忍者ブログ

徽宗皇帝のブログ

徽宗皇帝のブログ

今の共産党に未来はあるか
自称マルキストである紙谷研究所氏による今回の選挙総括だが、あまりピンと来ない内容であり、共産党という政党の今後の進路について、もっと根本的な分析が必要な気がする。
私自身は共産主義否定論者だが、共産党員に非常な尊敬の気持ちを持っていて、真面目で誠実な人間がほとんどだと思う。党員のほとんどが人間の屑だとしか思えない維新とは真逆だ。しかし、選挙で共産党はやや後退し、維新は(不正選挙の票が集中的に流れ込んだ結果だと思うが)大躍進し、それを世間は本物の大躍進だとしているという現実がある。では、共産党は今後どうあるべきか、という真剣な反省が無いと、この党の未来は無いと思う。その一例が、何度も書いている「党名変更」という劇薬だが、そのほかにも、共産党が「真の市民権」を得る改革はあるだろう。
強調するが、共産党は野党としてほとんど唯一(れいわも含めるべきだが)、権力に真っ向から対峙する精神力を持った貴重な存在だ。それが消滅するのは、見ていて忍びないと思うし、日本国民にとって大きな損失だと思う。

(以下引用)

野党共闘は「見直す」べきだ(4年ぶり2回目)

(前半略)

 

野党共闘を「見直す」とは「共産党を切る」ことなのか?

 世論の中で野党共闘の「見直し」が増えているという。


mainichi.jp


www.sankei.com


 


 「多様性の中の統一(団結・連帯)」というのは、先ほど述べたような幅広さを示すことだ。共産党のような「左」から、中道や保守をカバーする「右」がまでがいるということである。野党共闘が見直され、進化・深化するとすればこの方向だろう


 「立憲共産党」というのは、野党共闘が左がかり過ぎたことへの揶揄であるが、ある意味そうなのだろう。しかし、結論は、「野党共闘をやめる」というのではなく、「野党共闘を右へ伸ばしていく」というのが発展の方向なのだ。


 もちろん「見直し」の中には、共産党と手を切れ、という意見としての「見直し」が含まれている。


 野党共闘をやめる…? やめる、それはつまり共産党を切れという意味なのだろう。


 やめてどうするのか?


 そこは単に「いつか来た道」でしかない。


 共産党を切って、維新と旧民主党系が連立する世界があるとすれば、何のことはない、民主党+維新=民進党成立の時代である。このときは共産党が「第3の躍進」と自己規定しているほどの増え方をした時で、共産党はその「おいしいポジション」を捨てて野党共闘路線にやってきた。


 要するに維新+旧民主党のような発想では「左の受け皿」にはなれないのである。(いやまあ、ひょっとしたらなれるかもしれない。それは相当に思い切った転換があった時だろう)


 


 善意で「共産党を切るしかない」と思っている、その思考の陥穽は、「右と左は一緒になれない」と考えていることだろう。「一致点で共闘し政権を運営する」「不一致点は持ち込まない」ということに想像が及ばないという致命的な弱点を抱えている。


 


 


 

共産党の比例票について

 ところで野党共闘(つまり小選挙区での闘い)とは別に、共産党そのものの票(つまり比例代表での争い)については上記の話とは別のことを考える必要がある。野党共闘の話と、一緒に考えてはダメだ。


 共産党は、事前に「伸びる」と言われながら、伸びなかった。


 特に比例で。


 終わってみれば416万票。ほぼ固い支持層が残ったという印象である。共産党は票を伸ばしたが、例えば維新が最終盤それを圧倒的に抜いた…というのではない。


 共産党にやってきていた票が「どこかに行った」とみるべきではなかろうか。


 どこに行ったのか。


 実証的な根拠はないけど、それは「れいわ新選組」と「維新」ではないかと思う。以下は単なる「推測」である。


 劇薬を期待する人は、共産から、勢いがあると報道された維新に行った。


 「れいわ」は0〜1という予想を覆し、4まで行った(諸事情で3になったが)。共産党が伸びるというアナウンスのもとでそちらに行った。短期的には。しかし、長期的には「消費税廃止」「障害者の党」というようなラジカルなイメージを「れいわ」が持つようになって、それは共産党のかつてのイメージの一部にダブっている。つまり共産党に行くと思われていた票は「れいわ」に行ったのではないか、というのがぼくの「推測」である


