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徽宗皇帝のブログ

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原発を捨て、原爆を持て!
愚民党氏が「阿修羅」に掲載した記事がなかなか有益そうなので、転載しておく。日米関係について、硬直したイデオロギーからではなく、現実を直視した視点からの意見で、しかも政治経済の中心に近い位置にいた人間の言葉なら、聞いておくほうがいい。記事筆者の寺島実郎は、その経歴から見ても、保守派の一人だろうが、そういう人間が日米関係の再構築を提言しているのが面白い。日米関係は、常に間に中国という要素を入れて考えねばならない、ということは大事な視点だろう。
残念ながら、記事は途中で終わっているが、ここに書かれた部分だけでもいくらか参考になる。アメリカが実物経済をやめて金融という「架空経済」つまり帳簿の上での金のやりとりだけで経済的繁栄をしてきた、1990年代から2000年代までのインチキが終わりになりかかっているのが現在、2011年6月の状況である。
この後、経済破綻を自作自演のテロや戦争で誤魔化して、世界から金を集めて周るだろう、というのが予測される一つのシナリオだが、アメリカが世界に隔絶した軍事大国である限り、最後の切り札はいつもそれである。だから、日本がアメリカから本当に独立するためには、核武装をするしかないかもしれない。
「阿修羅」のあっしら氏が「反原発・核武装」論者であるというのは、そのためだろう。


(以下引用)


国家戦略本部 第6回 平成13年12月14日

「日本の国家戦略」(1)

講師 寺島 実郎( 財団法人日本総合研究所理事長)

http://web.archive.org/web/20080927221549/http://www.vectorinc.co.jp/kokkasenryaku/index2.html


 
生年月日
1947年

出身
北海道

現在
(株)三井物産戦略研究所所長 ・(財)日本総合研究所理事長

略歴
1973年 早稲田大学大学院政治学研究科修習          課程修了
      プルッキングス研究所
      米国三井物産ワシントン事務所長
1999年 (株)三井物産戦略研究所所長
2001年 文部科学省中央教育審議会委員
      総務省情報通信審議会専門委員
      その他多数の政府の審議会等の委員を兼職

著書
昔話と日本人(大仏次郎賞)
明恵 夢を生きる(新潮学芸賞)
その他日本文化、教育、心理学に関する著作多数





 おはようございます。保岡先生とのご縁でこういうところに参上させていただいて、大変感謝しております。私、ご紹介がありましたように、ビジネスの現場でものを考えているということと、若干私の議論の特色というのは、外から日本を見る機会が多いということで、そういう視点でこの男は話しているんだなというふうにご了解いただければと思います。

 わずか30〜40分での話ですので、申し上げたいことを集約してお話ししていきたいわけですけれども、それが最後の結論にも近づく話なんですが、国家戦略本部ができたこと自体を私は大変喜んでおります。

 といいますのは、外から見ていても、日本は個別の要素は非常にいいものを持っている。技術も人材もカネも、こないだ財務省が発表した数字で海外に133兆円の貸方になっているという、対外純資産133兆円という国です。第2位のスイスが35兆円で、第3位のドイツが20兆円ということで、国際統計上はこの国はぶっちぎりの金持ち国家だということになっているわけですけれども、総合戦略といいますか、個別の要素を組み合わせて、体系化して総合戦略化するところが非常に弱いといいますか、それゆえに生け花の花でいえば、花はいっぱい持っているんだけれども、立てる剣山が構想できないから、倒れているというよう印象がありまして、そういう意味で国家戦略という基軸になるものが非常に問われる時代がきているんだろうと意味で、本部が時宜を得た展開をし始めているということに大変喜んでおります。

 そういう中で、まず私の基本認識とすることを簡単に申し上げたいわけですけれども、日本の20世紀というのは、今から100年前、人口4000万の国でスタートしているわけです。いまご承知のように1億2300万。5年以内にこの国の人口はピークアウトします。エコノミストの予測は当たりませんけれども、人口予測というのは余程の変更要素がない限り当たってしまう。2050年、今から50年後に、日本の人口は1億人を割ると言われています。2100年、今から100年たったところで、日本の人口は、厚生省の中位予測でも6700万人に収斂していくだろうというふうに言われています。

