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徽宗皇帝のブログ

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宮古島改造計画
沖縄県の宮古島市市長が交代した祝いに、12年ほど前に私が考えた宮古島の改造計画を提供する。これは、当時の市長選の際に考えた内容だが、いつでも着手可能な計画であり、宮古島の経済的自立のためだけでなく、たとえば教育理念などは日本全体の社会的腐敗の根本原因である教育の誤りの是正(これは政治的な左右、つまり保守革新の問題ではなく、学歴競争という誤った思想が青少年を害し、馬鹿な大人を大量生産しているということの是正案である。)の提言である。つまり、いかにすれば人々のすべてが幸福になれるか、という視点からの考察であり、前に載せた沖縄CI(コスモポリタンアイランド)計画はその思想のひとつである。
べつに沖縄や宮古島だけに話を限定する必要はなく、地方自治体が中央政府の絶対的支配から独立して住民の幸福の向上を目指す方向に行く際の参考になれば幸いだ。
なお、エネルギー政策については沖縄CI計画と逆に脱石油依存政策を提言しているが、これは沖縄本島と別々の道を行ってもいいし共同歩調を取ってもいい。



宮古島改造計画


        


             2009年1月14日


Ⅰ 基本コンセプト


 


  宮古島を日本の南欧(たとえば南仏プロヴァンス)にすること。


理由:➀気候風土(温暖乾燥)の類似。②観光客誘致上のイメージ戦略として。


③農産物の可能性上の類似。④島民の意識づけとして。⑤成功可能性の高さと、将来における高収益性。(現実的利害に基づく島民の動機づけ)


 


Ⅱ 改造内容


 


     産業


ⅰ)山羊牧場を作り、山羊の乳でカマンベールチーズを作る。


 具体策:北中城のはごろも牧場(新城さん)が、県産カマンベールチーズ(「ピンザ・ブラン」)作りに成功している。新城氏を指導者として迎え、大規模生産に踏み切る。


 利点:カマンベールチーズは高級チーズとして需要があるが、高価なために庶民の食卓には上りにくい。現段階では「ピンザ・ブラン」も高価だが、これは研究開発に要した費用の回収意図や規模の小ささのためだと思われる。すでに新城氏により研究開発は終わっており、後は大規模化(工場操業)のみで宮古島の特色ある産業にできる。また、宮古島南欧化の目的からも、島産チーズがあることのイメージは大きい。


ⅱ)ドラゴンフルーツでワインを作る。


 利点:ドラゴンフルーツは、植えれば、その後の手入れや世話はいらない。そして、大量に収穫でき、味もいい。赤と白があるが、赤いものは甘くてポリフェノールが沢山含まれていて、赤ワイン向き。白は、甘みが少ないが、逆に辛口ワインを好む人の需要がある。


可能性:どのような果物でもワインにすることは可能なはずである。


具体策:酒造免許を持っている会社と交渉し、ワインを作らせる。


ⅲ)小麦を作り、パンとパスタ、特産品の菓子を作る。


利点と可能性:小麦は乾燥地に向いた作物であり、宮古のように水資源に乏しい土地での主食として最適である。昔の宮古では小麦が作られていたはず(宮古史の中に、そういう記述がある。また、「ユニク(ユニコ)」は、小麦で作られたはずである。)だが、戦後の行政指導でキビ作に変えさせられたのだと思われる。また、昔は、小麦からパンやパスタを作ることが頭になかったため、小麦作りが軽視され、衰退したのだろう。小麦は、パンやパスタなど主食にできるだけでなく、菓子の原料など、用途が広い。宮古島の食料自給と生活の安定のためには、小麦作りの拡大が現実的方法だろう。また、宮古島に広がる小麦畑の風景も、観光面からも魅力的であるが、これは下に書く「農業工場(屋内農業)」の方法で行った場合は利点として失われる。


問題点:他の作物とも共通の問題は、風害対策と暑熱対策、干ばつ対策である。(このためには、農業を建物の中で行う「農業工場」のコンセプトが宮古島に適しているだろう。台風にも負けない、しっかりした建造物で周囲の壁と屋根を作り、必要な場合は上からの太陽光や太陽熱を遮断できるようにしないと、風害や旱魃にいつまでも悩まされ、宮古島の農業の発展は無い。)また、小麦作りには広い土地も必要になる。これまでキビ作りをしていた畑の大部分を、時間をかけて説得し、小麦作りに変えていくべきだろう。そのためには、作った小麦を安定して購入するシステムと、小麦を使った特産品作り(最初は家内工業でいい)が必要だろう。


