まあ、彼のこれまでの言動を見れば、最初から分かっていたことではあるが。
要するに、ネトウヨ的な性格の人物がジャーナリストを名乗っているわけである。そういうジャーナリストや芸能人やタレントはたくさんいるから、自分も大丈夫だと思っていたのだろう。だが、橋下流の「敵」として作り上げようとした対象を間違ってしまったわけだ。
「保育園落ちた。日本死ね」の暴言と「透析患者死ね」の暴言は暴言という点では同じだが、「日本」という抽象物(その「暴言」の本当の意味は、実は「政府死ね」であるが。)と、人口透析患者という肉体を持った存在への攻撃は意味がまったく違ってくる。「日本死ね」は政府の悪行や無為無策への批判という意味では暴言ですらない。魂の叫びであり、悲鳴だと言える。だからこそ世間の支持をも得たのである。
「死ね」という言葉面だけ見て、「なるほど、こういう強烈な言葉を使えば、人目を惹くから、これはいい」と考え、「透析患者死ね」とやったのが長谷川豊という阿呆であるわけで、阿呆であるだけではなく、その言っている内容が社会に悪影響を与えるものである以上は、テレビ界やラジオ界からの彼の追放は妥当そのものであったと言えるだろう。
昔から「人を呪わば穴二つ」と言われているとおりの結果である。言うまでもなく、この「穴」は死体を埋める穴のことで、相手のばかりでなく自分の墓穴も掘るよ、ということだが、人に「死ね」と悪罵を投げかけて、自分が社会的に死んだわけだ。いや、まだ完全に死んでいないなら、早く殺しておいたほうがいい。社会的ゴキブリは早く駆除すべしwww
(以下引用)
「長谷川豊さんになぜ強く反論しなかったのか」対談した腎臓病の女性患者が疑問の声に答える
フリーアナウンサーの長谷川豊さんが9月19日に更新した「自業自得の人工透析患者は殺せ」とするブログなどが大きな批判を集め、長谷川さんがニュース番組などを降板する騒ぎになった。
このブログに対し、Change.orgで2万5000以上の抗議署名を集めた腎臓病患者の野上春香さん(仮名、41)は、ハフポスト日本版のインタビューに答えた後、10月15日に都内で長谷川さんに直接対面し、抗議の署名を手渡すとともに、長谷川さんとの対話に臨んだ。
参考記事:「透析は大勢の死者の上に成り立っている」長谷川豊アナに抗議の署名・女性患者が訴えること
対談後、多くの反響が寄せられた。野上さんの勇気を称える内容も多かったが、一方で「長谷川さんに取り込まれたのでは?」「なぜもっと強く抗議をしなかったのか」という疑問の声もあった。長谷川さんの主張について、野上さんはどう考えて対談に臨んだのか、なぜ強く反論しなかったのか。野上さんはその真意についてハフポスト日本版に改めて寄稿した。
◇ ◇
私は長谷川さんの最初のブログを読み、腹が立つとかではなく、とにかく悔しくて泣きました。抗議をするため、署名サイトでページを立ち上げ、署名を集め始めました。何か行動をしたいと、いてもたってもいられなかったのです。署名を届けてお話をするため、長谷川さんと会いました。
最初に、一人でひっそりと署名ページを作ったときには、こんなにたくさんの方が賛同して、声を上げてくださるとは思っていませんでした。署名ページを作った目的は、一時的な炎上や祭りで終わらせたくはなかったからです。しかし、自ら拡散や呼びかけをする勇気はありませんでした。皆様のおかげです。感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございます。
皆さんに、TwitterやFacebook、はてなブックマークなどでもたくさん拡散していただきました。賛否あわせて、本当にたくさんの声を寄せていただいているのを見て、署名活動をやってよかったと、本当に思っています。
病気や障害で悩む人や、ご家族友人が、透析を必要とする疾患があるという方も署名してくださいました。皆、偏見や誤解を解くために、経緯や現在の状況を話してくださったこと、本当につらいはずなのに、お話してくださってありがとうございます。
