最近気になっているフェイスブックについての詳しい解説が見つかったので紹介する。直接の元記事は「阿修羅」だが、作家村上龍のウェブマガジンからの転載のようだ。
(以下引用)
■ 『from 911/USAレポート』第478回
「フェイスブック世代の光と闇」
■ 冷泉彰彦 :作家(米国ニュージャージー州在住)
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■ 『from 911/USAレポート』 第478回
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「フェイスブック世代の光と闇」
アメリカ発の「SNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)」としては、ツ
イッターの方が先行している日本ですが、アメリカを中心とした英語圏では、ここ数
年フェイスブック(Facebook)の普及が圧倒的です。全世界で加入者が公称5億人い
るとか、30歳以下のアメリカ人の90%がアカウントを持っているとか、とにかく
時代を席巻する現象となっていると言えるでしょう。私の周辺でも、10代から20
代の若者はもうコンピュータのEメールや、一時流行した携帯のSMS(ショート・
メッセージ・サービス、アメリカではメッセージと呼ぶことが多いです)ではなく、
もっぱらこのフェイスブックをコミュニケーションのツールとしているようです。
このフェイスブックですが、一見すると何の変哲もない「メッセージと画像とビデ
オ」が埋め込まれたSNSの画面に見えるのですが、様々なソフトウェアがアップさ
れており、iPhoneが独自アプリで進化していったように、ソフトが差別化要因となっ
ているようです。では、そのソフトにどんな特徴があるのかというと、iPhoneとは
違って「ネットワークが自己増殖する」ように設計されている点が画期的です。
自己増殖するというと、単に普及する勢いを形容しただけに聞こえますが、実際に
ネットワークは増殖してゆくのです。例えば、アカウントを取得したら基本的にはコ
ンピュータの中にある、あるいはウェブメールのアカウントの中にある「アドレス帳」
に登録された相手には「自分の友人」として登録承認を求めるメールが飛びます。そ
こで相手が「イエス」と言ってくると、その相手はフェイスブックの友人リストに入
るのですが、更には「友人の友人」というような形でネットワークが正に増殖するよ
うに設計されています。ソフトの多くも、ネットゲームを介した「つながり」や、同
じ楽曲が好きとかミュージシャンが好きといった「つながり」をどんどんネットワー
ク化して楽しむようにできているのです。
ここで日本のネット文化と大きく異なるのは「実名、顔写真入り」という運用がか
なりの度合いで徹底されていることです。ほとんどのアメリカ人は、このフェイス
ブックに自分のアイデンティティを晒しており、実社会でのネットワークづくりに利
用しています。例えば、就職しようという人は、フェイスブック上にその業界での
ネットワークを実名で築いていって、最終的には面接から採用に結びつけようとしま
すし、営業活動への応用、業界内での人脈拡大までが可能になります。学生の場合な
ら、同じ授業を取っているとか、同じような趣味を持っているなどの共通点からお互
いをネットワーク化して、一緒に何かを楽しんだり、進路の情報交換をしたり、試験
対策の勉強を一緒にしたりという使い方になります。
では、このように実名で参加しながらネットワークがどんどん増殖するという運用
が問題を起こさないかというと、勿論さまざまな問題を起こしています。例えば、就
職の際に面接官が候補者のフェイスブックの中身を調べることで、人間関係や趣味嗜
好まで知ってしまい、アメリカの厳しい法律では質問の許されないようなプライベー
トなことまで分かってしまうとか、離婚裁判の際に相手の人間的な弱点をフェイス
ブックを調べて証拠にしたりという話もあるようです。
そんなわけでいろいろな弊害も指摘されているのですが、大学でも社会でも、リア
ルの個人を中心としたネットワークが極めて重視されるアメリカ社会では、ネットの
ネットワークは匿名の仮想空間にして、リアルのネットワークとは別世界に分けるな
どという面倒なことをしているヒマはないわけです。リアルのネットワークの生産性
