https://indeep.jp/biblical-theism-is-much-closer-to-nothing/
<転載開始>
faithwire.com
アメリカの聖書への信仰は絶滅の一歩手前に
先日、キリスト教系のメディアだと思いますが、その記事を読みました。
タイトルは、
・研究者は「聖書の有神論はアメリカで絶滅に近づいている」と警告し、驚くべき統計を明らかにする
でした。
ちょっと読みますと、本文の最初には以下のように書いてありました。
2月28日のフェイスワイヤーの記事より
アリゾナ・クリスチャン大学の文化研究センター (CRC) の所長であるジョージ・バーナ博士は、2月21日に警告を発し、アメリカの成人のわずか 4%が現在、聖書の世界観を持っていることを明らかにした。
過去の同じ調査によると、これは 2020年 1月のパンデミックのわずか数か月前の 6%から減少している。
…18歳から 29歳の間で聖書的な世界観を持っている人はわずか 1%であり、バーナ博士は、若い人たちは「私たちの社会では聖書の思想から大きく隔絶されており、私たちの文化の中で聖書の原則を最も積極的に拒否している」と警告している。
> 18歳から 29歳の間で聖書的な世界観を持っている人はわずか 1%…
とあり、「それはいくらなんでも極端なんじゃないの?」とは思いました。
この部分だけを読みますと、「アメリカの若者のうちの 99%が聖書を否定している」という解釈さえ出てきてしまいます。
さすがに極端だと思いまして、実際のレポートを見てみました。
アリゾナ・クリスチャン大学のレポートはこちらにあります。
そうしましたら、やはり先ほどの記事の書き方はやや極端であり、こういうことだとわかりました。
まず、
「聖書の世界観についての7つの基本的な教え(礎石)がある」
のだそうです。
私は知りませんでしたが、以下の7つだそうです。
聖書の世界観の7つの礎石
・神は全知、全能、完全、公正であり、世界の創造者であり永遠の支配者であることを信じる。
・すべての人間が基本的に善人ではないことを理解する。あなたも含めて誰もが罪人である。
・罪を告白し、主の赦しに頼ることによってイエス・キリストを知ることが救いへの唯一の手段である。
・聖書が、道徳的指針として役立つ真実であり、信頼できる神の言葉であると信じること。
・絶対的な道徳的真実の存在を受け入れる。
・人生の目的を認識する:心、魂、力、精神を尽くして知り、愛し、そして奉仕する。
・人生における真の成功を理解する : それは神への一貫した服従。
このようなものがある上で、「この7つを全部受け入れている」とした 18歳から 29歳までの人の率が 1%だったと。一方で、この同じ年代で、「この中の 1つから 3つを受け入れている」という人の率は、67%ありました。
先ほどの7つの礎石は、確かに現代人が全部これを受け入れるのは難しい感じはいたします。
レポートには、いろいろな表が示されていますが、この数値の出ていた部分を日本語化しますと、以下のようになっていました。
「全部受け入れない」とした率は、この年齢層では 23%で、最も高いことには高いです。
確かに……先ほどの7つをすべて受け入れ信じた上で現代の通常生活を送るというのも大変な気はしますが、そういう意味では、この「いくつかは受け入れている」というのは妥当な気はします。
ただですね。
「神」とかいう言葉が出ると大仰になってしまうわけで、たとえば、日本の神経症治療のひとつである「森田療法」を創始した森田正馬(まさたけ)博士は、バリバリの科学者、医学者であるわけですが、『神経質の本態と療法』という本に以下のように書かれています。
こういう「神とは自然の法である」、そして、「その自然の法則に帰依、服従するということである」というのと、先ほどの聖書の7つの礎石には通じるものがあるように思います。
『神経質の本態と療法』第八章より
自然科学から見れば、神は民族心理の過渡的産物である、とかいうように、神という実体の存在はない。神、仏、真如とかいうものは、宇宙の真理、すなわち自然科学の法則であって、法そのものにほかならない。
真の宗教は、自己の欲望を充たそうとする対象ではない。神を信じるのは、病を治す手段でもなければ、安心立命を得る目的としてもいけない。
神仏に帰命頂来(きみょうちょうらい)するということは、自然の法則に帰依、服従するということである。因果応報を甘んじて受け入れ、周囲の事情、自己の境遇を喜んで忍受することである。
