前回のブログを載せた後、管理画面への接続が急にできなくなったが、今はできるので、記事を書いておく。なぜ、急に管理画面との接続ができなくなるのか、まったく不明である。まあ、もともとネットそのものが米国や西側支配層の民衆管理の道具として軍用から一般に開放されたものだったと思うので、どこかで監視され管理されていて当然である。我々はお釈迦様の手のひらの上で遊んでいるだけにすぎないのだろう。
さて、話題の「パナマ文書」だが、この言葉自体がまるでグレアム・グリーンやジョン・ル・カレのスパイ小説の題名のようだ。その流出の経路もまた謀略じみている。それを解説したのが次の文章だが、「小林恭子のイギリスメディア研究」だったか、そういった題名のサイトの記事だ。
パナマ文書自体がCIAによる、あるいは西側首脳国による「敵対国家首脳」陥れの「作品」だろう、というのは、私自身、最初にこの記事の話を聞いた瞬間からの推測だが、多くのネット論者も同じ意見かと思う。誰がどう考えても、タックスヘブン利用者は西側の資本家や大企業経営者が圧倒的に多いはずだのに、出てくる名前がプーチンだとか習近平だとか、あるいは「銀行を国有化する」という、資本主義への反逆をあえてしたアイスランドの大統領(か総理か何か)という、「資本主義の敵」「西側右翼の敵」ばかりでは「都合が良すぎる」と思わない人間は、あまりに馬鹿すぎる。
まあ、事件の内容もまだ良く知らないのだが、下記文書の流出経路自体が安っぽいスパイ小説じみている。あまりに「大げさ」である。リアルさを出すための小細工が過ぎて、逆にリアルさを失っている、と私には思える。そもそも、2.6テラバイトもの容量の情報なら、何かのハードウェア(メモリー機器)に入れて、一括して手渡しした方がネットなどを経由するより簡単で安全だろう。
「この間、ファイルは少しずつ南ドイツ新聞に送られていた。メールで送るには大きすぎるが、どうやって送られたのかについて、南ドイツ新聞はワイヤードに明らかにしていない。」
これだけでも怪しすぎる話である。
(以下引用)
2016年 04月 05日
(ニーマン・ラボのサイトから)
パナマの法律事務所「モサク・フォンセカ」から流出した、金融取引に関する大量の内部文書。これを元に「パナマ文書リーク」の報道記事が続々と出ている。
いったいどうやって情報がメディアの手に渡り、各社の報道につながったのか。
ウェブサイト、ニーマン・ラボ(4月4日付)とワイヤード(4月4日付)の記事から、要点をまとめてみたい。
法律事務所の内部文書は1977年から2015年12月までの期間のもので、1150万点に上る。文書のサイズは2・6テラバイトに及ぶという。ウィキリークスの手によって世に出た米外交文書リーク(「ケーブルゲイト」、2010年)が1.73ギガバイトであったので、これの数千倍になるという。
1150万の文書ファイルには480万の電子メール、100万の画像、210万のPDFが入っていた。
経緯は
2014年末、ある人物が南ドイツ新聞の記者に暗号化されたチャットを通じて連絡をつけてきた。記者の名前はバスチアン・オベルマイヤー(Bastian Obermayer)。その人物は「犯罪を公にしたい」と言ったという。実際に顔を合わせず、連絡は暗号化されたチャンネルのみでだった。そうしなければ「命が危なくなる」からだった。
オベルマイヤー記者とリーク者は常に暗号化されたチャンネルで連絡を取り合い、どのチャンネルを使うかは時々変えた。それまでのコミュニケーションの内容をその都度、削除したという。暗号アプリの「シグナル」、「スリーマ」や、PGPメールなどを使ったというが、オベルマイヤーはどれをどのように使ったかについて、ワイヤードに明らかにしなかった。
新たなチャンネルで連絡を始める際には一定の質問と答えを用意し、相手がその人物であることを互いに確認した。
文書の一部を受け取った南ドイツ新聞は非営利組織の「国際調査報道ジャーナリスト連合」(ICIJ、ワシントンにある)に連絡した。ICIJは過去にも大型リークの分析を担当した経験があったからだ。ICIJのスタッフはミュンヘンにある南ドイツ新聞に出かけ、どう処理するかを話し合ったという。
この間、ファイルは少しずつ南ドイツ新聞に送られていた。メールで送るには大きすぎるが、どうやって送られたのかについて、南ドイツ新聞はワイヤードに明らかにしていない。
次に、ICIJのデベロパーたちがリーク文書を検索するサーチエンジンと世界の報道機関がアクセスできるURLを作った。サイトには報道機関の記者たちがリアルタイムでチャットできる仕組みも作られていた。記者同士がワシントン、ミュンヘン、ロンドン、ヨハネスバーグなどに集い、情報を交換もした。
ICIJによると、リーク文書をそのまま公表する予定はないという。ジャーナリストたちが責任を持って記事化するよう、望んでいるからだ。
リーク者を守るため、南ドイツ新聞のオベルマイヤーはリーク者との連絡用に使った電話やラップトップのハードドライブを破壊した。「念には念を入れたかった」。今でもリーク者が誰であるかは知らない状態だ。
ワイヤードはメガリークの新たな時代が始まっている、という。
ニーマン・ラボの記事によると、受け取った情報の分析は南ドイツ新聞ばかりではなく、フランスのルモンド紙、アルゼンチンのラ・ナシオン紙、スイスのゾンタ―グツァイトゥング紙、英国のガーディアンやBBCなどが協力して行った。プロジェクトにかかわった記者は約400人。世界76か国の100以上のメディア組織が協力したという。