を高めるための強力なツールとして、フェイスブックが定着してしまった以上は、こ
のまま実名での運用が続くのは間違いないでしょう。
それにしても、強烈なまでに実名運用を貫き、プライバシーを晒すようにネットワ
ークを増殖させていくフェイスブックのカルチャーは独特なものがあります。そのル
ーツは、創設者にして史上最年少のビリオネア(十億ドル長者)となったマーク・
ザッカーバーグの創業のエピソードにあるようです。ハーバードの学生だったザッカ
ーバーグは、従来型のSNSには飽きたらず、学内でのネットワークをもっと自己増
殖的に増やそうと「独自のアルゴリズム」を作成して行きました。そして、同じ授業
を取っているとか同じ高校の出身といった属性を調べたり、お互いに写真やビデオを
アップして「同じ映像が好きな人、集まれ」というような形でどんどん友人のネット
ワークを自動的に構築するシステムに発展させていったのです。
この試みは大成功だったのですが、ザッカーバーグはハーバードの大学当局とは深
刻な対立に至りました。あくまで公開されている属性を調べただけというザッカーバ
ーグに対して、大学側はプライバシーの侵害と不正アクセスだとして摘発の姿勢を崩
さず、対決が続いたのです。そこでザッカーバーグはハーバードからは喧嘩別れする
ような形で退学し、西海岸のシリコンバレー、具体的にはスタンフォード大学のある
パロ・アルトを本拠にしていきます。以降も「開かれ、そして増殖するネットワーク」
であるフェイスブックは、アメリカのIT史上に残るサクセスストーリーを遂げる一
方で、スキャンダルにつきまとわれることになります。例えば、利用者が「ムハンマ
ドの風刺画コンテスト」をネットワーク上で行ったとしてパキスタン当局から訴えら
れた事件は有名です。
それにしても、あくまで実名をネットの世界に晒しながら、人脈がドンドン増殖し
てゆくというこのフェイスブックが、どうしてここまで成功したのでしょうか? そ
れは一つには、このザッカーバーグに代表されるアメリカの「ジェネレーションY」
が史上空前のベビーブーマーとして、アメリカ社会を「我が物のように闊歩」してい
る、その世代の厚みの勝利ということがあります。生まれながらにしてITに親しみ、
ITを使いこなすことで巨万の富を獲得したり世界を動かすことができるという90
年代のドラマを見て育った「Y」の世代の「全能感」は「自分こそ世界の中心」とい
う自己肯定感につながり、それが「コソコソ匿名で隠れる必要なし」というアッケラ
カンとした実名主義になっているように思います。
その全能感のウラには、自分たちこそ原理主義的な二元論から自由、つまり「価値
が相対化された時代を自由に生きる」知恵を持った世代であり、狭い伝統的な価値観
から脱皮してグローバルに飛躍できる世代という自負があるのです。他でもないオバ
マ大統領は、この「Y」の世代の分厚い票を獲得することでホワイトハウスを奪取し
たと言っても過言ではないと思います。それはともかく、ザッカーバーグをはじめと
する「Y」の世代にとって、ITは道具であり、グローバリズムとは自分たちが経済
的成功を駆け上がってゆく庭のような感覚があるのでしょう。それが、時には伝統的
なプライバシーの感覚や、異文化との衝突を繰り返してきたのはある意味では必然的
といえます。
そこには、ハーバードのドロップアウトであるザッカーバーグの「エリート主義」
も見え隠れしています。フェイスブックに関しても、当初は伝統校であるアイビーリ
ーグ加盟校の学生に対象を限定していたというエピソードがその出自のエリート性を
物語っています。また、ザッカーバーグ自身が日本市場に興味を持ちながらも、日本
語のインターフェースを完全に用意する必要性をなかなか理解出来ていない(ように
見えます)点などに、英語至上主義、あるいはアメリカ至上主義も感じさせるのです。
ファイスブック文化に対する批判も、アメリカでは始まっています。例えば、今週
末から封切られた映画『ザ・ソーシャル・ネットワーク』は、定冠詞「ザ」が示すよ
うに、正にフェイスブックの立ち上げのドラマが題材になっており、そこでは訴訟問
題や大学との対決などに際しての、マーク・ザッカーバーグの強引な手法が描かれて
いるそうです。この作品は、一方でデビット・フィンチャー(『ベンジャミン・バト
