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徽宗皇帝のブログ

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学校という異常空間
兼好法師は「友とするに悪きもの」のひとつに「病無く身強きひと」を挙げているが、要するに、そういう人は病のある人や身体の弱い人に対する想像力が欠如して、そういう弱者への対応が粗雑になるからだろう。
体育教師になるような人々も、「病無く身強き人」であるに決まっており、しかも同じような肉体的強者の集団の中で思春期から学生時代のほとんどを過ごしてきただろうから、下の記事のような事故も起こるわけだ。まあ、要するに「自分と異なる特性を持つ他者への想像力の欠如」である。
たぶん、私も、中学や高校時代に前屈の際に「頭が膝に付くまで両肩を強く押し続け」られたなら、脊柱か腰骨を骨折したか椎間板ヘルニア(位置がずれる)を起こしただろう。つまり、一生身体障碍者として生きるか、自殺することになったと思う。
これは生徒同士が組になってやっても同じであり、そういう事故が起こらないように細心の注意を払って監督するのが体育教師の務めであるはずだが、下記記事では教師自ら生徒を身体障害者にしたわけだ。
そもそも、なぜ前屈運動で頭が膝に付く必要があるのか。身体の柔軟性は人それぞれであり、体が硬かろうが柔らかかろうが、社会生活を営む上で何の支障もない。
頭脳まで筋肉だから、物事の重要性の判断ができず、「やれとされたことは何がなんでも生徒にやらせる」のだろう。学校での事故の大半は体育の授業か運動部の部活の際に起こるのではないか、と私は推測している。スポーツや運動は常に生死に関わる危険性がある、という事実に学校や教師が無反省すぎる。生徒はそれ以上に無知なのである。体は大人でも中身は子供なのだ。
これは「校則の厳守」でも見られることである。だいぶ前に、「決められた時刻に校門を締める」ことしか頭になかった教師が、校門と鉄の扉(と言うか、柵状のものだろうが)の間で女生徒を押しつぶして死に至らしめた事件もあった。遅刻を恐れるあまりに、締まりつつある校門から飛び込もうとした女生徒も、「物事の軽重の判断が頭から飛んでいる」わけで、これが学校という閉鎖空間の特徴ではないか。

(以下引用)


高校の体育でけが、元生徒が奈良県を提訴 「教諭に体を強く押され」

毎日新聞 2019/04/05 20:10






 体育の授業で前屈運動をした際、指導教諭に体を強く押されて腰に重傷を負ったとして、奈良県立郡山高校(同県大和郡山市)の元生徒の男性(18)が5日、県を相手取り、治療費など約663万円の損害賠償を求めて奈良地裁に提訴した。
 訴状によると、昨年4月25日、柔軟体操で前屈した際、教諭が頭が膝に付くまで両肩を強く押し続けた。激痛が治まらず、男性は1カ月後に病院で腰の椎間板(ついかんばん)ヘルニアと診断された。7月に手術を受けたが現在も通院中で、長時間座るのが困難という。記者会見した男性は「教諭の行為で僕の人生は一瞬にして狂ってしまった。元の体を返して」と話した。
 県教委の担当者は「体育の授業中にけがをしたことは把握している。訴訟については訴状が届いていないのでコメントできない」と話している。【佐藤英里奈】


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