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徽宗皇帝のブログ

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孔徳(孔子の徳)なら、仁(普遍的人間愛)のはずだが

孔徳秋水氏のツィッターから転載。幾つか、問題点を箇条書きで考えてみる。時系列に従って、ツィートの下の方から順に考察する。

1)「金融史上デフレは戦争以外で解決したことがない」というのが真実なのかどうか。そもそも、デフレはインフレより悪いものなのか。緩やかなインフレは好景気にほとんど必然的に伴うものだとはいえ、インフレだからいい、ということにはならないだろうし、ハイパーインフレは庶民にとっては地獄的状況であることは自明だろう。デフレが悪だとされるのは、それが企業活動を衰退させ、雇用を悪化させるからであり、物価が安いことは、庶民生活にとっては恩恵以外の何物でもないはずだ。日銀黒田の、物価2%アップを目標とする、という発言にいつも違和感を覚える私がただの経済音痴なのか、インフレ論者がキチガイなのか。物価上昇2%目標の言葉は、これは企業サイトに立っての発言であり、庶民が物価高を願っているはずはない。(簡単に言えば、インフレターゲット手法は原因と結果が逆立ちしているのであり、好景気の結果インフレになっていくのであり、インフレにしたからといって好景気になるものではない、ということだ。そういう手法が招くのはスタグフレーション、つまり、不況と物価高が同時に起こることである。)

2)戦争反対”でも”解決”しない問題を、反戦家はどう解決してくれるんですか?…公園の猫にエサをやる人は、それで殖えた猫が飢えたり悪さをするようになる問題を、どう”解決”してくれるのでしょう?

という言葉の中の、「戦争反対でも解決しない問題」とは「公園の猫にエサをやることで殖えた猫が餓えたり悪さをするようになる問題」に例えられている、「人口増加の問題、特に『劣等者』が増える問題」のことだと思われるが、第一に、人口増加で殖えた人間が悪さをする問題は、人口が多かろうと少なかろうと関係の無い問題であり、考慮に値しないし、第二に、「先進国になれば自然に人口抑制が生じてくるものであって、人口増加を戦争で解決する必要はない。」と私は考える。第三に、「公園の猫にエサをやる」ことを否定する思想は、弱者(劣等者)を生かす必要は無い、という思想に私には見える。露骨に、「身体障害者として生まれた子供は殺せ」とか、「難病患者は殺せ」とか、「生活保護は廃止せよ」と言う方が、この「公園の猫」の比喩よりは男らしい言い方だろう。で、秋水氏は「公園の猫は殺せ」に賛成なのだろうか。それとも「戦争反対」に反対で、戦争賛成論者なのだろうか。それとも単に「戦争反対」を言う人間が生理的に嫌いなだけなのか。

3)ここんところを”思考停止”しているもんで、最後に共感を得られないんだよな…

という言葉の「ここんところ」に関する反論は、上に書いたとおりである。「反戦家」が思考停止しているかどうかは、個々人の主観でしかない。私が読んできた幾つもの「反戦の思想」を表明した文章で、思考停止をしているようなものはほとんど無かったと思う。「戦争の人口調節機能」については、「だから戦争をしていい」という論拠としては論じるにも値しない愚論だから、論じていないだけだろう。「最後に共感を得られない」云々は、「誰の」共感が得られないのか、不明。「一般人の共感」なら、反戦思想は、一部のネトウヨや未熟な若者やDQNたちを除いて、十分に得られているだろう。国政選挙の結果は、また話が別であり、今回の選挙では「争点隠し」が行われ、憲法改定は話題にもならなかったのは明白である。共感というのが秋水氏の共感ならば、「ああ、そうですか。人はそれぞれですね」で終わりだ。


4)それで…”弱者”を”間引く”のは不公正だが、”劣等者”を”間引く”のは、むしろ公正ではないのかと…

これが一番理解しづらい言葉で、秋水氏は、「『劣等者』を間引くのは公正だ」と考えているのか、何なのか。「弱者」と「劣等者」とはどう区別されるのか。「劣等者」であるかどうかは、誰が決めるのか。それとも資本主義、いや、新(超)自由主義の競争主義思想によって「自然淘汰」されるのか。秋水氏は、「劣等者」が間引かれた、「優良者のユートピア」で、自分はさらに「劣等者」にならないとでも思っているのだろうか。
これまで読んできた限りでは、秋水氏が批判している「劣等者」とは、「愚民」であるらしいのだが、どういう経済体制が理想的であるのか、どういう政治運動が理想的であるのか、ほとんど言及していないように思う。ひたすら、愚民を罵倒しているところを見ると、自分は「目覚めた5%」に属すると思っているようだ。で、その「5%」が、どのように世界や社会を変えることができるのか、それとも「できない」としてニヒリズムの言説を社会に撒き散らすだけなのか。
私は「幸徳秋水」が大好きなので、その名を踏襲したかに思われる「孔徳秋水」氏も人間愛の持ち主であってほしいし、日本人への悪罵は「幸徳秋水」の名にふさわしくない、と思っている。同朋国民への愛情の無い人間が社会改革や革命のために命を投げ出すものか。
まあ、私の言葉が孔徳秋水氏に届くことは無いだろうが、上記の批判も、氏の文章やツィートに常々啓発されているからこその批判である。どんな批判だろうが、批判される方にとっては余計なお世話だ、というのは重々承知している。ここでも、氏を全面否定しているわけではない、ということだけは付記しておく。
氏が「グローバリズム」を批判する立場にあるらしいことは伺えるのだが、氏が(本人が、株取引にのめりこんでいるところから見て)「金融資本主義」や「株式会社中心資本主義」を肯定しながら、グローバリズム批判の立場であるのが、私にはなんとも理解しがたいところである。




(以下引用)




それで…”弱者”を”間引く”のは不公正だが、”劣等者”を”間引く”のは、むしろ公正ではないのかと…で…その”間引き”グローバリズムを日本の”劣等者”どもが支持しているのだよ。じゃあ、ありがたく”間引き”されていただきましょうかと…こういうホントの議論をやる必要がいよいよきたような


[7/15 04:32]
ここんところを”思考停止”しているもんで、最後に共感を得られないんだよな…


[7/15 04:32] ”戦争反対”でも”解決”しない問題を、反戦家はどう解決してくれるんですか?…公園の猫にエサをやる人は、それで殖えた猫が飢えたり悪さをするようになる問題を、どう”解決”してくれるのでしょう? 


[7/15 04:29] 金融史上、デフレは戦争以外で”解決”したことがない。つまり、企業と人間の”間引き”以外で”解決”した例がない。…ということで、「だったら、だれかに死んでいただきましょう」ということで、グローバル生存競争を市場経済の土俵で行っているのが現在の世界。






 

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