私が政治に興味を持つようになったのは、前にも書いたがやっと40くらいになってからで、結婚したばかりの相手に引っ張られるようにして投票所に連行されたからであるwww
で、これも既に書いたと思うが、いったん投票すると、その投票した相手である候補者やその所属政党は、「自分の一部」あるいは拡大した自我の一部になるのである。つまり、その相手が素晴らしい政治家だったら、「どうだ、俺の慧眼(あるいは山勘の冴え)は」と嬉しくなるし、ダメ政治家だったら、後悔し、今後は気をつけることになる。
で、政治というのは、この世界で「面白い事象」のひとつであり、何より、常に様々な情報が出て来るし、古い面白い情報もネットや書物で掘り返せる。つまり、自分の「知的世界(脳内世界)が飛躍的に拡大される」のである。まあ、歴史への興味に匹敵するだろうが、それ以上に、政治とは今生きて動き、変化しつつある事象だという長所がある。さらに面白いのは、政治の「真実」は表マスコミからはほとんど隠されているが、必ずどこかでチラチラ見えていることだ。まあ、ほとんどの推理小説などより百倍は面白い。
ということで、ぜひ投票に行きましょう。人生が豊かになります。
誰に投票していいか分からなければ、「現在の政治に不満なら、野党に」「野党にも不満なら同じ野党でも現役ではなく新人候補に」「それでも判断できなければ顔で決める」でいいし、最高裁判所裁判官に関しては、与党政治に不満なら「全員にバツをつける」というのが当然である。最高裁判所判事に選ばれたということは与党政権に都合のいい判事だということなのだから。
まあ、散歩のつもりで行けばいい。少なくとも健康には役立つwww
(以下引用)
政治は、素人が口を出しても一向に構わないどころか、素人だからこそ政治には積極的に関与しなければならない。
というのも、政治は、素人のための動作であり、政治の結果を受け止めるのは、最終的に素人である私たちだからだ。
政治の実務を担当するのは、政治の専門家たる政治家だ。
その意味で、政治家の言動は決して無視してはいけない。常にチェックし続けないとえらいことになる。
しかしながら、その政治家を選択し、指名し、彼らを動かすのはわれわれド素人の仕事だ。
ということはつまり、政治の主体はわれら有権者なのである。
素人であるからこそ、選挙に行くべきで、勉強とはかかわりのない生活実感を投票行動に変換することが、最も自然な態度ということになる。
イデオロギーで投票する人もいる。日頃の付き合いや血縁を一票に反映させている人々もいるだろう。強い信念や信仰から集団的に投票する人たちも存在している。ワン・イシューにこだわって決然と一票を投じる人間もいれば、候補者が男前だからといった理由で投票する軽薄な向きもあるだろう。人真似で投票している人々も少なくないし、生活実感そのものを投票用紙に変換する天才だっていないとは限らない。
大切なのは、どんな理由であれ、一票を投じることだ。
私は、投票権を与えられた有権者のすべてが、ひとり残らず、日々刻々刻苦勉励を重ねながら、理性に基づいた賢明にして冷徹な投票行動を継続すべきだとは決して思わない。
そんなことは不可能だ。
投票所に駆けつける有権者の中に、軽率だったり、ミーハーだったり、惰性だったりで投票するおっちょこちょいが混入していたところで、たいした問題ではない。むしろ、そうでなければいけない。そうした人々がいないと多様性が確保できない。
すべての投票用紙を集計した結果に、世の中に散在している人々の多様性が反映されていれば、投票結果は民意を映していることになる。
勉強しない人々による有効投票を「ポピュリズム」と呼んでバカにしている人たちは、いったいナニサマのつもりなのだろうか。
結論を述べる。
投票に「勉強」が必要だと考えている人々は、つまるところ、人間と世界の関係について、「勉強」が足りていないのだと私は考えている。
今度の日曜日は、投票所に足を運ぶことにしよう。
付け加えることは何もない。
コメント