日本では共同通信と朝日新聞がこのプロジェクトに参加した。
さらに詳しく知りたい方は「マッシャブル」の記事(英語)もご参考に。
さて、話題の「パナマ文書」だが、この言葉自体がまるでグレアム・グリーンやジョン・ル・カレのスパイ小説の題名のようだ。その流出の経路もまた謀略じみている。それを解説したのが次の文章だが、「小林恭子のイギリスメディア研究」だったか、そういった題名のサイトの記事だ。
パナマ文書自体がCIAによる、あるいは西側首脳国による「敵対国家首脳」陥れの「作品」だろう、というのは、私自身、最初にこの記事の話を聞いた瞬間からの推測だが、多くのネット論者も同じ意見かと思う。誰がどう考えても、タックスヘブン利用者は西側の資本家や大企業経営者が圧倒的に多いはずだのに、出てくる名前がプーチンだとか習近平だとか、あるいは「銀行を国有化する」という、資本主義への反逆をあえてしたアイスランドの大統領(か総理か何か)という、「資本主義の敵」「西側右翼の敵」ばかりでは「都合が良すぎる」と思わない人間は、あまりに馬鹿すぎる。
まあ、事件の内容もまだ良く知らないのだが、下記文書の流出経路自体が安っぽいスパイ小説じみている。あまりに「大げさ」である。リアルさを出すための小細工が過ぎて、逆にリアルさを失っている、と私には思える。そもそも、2.6テラバイトもの容量の情報なら、何かのハードウェア(メモリー機器)に入れて、一括して手渡しした方がネットなどを経由するより簡単で安全だろう。
「この間、ファイルは少しずつ南ドイツ新聞に送られていた。メールで送るには大きすぎるが、どうやって送られたのかについて、南ドイツ新聞はワイヤードに明らかにしていない。」
これだけでも怪しすぎる話である。
(以下引用)
2016年 04月 05日
パナマ文書はどうやって世に出たのか |
(ニーマン・ラボのサイトから)
パナマの法律事務所「モサク・フォンセカ」から流出した、金融取引に関する大量の内部文書。これを元に「パナマ文書リーク」の報道記事が続々と出ている。
いったいどうやって情報がメディアの手に渡り、各社の報道につながったのか。
ウェブサイト、ニーマン・ラボ(4月4日付)とワイヤード(4月4日付)の記事から、要点をまとめてみたい。
法律事務所の内部文書は1977年から2015年12月までの期間のもので、1150万点に上る。文書のサイズは2・6テラバイトに及ぶという。ウィキリークスの手によって世に出た米外交文書リーク(「ケーブルゲイト」、2010年)が1.73ギガバイトであったので、これの数千倍になるという。
1150万の文書ファイルには480万の電子メール、100万の画像、210万のPDFが入っていた。
経緯は
2014年末、ある人物が南ドイツ新聞の記者に暗号化されたチャットを通じて連絡をつけてきた。記者の名前はバスチアン・オベルマイヤー(Bastian Obermayer)。その人物は「犯罪を公にしたい」と言ったという。実際に顔を合わせず、連絡は暗号化されたチャンネルのみでだった。そうしなければ「命が危なくなる」からだった。
オベルマイヤー記者とリーク者は常に暗号化されたチャンネルで連絡を取り合い、どのチャンネルを使うかは時々変えた。それまでのコミュニケーションの内容をその都度、削除したという。暗号アプリの「シグナル」、「スリーマ」や、PGPメールなどを使ったというが、オベルマイヤーはどれをどのように使ったかについて、ワイヤードに明らかにしなかった。
新たなチャンネルで連絡を始める際には一定の質問と答えを用意し、相手がその人物であることを互いに確認した。
文書の一部を受け取った南ドイツ新聞は非営利組織の「国際調査報道ジャーナリスト連合」(ICIJ、ワシントンにある)に連絡した。ICIJは過去にも大型リークの分析を担当した経験があったからだ。ICIJのスタッフはミュンヘンにある南ドイツ新聞に出かけ、どう処理するかを話し合ったという。
この間、ファイルは少しずつ南ドイツ新聞に送られていた。メールで送るには大きすぎるが、どうやって送られたのかについて、南ドイツ新聞はワイヤードに明らかにしていない。
次に、ICIJのデベロパーたちがリーク文書を検索するサーチエンジンと世界の報道機関がアクセスできるURLを作った。サイトには報道機関の記者たちがリアルタイムでチャットできる仕組みも作られていた。記者同士がワシントン、ミュンヘン、ロンドン、ヨハネスバーグなどに集い、情報を交換もした。
ICIJによると、リーク文書をそのまま公表する予定はないという。ジャーナリストたちが責任を持って記事化するよう、望んでいるからだ。
リーク者を守るため、南ドイツ新聞のオベルマイヤーはリーク者との連絡用に使った電話やラップトップのハードドライブを破壊した。「念には念を入れたかった」。今でもリーク者が誰であるかは知らない状態だ。
ワイヤードはメガリークの新たな時代が始まっている、という。
ニーマン・ラボの記事によると、受け取った情報の分析は南ドイツ新聞ばかりではなく、フランスのルモンド紙、アルゼンチンのラ・ナシオン紙、スイスのゾンタ―グツァイトゥング紙、英国のガーディアンやBBCなどが協力して行った。プロジェクトにかかわった記者は約400人。世界76か国の100以上のメディア組織が協力したという。
日本では共同通信と朝日新聞がこのプロジェクトに参加した。
さらに詳しく知りたい方は「マッシャブル」の記事(英語)もご参考に。
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