「保守とは所有に伴う傾向である」とは昔の人が言った言葉だが、これほど保守の実相を示す言葉は無い。だからこそ富裕層は常に「現状の維持」しか望まないのである。自分の財産や所有するものを守りたいから保守政党に投票する。そして、革新政党とは、自分たちの所有するものを奪おうとする敵だ、と考える。当たり前の話だ。
しかし、「持たざる者」が現状の維持を望むとすれば、それはキチガイだろう。もっとも、それにはからくりがあって、彼ら「持たざる者」は「お前たちはこの平和で安全で、美しい自然に恵まれ、文化的にも高度な国に生まれただけで幸せなのだ。世界には悲惨な運命の国があんなにあるではないか」と、あらゆる手段で教え込まれ、その貧しさにしても「世界の所得水準からすればまだマシか」と思い込むわけである。
そして、この「平和で安全で美しい自然に恵まれた国」を破壊し、庶民生活を窮乏のどん底に追い込もうとしている「保守政党」に投票する。なぜなら、その「保守政党」は、自分のちっぽけな「所有するもの」を守る護符のようなものと勘違いしているからである。(まるで、「自由民主党」という名前だから「自由」と「民主主義」を守るだろう、という程度の阿呆な認識である。)「保守」だから、保ち、守ってくれるだろう、というわけだ。その「保守」とは実は権力の座にある人々(特に官僚)が自らの利権を「保守」するのであって、国民の富や権利を守るわけではない、ということに彼ら貧困層はまったく気づかないのである。一般庶民など、彼らにとってはただの納税マシーン・収奪対象でしかないのに。
実際、今の富裕層(まあ、中金持ち程度の庶民)の財産さえも、今の政治の状況ではどんどん奪われていくだろう、と私は見ている。中金持ちがその財産を得られたのは日本が経済的に発展してきたからであり、今の情況だと今後の日本は米国にその財産をどんどん収奪されていくだけだから彼ら小金持ちや中金持ちたちも安泰ではないだろう。まずは無力な貧困層への福祉政策をどんどん削減し、次にはその少し上から金を巻き上げ、次は中金持ち、という順序だ。つまり、1%の超富裕層以外はどんどん貧困化していくわけである。米国への貢納以外にもフクシマ処理に膨大な金がかかる。国家予算などはるかに超える金額が必要なはずだ。(安倍総理の海外へのばら撒きは既に国家予算に匹敵するというから、日本の財政はもはや滅茶苦茶なのだが。)
まあ、今の日本を救うには政党政治によっては不可能であり、プーチンレベルの「高潔な独裁者」が出てこなければ無理か、と思うのだが、そう判断するのは今度の衆院選の後でいいだろう。
話を戻す。「保守」が悪いというのではない。保守主義というものが、ただ自分やその周辺の利権(庶民にも利権はある)だけを守るにとどまるなら、そのエゴイズム(あるいは社会的無関心)は結局社会全体の不幸や不平等、不公平を黙認することになる。そこが問題なのである。
(以下「逝きし世の面影」から抜粋転載)*沖縄は日本の中の「持たざる者」であり、常に不平等、不公平を押し付けられてきた。だから、これほどの大きな「変革」が平気で行えたのである。実際は、レベルは違っても東京都以外のあらゆる道府県で、同じような不平等、不公平が押し付けられてきたはずなのだが。
辺野古移設に反対する保革の違いを克服した統一候補が現職の自民党系知事を大差で破り圧勝するが、それだけには留まらず 何と、今回の総選挙でも沖縄県だけは例外で知事選挙で反基地で団結した野党側が統一候補を立てて自民党と一騎打ちになる。
1区が共産党、2区が社民党、3区が生活の党、4区が知事選で除名された自民党県連の元顧問と、翁長知事を推した各勢力が党派の違いを克服して候補を統一。連合も応援する。しかも、知事選を自主投票とした民主党県連も公明党県本も候補者擁立を見送りと、12月14日投票の今回の総選挙ですが、丸っきり圧勝した知事選挙の延長戦の様な有様なのですから、これはもう、今から結果が楽しみです。(他にも下地ぃ人とか喜納くさい人が出馬するらしいが所詮は泡沫候補で大勢には影響が無い)
今回の沖縄の出来事ですが、日本全体の今の政治の閉塞感を打ち破るための『唯一の処方箋』(南風)であることは明らかなのである。
沖縄県の候補一本化ですが、これは日本の政治地図を塗り替える快挙なのですが、ところが何故か、全国紙は一切報じない。
(引用2)*「櫻井ジャーナル」の冒頭にいつも書かれている墨子の言葉である。墨子の「兼愛(無差別愛)」と「非攻(絶対平和主義)」は地上の天国を作るための二つの柱だと私は思っている。特に、肉親縁者だけでなく、あらゆる人を無差別に愛せ、という兼愛思想は、キリストの「汝の敵を愛せ」と並ぶ、「もしそれが実現できたら、地上からあらゆる争いは無くなるだろう」という思想である。それを戦争という問題に限定したのが「非攻」つまり、先制攻撃の絶対的禁止である。これによってあらゆる戦争は不可能になる。今の安倍内閣の方向性がこれと真逆であることは自明だろう。
天下兼相愛則治、交相惡則亂(墨子、巻之四)
順天意者、義政也。反天意者、力政也。(墨子、巻之七)
天下有義則治、無義則亂。(墨子、巻之七)
天下は人々が相愛すれば治まり、互いに憎しみあえば乱れる
天意に従う者は義に従って正す。天意に背く者は強制する
天下に義があれば治まり、義がなければ乱れる