ⅳ)パッションフルーツで薬効のある菓子等のみやげ物を作る。


 利点:パッションフルーツは、果皮が硬く、内容量が少ないために果物としての魅力は少ないように見える。完熟した果実の見栄えも悪い。そのために、全国的な生産量は減少し続けているが、これはこの果物の可能性を知らないからである。パッションフルーツは大げさに言えば「不老の果実」なのである。「動脈硬化予防、視力低下予防、ガン予防、高血圧予防、心筋梗塞予防」のほかに、「鎮痛効果、不眠症快復、老人の乾燥肌予防、肌のかゆみ防止」などの薬効がある。つまり、この果物の薬効をアピールすることで、大きな産業として発展できる可能性があるのである。しかも、この果物もドラゴンフルーツと同様に、植えた後は何の世話もいらない。蔓性の植物だから、建物の外壁に這わせれば暑熱防止や隣家との間の目隠しにもなり、建築物や町並みの美化にも役立つ。果実自体は冬の数ヶ月の間、毎日のように収穫できる。小さなプランター程度の土地から、壁一杯に広がる植物である。


 具体策:各家庭にパッションフルーツを植えさせて、果実を市役所や工場で、1個10円程度で買い取るようにすれば、子供たちが小遣い稼ぎで収穫してくれるだろう。もちろん、きちんと農地で栽培してもいいが、それよりも町の美化のために、各家庭で栽培させるのがいい。収穫した果実は室温で追熟させた後、完熟したものをそのまま生食、あるいは加工する。加工方法としては、ゼリーに入れて菓子にするなどの手段がある。ワインにも利用できるが、果肉量の少なさから言えば、勿体ない利用法である。ホテルなどで、その薬効を宣伝しつつ、デザートとして出すのが宣伝方法としてはいい。


ⅳ)その他、たとえばオクラなどもハイビスカスと同種の植物であり、それで生垣を作れば花が楽しめる上に、野菜としての収穫もできる。これも各家庭の生垣をオクラにして、実を買い取るようにすれば、各家庭の小遣い稼ぎになるし、町の美化に役立つ。殺風景なブロック塀を駆逐し、緑溢れる町並みにするためには、街の美化が個人の利益にもなるようにしなければならない。


 


➁ 建築物


ⅰ)当初は、ブロック塀を生垣に変える運動、建物の外壁を緑で覆う運動から始める。その利点は①に書いた通りで、個人の利益が町並みの美化に結びつくことを説明する。


ⅱ)次に、主要な場所に「南仏風」「スペイン風」「ギリシア風」などの住居や庭のモデルを作り、それに近い形態・外観の住居を建てる場合は市が補助金を出すようにする。


ⅲ)最終的には、宮古南部の各地域に「フランス村」「スペイン村」「ポルトガル村」「ギリシア村」「イタリア村」を作り、既存の「ドイツ村」と合わせて一大観光地にする。ただし、「ドイツ村」とは異なり、これから作る「南欧村」はその一つ一つの住居が、実際に人が住む、生活の場でもある。50年後には現在の家々はすべて消え去り、美しい南欧風の建物ばかりがある「日本の南仏プロヴァンス」となる。


    現実との対応


  宮古島南欧化計画を進める場合、既に住宅地が密集している市街地、具体的には平良区域が難点となる。ブロック塀を生垣に変えることと、外壁の緑化で幾分かはカバーできるが、民家自体が美的魅力に乏しく、全体的にも不統一で景観的魅力が無いことが、その問題点だ。したがって、この計画はまず宮古島南部や周辺の島々をまずメインとして開発しながら、産業の整備を進めていくことになる。


  最初に行うのは、全体像の提示である。全体像を提示することで、島民個々の行動内容が変わってくる。つまり、自分の行動を宮古島全体を視野に入れて判断するようになる。自分の住居を建てる場合でも、宮古島全体の景観の中に位置づけて計画するようになれば、長期的には宮古島全体の景観が変わってくる。宮古島の美化が自分の利益でもあることを知れば、ゴミの捨て方一つでも変わってくる。つまり、公徳心が生まれる。


  全体の完成は最終的には50年後くらいでいいが、そのうち産業部分は5年以内で完成できる。早ければ、3年程度でできるだろう。島民全体の賛同を得れば、もっと早いかもしれない。


  この計画は島民には一つも犠牲を要求しない。利益のみが得られる計画だが、しかし、「宮古島の伝統」や「保守・革新」、あるいは「民間と公務員」といった既成概念にこだわる人々から批判され、妨害される可能性は高い。そうした人々によって、これまでの宮古島は「全国平均の7割しかない沖縄県の所得の、その7割5分しかない宮古島の平均所得」に甘んじ、まともな産業も無い島になっていたのであるが。


