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徽宗皇帝のブログ

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プーチンの「健康で合理的な保守主義」
「混沌堂主人雑記(旧題)」より転載。
素晴らしい記事で、この記事を見つけてくれたことを混沌堂主人に感謝したい。
残念なのは、記事の文章が整理されていないことで、それは記事筆者が言うように、ネットで集めた翻訳文の集成だからだろう。こういう素晴らしい内容のスピーチはもっときちんとした日本語で読みたかった。
いずれにしても、プーチンは人格も知性も世界の政治家の中で最高峰に位置することは明白である。「健康的で合理的な保守主義」は、今の欧米の社会の「進歩」の愚劣さを見ると、まさに依るべき旗だと思われる。(「健康的」は「健全」のほうが、政治的文脈ではいいかな、と思うが、まあ「健康」でもいい。)

(以下引用)



https://ameblo.jp/ms-believe/entry-12706343795.html  より

上記文抜粋
・・・・・・・・・・・・・・
昨日の動画で、プーチンが21日にロシアで行った国際イベントでスピーチを行って、行き過ぎた左翼思想を猛批判した事について軽く話をしました。
そのスピーチに興味がある方もいらっしゃる様ですので、今回は彼のスピーチの内容を皆さんに紹介します。
先ず私はロシア語が分かりません。ですので、私が皆さんに紹介する内容は、私がネットで集めた、既に他の言語に翻訳されている内容になりますので、100%一致する翻訳ではないと思います。
・・・・・中略・・・・・・
【本編】
この脆弱な現代社会では、道徳・倫理・価値観の重要性が急激に高まっています。
実は価値観は産物であって、あらゆる民族の歴史の発展と共に生まれる独特な産物です。
民族間の交流は、確かに各民族の視野を拡げて、各民族を豊かにして、彼らが自分の伝統を見直す事を可能にしました。しかし、このプロセスは有機的でなければいけない。決して早い事ではありません。
どんな外部からの要素も拒否される可能性があるし、場合によってズバリと拒否されてしまいます。
あらゆる自分の価値観を他人に押し付けようとする事は、状況を更に複雑化するだけではなく、多くの場合、期待と反する反応と結果を招く事になります。
我々は今迄、進歩の代表と言われている国々で進行しているプロセスに驚いています。
勿論、アメリカや西ヨーロッパで起きている社会的・文化的衝撃は、我々と関係ありません。我々はそれから離れています。
欧米の一部の人は、自分たちの歴史を部分的に削除し(キャンセルカルチャー)、少数派の為に、多数派を逆差別し、父、母、家庭・・・更には性別の観念まで放棄する様に主張しています。
彼等は、この全ては、社会を再生させる道のマイルストーンであると考えています。
私がここで言いたいのは、彼らはそうする権利がある。
しかし、私たちは同じ事をするのを拒否します。
又、彼等は、我々の事を干渉しない事を願っています。
我々には違う見解がある。
少なくともロシア社会の多くの人は、この事について違う見解を持っています。
我々は我々自身の価値観、我々の歴史と我々の民族、国家の文化に頼らなければなりません。
所謂「社会進歩主義」の擁護者は、彼らが人類に新しく、より良い意識を紹介していると信じています。
しかし私がそれに対して、言いたい唯一の事は、それらの事は新しい処方箋ではありません。
これを聞いて、驚く人も居るかもしれませんが、ロシアは既にそれを経験しています。
1917年の革命以降、ボルシェビキはマルクスとエンゲルスの教義に基いて、当時の政治経済だけではなく、人の道徳と健全な社会の基礎まで変える事を言いました。
伝統的な価値観、宗教、人と人の関係が破壊され、家族を拒絶し、親しい人の事まで密告した。
それらの全ては、「進歩」だと言われました。
当時、この様な思想は、今の様に流行っていました。
しかし、言わないといけない事は、ボルシェビキは彼ら以外の意見を、絶対容認出来ませんでした。
この歴史の話は、我々が今見ている事を思い出させると思います。
欧米の一部の国で起きている事を見て、驚いていますが、幸いな事に、我々はその歴史から遠く離れています。