われわれの血行も、心の中に起こる感情や観念連想も、みな法性(ほっしょう)であって、常に必ず自然の法則に支配されている。
夢も偶然の思いつきも、忘却も、執着も、みな必ずそれに相応する事情があってはじめて、そのようになるのである。
頭痛、眩暈も、必ず起こるべくして起こる弥陀(みだ / 阿弥陀仏のこと)の配剤であれば、煩悶、恐怖も必ずあるべくしてある自然法則の支配によるものである。
われわれはこの自然法則に勝つことはできないことを知り、不可能を不可能として、それに服従することを正信(しょうしん)といい、因果の法則を曲げて不可能を可能としようとし、我と我が心を欺き、弥縫(びほう)し、目前の虚偽の安心によって自ら慰めるものが、すなわち迷信である。
無宗教が多い日本人にとっては、この解釈のほうがわかりやすい気がします。もちろん、その「自然の法則」に対して最大の敬意が必要ということでもあります。
これについては、9年くらい前の古い記事ですが、「…聖書とクインビー博士と森田正馬博士の言葉から考える「この世」と「神の子である人間という概念」」にあります。
つい最近、アメリカの作家であり、実業家であるジェフリー・タッカーさんの「愛国心の死」という記事を以下でご紹介させていただきました。
・パンデミック政策(あるいはワクチン自体)が招いた「人間の本来の感情と感動の死」
In Deep 2023年4月3日
そこに示されていた世論調査の結果でも、過去二十数年で、アメリカ人の信仰心は著しく低下していることが示されていました。
1998年から2023年の「非常に重要な価値観」についての回答の推移
Jeffrey Tucker
重要な価値観として大きく上昇したのは「お金だけ」という現代らしいものとなっていますが、(ワクチン後の世界で)今後この傾向はさらに拡大するような気がするということを、私はこの記事では書きました。
もともと、ワクチンキャンペーンの初期の頃には、「コロナワクチンによる、神や信仰あるいは宇宙とのつながりの喪失」ということは、オカルト的な響きですが、言われていたことでもあります。
関係があることではないですが、ルドルフ・シュタイナーさんは、1917年の講義で、
「将来的に、人間から神性を剥奪するワクチンがこの世に現れる」
ことを述べていました。
以下の記事でご紹介しています。日付けを見ますと、2021年2月とありますので、まだ日本でワクチン接種キャンペーンが始まる前でした。
・コロナとそのワクチンが世界を席巻する勝利の日に立ち尽くしたりして
In Deep 2021年2月23日
この記事にその部分全体がありますが、ワクチンの部分だけを抜粋します。
1917年10月27日 スイスでのルドルフ・シュタイナーの講義「世界への堕霊の影響」より
The Fallen Spirits' Influence in the World
闇の精霊たちは間違った方向に押し込もうとします。そのような間違った方向性は、可能な限り真理からは逆説的です。
人体は特定の精神性がその中に余地を見つけることができるよう発達する一方で、闇の精神の指導の下でますます広がる唯物論的な曲解は、これに対抗し、物理的手段によってそれ(人類の精神性の発達)と戦うでしょう。
かつて私は、闇の精霊たちが彼らの人間の宿主を鼓舞するだろうと言いました。
彼らが住み続ける場所で、ワクチンを見出すために。
ワクチンは、人びとがまだ非常に若いときに、その魂から精神性へのすべての傾向を取り去ることになるでしょう。そして、これは生きている身体を介して行われます。
今日の私たちは、ひとつの病気、あるいは他の複数の病気に対しての予防接種を受けます。将来的に子どもたちは、確実に生産することができる物質により予防接種を受けるでしょう。
そして、ワクチンは彼らに免疫をもたらすと共に、霊的生活に関連した「唯物論者の目には愚かな傾向」にうつる精神性を発達させないようにするでしょう。
こういうような「精神性」に物質的に介入するという概念からは、神性あるいは精神性と関係する人間の部位というものがなければならないということになりますが、そういうものってあるのだろうか? と、当時調べていた時に、
「神の遺伝子」
というものがあることを知りました。
(以下省略)
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