  この計画(宮古島南欧化計画)がなぜ宮古島で可能か。それは、宮古島は平坦で耕地面積に恵まれ、年中温暖で気候にも恵まれ、しかも「まともな産業が無い」からである。まともな産業が無いからこそ、新たな産業を起こすことが簡単だ。人がいて、土地があれば、それで産業の基礎条件は十分だ。ただし、宮古島には金も無いから、大金の要らない産業から初めて、島全体の所得を増やしながら、その税収を、より大規模な産業や公共事業(自然エネルギー施設の建設)に振り向けていくのである。


 


Ⅲ 宮古島の将来像


 


     脱石油、脱自動車社会


 世界の石油埋蔵量は遠からず尽きるはずである。また、たとえ埋蔵量が残っていても、エネルギーを輸入石油に頼るかぎりは、我々の生活基盤は常に石油投機に脅かされることになる。この状況から脱するには、エネルギーの石油依存をやめ、自然エネルギーに転換していく必要がある。幸い、宮古島には豊富な日光と恒常的な風力がある。太陽光発電所や太陽熱発電所、風力発電所を一度建設しさえすれば、後は半永久的に豊富なエネルギーに恵まれた生活が送れるのである。生活の光熱費をゼロに近くすることも可能だろう。


 宮古島程度の生活の場であれば、毎日の生活の通勤通学には自動車は不要なはずである。家庭で必要なエネルギーは、クーラーや照明のための電気くらいのものだ。したがって、宮古では脱石油、脱自動車社会を作ることが可能である。自動車は救急車や消防車、あるいは運搬や工事のための業務車両のみでいい。自動車事故や排気ガスなどの社会的コストを考えれば、宮古が脱自動車・脱石油社会になることのデメリットはほとんど無いだろう。自動車やバスも将来は電気自動車やソーラーカーに変えていけば、観光面でのデメリットも無いはずだ。通勤通学には自転車を奨励し、自転車専用道路を作ればいい。自転車に乗れない幼児・老人・障害者のためには、バスを当面は残せばいいだろう。


 


     キューバ型の高福祉社会


 アメリカの経済制裁によって経済発展を阻害されてきたキューバであるが、貧しい中でも、教育費と医療費は無料を貫いている。つまり、どんなに貧しい財政であっても、実は医療と教育を無料にすることは可能なのである。ところが、この豊かなはずの日本では、医療と教育には大金がかかるようになっている。これを変えるには、まず医療を受ける層を軽微な病気の患者と重篤な病気の患者のグループに分け、軽微な病気の患者は看護師レベルで治療すれば、高度な専門知識と技能を持った医者は重篤な患者の治療に専念できる。常識はずれに高額な医療機器など購入せず、また、寿命の迫った老人は延命治療などせずに苦痛軽減治療だけにすれば、医療費の高騰は避けられるはずである。その他、キューバの医療のあり方を研究し、「安価な医療」を目指せば、将来的には医療費ゼロは無理にしても、医療費半減レベルまで持っていくことは可能だろう。教育費も同様で、子供に本当に必要な教育は何かを考えれば、現在のような大学受験・高校受験のための教育など不要だとわかるはずだ。そして、受験を度外視すれば、教育費など、たいしてかからないのである。


受験を度外視した教育内容とは何か。それは、「社会で通用する大人になるための勉強」である。それもたいしたものではない。小学校では国語と算数、中学校では国語と数学と英語、高校ではじめて社会科や理科を教える程度でいい。それも、全員強制ではなく、選択科目でいい。大学受験を無視すれば、生徒の学習負担は軽減される。そのかわりに、スポーツと芸術、自由研究の時間をたっぷりとるのである。社会に関心があれば中学段階で自分で社会を研究し、物体や自然の仕組みに興味があれば理科を研究すればいい。学びたくない人間にまで物理や化学の勉強を強制的に教える必要などないし、本当に必要なら、人間は独学するものだ。無駄な勉強から解放され、好きな勉強に集中する時間を与えられることで、その才能を飛躍させる子供が、必ず無数に出てくるはずである。この改革で、仮に異才奇才が出なくても、少なくとも、多くの子供たちに幸せな学校生活を与えることになるだろう。


 


     自給自足経済社会


 現在の世界は、投機経済が実体経済の数十倍(60~70倍)に膨れ上がり、タイのバーツ危機に見られたように一国の経済が国際金融家、資本家の投機によって破産の危機にさらされる時代である。これは、経済を輸出入に頼り、経済が金融の上に成り立っている限りは今後も続いていく。国家が国際的金融家や投機グループの手の上で踊っているわけだ。