学校や大学が、過去の偉大な作者の作品を教えなくなった時、平等と反差別の闘争の殆どが過激な教義に変わりました。何故なら、偉大な作者の思想は、もう古いと思われているからです。
古典文学は、性別と人種の重要性について何も知らない為、もう落ちこぼれたモノだと見られています。
ハリウッドで、ストーリーの記述や映画では、肌の色や性別の割合がどれ位あるべきかが決められています。これは、ソビエト中央委員会の宣伝部よりも悪いです。
反人種差別は必要かつ気高いミッションですが、しかし、新しいキャンセルカルチャーは、それを逆差別にした。つまり、逆人種差別に変えました。本当の公民権の為に闘っている勇者は差別をなくし、肌の色で人を分ける事を無くそうとした時、人種に対する必要以上の強調は人々を更に分断しています。
特別に自分の同僚に頼んで、マーチン・ルーサー・キングのこの言葉を見つけ出して貰いました。
「いつの日か、私の4人の子供が肌の色ではなく、品格によって評価される社会で生きる事を夢見ています。」 
これこそが本当の価値観です。
しかし、今の状況は少し違います。ついでに言いますが、ロシア人の大多数は、人の肌の色や性別が重要と考えていません。
私たち1人1人は人間です。これがもっと重要なポイントです。欧米の一部の国では、男女の権利に関する議論は完璧な幻想になっています。
聞いて下さい。ボルシェビキが行きたい所に行ってしまう事に、気を付けて下さい。そこでは、鶏が国有化/共有化だけではなく、女性も国有化/共有化になります。後、もう1歩踏み出せば、そこに辿り着いてしまいます。
一部の過激な擁護者は、それらの概念すら消そうとしています。生物学上では事実であっても、男性と女性が存在する事を主張する人は廃絶される。
自分の性別が分からない人が不安に感じる可能性があると言って、父、母ではなく、親1号、親2号。母ではなく出産した親。母乳ではなく人乳に変えています。
繰り返しますが、これは新しい事ではありません。所謂「ソビエト文化専門家」は、いくつもの新しい単語を発明して、新しい意識を生み出して、価値観を変えていると考えていました。
そして、私が言った様に、彼等は全てを台無しにしました。今、その時の事を思っても、恐ろしくてゾッとします。今は本当に怖い事が起きています。子供は幼い時から、男の子は簡単に女の子に変われる。女の子も簡単に男の子に変われると教わっています。
つまり先生たちは、全員が性別を選べる事を無理矢理教え込んでいます。又、彼らがこの様な事をすると同時に、親たちをそのプロセスから排除して、子供たちに一生後悔する可能性がある選択をしてもらおうとしています。
彼等は子供に、心理カウンセラーに相談すらさせません。幼い子供には、その様な重要な決断をする能力があるでしょうか?
正直に言うと、それは人道に対する罪で、しかも進歩の名の下で行われています。それが好きな人は自由にやらせれば良い。我々は前から政策を作る時、健康的な保守主義を指針にすると言ってきました。
それは数年前の事で、当時、国際社会の情熱は、ここまで高くなかったが、それでも暗い雲が集まり始めたと言えます。
世界の構造が破壊されて、リスクと危険が増大し、現実の脆弱性が突出している今、政治の基礎として、合理的な保守主義の重要性が急激に上がっています。
この様な保守的なアプローチは、無知な伝統主義ではなく、ゲームの変更や規制を恐れて、自分の殻に隠れる抗体ではありません。これは主に、長年の伝統、自分と他人の実際の評価、物事の優先順位に対する正確な調整等による過激主義を、根本的に拒絶する為の方法です。
率直に言って、これから来る長い時間が掛かる可能性があるグローバルの再建の最終的なデザインは、未だ不確実です。
私の答えは、温和的な保守主義は最も合理的な路線です。同じく我々ロシア人にとって、これは単純な仮説ではなく、我々が悲惨な歴史から学んだ貴重な教訓です。
しっかりと検討されていない社会実験のコストは、とてつもなく高いです。この様な事は人間が生きていく為の物質的基盤を破壊するだけではなく、人間の存在を支える精神的基盤も破壊してしまう。
そして長い期間、それに置き換えられるモノは構築されません。
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抜粋終わり

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