ン』、『ファイト・クラブ』)が監督をしており、映像の処理に独自の美学が展開さ
れていることなどもあって前評判は高いようです。
ザッカーバーグとしては、自分のことを批判的に描いた映画が「主要な作品」とし
てリリースされるという事態に対しては、何らかのダメージコントロールが必要だっ
たようで、(本人はそうした動機ではないと強く否定していますが)若きビリオネア
として、実に気前よく100ミリオン(85億円)を用意して、ニュージャージー州
の中でも治安と教育水準に問題を抱えているニューアーク市の教育委員会に「教育再
生資金」としてポンと寄付しています。しかも、この寄付はアメリカで最大の影響力
を誇るトークショーの司会者「オプラ・ウィンフリー」が仲介し、問題の映画の試写
会の当日に彼女の番組内で発表されるという仕掛けまでついていました。
そんなわけで、様々な意味で話題の中心になった感のあるフェイスブックとザッカ
ーバーグですが、そのニュージャージーでは、今週、痛ましい事件がありました。私
にとって、以前の勤務先であり今でも関係の浅からぬ大学で、ネットを使ったプライ
バシーの暴露という悪質なイタズラがあり、その被害者が自殺するという最悪の結果
になってしまったのです。その被害者が遺書を残したのも、被害者を追悼する人々が
集うのも、イタズラを行ったとされる人物を糾弾するのも全てフェイスブックという、
正に「ジェネレーションY」ならではの悲劇であり、悲劇の受け止め方となっていま
す。
この事件に関しては、まだ真相は明らかではないので(ニュージャージーでは洪水
のような報道になっており、全米に拡大していますが)詳しい記述は差し控えます。
加害者の立場に立っている若者たちが、私のごく近くで育ったということも、余計に
私の気持を重くしています。ですが、この事件がITのもたらした悲劇だということ
は間違いないでしょう。ITを通じて全能感を獲得し、自分が世界の中心という自己
肯定感から実名を使って広大なネットワークを築いていく、その勢いはいいのですが、
肝心の自分の判断能力の中に未成熟な部分や、価値の多様性を認めるようでいて認め
きれない稚拙な部分を抱えた若者の悲劇という言い方はしても良いのではないでしょ
うか。
ザッカーバーグの出世物語はともかく、リアルの世界のネットワークを活性化する
ためのツールとして、フェイスブックが実名での運用中心になっているのは一つの現
実でしょう。こうした現実の背後には、ネット上でのエチケットや合法性などにもリ
アルと全く同じ真剣さが求められている、とりあえずそうした運用が信じられていた
のだと思います。ですが、プライバシーを晒してルームメイトを死に追いやった今回
の事件が「匿名のネットいじめ」というトレンドの氷山の一角であるならば、そうし
た「ネット=リアル」の同一化という神話をどう維持してゆくのか「ジェネレーショ
ンY」は今後も実験を続けてゆくのでしょうか。
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冷泉彰彦(れいぜい・あきひこ)
作家。ニュージャージー州在住。1959年東京生まれ。東京大学文学部、コロンビア大
学大学院(修士)卒。著書に『9・11 あの日からアメリカ人の心はどう変わった
か』『「関係の空気」「場の空気」』『民主党のアメリカ 共和党のアメリカ』など
がある。最新刊『アメリカは本当に「貧困大国」なのか?』(阪急コミュニケーショ
ンズ)( http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4484102145/jmm05-22 )
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●編集部より 引用する場合は出典の明記をお願いします。
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JMM [Japan Mail Media] No.603 Saturday Edition
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【発行】 有限会社 村上龍事務所
【編集】 村上龍
【発行部数】128,653部
【WEB】 ( http://ryumurakami.jmm.co.jp/ )