 こないだそのことをある論文に書きましたら、東大の人口学の先生が手紙を寄こして、「あなたは間違っているよ。この国の100年後は5000万人台になっていくんだ」ということを、彼の推計値で教えてくれた先生がいますが、少なくとも5000万から6000万台の人口に収斂していってしまう可能性が非常に高い。つまり、我々の先輩たちは人口4000万だった国を3倍に増やして、いま人口論的に言うと、200年ということを視界に入れたら、この民族はその山頂に立っているといいますか、これから少子化という流れの中で、釣瓶落としのように人口が減っていく。

 一つのコントラストのためにこれは付言する点なんですけれども、いま中国が12億7000万だと言われています。日本が人口1億人を割ると言われている50年後、50年なんていうのはすぐやってまいりますが、中国の人口は、人口抑制政策が相当うまくいったとして17億。このままいくと20億に限りなく近づくだろうと言われていまして、いま1対10の中国が1対20の中国となって、我々の子供たちの世代には、そういう数字が目の前に横たわっているということです。

 そこで日本の20世紀なんですけれども、1901年に官営八幡製鉄に初めて高炉の火が入ったと、今からちょうど100年前です。1900年の年の三井物産の主力輸出品目をこないだ調べていて、第3位にマッチなんていうのが登場しています。マッチを売ってめし食ってたような国だったわけです。100年間でこれだけの産業国家に我々の先輩たちはしてきた。

 日本の20世紀のモデル、日本の20世紀は何だったのかということを簡単にグリップすると、これは世界史的に言っても、あるいはいろんな国と比べても、二つの大きな特色があります。一つはアングロサクソン同盟というモデルです。どういう意味かというと、日本の20世紀、100年間のうち、実に75年間、4分の3をアングロサクソンの国との2国間同盟で生き延びたアジアの国という自画像を持ってます。

 前半の20年、1902年から20年間、ワシントン会議というのが1921年に行われるまで、この国は英国というアングロサクソンの国との同盟によって、日露戦争から第1次世界大戦まで、ユーラシア外交の勝ち組としてとりあえずプレーできた。ところが、21年のワシントン会議で日英同盟を、アメリカの陰謀にも近いような形で解消して以降、多国間のゲームといいますか、列強の一翼を占める国になったということで、多国間ゲームに打って出て、国際連盟等を部隊にし、かつ5対3対1.75、海軍軍縮条約なんていう、列強間の揉み合いに入っていって、ご承知のようにダッチロールして、25年間、真珠湾から敗北に至る時期を過ごした。

 敗北してからの55年間、この国は新手のアングロサクソンであるアメリカという国との同盟関係によって、冷戦の時代を生き延び、今日に至った。この75年間のアングロサクソン同盟というのが、日本人にとっては、多くの人にとって成功体験だったというふうに総括されていると思います。間にはさまった25年が悲惨な時期だっただけに、我々の頭の中には75年間のアングロサクソン同盟の時期は、この国が相対的に安定し、経済的にも浮上していた時期だと認識されている部分があります。これが一つの日本の20世紀モデルです。

 もう一つのこの国の柱が、我々がよく通商国家モデルと言っているモデルだろうと思います。これは経済のほうの国家モデルと言っていいかと思います。要するに極東の、いわゆる近代化が遅れた島国、江戸時代から非常に優れた技術及び文化というものは持っておりましたけれども、近代産業技術という意味においては立ち後れていた日本が、一気に国際社会の中で、彗星のように台頭していく、それを支えた国家モデルが通商国家モデルというやつです。要するに、海外から効率的に資源と技術を入れて、比較的勤勉で優秀な労働力によって加工し、絶えず新しい売れ筋の商品をつくって国際社会に送り出していくというパターンで、この国は人口を100年かけて3倍にしてきたということだろうと思うんです。

 議論というのは厳密に進めなければいけないのですけれども、時間がものすごく限られていますのでざっくりいきますと、この20世紀モデルが21世紀にもそのまま延長していけるのであろうかという問題意識が非常に重要だろうと思います。私が申し上げたいのは、残念ながらこのモデルを延長していくわけにはいかなくなっているというところに、認識のベースを置かなければいけないのではないかと思っています。これはさまざまな意見があると思います。

 まずアングロサクソン同盟なんですけれども、この国のこれからの外交、安保についての議論をいろいろな方とディベートしたり論争したりしますと、ここに気づくんです。去年も読売の国際フォーラム、今年も同じく読売の国際フォーラムで中西輝政さんとか岡崎久彦さんなんかと議論してみて感じることなんですが、簡単に言ってこの国にはいま二つのタイプの議論があります。

