まあ、いわゆる(今や時代遅れ扱いされている気がするが)「構造主義」的思想だろうか。問題は構造であり、部品ではない。
私が岸田や石破の批判に安易に与(くみ)したくない理由だ。それは「日米安保体制(日米支配構造)」の部品でしかないからだ。
そしてトランプもマスクも金融資本主義体制の構造の一部でしかない。
問題は「資本主義の基本的構造」にある。(元記事参照)
そして、同じ記事の中で柄谷行人が言うように、貨幣を社会制度にした時から社会は資本主義である。貨幣自体が一種の「詐欺製造装置」だとも言える。そして金融制度(利子と銀行制度)を容認した時からその詐欺はとんでもなく膨れ上がり、世界が飲み込まれた(金融の支配者が世界の支配者になった)のである。
ただし、それは一方では文明を異常な速度で発展させてもいる。だから問題は、それに抑制装置が無いことであり、また抑制のプラスとマイナスの比較であり、マイナスをいかに補償するかという社会保障と福祉制度の問題になる。
なお、「ボロメオの輪」は、三つの円の重なりの図(集合図)だが、それぞれズレがあるので、その成分を等号で結ぶ記述は数学的に間違いだ、と揚げ足取りをしておくwww
(以下引用)
究極的には、資本=ネーション=国家の結婚としてある近代国家はみな資本フェティシストだということだ。これがマイケル・ハドソン曰くの「米大統領はディープステートのフロントマンにすぎない」の原点にある意味である。
利子生み資本全般はすべての狂気の形式の母である[Das zinstragende Kapital überhaupt die Mutter aller verrückten Formen] (マルクス『資本論』第三巻第五篇第二十四節) |
利子生み資本では、自動的フェティッシュ[automatische Fetisch]、自己増殖する価値 、貨幣を生む貨幣が完成されている。 Im zinstragenden Kapital ist daher dieser automatische Fetisch rein herausgearbeitet, der sich selbst verwertende Wert, Geld heckendes Geld〔・・・〕 ここでは資本のフェティッシュな姿態[Fetischgestalt] と資本フェティッシュ [Kapitalfetisch]の表象が完成している。我々が G - G´ で持つのは、資本の中身なき形態 、生産諸関係の至高の倒錯と物件化、すなわち、利子生み姿態・再生産過程に先立つ資本の単純な姿態である。それは、貨幣または商品が再生産と独立して、それ自身の価値を増殖する力能ーー最もまばゆい形態での資本の神秘化である。 Hier ist die Fetischgestalt des Kapitals und die Vorstellung vom Kapitalfetisch fertig. In G - G´ haben wir die begriffslose Form des Kapitals, die Verkehrung und Versachlichung der Produktionsverhältnisse in der höchsten Potenz: zinstragende Gestalt, die einfache Gestalt des Kapitals, worin es seinem eignen Reproduktionsprozeß vorausgesetzt ist; Fähigkeit des Geldes, resp. der Ware, ihren eignen Wert zu verwerten, unabhängig von der Reproduktion - die Kapitalmystifikation in der grellsten Form. (マルクス『資本論』第三巻第二十四節) |
利子生み資本の別名はもちろん金融資本である。
なお構造主義者マルクスの思考の下では、トランプやイーロンマスクが悪いのではない。近代国家政権の中枢のポジションに置かれた者は誰でもそうなるのである。
構造主義の始祖レヴィ= ストロースが「私の師匠」と言ったマルクスの構造的思考は、例えば次の文にある。 |
経済的社会構成の発展を自然史的過程としてとらえる私の立場は、他のどの立場にもまして、個人を諸関係に責任あるものとはしない。個人は、主観的にはどれほど諸関係を超越していようと、社会的にはやはり諸関係の所産なのである。 Weniger als jeder andere kann mein Standpunkt, der die Entwicklung der ökonomischen Gesellschaftsformation als einen naturgeschichtlichen Prozeß auffaßt, den einzelnen verantwortlich machen für Verhältnisse, deren Geschöpf er sozial bleibt, sosehr er sich auch subjektiv über sie erheben mag. (マルクス『資本論』第一巻「第一版序文」1867年) |
「個人は社会的諸関係の所産」とあるが、つまりトランプという要素は非意味であり、その置かれたポジションによって資本フェティシストになる。 |
要素自体はけっして内在的に意味をもつものではない。意味は「位置によって」きまるのである。それは、一方で歴史と文化的コンテキストの、他方でそれらの要素が参加している体系の構造の関数である(それらに応じて変化する)。 éléments,…Les termes n'ont jamais de signification intrinsèque ; leur signification est « de position », fonction de l'histoire et du contexte culturel d'une part, et d'autre part, de la structure du système où ils sont appelés à figurer.(レヴィ=ストロース『野性の思考』1962年) |
要するに米大統領はそれを知らないが資本フェティシストになる、ーー《彼らはそれを知らないが、そうする[ Sie wissen das nicht, aber sie tun es]》(マルクス『資本論』第1巻「一般的価値形態から貨幣形態への移行」) |
この意味で、そこのアナタもここのアタシもポジションに置かれれば、資本フェティシストになる。つまり安易な個人批判を許さず、資本=ネーション=国家のボロメオの環という構造を揚棄せねばならぬということになる。 |
これは学者共同体にも当てはまる。現在、「科研費=学者共同体=国家」というボロメオの環がある。この環を崩さねば、御用学者個人を非難しても埒が明かない。▶︎「科研費獲得に踊る大学人たち」
ツイッター社交界の方々は個人非難がお好きなようだがな、庶民的正義感に耽るのも健康のためにはよいことを否定する者では私はないよ、《抗議や横車やたのしげな猜疑や嘲弄癖は、健康のしるしである[Der Einwand, der Seitensprung, das froehliche Misstrauen, die Spottlust sind Anzeichen der Gesundheit]》(ニーチェ『善悪の彼岸』154番、1886年) でもおおむね嫉妬で出来上がってるんだよ、キミたちの非難は。 |
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