 といって、共産党側は「れいわはけしからん!」として「れいわ」批判をする必要などはない。実際に「れいわ」はけしからんことをしたわけでもなんでもない。


 他方で、共産党立憲民主党とイメージが被っている。「別に立憲でいいやん」という具合になる。


 共産党としてのブランド力を出す戦略を考えた方がいいということだ。


 今回の総選挙で、共産党が考えていた共産党のイメージの押し出しは「野党共闘に一番熱心で誠実な党」ということだろう。これはそうなのだが、比例をうんと伸ばす力にはならなかったと言えるのではないか。もう少し考える必要がある。


 もちろん、比例票を押さえる組織力——共産党の用語でいうところの「自力」が足りないという問題は、これとは別にあるとは思うが、ここではその問題には触れない。


 


 そして、もう一つは、新規顧客の開拓である。


 特に、若い世代での共産党の支持をもっと開拓した方がいい。


 ここで考え方の整理をしてみたい。


 共産党は、総選挙後の簡単な選挙総括で、


とくに、暮らし、平和の問題とともに、〝気候危機打開〟〝ジェンダー平等〟という新しい世界と日本の大問題を、選挙戦の大きな争点に位置づけて訴えぬいたことは、若い方々を含めてこれまでにない新しい方々への共感を広げる、重要な意義をもつものとなりました。


としている。しかし、先ほど述べたように、日テレの調査では、「気候危機」や「ジェンダー」は若い世代全体の関心から言えば非常に低い


 選挙戦になった時に、若い人に訴える施策として、果たしてジェンダーや気候危機がよかったのかは反省する必要がある。


 ただし。


 それは「選挙戦になった時」の話である。いわば短期間に、宣伝などで支持を広げなくてはいけない時の話だ。


 しかし、もっと日常ではどうだろうか


 共産党の選挙中の実感として、志位和夫も「とくに、暮らし、平和の問題とともに、気候危機打開、ジェンダー平等という新しい世界と日本の大問題を、選挙戦の大きな争点に位置づけて、訴えぬいたことは、若い方々を含めてこれまでにない新しい方々への共感を広げ、重要な意義があったと確信するものです」と言っているが、反応があったのだろう。


 これは見方を変えれば、ジェンダーや気候危機といった問題では、自分が運動に飛び込んでくる・行動をするという積極性を持つような若い世代が共産党の訴えに反応してきた、と言える。


 むしろ日常的にはこういう人たちに依拠して、気候危機やジェンダー共産党に信頼を寄せる若い人たちの核をつくっていき、そこから若い人自身が一歩ずつ共産党への若い世代の人たちの支持を広げていくというふうに問題をたてるなら、間違っていないと思う。


 


 なお、共産党は「4つのチェンジ」として、「経済」「気候変動」「ジェンダー」「外交・平和」でのチェンジを訴えたのだが、上記のような有権者の関心のありようからすれば、4分野を柱にして打ち出したこと自体は良かったとしても、実際の演説や訴えの比重としてはもっと考えるべきことがあったと思う。上記の「共産党としてのブランド」を訴えることを加えるとすれば、4分野のすべてを語っていたら、とてもではないが時間はない。候補者の演説を聞いていたが、一部の人については、時々「羅列」のように聞こえる部分があった。


 ぼくは、財源(富裕層・大企業への応分の課税)とあわせて、消費税減税を主軸に訴えるべきだと思った。







拍手

PR

コメント

コメントを書く