 一つは、岡崎久彦さんに代表されるような議論です。何かというと、日本はどんなに誘惑を感じても、焦燥を感じても、アングロサクソン同盟にしがみつけという議論です。これは歴史の教訓だというふうに彼は言ってます。つまり、アングロサクソン同盟を安定的に持っていた時期だけ、日本は安定してきていたんだ。だから、どんなに焦燥感を感じても、アジア返りだとか、多国間外交だとか、訳のわからない誘惑に吸いよせられちゃいかん。これは老人の知恵だ。外交インフラの弱い国が、多国間のゲームなんかに入っていくとダッチロールするんだ。昨今の外交の状況なんかを見ていると説得力があるんです。

 したがって、ここに一つの選択肢としてそそり立っている議論、岡崎さん型の、アングロサクソン同盟をしっかり守り抜くことがこの国の歴史の教訓だという考え方が、説得力ある議論として横たわってます。

 ところが、私が申し上げたいのは、この議論が間違っているとか、そういう意味ではなくて、これから先の日本の外交ということを考えた場合に、もし21世紀もその枠組みの中でこの国が生きていけるなら、それはそれで幸せかもしれないけれども、そうはいかないだろうというのが私の環境認識なんです。

 どうしてかというと、現在の日本にとっての最も大切な同盟国であるアメリカ……誤解なきように慎重に聞いていただきたいのは、ぼくは反米でも嫌米でもありません。米国との協力関係、協調関係が今後もこの国の基軸だというふうに考えている度合いにおいては人後に落ちないつもりです。ただ、日米同盟は大切ということをエールを送っていれば、この国が21世紀安定している時代ではなくなってきているということを腹に据えなきゃいけない時代が来ている。なぜならば、最大の要素は中国の台頭という要素です。

 どうしてかというと、私はアメリカの東アジア外交の100年間を、今までいろいろ分析したものを書いてきておりまして、私の本の中に『二つのフォーチュン』という本があるんですけれども、これは1930年代の日米中の関係を分析した本なんです。

 言いたいポイントを手短に言うと、アメリカの東アジア外交は、絶えず東アジア外交の基軸を中国ととるか日本ととるかという、国務省内の論争のバイオリズムのような経緯をたどってきています。最も重要なのは、日米関係は2国間関係で完結しないということです。

 松本重治さんという有名な外交評論家がいました。この方も戦前の上海にいたりして、日米中の関係をずっと分析してきた人ですけれども、彼が遺言のように言い残していることがあります。「日米関係は米中関係だ」という言葉なんです。それは中国という要素が日米という関係の谷間にいかに横たわっているかということを彼は伝えたかったんです。

 どういう意味かというと、戦後の日本人、特に私、1947年生まれですけれども、戦後という環境に育ってきた日本人は、中国という要素がいかに日米の関係の谷間に横たわっているかということを、ぼんやりと忘れてこられたんです。どうしてか。1949年、共産中国成立という、毛沢東の中国が成立して、戦前から戦中、戦後にかけて、ワシントンで、いわゆるチャイナロビーとして蒋介石を支援してきた一群の人たちが、自分たちが支援してきた蒋介石が台湾に追い詰められたことに衝撃を受けて、一番中心にいた人間がヘンリー・ルースというタイム・ワーナーの創始者ですけれども、この方は山東半島で長老派プロテスタント教会の宣教師の子供として生まれて、14歳まで中国で育った。ちなみに長老派プロテスタント教会の宣教師の子供として日本で生まれたのがライシャワーです。中国で生まれたヘンリー・ルースはメディアの帝王になって、真珠湾に向かった米国の世論を反日親中国に変えた男と言われています。そのことを研究したのが、さっきぼくが申し上げた本です。

 そのヘンリー・ルースに代表されるチャイナロビーの人たちが、自分たちが支援した蒋介石が敗れ去ったことに衝撃を受けて、日本を反共の砦として、国際社会に復帰させて、西側陣営に取り込んでいこうという考え方が急速に高まったんです。それが当時のダレスを動かして、1951年のサンフラシスコ講和条約、今からちょうど50年前です。それから日米安保という伏線に大変大きな影響……これはNHKがそのことをドキュメンタリーの番組までつくってくれているんです。

 いずれにしても、一言でこういうふうに言えばわかると思います。もし49年に共産中国が成立して中国が二つに割れるということがなければ、日本の戦後復興は30年遅れただろうと言われています。なぜならば、アメリカの戦後のアジアに対する関心、支援、投資は、ことごとく中国に向かい、日本の戦後復興の余地は30年遅れただろうと言われてます。

