「隠居爺の世迷言」記事の一節で、主に伊藤貫のユーチューブでの発言を書いている。私は伊藤貫という人物の顔が嫌いで、あまり信頼していないが、なかなかいいことを言っているので、「人を以て言を廃せず」ということで、転載する。
学歴主義が社会全体を悪化させるということは、あまり人が言わないことで、なぜなら、それを言うと「低学歴の人間の嫉妬だ」と見なされるからである。東大卒が学歴主義を批判した言葉は聞いたことがない。言っても、それは何かの利益があっての演技的発言、芝居だろう。
しかし、伊藤貫がここで言っている、アメリカ社会の退廃、悪化は学歴主義の社会浸潤と歩調を同じくしている、というのはまさにそうである。アメリカというのは、もともと「self-made man」つまり、自分で自分を作り上げた人間、独立独歩で社会的に成功した人間を尊重する社会だったのである。現在はどうか。ビル・ゲイツにしても、親が大富豪だった人間であり、イーロン・マスクも同様だろう。そして、大会社は有名大学を出た「学歴秀才」を雇用する。その結果が、「アメリカの衰退」である。特に「品性的衰退」である。
(以下引用)
そして、伊藤貫氏はこのように述べます。「今のアメリカも日本もヨーロッパも、社会を動かしている大きな原則っていうのは能力があるかどうかと、それから能力があるかどうかっていうのを決めるのに1番みんなが頼りにしてるのが学歴なんですよ。」「学歴の高い奴が社会でいい思いをして、学校であんまり勉強ができなかった奴がつまんない、退屈なしかも賃金の安い職業につかされて、一生例えば年収300万とか年収400万とか、せいぜい年収500万円レベルの仕事につかされて、学歴の高い人は年収数千万もしくは年収数億の人生をエンジョイすると。」「で、それでいいんだと。学歴の高い人がいい思いをするのは当たり前のことなんだという能力主義・学歴主義の原則が大手を振っているわけですね。」
どうでしょう、理屈としてはとってもよく分かります。気持ちとしてもとってもよく分かります。私はいわゆる「上級国民」からは程遠い存在ですが、それでもこの冬空の下、よろよろしながら道路工事現場で働いている老人を見ると、随分と格差があるものだとため息が出ます。
伊藤貫氏は続けます。「この学歴主義っていうもの自体はすごく無道徳なんです。不道徳とは言いませんけれども、道徳的な判断とは何の関係もないわけです。」「アメリカでこういう学歴主義が露骨になってきたのが1960年代からなんですけれども1960年代以降、やっぱりどんどん人間関係 が悪くなってますね。」「1950年代まであったようなあのコミュニティの考えとか、それから一応はキリスト教徒っていうのはお互いに助け合わなければいけないということになってるんですけれども、そういうキリスト教的な助け合いの精神というものも、1960年代からどんどんどんどん薄れてきて。」
この伊藤貫氏の学歴主義の話を聞いていると、学歴主義は現代の奴隷制度であるように思えてきます。明らかな身分差別ですね。しかも年々その差別がひどくなっていくような気がします。
学歴主義が社会全体を悪化させるということは、あまり人が言わないことで、なぜなら、それを言うと「低学歴の人間の嫉妬だ」と見なされるからである。東大卒が学歴主義を批判した言葉は聞いたことがない。言っても、それは何かの利益があっての演技的発言、芝居だろう。
しかし、伊藤貫がここで言っている、アメリカ社会の退廃、悪化は学歴主義の社会浸潤と歩調を同じくしている、というのはまさにそうである。アメリカというのは、もともと「self-made man」つまり、自分で自分を作り上げた人間、独立独歩で社会的に成功した人間を尊重する社会だったのである。現在はどうか。ビル・ゲイツにしても、親が大富豪だった人間であり、イーロン・マスクも同様だろう。そして、大会社は有名大学を出た「学歴秀才」を雇用する。その結果が、「アメリカの衰退」である。特に「品性的衰退」である。
(以下引用)
そして、伊藤貫氏はこのように述べます。「今のアメリカも日本もヨーロッパも、社会を動かしている大きな原則っていうのは能力があるかどうかと、それから能力があるかどうかっていうのを決めるのに1番みんなが頼りにしてるのが学歴なんですよ。」「学歴の高い奴が社会でいい思いをして、学校であんまり勉強ができなかった奴がつまんない、退屈なしかも賃金の安い職業につかされて、一生例えば年収300万とか年収400万とか、せいぜい年収500万円レベルの仕事につかされて、学歴の高い人は年収数千万もしくは年収数億の人生をエンジョイすると。」「で、それでいいんだと。学歴の高い人がいい思いをするのは当たり前のことなんだという能力主義・学歴主義の原則が大手を振っているわけですね。」
どうでしょう、理屈としてはとってもよく分かります。気持ちとしてもとってもよく分かります。私はいわゆる「上級国民」からは程遠い存在ですが、それでもこの冬空の下、よろよろしながら道路工事現場で働いている老人を見ると、随分と格差があるものだとため息が出ます。
伊藤貫氏は続けます。「この学歴主義っていうもの自体はすごく無道徳なんです。不道徳とは言いませんけれども、道徳的な判断とは何の関係もないわけです。」「アメリカでこういう学歴主義が露骨になってきたのが1960年代からなんですけれども1960年代以降、やっぱりどんどん人間関係 が悪くなってますね。」「1950年代まであったようなあのコミュニティの考えとか、それから一応はキリスト教徒っていうのはお互いに助け合わなければいけないということになってるんですけれども、そういうキリスト教的な助け合いの精神というものも、1960年代からどんどんどんどん薄れてきて。」
この伊藤貫氏の学歴主義の話を聞いていると、学歴主義は現代の奴隷制度であるように思えてきます。明らかな身分差別ですね。しかも年々その差別がひどくなっていくような気がします。
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