 こうした状態から完全に脱出するには、鎖国でもするしかないが、それも無理なら、せめて各自治体ごとに危機に備える必要がある。つまり、地方全体で自分たちを守っていくのである。それが自給自足経済だ。国家も地方も家庭も原理的には同じだ。金の価値が暴落する大恐慌の際にには、物しか頼れない。金ではなく、物を持っている人間だけが生き残れるのである。地方も同じことであり、自ら自給自足できる地方なら生き残れるし、たとえ大恐慌にならない場合でも、常に安定した生活を住民に保障できる。


 エネルギーの自給自足、食料の自給自足が可能になれば、雨露をしのぐ住居さえあれば、誰もが生きていける。


 これからの日本が投機経済の嵐の中で苦しめられ続けるならば、その嵐から超然として安楽に暮らしている宮古島は、まさしく地上最後の楽園と、日本中、いや、世界中から憧れられるだろう。可能ならば、「地域発行通貨」によって地域経済を守るのもいいだろう。


 


     美しい自然に囲まれた完全リサイクル社会


 宮古島が自然環境に恵まれていることは万人が認めるだろう。特に海の美しさは特筆ものだ。だが、その海の美しさも、このままでは滅びるだろう。人間が生活廃水を海に流し続け、廃棄物で海岸を汚し続けているからである。しかも、廃棄物は外からも来る。中国、台湾、韓国などから漂着するゴミ、近くを通る汽船やタンカー、事故船から流出する石油の廃油ボールなどがそれだ。今すぐに、この宮古の自然を守る行動を起こさないと、宮古の自然の滅亡はそう遠くはない。


 まず、生活廃水の内容を変えることである。合成洗剤の使用を禁止し、自然分解する石鹸に変えていく。現在の石鹸よりも自然にやさしい洗剤を作るのもいい。そして、生活廃水は農業用水に用いる。農薬や化学肥料の使用は禁止する。しかし、農薬を使わないと病虫害が起こる。そこで、農業の工業化、つまり密閉空間の「農業工場」によって、虫や病原菌を農地から締め出すのである。そうすれば、農薬を使う必要がほとんどなくなる。肥料は、有機肥料(堆肥)や屎尿を利用する。屎尿をそのまま使うのがいやなら、EM菌などで処理して使う。


 将来的には、ゴミ・廃棄物ゼロの完全リサイクル社会を作る。これによって自然も健康なままで守られ、人間の健康も守られる。こうした社会で作られる農作物は、(自給自足で余った分は)他府県に高値で売れるだろう。


 海が甦れば、沿海近海の漁獲高も上がるはずだ。


 


     完全雇用の島


 宮古島で生まれ育つ子供は、高学歴ではなくても必ず仕事があり、生活ができるようにする。農業、漁業、加工業、商業、観光業が主だが、そのほか、サービス業、建設業、公務員などがあり、転職はあっても失業は無い。他の地方と比べて数が少ない(需要が低い)のは金融業、教育「産業」などである。金融は、市が融資するので不要だし、受験が重視されないので教育産業も需要は少ない。国際化に背を向けた非競争社会なので、語学産業などの必要性も無い。外国からの観光客相手の通訳が数人いれば良い。


 


⑥ 直接民主制の島(このあたりは、日本の政治システム上、現在は不可能な夢だが)


公務員の給与は民間平均と等しく、退職金も同等である。議会の議員定数は10名で、議長は市長が兼務する。市民レベルで立法するべきことは多くは無いので、市議会はそれほど重要ではない。議員は名誉職に近く、原則として無給で、実費のみ支給する。


 島の重要案件は基本的には市長判断でやるが、市民の10分の1の要求があれば直接投票で決定する。市長リコールなども同様。 


 


Ⅳ 結語


 


 以上に述べたように、宮古島は地上の楽園に変わる可能性を持った島である。もちろん、世の中に完全な人間がいない以上、完全な楽園はありえない、と悲観的に見ることもできる。しかし、『故郷』の最後の部分で魯迅が書いているように、「世の中にはもともと道は無い。歩く人が多くなれば、そこが道になるのだ」と私は考えている。


 どのような奇跡的出来事も最初は個人の空想や思いつきから始まる。ほとんどの人間はその空想をあざ笑う。だが、その空想が実現した時に、もっとも恩恵を受けるのは、あざ笑った人たちかもしれないのである。


 ついでながら、「宮古島を楽園に変える」というフレーズは、私のオリジナルではない。私以外にも、それが可能だと考えている人間は、少なくとも一人はいるのである。


 この考えを実現する人間が誰であってもいい。宮古島が楽園に変われば、それはおそらく日本全体に波及し、さらに外国にも波及するかもしれない。


 これは誇大妄想だろうか? それとも実現可能な夢だろうか?











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