そして、医療・福祉関係者のみなさん、労働環境が非常に厳しいこと、専門職であってもわからない部分がまだたくさんあること、同じ病でもひとりひとり状況が異なること、それに応じて臨機応変に対処する難しさも私は理解しているつもりです。その中でも、一生懸命考えて向き合ってくださっていること、本当に感謝します。
公務員の方々も、医療や福祉の予算確保に大変な思いをされていると思います。各健保の関係者の方々も、危機を感じながらもがんばってくださっていると思います。
長谷川さんのしたことは、そのような人々を足蹴にするような、うわさレベルの偏見をばら撒く行為です。危害を加えたり、蹂躙することをあおったりするような行為に対しては、今後も厳しい目を向けて、見張っていくべきだと思います。
■署名のコメント
Change.orgには、コメントを書き込める欄があるのですが、中でも印象的だったのは以下のような言葉です。
・「誰でも年を重ねると、弱者になることに気づいていない」
・「誰もが老い、病になり、障がいをもつ可能性がある」
・「過酷な労働環境の中で、いつ透析が必要な体になってしまうかは誰も分からない」
・「貧すれば鈍すという言葉通りの状態になりつつある」
・「優生思想がじわじわと広がる傾向を感じます」
・「津久井の障がい者施設事件と共通するものがあり、許せません」
自身がご病気という方々は本当に憤り、医療関係という方々は呆れ返っていらっしゃる様子でした。
生来の気質的弱点や遺伝的傾向、おかれた環境(地域、家庭、職場など)、医療過誤や誤診、一般的な感染症からの不可逆な損傷、外傷や事故など、思いもよらなかったことや複数の要因がむすびついて発症されている方が多く、さまざまな要因が絡み合っている問題であり、決して自己責任論は許されるものではないと改めて感じました。
やはり「生活習慣病」などという、誤解を招く差別的名称も改めるべきです。大雑把に一部の疾患をそうやってひとくくりにすることに意味はないと思います。
■なぜ反論せずに話を聞いたのか
対談の様子はハフィントンポストの記事になりました。記事を読まれた方の中には、私が「よく彼の主張を聞いて、対話しようと思ったな」と思われた方も多くいたようです。抗議の署名を集めておきながら「きちんと抗議していないじゃないか」といった批判もネット上で見かけました。
参考記事:「『医療は全員に』は違う」長谷川豊アナが抗議の署名届けた患者女性と対談
私は、長谷川さんにお会いする前には、対話では、彼の間違っている部分を追及しようと多くのデータも集めて準備して臨みました。しかし、長谷川さんがお部屋に入られて話し始めて数分で「ああ、この方はこちらの意見を聞くのではなく主張するために来たんだな」と察しました。それで、用意した資料はあまり使わず、感情も入れずに、今回はこれまでのブログの内容や発言の真意と「主張」を聴くことに徹しようと思いました。反論も、その場では聞く耳を持たれないだろうと思ったので、今回の寄稿という形になりました。
長谷川さんは、挨拶の段階で一方的に「不快な思いをさせた」という一点だけで謝って、一気にバーッと喋りだしました。謝罪したのに、時には私の話も遮りました。
だから、謝罪ではなく主張するためにきているのがすぐにわかったので、一通り、長谷川さんがどうしてあんな意味不明な主張をしているのかを、世の中の人に知っていただこうと思いました。私が大人の対応をしたというわけではなく、誤解を生む表現かもしれませんが、「これは、すごく興味深いものが見られるな」と思ったのです。それは、実際に読んだ方から、たくさんの指摘があった通りです。
スポーツジム「ライザップ」の社長さんの話が、根拠として出た時には、さすがにちょっと笑ってしまいました。医療の取材をしていると言っていたのに、トリアージを知らなかったことも衝撃すぎました。
私は、患者としてはストイックで優秀なほうだとは思いますが、性格はお世辞にも良いとは言えません。長谷川さんのほうが、良くも悪くもピュアなんじゃないでしょうか?