(以下引用)
■ 『from 911/USAレポート』第478回
「フェイスブック世代の光と闇」
■ 冷泉彰彦 :作家(米国ニュージャージー州在住)
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■ 『from 911/USAレポート』 第478回
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「フェイスブック世代の光と闇」
アメリカ発の「SNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)」としては、ツ
イッターの方が先行している日本ですが、アメリカを中心とした英語圏では、ここ数
年フェイスブック(Facebook)の普及が圧倒的です。全世界で加入者が公称5億人い
るとか、30歳以下のアメリカ人の90%がアカウントを持っているとか、とにかく
時代を席巻する現象となっていると言えるでしょう。私の周辺でも、10代から20
代の若者はもうコンピュータのEメールや、一時流行した携帯のSMS(ショート・
メッセージ・サービス、アメリカではメッセージと呼ぶことが多いです)ではなく、
もっぱらこのフェイスブックをコミュニケーションのツールとしているようです。
このフェイスブックですが、一見すると何の変哲もない「メッセージと画像とビデ
オ」が埋め込まれたSNSの画面に見えるのですが、様々なソフトウェアがアップさ
れており、iPhoneが独自アプリで進化していったように、ソフトが差別化要因となっ
ているようです。では、そのソフトにどんな特徴があるのかというと、iPhoneとは
違って「ネットワークが自己増殖する」ように設計されている点が画期的です。
自己増殖するというと、単に普及する勢いを形容しただけに聞こえますが、実際に
ネットワークは増殖してゆくのです。例えば、アカウントを取得したら基本的にはコ
ンピュータの中にある、あるいはウェブメールのアカウントの中にある「アドレス帳」
に登録された相手には「自分の友人」として登録承認を求めるメールが飛びます。そ
こで相手が「イエス」と言ってくると、その相手はフェイスブックの友人リストに入
るのですが、更には「友人の友人」というような形でネットワークが正に増殖するよ
うに設計されています。ソフトの多くも、ネットゲームを介した「つながり」や、同
じ楽曲が好きとかミュージシャンが好きといった「つながり」をどんどんネットワー
ク化して楽しむようにできているのです。
ここで日本のネット文化と大きく異なるのは「実名、顔写真入り」という運用がか
なりの度合いで徹底されていることです。ほとんどのアメリカ人は、このフェイス
ブックに自分のアイデンティティを晒しており、実社会でのネットワークづくりに利
用しています。例えば、就職しようという人は、フェイスブック上にその業界での
ネットワークを実名で築いていって、最終的には面接から採用に結びつけようとしま
すし、営業活動への応用、業界内での人脈拡大までが可能になります。学生の場合な
ら、同じ授業を取っているとか、同じような趣味を持っているなどの共通点からお互
いをネットワーク化して、一緒に何かを楽しんだり、進路の情報交換をしたり、試験
対策の勉強を一緒にしたりという使い方になります。
では、このように実名で参加しながらネットワークがどんどん増殖するという運用
が問題を起こさないかというと、勿論さまざまな問題を起こしています。例えば、就
職の際に面接官が候補者のフェイスブックの中身を調べることで、人間関係や趣味嗜
好まで知ってしまい、アメリカの厳しい法律では質問の許されないようなプライベー
トなことまで分かってしまうとか、離婚裁判の際に相手の人間的な弱点をフェイス
ブックを調べて証拠にしたりという話もあるようです。
そんなわけでいろいろな弊害も指摘されているのですが、大学でも社会でも、リア
ルの個人を中心としたネットワークが極めて重視されるアメリカ社会では、ネットの
ネットワークは匿名の仮想空間にして、リアルのネットワークとは別世界に分けるな
どという面倒なことをしているヒマはないわけです。リアルのネットワークの生産性
を高めるための強力なツールとして、フェイスブックが定着してしまった以上は、こ
