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徽宗皇帝のブログ

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シュペングラーの国家社会主義
現代は便利な時代で、難しく長大な著作を読まずとも、ウィキペディアでその要点を知ることができる。
ここに書かれたシュペングラーの思想は、ナチスの思想に影響を与えたかもしれないし、そのすべてが私に理解できたわけでもないし、その一部には明確に反対する(軍隊への賞賛は私とは正反対である。)が、ここに書かれたマルキシズム批判には同感であり、また、マルキシズムとはまったく異なる国家社会主義(おそらく中国がそうなると思う)によって資本主義の欠陥(「権力が個人にばらまかれている」「カネが政治を支配する」「欺瞞的民主主義」)が克服されるだろうという考えは私と同じである。そして、新コロ詐欺を機に「西洋の没落」は明白化していくだろう。

(以下引用)


オスヴァルト・シュペングラー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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オスヴァルト・シュペングラー

オスヴァルト・アルノルト・ゴットフリート・シュペングラーOswald Arnold Gottfried Spengler1880年5月29日 - 1936年5月8日)は、ドイツの文化哲学者歴史学者


アメリカ合衆国ロシアソ連)といった非ヨーロッパ勢力の台頭を受けて書かれた主著『西洋の没落』は、直線的な考え方である当時のヨーロッパ中心史観・文明観を痛烈に批判したもので、その影響は哲学歴史学文化学芸術など多方面に及んだ。

生涯[編集]

ザクセン=アンハルト州ブランケンブルクの生まれ[1]。父は鉱山技師で、中流家庭の出身であった。保守的な価値観の家庭で育ち自身の思想にも影響を与えた。幼少期にハレに移住し、ハレ大学ミュンヘン大学ベルリン大学の各大学に学び、哲学・歴史学・美術・音楽・数学などを学び、1904年に「ヘラクレイトス─彼の哲学のエネルギー論の根本思想に関する研究」で学位取得[2]


学位取得後、デュッセルドルフハンブルクなどの高等学校で教鞭をとるも、1911年には教職を辞して以降は、著述と思索のなかで生活をする。


第一次世界大戦の戦時中に書かれた『西洋の没落』(Der Untergang des Abendlandes) 第一巻が1918年に発表されると、広く読まれた。「西洋の没落」は「全地球に広がっているヨーロッパ・アメリカ文化の没落の分析」であり、その目的は世界史の比較形態学とされた[3]


第一次世界大戦でドイツが敗戦すると、シュペングラーは伝統的なプロイセン保守主義にとらわれない新しいナショナリズムとしての「プロイセン的社会主義」を展開し、アルトゥール・メラー・ファン・デン・ブルックらとともに保守革命と呼ばれる思想の一角を形成する[4]


1936年にミュンヘンにて心臓病のため死去。55歳であった。

プロイセン的社会主義[編集]

シュペングラーは「プロイセン的特性と社会主義」(1919)で社会主義はドイツ(プロイセン)の伝統的な徳性であり、ドイツを19世紀イギリスの唯物論と実証主義の産物であるマルクス主義から解放すべきであるとした[5][6]


シュペングラーによれば、マルクスは社会主義というプロイセン的な概念を「プロレタリアート」に帰属させ、資本主義というイギリス的な理念をブルジョワジーに帰属させたことで、ドイツ的精神とイギリス的精神の人種的矛盾を誤って転写し、生の心理的次元を欠いていると批判し、またドイツ人における「内なるイギリス」に反対した[6]。また、フランスは無政府状態と平等主義に向かい、イギリスは市場競争において権力が個人にばらまかれているのに対してプロイセンでは権力は全体に所属しており、個人は全体に奉仕するとした[6]

国民的社会主義とカエサル主義[編集]

また、『西洋の没落』第2巻(1922)では農民と封建貴族の住む農村が血と伝統と生産の世界であり魂・感性・本能の領域に存すると称賛し、これに対して都市は貨幣知性による寄生的世界とした[7]。またシュペングラーは「貨幣こそ知能を王座にのぼらせるものである」とし、民主主義は貨幣と政治権力の同等化の完成品であるとする[8]。ギリシャ・ローマの貨幣思考は、すべての都市を鋳貨に、すべての民衆を奴隷に変え、ファウスト的な貨幣思考は自然の資源を開発して金融エネルギーに変える[9]。貨幣は破壊的で生を否定する力であるのに対して、戦争は偉大な事柄の創造者であり、軍隊と家族は貨幣関係の影響を受けない[7]。都市の商人は、ゴシック時代の西洋のユダヤ人、ビザンツ人、ペルシア人、アルメニア人のような異邦人であり、商人や仲買人などの都市住民はドイツの特殊性を消滅させる[7]。しかし、国民的な「血の共同体」による社会主義は、貨幣とその政治的武器である民主主義の独裁を打ち破り、「貨幣は、血によってのみ克服され、支配されうる」とされ、国民的社会主義は資本主義に勝利するとされる[7]


現代のような巨大戦の時代には、ナポレオン主義から皇帝主義(カエサル主義)へ推移していくとされる[10]。カエサル主義は憲法的法式化のいかんを問わず、内部的本質において無形式となった政府のことをいい、カエサルが行使する個人的権力だけが意味を有し、知能と貨幣による政治が終末を迎える[11]。そして血の力、生命の本源的衝動、絶えることのない肉体的力が古い支配を再開する[11]。政治家は一つの伝統を創造し、統一的活動の流れを解放することで、ギリシア・ローマ世界が神と呼んだかもしれない何者かになり、若い人種の精神的祖先となる[11]。「カエサル主義の到来は貨幣の、そしてその政治的武器であるデモクラシーの独裁を打ち壊す」のであり、都市的な経済よりも政治化された生命の方が強いとされた[12]


シュペングラーは国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)員ではなかったが、抽象的な資本と商業のよそよそしい世界をユダヤ人にみるような世界観を提供してナチスを生み出したドイツの知的風土に強い影響を与えた[7]




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