長谷川さんは対談中、医療が崩壊すると「みんな死ぬんです」と何度か言いました。病人は、自分の死をある程度覚悟しています。中にはもう既に死にかけたことがあるような人もいるでしょう。「いずれみんな死ぬ」のはわかっています。生きるのはつらい、でも死ぬのもつらい。だからこそ、そのような、気を引くために生死を気易く持ち出す感覚こそが神経を逆撫でするのです。そのことをもっと考えてほしいです。
さらに、長谷川さんは「節制ができなかった」患者を「脱法ドラッグを吸った、ラリった状態で車を運転して事故を起こした」という風に喩えました。この言葉は、彼の倫理感覚に不安をおぼえる喩えでした。私は「その喩えはやめませんか」と促し、他の喩え方を提案しましたが、長谷川さんは訂正せずそのままでした。言い回しひとつひとつにおいて「何故多くの人の反感を買ったのか」理解ができていない感が如実に出ていました。
■「医療は全員に」は当たり前
ただ、対談の様子の記事のタイトルにもあった「『医療は全員に』は違う」とおっしゃった点については、やはり私は、同意はできかねます。「理由や経緯を問わず、必要な方には処置する」のは、「人々の命、健康を守る」ことで「生活を支える」ことが医療や福祉の使命だからです。
彼の話を通して見えた、彼の基本的なスタンスやポリシーは次のようなものではないでしょうか(やや品のない表現はお許しください…)。
・医療費の40兆円、もったいない!
・機械で延命なんて非効率だ、ガンガン臓器移植して解決だ!
・糖質制限を守らず、節制しない奴からは金をむしりとって、それでもだめなら経済的に締め上げて追い詰めよう!その浮いた分でさらに移植を推進だ!
・利権はなくなっても、国民皆保険をやめれば儲かるから大丈夫!
「自己責任だ、泣くなら殺せ」という当初のブログからあまり大きな進歩は感じられない「彼自身の声」でした。
「弱者を助けるためのお金を確保するため、悪いやつは公的に始末できるように提案する、優しくて強い自分と心強い仲間たち」というセルフイメージが、彼の中で形成されてはいないでしょうか。少なくとも、患者や医療福祉関係者の方を向いているとは感じませんでした。
遺伝リスクや器質的弱点が、疲労や加齢や感染、ときには医療過誤で発露して、激しく発症することも少なくないのに、暴飲暴食や運動不足「だけ」が原因の病気なんてないのに、慢性疾患=自堕落で不摂生=自己責任と決めつけ、「先天的に既に病を抱えている人は含まない、ちゃんと治療に取り組んでいる人は含まない」としていくと、結局は医療費削減のために、遺伝リスクがある者や器質的弱点がある者は切り捨てていい、間引きしようとなりませんか。
「先天的に既に病を抱えている人は含まない、ちゃんと治療に取り組んでいる人は含まない」というのは、単なる恣意的切り分けだと思います。
原因や理由や経緯で分断せず、可能な限り手を差し伸べるという国民皆保険制度は素晴らしい制度であり、日本の誇りです。
将来の世代のためにと言いつつ、高齢の病人は生きていても負債になると言わんばかりに65歳以上への人工透析を「不要な延命処置」として制限し、猛批判されたイギリスの元首相サッチャーのようなことをしたら、高齢者が4人に1人という国ではどのような混乱が起こるかというのは、想像に難くないはずです。
さらに長谷川さんは、アメリカを例に出し、医療の保険料を支払うのが正当かどうかを民間の保険会社に精査させることを提案していました。アメリカの医療費による経済破綻は社会問題になっています。オバマ・ケアはそのために立ち上がった政策です。
対談中の繰り返しになりますが、公的保険は、民間保険でフォローが得られない人たちをフォローするためのものでもあります。民間保険の基準で、重い病気を抱える人を精査したら、その人は治療をする代わりに首を吊るしかなくなります。これがまともな判断なわけがないのです。
「先進諸国に住む人間なら、自分で汗をかいてちゃんと自分の足で立つ責任がある」ともおっしゃいましたが、それは構成員が全くの健康体で、定型発達で、経済的に安定し、多少途中休んだりしても大学までは出してもらえるような生活をしている、中の上以上の家庭の話だと思います。生死に関わる病を抱える人にまで自己責任を求めるのは、思慮が浅すぎます。