のまま実名での運用が続くのは間違いないでしょう。
それにしても、強烈なまでに実名運用を貫き、プライバシーを晒すようにネットワ
ークを増殖させていくフェイスブックのカルチャーは独特なものがあります。そのル
ーツは、創設者にして史上最年少のビリオネア(十億ドル長者)となったマーク・
ザッカーバーグの創業のエピソードにあるようです。ハーバードの学生だったザッカ
ーバーグは、従来型のSNSには飽きたらず、学内でのネットワークをもっと自己増
殖的に増やそうと「独自のアルゴリズム」を作成して行きました。そして、同じ授業
を取っているとか同じ高校の出身といった属性を調べたり、お互いに写真やビデオを
アップして「同じ映像が好きな人、集まれ」というような形でどんどん友人のネット
ワークを自動的に構築するシステムに発展させていったのです。
この試みは大成功だったのですが、ザッカーバーグはハーバードの大学当局とは深
刻な対立に至りました。あくまで公開されている属性を調べただけというザッカーバ
ーグに対して、大学側はプライバシーの侵害と不正アクセスだとして摘発の姿勢を崩
さず、対決が続いたのです。そこでザッカーバーグはハーバードからは喧嘩別れする
ような形で退学し、西海岸のシリコンバレー、具体的にはスタンフォード大学のある
パロ・アルトを本拠にしていきます。以降も「開かれ、そして増殖するネットワーク」
であるフェイスブックは、アメリカのIT史上に残るサクセスストーリーを遂げる一
方で、スキャンダルにつきまとわれることになります。例えば、利用者が「ムハンマ
ドの風刺画コンテスト」をネットワーク上で行ったとしてパキスタン当局から訴えら
れた事件は有名です。
それにしても、あくまで実名をネットの世界に晒しながら、人脈がドンドン増殖し
てゆくというこのフェイスブックが、どうしてここまで成功したのでしょうか? そ
れは一つには、このザッカーバーグに代表されるアメリカの「ジェネレーションY」
が史上空前のベビーブーマーとして、アメリカ社会を「我が物のように闊歩」してい
る、その世代の厚みの勝利ということがあります。生まれながらにしてITに親しみ、
ITを使いこなすことで巨万の富を獲得したり世界を動かすことができるという90
年代のドラマを見て育った「Y」の世代の「全能感」は「自分こそ世界の中心」とい
う自己肯定感につながり、それが「コソコソ匿名で隠れる必要なし」というアッケラ
カンとした実名主義になっているように思います。
その全能感のウラには、自分たちこそ原理主義的な二元論から自由、つまり「価値
が相対化された時代を自由に生きる」知恵を持った世代であり、狭い伝統的な価値観
から脱皮してグローバルに飛躍できる世代という自負があるのです。他でもないオバ
マ大統領は、この「Y」の世代の分厚い票を獲得することでホワイトハウスを奪取し
たと言っても過言ではないと思います。それはともかく、ザッカーバーグをはじめと
する「Y」の世代にとって、ITは道具であり、グローバリズムとは自分たちが経済
的成功を駆け上がってゆく庭のような感覚があるのでしょう。それが、時には伝統的
なプライバシーの感覚や、異文化との衝突を繰り返してきたのはある意味では必然的
といえます。
そこには、ハーバードのドロップアウトであるザッカーバーグの「エリート主義」
も見え隠れしています。フェイスブックに関しても、当初は伝統校であるアイビーリ
ーグ加盟校の学生に対象を限定していたというエピソードがその出自のエリート性を
物語っています。また、ザッカーバーグ自身が日本市場に興味を持ちながらも、日本
語のインターフェースを完全に用意する必要性をなかなか理解出来ていない(ように
見えます)点などに、英語至上主義、あるいはアメリカ至上主義も感じさせるのです。
ファイスブック文化に対する批判も、アメリカでは始まっています。例えば、今週
末から封切られた映画『ザ・ソーシャル・ネットワーク』は、定冠詞「ザ」が示すよ
うに、正にフェイスブックの立ち上げのドラマが題材になっており、そこでは訴訟問
題や大学との対決などに際しての、マーク・ザッカーバーグの強引な手法が描かれて
いるそうです。この作品は、一方でデビット・フィンチャー(『ベンジャミン・バト
ン』、『ファイト・クラブ』)が監督をしており、映像の処理に独自の美学が展開さ
れていることなどもあって前評判は高いようです。