 ところが、僥倖にも近いタイミングで中国で革命が起こり、蒋介石が台湾に追い詰められて、それから20年間、アメリカの東アジア外交は、いわゆるブランクに入ります。1970年代に入ってキッシンジャーの秘密外交とか、ニクソン訪中なんていうことがあって、初めてアメリカは大陸の中国を認めた。20年間のこのブランクが日本の戦後復興にとってどれだけ大きな意味があったかというのは、先生たちはよくご存じだと思います。要するに、何が重要なのか。中国という要素が日米関係の谷間に大きく横たわっているということなんです。

 アメリカの覚えめでたさを一身に浴びて、復興、成長という過程をたどってきたわけですけれども、いま再び我々は中国という要素が、アメリカの外交関係者に大変大きな問題意識となって高まってきているということを認識しておかなければいけないと思います。これは間違っても日本がバイパスされて米中関係が深まるなんていう単純な話をしているんじゃないんです。米国にとっての東アジア外交の基軸として、日本も同盟国として大事だけれども、中国の存在感の高まりも十分に意識していかなければならないという、二重の意味を持っているということなんです。ゲームが相対化されてきているということです。

 明らかにアメリカの中国に対する関心は、この21世紀の経済大国化しつつある中国への市場の魅力というポジティブな意味と、中国の脅威というネガティブな意味も合わせて、いやが上にも中国に対する関心は高まっている。

 そういう中で、日本の外交基軸というものを考えていかなきゃいけない。日米関係は大切だという、エールを交換するのもものすごく重要なんですけれども、アメリカから見た東アジア外交のゲームの基本的な性格が変わりつつあるということも腹に据えておかなければいけない。そういう中で外交関係について私が申し上げておきたいことは、対米関係の再設計ということなんです。

 これは直近の本でかなり詳しく書いてますので、ご関心ある向きにはコピーでも何でもお送りしますが、要するに申し上げたいのは、日米の同盟、軍事協力関係を大事にしながらも、日本の、主体性と言ってもいいかと思いますが、主体性と自尊というものを回復していくゲームの中に入っていかなければいけないときに今、きているのではないかと私は思ってます。

 という意味は、ブレジンスキーという有名な外交評論家が、日本のことを直近の本でも「プロテクトレート」と書いてます。これは英語で保護領という意味です。日本人の自尊心をはなはだ傷つけるものではありますけれども、国際社会から見た日本は、客観的に言って、本人は大人だと思い込んでいる子供みたいなものだ。それは戦後50年、日米安保がこの国を守ってくれる大変有効な機能を果たしてくれたことを正しく認識する立場の人間こそ、日米の同盟、協力関係が今後も大事だということを考える人間こそ、今までの反米、反安保、反基地みたいな、かつての革新と言われた人たちの三大話みたいな話じゃなくて、親米派こそ米国との関係というものを再設計しなければいけない。特に安保というものを、日本の問題意識をもって主体的に見直さなければいけない局面に入っているのではないかというのが私が申し上げたいポイントです。

 具体的に言うと、例えば地位協定の改定であります。日本における米軍基地の段階的縮小であれ、冷戦後の新しいパラダイムの中で、日米の防衛、同盟協力関係はどうあるべきかということについて、日本側から主体的に問題を提起しなければいけないときにきているのではないかというのが私のポイントです。

 といいますのは、今後、中国と向き合い、ロシアと向き合っていくときに、私、ビジネスの、例えばロシアとは今、サハリンの大型のプロジェクト、中国とはさまざまなプロジェクトを通じて、しかるべき若い中国ないしはロシアのリーダーになりつつある人たちと議論していて感ずることですが、表層的には日本は戦後復興した立派な国だと言いますけれども、本音の本音の部分て、日本はアメリカ周辺国だと見ている部分があります。そういう中で、この国がロシア、中国とも正面きって議論していくときに、対米関係を損なうべきではない。だけど、米国との関係を筋道の通ったものに変えていかなきゃいけない。

 それは、二つの常識ということだけ申し上げておきたいんです。国際政治学における常識です。何もナショナリズムに立って言っている議論じゃないんです。グローバルなコモンセンスとしての常識だとお考えいただきたいんです。