病院には身体的に回復したあとも、虐待されていた経緯があったり、世話できる人がいないために帰すに帰せなくて療養型病棟に留め置かれたりするお年寄りやお子さんもいます。そういう人たちも「病気じゃないんだから」と放り出し、汗をかいて自分の足で立てというのは、正しいことでしょうか。
対談の中でも触れた通り、健康(医療)保険料は将来のためでも弱者のためでもなく、何かあったときに備えてみんなで収入や年齢に応じてお金を積み立てておいて、何かあった場合に使用するものです。その制度の原則自体が気に食わないというのであれば、今後健康保険料は一切払わずに、ご家族も含め、今後は全額自費で受診されるとよいでしょう。
もし大病をされて手術や長期入院を余儀なくされた場合でも高額療養費制度は使用せず、全額自費で支払われるとよいでしょう。そこまでおっしゃるなら筋を通すべきです。
健康保険料や医療費は元気な若者や健康な労働者だけが支払って、高齢者や病人や障害者は払っていないというわけではありません。収入や年齢に応じて支払っています。搾取されているというのは認識として間違っています。健康保険料や年金は、憲法で保障された生存権を担保するためのものです。
若者や労働者がそれを払うのが苦しいというのは、妥当な賃金が出ていない、雇用形態の不安定化などがあっての後発的問題の話であって、その問題に有効な対策をとらない政府に問うべきことです。高齢者や病人や障害者のせいにするのは間違っています。
若い人たちや労働者が雇用情勢や労働環境の異常さにいかに振り回されているか、高齢者が必ずしも余裕がある幸せなセカンドライフを過ごしているわけではないことも、ご立派な経歴をお持ちの長谷川さんは肌で感じたことはないと思います。1年くらい、介護施設で働いてみたらいいのではないでしょうか。
■聞きかじりを鵜呑みにするのはジャーナリズムではない
「知り合いの医師が」「聞いた話ですが」という言葉から始まる論理の展開が、多く見られたことにも違和感を感じました。自分が直接確認したことでもないことまで聞きかじっただけで、鵜呑みにして記事にするのは、ジャーナリズムではないです。
自分が気づいていないだけで、その「周囲の医療関係者」にスピーカーとして、いいように使われていないでしょうか。たびたび出てくる数値の根拠も曖昧でした。
広告塔・スピーカー・アナウンサーではなく、彼は自分を「ジャーナリスト」と言いました。そう自負するのであればきちんと関連資料を読み込み、統計を確認して計算し、その上で直接当事者や関係者に向き合うべきであって、周囲の知り合いの言うことや、又聞きや、聞きかじりを鵜呑みにして偏見をばら撒くのはもうやめるべきです。
また、健康保険(公的医療保険)と民間の自動車保険(損害保険)をごっちゃにしていることもわかりました。それもおかしいと思います。運転免許の件もそうですが、理解ができていないことは安易に例に挙げないほうがよいと思います。
長谷川さんのような方が、よく制度や会計の仕組みや統計データを確認せず、不見識のまま大きな声で煽動することを咎めないことのほうが、私は余程「甘やかし」だと思います。
■悪意を持って拡散?
炎上したことについて、「いたずらに攻撃しようという人間もいた、悪意を持って拡散する人間もいた」とおっしゃってましたが、そこにも違和感がありました。拡散した多くの人は悪意ではなく、憤りではなかったでしょうか。悔しさではなかったでしょうか。その気持ちをわかってほしいからこそ、人々は拡散したのではないでしょうか。
「いたずらに」「悪意を持って」とされるものについても、単純に意地悪い気持ちで拡散したというよりは、浅慮さを咎め、不見識を疑い、無知を嗤う意図ではなかったでしょうか。
片っ端から適当に人を殴って歩いてたら、中には殴り返してくる人もいる、やめろと止めに入る人もいる、写真を撮ってネットにアップロードする人もいる、それは当たり前の話です。
なにより、あのようないたずらにキツイ表現で気を引こうとしたことこそが結局、「悪意ある」拡散を生み出してしまったのではないでしょうか?