ザッカーバーグとしては、自分のことを批判的に描いた映画が「主要な作品」とし
てリリースされるという事態に対しては、何らかのダメージコントロールが必要だっ
たようで、(本人はそうした動機ではないと強く否定していますが)若きビリオネア
として、実に気前よく100ミリオン(85億円)を用意して、ニュージャージー州
の中でも治安と教育水準に問題を抱えているニューアーク市の教育委員会に「教育再
生資金」としてポンと寄付しています。しかも、この寄付はアメリカで最大の影響力
を誇るトークショーの司会者「オプラ・ウィンフリー」が仲介し、問題の映画の試写
会の当日に彼女の番組内で発表されるという仕掛けまでついていました。
そんなわけで、様々な意味で話題の中心になった感のあるフェイスブックとザッカ
ーバーグですが、そのニュージャージーでは、今週、痛ましい事件がありました。私
にとって、以前の勤務先であり今でも関係の浅からぬ大学で、ネットを使ったプライ
バシーの暴露という悪質なイタズラがあり、その被害者が自殺するという最悪の結果
になってしまったのです。その被害者が遺書を残したのも、被害者を追悼する人々が
集うのも、イタズラを行ったとされる人物を糾弾するのも全てフェイスブックという、
正に「ジェネレーションY」ならではの悲劇であり、悲劇の受け止め方となっていま
す。
この事件に関しては、まだ真相は明らかではないので(ニュージャージーでは洪水
のような報道になっており、全米に拡大していますが)詳しい記述は差し控えます。
加害者の立場に立っている若者たちが、私のごく近くで育ったということも、余計に
私の気持を重くしています。ですが、この事件がITのもたらした悲劇だということ
は間違いないでしょう。ITを通じて全能感を獲得し、自分が世界の中心という自己
肯定感から実名を使って広大なネットワークを築いていく、その勢いはいいのですが、
肝心の自分の判断能力の中に未成熟な部分や、価値の多様性を認めるようでいて認め
きれない稚拙な部分を抱えた若者の悲劇という言い方はしても良いのではないでしょ
うか。
ザッカーバーグの出世物語はともかく、リアルの世界のネットワークを活性化する
ためのツールとして、フェイスブックが実名での運用中心になっているのは一つの現
実でしょう。こうした現実の背後には、ネット上でのエチケットや合法性などにもリ
アルと全く同じ真剣さが求められている、とりあえずそうした運用が信じられていた
のだと思います。ですが、プライバシーを晒してルームメイトを死に追いやった今回
の事件が「匿名のネットいじめ」というトレンドの氷山の一角であるならば、そうし
た「ネット=リアル」の同一化という神話をどう維持してゆくのか「ジェネレーショ
ンY」は今後も実験を続けてゆくのでしょうか。
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冷泉彰彦(れいぜい・あきひこ)
作家。ニュージャージー州在住。1959年東京生まれ。東京大学文学部、コロンビア大
学大学院(修士)卒。著書に『9・11 あの日からアメリカ人の心はどう変わった
か』『「関係の空気」「場の空気」』『民主党のアメリカ 共和党のアメリカ』など
がある。最新刊『アメリカは本当に「貧困大国」なのか?』(阪急コミュニケーショ
ンズ)( http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4484102145/jmm05-22 )
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●編集部より 引用する場合は出典の明記をお願いします。
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JMM [Japan Mail Media] No.603 Saturday Edition
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【発行】 有限会社 村上龍事務所
【編集】 村上龍
【発行部数】128,653部
【WEB】 ( http://ryumurakami.jmm.co.jp/ )
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