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徽宗皇帝のブログ

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トラシュマコスの「正義」とプラトンの「正義」
プラトンの「国家(国家篇)」の解説サイトの一部だが、後の考察のためのメモとして載せておく。私が浪人時代に「国家」を読んだ時には、「正義」に関してはトラシュマコスの弁論の方がはるかに正論で、ソクラテスの「正義論」は詭弁だとしか思えなかった。しかし、その後に書かれた「国家体制の種類とその特徴や欠点」の議論は見事だと思った。だが、「いかにして哲人統治を可能にするか」という根本への回答が無いと、この長々しい議論は「思考実験」でしかないのではないか、とも思ったものである。
まあ、要するに「正義とされているものの現実」はトラシュマコスの皮肉な論の通りであり、「国家としての正義」はソクラテスが理想としているものがそれだと言えるのではないか。もちろん、戦士には知恵も節制も要らないとか、政治担当者には勇気も節制も要らないとか、平民は欲望の我慢さえさせとけばいいというわけではないだろうが、それぞれの身分に一番必要な徳がそれぞれ「知恵」「勇気」「節制」だと言われればそうだろう。民主主義社会が今、どのような有様かを見れば、プラトンは「それ見たことか」と言いそうであるwww まあ、戦争が常に「目の前の危機」であった時代の思想として、軍人重視思想であるのは当然だ、と割り引いて考えるべきだろう。


(以下引用)

2-1:トラシュマコスとの対話

『国家』は架空の対話編という形式で書かれており、ソクラテスがさまざまな人と議論しながら話が進んでいきます。①では「正義とは何か」についてソクラテスが問答していく様子が描かれていますが、なかでもトラシュマコスという人物との問答が有名です。

  • ソクラテスは、正義とは「強い者の利益にほかならない」4と主張するトラシュマコスの見解を批判的に吟味していった
  • そして、第1巻の終わりで「討論の結果ぼくがいま得たものはと言えば、何も知っていないということだけだ」5と現段階の状況をプラトンは総括する

プラトンの他の対話編ではこのような仕方で議論が終わったまま著作も閉じられてしまうことがありますが、『国家』ではこの続きで正義に関する論述が続いていきます。

2-2:完全な国家であるために必要な四つの徳と魂の三部分説

②においてプラトンは、理想国家のあるべき姿について論じるなかで、「この国家は、〈知恵〉があり、〈勇気〉があり、〈節制〉をたもち、〈正義〉をそなえていることになる」6と述べます。


知恵、勇気、節制、正義の四つは、西洋哲学では「枢要徳」とも呼ばれるもので、個々の人間がよく生きるために発揮しなければならない倫理的な徳として重要なものとされています。


ただしプラトンは、枢要徳をまずは国家の次元で考えていることが特徴的です。たとえば、プラトンは以下のように指摘しています。

  • 知恵・・・「全体としての国家自身のために、どのようにすれば自国内の問題についても他国との関係においても、最もよく対処できるかを考慮するような知識」7
  • 勇気・・・「恐ろしいものとは何であり、どのようなものであるかについて、法律により教育を通じて形成された考えの保持」8
  • 節制・・・「一種の秩序のことであり、さまざまの快楽や欲望を制御すること」9
  • 正義・・・知恵を国家の政務や守護を担う支配階級の人々に、勇気を戦士階級の人々に、節制をそれ以外の一般階級の人々に割り当て、それぞれの階級の人々が「国家においてそれぞれ自己本来の仕事を守って行なう場合、このような本務への専心は[略]〈正義〉にほかならない」10

このようにみると、国家において正義は他の三つの徳である知恵、勇気、節制がそれぞれ適切に機能してはじめて実現されるということです。そして、プラトンは国家の正義がどのようにすれば達成されるのかの見通しを示しています。


この知見から、プラトンは今度は国家ではなく個々の人間のなかにおいても正義は同様の仕方で成立するということを述べていきます。そこで提出されるのが「魂の三部分説」です。


正義が成立するためには知恵、勇気、節制がそれぞれ適切に機能する必要があるわけですが、個々の人間の魂のなかには以下の三つの部分があるとプラトンは考えます11

  • 知恵に対応する〈理知的部分〉
  • 勇気に対応する〈気概的部分〉
  • 節制に対応する〈欲望的部分〉

現代の私たちにとってこの場合は、「魂」を「心」に置き換えて考えた方がわかりやすいかもしれません。


人間は心のなかで、或る欲求について思い悩んだり、勇気ある一歩を踏み出すかについて迷ったり、あるいは目の前の状況に対してどのように行動するべきかと知恵を働かせたりします。心のこうしたさまざまな側面をプラトンは魂の部分として理解しているわけです。


このように『国家』は、単なる国家論のみならず人間論の側面も兼ね備えていることが窺えます。

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