下」の実現と読み取れる。これは習近平の儒教的社会主義と同様の偽共同体理論であり、神社界が大好きな「天皇が知ろし食す王道政治」にも通底する。こんな理論に現代人は惑わされてはいけない。(2022/08/15) 

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