インターネットの世界について、きつい言葉や非常にショッキングなワードがないと振り向いてもらえないと仰っていましたが、そのようなことはないと思います。むしろネットはいまや現実世界の一部にしか過ぎません。伝わりやすく丁寧に話したほうが、テーマ性のある内容は広く受け入れてもらえますし、議論が活発になります。
■「モンスター患者」を知らなかったのはある意味気の毒
彼に何故あのような表現になってしまったのかという経緯をお聞きした際、取材に訪れた病院でよくない行いの患者を見て衝撃を受けて、ブログに感情をぶつけてしまったと仰っていました。
あまりに自分の考える「善」、自分の思う医療関係者や患者の「あるべき姿」に因われすぎて、現実の医療福祉関係者や患者も人間であり、清廉潔白な人もいれば完全な俗物もいて、本能や欲の塊のような人もいるという生々しい現実にあてられてしまったのであれば、それはそれで気の毒なことだとは思います。
だからといってたまたま、たった2件の取材先だけで目にした一部のよくない行いの患者を基準に「モンスターペイシェントが1〜2割いる」「年代は50〜60代」とアンケートなどを実施するでもなく資料を提示せずに印象で言い切ってしまうのは非常によくないことです。
「『困った人』は『困っている人』」だから「困った言動の原因、困っている部分にアプローチする」のが重要です。私が対談の中で「ケアプラン」と呼んだように、そのためには、専門職の方が個別にどうしたらよいかプランニングする、講習に出てもらうという方法はあると思います。
そこは通常の負担をすべきだというならそれは考えなくてはいけませんが、できることなら食事指導や生活指導や服薬管理や心のケア、そこに透析を含めて包括ケアのようなものがあったら、前向きに療養生活に取り組めるように思います。
■サイコネフロロジー
今はまだそれほど知られていませんが、既に透析を受ける人のために「サイコネフロロジー」という身体的な医療と精神的な医学の双方から研究する包括的な取り組みが行われています。透析は心理的な負担やストレスも非常に大きい治療法だからです。
これは高齢の透析患者を切り捨てたため批判されたイギリスでも既に実施されており、透析のみでの通院はなく、心理的ケアと同時に取り組むようになっています。実現の可否はともかく、ますは現場の方々にそういう施策を知ってもらい、目を向けてもらうことも重要だと思います。
■腎臓移植の推進について
長谷川さんは、対談やその後のご自身のブログで、臓器移植推進を呼びかけると言っていました。よく事情も知りもしないで、てのひらを返して「移植推進しましょう」と言いだしていることは対談の中でもよくわかりました。透析患者に「泣くなら殺せ」とまで言っていた人が、いきなり「移植は推進したい」と言ったら、もう本当に何も知らないで言いたいこと言ってるんだな、ってなりますよ。
全腎協や移植ネットワーク、そして改めて世間様からもっとお灸をすえていただくといいと思います。
彼は、ご存じないんだと思います。献腎移植の場合には、移植後もしばらくの間は透析が必要であることも。患者の全員が移植を受けることができるわけではないことも。生体移植におけるドナーのリスクの大きさも最近になってわかってきたことです。4割が生体移植である今、改めて慎重に進めることが求められています。
移植が進まないのは、決して、移植を受ける側に生じるリスクや、宗教や土着的価値観や提供者遺族の喪の感情だけの問題ではないのです。
私は移植の話題のときにいろいろ疑問を投げかけましたが、彼はそれには答えず移植推進の一点張りでしたので、全くわかっていないなと感じました。
■周囲の医師こそが「文句だけ言って人のせいにする人」
「病院を喫茶店代わりにしている」という医師の発言を長谷川さんは紹介されました。それよりも、何故必要のない患者が医者に来るのかなど、地域の状況に目を向けて考えれば、地域社会にも貢献できるのに、そういった発言を老齢患者を貶めることになぜ使うのか、非常に疑問です。
「文句だけを言って人のせいにだけする人が増え過ぎている」「甘やかしだ」と長谷川さんは対談中におっしゃっていましたが、そういった周囲の医師こそが「文句だけ言って人のせいにする人」に当てはまるのではないでしょうか。
そういう身内同士での甘やかしが、思い上がりや尊大な態度を作り出し、頼ってくれる患者さんの尊厳を踏みにじる発言や、平気で、外に対して患者さんの悪口を言ったり、そしてその聞いた悪口を長谷川さんがブログでたれ流したりするような事態に繋がったと私は感じました。人の気持ちや痛みのわからないような医師は、患者としても信頼できません。
■最後に長谷川さんへ
真摯に向き合って、時に駆け引きをしつつ、丁寧に言葉を選んで伝えていくことが重要です。
次に同じようなことがあった場合には、今以上の批判を浴びるという覚悟が必要です。この事件を機に新たに取り組みをされるというのであればそれは喜ばしいことですし、応援しています。くれぐれも慎重に取り組んでください。
(寄稿:腎臓病患者の野上春香さん)
コメント
1. can a dentist call in cialis