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徽宗皇帝のブログ

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フーリエの社会主義
マルクス一派によって「空想的社会主義」とレッテル貼りされたフーリエの思想だが、暴力革命を否定した穏健社会主義として、私の思想は彼に近い。

(以下引用)赤字部分は現在でもほぼ同じである。労働者の奴隷化は今後さらに進行するだろう。



当時のヨーロッパは産業革命勃興期であり、国家・政府が産業主義を推奨し、その庇護を受けた産業者(資本家)が賃金労働者をとことんまで搾取するという光景が至るところに存在した。また、そのような「国家」の暴力に対して「革命」の暴力もまた悲惨な光景を生み出していた。革命と称する破壊と暴力によって何か益を生み出すかといえば、(フーリエ自身が体験したように)財を失った多数の貧民や浮浪者、破壊されつくした街を生み出しつつあり、これでは本来の「革命」の目的からすると悪循環であった。


そこでフーリエが提案したのは「アソシアシオン」の創造(フーリエの用語で言えば「ファランジュ」)であった。その協同体は国家の支配を受けず、土地や生産手段は共有とした上で、1800人程度を単位として数百家族がひとつの協同体で共同生活をする。基本的に生活に必要なものは自給自足とする。また、労働活動を集約することで労働時間を短縮する。といった提案であった。このようなファランジュの中心には、その建物だけでも自生自立しうる「ファランステール英語版」という集合機能と集住機能をもったパビリオンが設定された。そこまでは後の社会主義共産主義思想に類型が認められるが、フーリエ独自の観点としてさらに「自然的欲望の肯定」と女性の権利の尊重[7]が認められる。

評価[編集]

カール・マルクス、あるいはその継承者によって「空想的社会主義」と片付けられ歴史の記憶に忘れ去られようとしていたところで、フランスのシュールレアリスム系の文学者や、20世紀以降の哲学者、思想家によって再発見・再評価された。例を挙げると、思想家ではロラン・バルトヴァルター・ベンヤミンパサージュ論)、ピエール・クロソウスキージル・ドゥルーズ、文学者ではアンドレ・ブルトンオクタビオ・パスなどがフーリエの文章と思想から影響を受け、あるいは賞賛した。


ちなみに、フリードリヒ・エンゲルスは自らの著作などでフーリエを「偉大な批評家」として大きく評価しており、「科学的社会主義」を標榜したマルクス・エンゲルスによってフーリエの思想が「空想的社会主義として片付けられた」という意見は、一部誤解を含むことになる。




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