 まず第一は、一つの独立国に、外国の軍隊が長期にわたって駐留し続けているということは異常なことなんだという常識です。冷戦期のある時期に、あるいは占領下のある時期に、この国がそういう状況に置かれるということは歴史の中でいくらでもあることです。例えばドイツでさえ、93年に地位協定の改定をして、主体性というものを大きく回復しています。

 佐世保、横須賀の基地のステータスはお調べになったらわかりますけれども、米軍が全世界に展開している海軍基地の中で、占領軍の基地のままの占有権を持っているような基地という例は、キューバのグアンタナモ基地以外はありません。いずれにせよ日本がある主体性を持って、日米の軍事協力関係を見直すという視点です。

 これは、いま時間がありませんから極論すると、いま6500億円の米軍駐留経費を負担し、7割の米軍の駐留経費を負担しているわけですけれども、これをゼロにしろなんていう議論じゃないんです。あるいはアメリカは出ていけなんていう単純な議論をしているんじゃないんです。たとえグアム、ハワイまで米軍が下がったとしても、極東に空白をつくらないために、緊急派遣軍的に展開する兵力をグアム、ハワイに維持するコストを日本が負担するような妥協策をとったとしても……これは、ぼくがいま勝手なことを言ってるんじゃなくて、ペンタゴンの中では、私、いろんな友達いますから議論してますが、日本におけるよりもはるかに硬直的でない、やわらかいシミュレーションをして、日本との交渉をスタンバイしている傾向があります。

 そういうことを想定して考えた場合、日本側からこそ、やわらかい発想で、日米の防衛協力関係をどうしていくべきかということについて、冷戦後のパラダイムの中で再構想するべき局面に入ってきているのではないか。

 同時に、例えば今回の出来事、つまりテロ特措法を巡る議論でも、私、それにかなり批判的な議論をしてきてたわけですけれども、現実論として、この国にとって対米協力以外に選択肢なしという状況に置かれていることも、冷静な認識としては当然なんです。今日お配りしている資料を詳しく説明していく時間はありませんけれども、日本の中東に対する石油依存度は86%です。あの第一次石油危機といった73年の石油危機のときでさえ78%だったんです。瞬く間に約9割近い中東に依存度、この10年間で高まってしまったわけです。

 なぜなら、グローバルな市場化という流れの中で、1セントでも安い石油をこの国に持ってくるというゲームを展開していると、長期にわたって布陣するだとかということはコストがかかりますから、とにかく目先で、安い石油を入手してきたほうがいいというゲームの中に入っていくと、中東からでぶでぶに肥らせたタンカーを数珠つなぎにしてくるのが当面は一番安いという方向にいっちゃうわけです。その結果が86%です。
 しかも、そのシーレーンを守っているのはアメリカだという現実があります。中東にミリタリー・プレゼンスを持っているのはアメリカだという現実があります。したがって、ペンタゴンの人と議論していると、湾岸戦争のころよく話ししましたけれども、ホルムズ海峡の上を先月まで哨戒していたけれども、下を通っているタンカーは全部日章旗を積んでたよという話が、ドスンと胸に響くことになるわけです。

 したがって、米国との関係をどうのこうのと言ってみても……私、いま何を話しているかというと、経済総合安全保障の話です。やはりこの国のエネルギーと食料という、二つの支える基軸、それに加えてぼくはIT戦略だと実は思っていますが、この二つの基軸において日本の総合戦略が本当に問われていると思います。

 エネルギーについても食料についても、実はアメリカという国の強さは、この二つの分野において大変な潜在力を持っているということなんです。例えばこの資料、後でさっとご覧になっていただければわかりますが、米国の中東に対する石油の依存度は15〜20%の間に押さえ込んでます。どういう意味かというと、米州エネルギー自給構想という戦略をヒドン・アジェンダ、隠されたアジェンダというふうに言っていいと思いますが、持ってまして、一滴も中東から石油が来なくなってもアメリカは大丈夫だと言うんです。そういう戦略性の中を走ってます。

 食料も、言うまでもないですけれども、アメリカという国は100%の食料自給の上に、世界最大の食料輸出国です。そういうベースがあって初めて、外交とか、安全保障ということに選択肢が広がっていくわけです。ただ、対米関係さえ、興奮して問題提起すればいいというものじゃないということは、冷静に言って非常に重要なポイントだろうと思います。

 いずれにしましても、まず、いま手短に申し上げてきたのは、外交、安保についての基本的な視点として、この国にとってアングロサクソン同盟というものを今後どうしていくのか。つまり、現実の今の課題としては、対米関係というものをどうしていくのか。

