前半は「財閥と天皇家の結びつき」を強調しているのだが、私は「天皇家は諸悪の根源」という考え方をしないので、自分好みではない部分はご都合主義的にカットし、気に入った部分だけを使うわけである。まあ、それが引用というものの怪しい性格だ。
しかし、下に書かれた部分は、非常に大事な内容だと思うので、多くの人に読んでもらいたいわけである。
私自身が中世の西洋史を眺めて不思議に思うのは、普段は争いあっている諸国の王家が、フランス革命に始まる革命気運に対しては一致団結して戦ったことである。では、普段の争いは何だったのか。それとも、それほど革命が怖かったのか。
財閥を貴族に喩えるよりは「荘園領主」や「諸国の国王」に喩えるほうが近いのではないか。貴族というと、王家に宮仕えするイメージだが、財閥はそんなものではないだろう。
で、天皇が財閥を支配している、というイメージは、私にはナンセンスに思える。そんな人間がなんであんな多忙な公務をこなし、私生活さえままならない生き方などするはずがあるものか。天皇は天皇としての「国家への義務と責任がある」と信じて役目を果たしているだけだろう。天皇が日本の支配者なら、私はまあ、それでもよいのだが。安倍よりは今上天皇のほうが君主としてははるかにマシだから。
天皇の話が長くなったが、財閥というより、大資本家、大企業経営者というものが「現代の貴族」あるいは「小国王」であることは確かである。その意思によって一般庶民は金と生命を搾り取られている。東電がその代表である。
現在、最大の問題は、
「ただ、数年前までは、こうした財閥権力に対して、人民はある程度対抗する方法をもっていました。
それが、規制緩和と制度改革の連続によって、あるいは、「民営化」という組合つぶしによって、人民は対抗するための組織や法律を次々と失い、無権利状態に追い込まれてきたのでした。
「移民政策」ということばが聞かれることからもわかるように、日本人はもういらないのです。
財閥は、安くこき使える、従順で、勤勉な労働力がほしいのです。
奴隷のように、家畜のように、従順で、使い勝手の良い労働力がほしいのです。」
という状況である。そして、毎度のことながら、孔徳秋水氏は、この状況に対して、ではどうすればいいのか、という処方箋はまったく出してくれない。個人的な自己防衛の話は少しするが、それだけだ。それで政治が、社会全体が変わるはずはない。もともと、「日本よ滅亡しろ!」と叫ぶ人間にそんな「解決策」を求めても最初から無駄に決まってはいるが、秋水氏は本気で「日本よ滅亡しろ、日本人よ滅亡しろ」と思っているのだろうか。それなら、「秋水」の名は返上してもらいたいものだ。天国の幸徳秋水が自分の名をそういう風に使われたことを悲しむだろう。
なお、私は革命を肯定する者である。国民には、「国民に敵対する政府」を倒す権利がある。
革命の結果できた政権が新たな私利私欲の権力集団になる可能性が高いのは当然だ。だが、フランス革命の結果、人民の生活は大きく向上し、それは世界に波及した。現代の世界全体がフランス革命の落とし子だと言って過言ではない。(フランス革命自体が資本家の陰謀だ、という説は私は採らない。資本家によって革命が利用され、捻じ曲げられたのだ、と思っている。)アメリカ革命も同様だ。つまり、革命の功と罪を比べれば、功の方がはるかに巨大だ、と私は思っている。
(以下引用)
財閥は、中世の”貴族”に相当します。
自前で軍隊や諜報部隊、そして、会社をもってビジネスをやっている…
彼らは、政治の実権を握り、激しい権力闘争と位階争いの只中に身を置いています。
そこは、譲ったら負け、弱ったら滅亡という容赦のない世界です。
まさに「甘いことは言ってられない」世界なのです。
”貴族”とは、要するに”超ヤクザ”のことなのです。
原発再稼働に反対の判決を下した裁判官を左遷して、首を挿げ替え、次の裁判でひっくり返します…
つまり、財閥は法律に従わないのです。法律の方を曲げてしまえるわけですから…
日本には日本の、アメリカにはアメリカの、中国には中国の財閥がいて勢力を競っています。
そして、その圧倒的な力で人民を支配し、国家を操り、利用し、勢力拡大を図っています。
財閥同士は、そうやって競争し合っていながら、利害が一致すれば協力し合います。
その際に、人民を何人殺すことになろうが、彼らは一切頓着しません。
ただ、数年前までは、こうした財閥権力に対して、人民はある程度対抗する方法をもっていました。
それが、規制緩和と制度改革の連続によって、あるいは、「民営化」という組合つぶしによって、人民は対抗するための組織や法律を次々と失い、無権利状態に追い込まれてきたのでした。
「移民政策」ということばが聞かれることからもわかるように、日本人はもういらないのです。
財閥は、安くこき使える、従順で、勤勉な労働力がほしいのです。
奴隷のように、家畜のように、従順で、使い勝手の良い労働力がほしいのです。
もちろん、それにはそれなりの理由があります…
しかし、だれが喜んで、家畜や奴隷になりたがるのでしょうか?
”譲ったら負け”の世界に生きている財閥相手に…
「経営も大変だから」と労働者が譲ったら、どうなるのでしょう?
今日の首切り要員だらけの労働環境をみれば、一目瞭然でしょう…
グローバル競争が激しさを増す中で財閥も、その鬼畜の本性をもはや隠そうともしていません。
かつては「エコノミックアニマル」とも呼ばれた…カネのケダモノ…
しかし、なお不思議なことは、少なからぬ人民が、これに追従していることです。
財閥とともに鬼畜道を全力で邁進しているのです。
しかし、私の絶望は、そこでは終わりませんでした。
この国はいつからこうなのか?
明治以前はマトモだったのか?
残念ながら、「マトモ」とは思えませんでした。
いろいろと…自由民権運動などの…それっぽい時代や文化もあるのですが…
権力も、人民も、ずっと鬼畜思想を代を継いで継承してきたのです。
人間の思想と鬼畜の思想…
人間の文化と鬼畜の文化…
それはともに受け継がれ、今日ここに再び雌雄を決するべき時代を迎えつあるところのようです。
そして、それは日本だけではないのです…
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