(徽宗補注:二行目は「天意に従うは義政なり。天意に反するは力政なり。」と読めば、そのままで訳にもなる。「力政」はもちろん強権的政治である。なお、「者」は「は」という助字として読むことが多い。)
しかし、「持たざる者」が現状の維持を望むとすれば、それはキチガイだろう。もっとも、それにはからくりがあって、彼ら「持たざる者」は「お前たちはこの平和で安全で、美しい自然に恵まれ、文化的にも高度な国に生まれただけで幸せなのだ。世界には悲惨な運命の国があんなにあるではないか」と、あらゆる手段で教え込まれ、その貧しさにしても「世界の所得水準からすればまだマシか」と思い込むわけである。
そして、この「平和で安全で美しい自然に恵まれた国」を破壊し、庶民生活を窮乏のどん底に追い込もうとしている「保守政党」に投票する。なぜなら、その「保守政党」は、自分のちっぽけな「所有するもの」を守る護符のようなものと勘違いしているからである。(まるで、「自由民主党」という名前だから「自由」と「民主主義」を守るだろう、という程度の阿呆な認識である。)「保守」だから、保ち、守ってくれるだろう、というわけだ。その「保守」とは実は権力の座にある人々(特に官僚)が自らの利権を「保守」するのであって、国民の富や権利を守るわけではない、ということに彼ら貧困層はまったく気づかないのである。一般庶民など、彼らにとってはただの納税マシーン・収奪対象でしかないのに。
実際、今の富裕層(まあ、中金持ち程度の庶民)の財産さえも、今の政治の状況ではどんどん奪われていくだろう、と私は見ている。中金持ちがその財産を得られたのは日本が経済的に発展してきたからであり、今の情況だと今後の日本は米国にその財産をどんどん収奪されていくだけだから彼ら小金持ちや中金持ちたちも安泰ではないだろう。まずは無力な貧困層への福祉政策をどんどん削減し、次にはその少し上から金を巻き上げ、次は中金持ち、という順序だ。つまり、1%の超富裕層以外はどんどん貧困化していくわけである。米国への貢納以外にもフクシマ処理に膨大な金がかかる。国家予算などはるかに超える金額が必要なはずだ。(安倍総理の海外へのばら撒きは既に国家予算に匹敵するというから、日本の財政はもはや滅茶苦茶なのだが。)
まあ、今の日本を救うには政党政治によっては不可能であり、プーチンレベルの「高潔な独裁者」が出てこなければ無理か、と思うのだが、そう判断するのは今度の衆院選の後でいいだろう。
話を戻す。「保守」が悪いというのではない。保守主義というものが、ただ自分やその周辺の利権(庶民にも利権はある)だけを守るにとどまるなら、そのエゴイズム(あるいは社会的無関心)は結局社会全体の不幸や不平等、不公平を黙認することになる。そこが問題なのである。
(以下「逝きし世の面影」から抜粋転載)*沖縄は日本の中の「持たざる者」であり、常に不平等、不公平を押し付けられてきた。だから、これほどの大きな「変革」が平気で行えたのである。実際は、レベルは違っても東京都以外のあらゆる道府県で、同じような不平等、不公平が押し付けられてきたはずなのだが。
辺野古移設に反対する保革の違いを克服した統一候補が現職の自民党系知事を大差で破り圧勝するが、それだけには留まらず 何と、今回の総選挙でも沖縄県だけは例外で知事選挙で反基地で団結した野党側が統一候補を立てて自民党と一騎打ちになる。
1区が共産党、2区が社民党、3区が生活の党、4区が知事選で除名された自民党県連の元顧問と、翁長知事を推した各勢力が党派の違いを克服して候補を統一。連合も応援する。しかも、知事選を自主投票とした民主党県連も公明党県本も候補者擁立を見送りと、12月14日投票の今回の総選挙ですが、丸っきり圧勝した知事選挙の延長戦の様な有様なのですから、これはもう、今から結果が楽しみです。(他にも下地ぃ人とか喜納くさい人が出馬するらしいが所詮は泡沫候補で大勢には影響が無い)
今回の沖縄の出来事ですが、日本全体の今の政治の閉塞感を打ち破るための『唯一の処方箋』(南風)であることは明らかなのである。
沖縄県の候補一本化ですが、これは日本の政治地図を塗り替える快挙なのですが、ところが何故か、全国紙は一切報じない。
(引用2)*「櫻井ジャーナル」の冒頭にいつも書かれている墨子の言葉である。墨子の「兼愛(無差別愛)」と「非攻(絶対平和主義)」は地上の天国を作るための二つの柱だと私は思っている。特に、肉親縁者だけでなく、あらゆる人を無差別に愛せ、という兼愛思想は、キリストの「汝の敵を愛せ」と並ぶ、「もしそれが実現できたら、地上からあらゆる争いは無くなるだろう」という思想である。それを戦争という問題に限定したのが「非攻」つまり、先制攻撃の絶対的禁止である。これによってあらゆる戦争は不可能になる。今の安倍内閣の方向性がこれと真逆であることは自明だろう。
天下兼相愛則治、交相惡則亂(墨子、巻之四)
順天意者、義政也。反天意者、力政也。(墨子、巻之七)
天下有義則治、無義則亂。(墨子、巻之七)
天下は人々が相愛すれば治まり、互いに憎しみあえば乱れる
天意に従う者は義に従って正す。天意に背く者は強制する
天下に義があれば治まり、義がなければ乱れる
(徽宗補注:二行目は「天意に従うは義政なり。天意に反するは力政なり。」と読めば、そのままで訳にもなる。「力政」はもちろん強権的政治である。なお、「者」は「は」という助字として読むことが多い。)
PR
コメント