 おまえはどう思うんだというときに、ぼくは実はこういうことを書き続けています。防衛、安保については適切な間合いを取っていくということ。経済の関係については、日米の自由貿易協定さえ構想して、米国との関係を一歩踏み込んでいく。そういうゲームであるべきではないのかと、単純に言うと私はそういうふうに議論しています。
 次に経済関係のことについて、5分か10分ぐらいで、言いたいことだけ申し上げたいわけです。

 この国の戦略性ということを考えたときに、私は実は昨日のNHKの夜の「ETV特集」でも、失われた10年の日本についてということで、田中秀征さんと一緒に出ていろいろ話をしたんですが、私の問題意識は、こう思ってます。この10年間というのは途方もなく異常な時代で、冷戦が終わってアメリカの産業構造の基本性格が変わったということを私は言い続けているんです。

 どういう意味かというと、これは産業構造分析すればすぐわかるんですけれども、一体アメリカという国の産業がどうなったのかということなんです。私は途方もないマネーゲーム国家になったというふうに分析してます。どうしてかというと、10年前まで、我々はアメリカの産業の基軸は何ですかといったら、産軍複合体という言葉をよく使っていたんです。アメリカの産業の中軸は軍事産業なんですよと言っていれば間違いなかった。

 冷戦期の50年間に、アメリカという国は累積20兆ドルの軍事予算を積み上げたんです。その裾野に巨大な軍事産業を育てた。特に宇宙航空産業に象徴されるようなものですね。マクドナルド・ダグラスだって、ボーイング、グラマー、ロッキード、ジェネラル・ダイナミックスだとか、ユナイテド・テクノロジーだとか、アメリカのそそり立つっているようなハイテク型の企業というのは、ことごとく20兆ドルの軍事予算の裾野に咲いた花みたいな部分があったんです。

 ところが、90年代に入ってご承知のように冷戦の終焉というタイミングに入っていった。クリントン政権に入って、軍事予算をアメリカは3分の1、カットしたんです。財政が黒字化してますが、その最大の要因の一つが軍事予算のカットです。そのことによって、軍事産業の合従連衡の嵐、再編の嵐に入っていった。

 例えばマクドナルド・ダクラスはボーイングに吸収されちゃった。ロッキードとマーチン・マリエッタは合併してロッキード・マーチンになった。グラマンなんていうのはノスロップに吸収されたのが、消えちゃったですよね。いずれにしましても、いま日本の銀行に起こっているどころじゃない、再編と合従連衡、リストラの嵐がアメリカの軍事産業を襲ったんです。

 この一言をいえば先生たちにはおわかりいただけると思いますが、10年前まで、1980年代までは、アメリカの大学の理工科系の卒業生、工学部、理学部、物理、数学などを専攻した卒業生の約8割が、広い意味での軍事産業に雇用吸収された、雇われたと言われています。ところが、この合従連衡の嵐の中で軍事産業を人を雇わなくなったどころか、吐き出し始めた。じゃ、そういう人たちはどういうところに入っていったんでしょうかと考えたならば、一番わかりやすい。それが金融なんです。それも直接金融です。銀行じゃない金融機関です。

 どういうところなのというと、401Kという言葉は日本でも珍しくなくなりましたけれども、年金でさえ株式市場で運用するとか、あるいはヘッジファンドなどという言葉をよく耳にするようになりましたが、デリバティブなんて、こないだエンロンが潰れてしまいましたけれども、電力というようなものでさえ投機の対象にするという、日本語ではデリバティブを金融派生型商品と訳していますが、わかりやすく言うとITで武装した金融なんです。

 つまり、この世にオンライン・ネットワーク技術革命が進行したからこそ成り立つ金融ビジネスモデルというか、コンピュータの画面をながめながら、先物とかオプションの利ざやをすくっていくようなタイプの新しい金融ビジネスモデルというのが、この10年間にものすごい勢いで肥大化したんです。

 そこで起こったことは何か。今、1日に取り引きされている世界貿易は180億ドルです。モノの動きは180億ドルです。ところが、おカネの動きはその100倍を超えたと言われています。要するに途方もないマネーゲームの肥大化が、90年代から、冷戦が終わって10年で世界を覆った一つの潮流だった。そういう中で、我々自身も気をつけないと、産業観というのが大きく変わってしまったですね。


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