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徽宗皇帝のブログ

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山下に風あるは蠱なり。君子もって民を振(すく)い、徳を養う。
「世に倦む日々」ブログと同ツィッターから転載。
ブログ記事の前半は昭和天皇批判記事で、それも転載しないと元記事の姿勢が捻じ曲げられて伝えられることになり、片手落ちになるのだが、今は私自身が読んで深い印象を受けた、今上天皇と皇后について書かれた部分だけを引用しておく。
このお二人に対する私の印象は「神々しい」であり、「聖人」だとすら思っているのだが、こうした稀有の人格が存在すること自体が一種の奇跡であり、このお二人の存在を根拠として政治システムとしての天皇を論じることは行き過ぎだろうとは思っている。
とは言いながら、民主主義という政治制度自体が、「民衆は選挙で議員を選ぶまでだけが主権者で、選挙の後は議員が主権者になる。その議員は、選挙で選ばれたわけでもない官僚に操縦される」という現実が厳然として存在している。
ならば、「天皇に、国会で決めた重大問題に対して拒否権を持たせる」というのも、プラトンが理想とした「哲人政治」と、民主主義の融合形態として考えられるのではないか、と思うわけである。もちろん、その「天皇の拒否権」が常に「国会決議」より上位に来るのではなく、「天皇の拒否」があった事案は「国民投票」にかける、とすれば、最終判断は国民自体が下すことになり、それこそ真の民主主義になるわけだ。つまり、「国会が国権の最終決定機関」であるから、民主主義が形骸化する、というのが私の考えだ。
問題は、天皇という座に、常に今上天皇のような「聖人」が就くとは限らない、ということである。だが、相当程度の誠実さと判断力と国民への愛情を持つ人が天皇となる確率は、それはたぶん皇室の伝統と皇室内の教育によるものだと思うが、かなり高いと思う。こうした貴重な「国民的遺産」を活用しない手はない、と私は思うのだ。まあ、いわば「新・天皇機関説」であり、私の「尊皇思想」は戦前的な天皇制への回帰とは対極のものだ。
以上は、私が前に書いたことの繰り返しである。これからが、いわば本論。

さて、どちらかと言えば左翼的であり、天皇制批判者かと思われる「世に倦む日々」氏を驚嘆させるほどの今上天皇の人格の高さは、「天皇というものの責任」と共に生きてきたからこそだ、と私は思うのである。そして、「天皇としての責任」とは、「国民を守り、国民の幸福に寄与する」ことだ、と陛下は考えておられるのではないだろうか。(今、「考えている」と書こうか、「考えていらっしゃる」と書こうか迷ったのだが、こういう時に日本語の敬語システムという奴は厄介だ。言葉によって話し手や書き手のスタンスが決まってしまう。「陛下」と書いた時点で、すでにそうなのである。)
安倍一派に限らず、政治家一般の人格の下劣さは度し難いものだが、なぜ彼らの人格が下劣になっていくかというと、彼らは「嘘をつくのが商売」だからである。だから、嘘をつかない政治家は貴重な存在になる。
下記記事に書かれたことで私が深く頷いたのは、


「天皇陛下の立派なところは、自分の立てた誓いを人生をかけて守り通す姿にある。」


という言葉だ。まさにこれが今上天皇の立派さを一言で表したものだろう。
これを昔は「綸言汗のごとし」と言い、帝王たるものの心得とした。帝王たるもの、流れ出た汗が元に戻らないように、発した自分の言葉には完全に責任を持たねばならない。つまり、いい加減な言葉を発してはいけない、ということだ。政治家たちの「公約なんて守る必要があるんですか」(by小泉純一郎)的な下劣さとは比べることすら失礼だろう。

「言ったことを守る」

ことの大事さは、子供でも分かる。
だが、それができる人はほとんどいない。私が今上天皇を聖人であると言う所以である。

今上天皇には政治権力は無い。(陰謀論者の中には天皇が日本の最大の権力者だという説を述べる者もいるが、最大権力者があんな公務多忙な、自己犠牲的生活を送るものか。笑止の説である。)だが、その人格で日本国民に巨大な精神的影響を与えている、と私は思う。

易の「山風蠱」の卦に言う。
「初六。父の蠱(やぶれ)を幹(ただ)す。子あれば考(ちち)も咎なし。厲(あや)うけれども終には吉なり」と。
今上天皇の生涯は、まさに父の破れを正すことに費やされたように思う。それは目には見えないが、犠牲的な、そして英雄的な一生であったのではないか。




(引用1)

それにしても、今上天皇の護憲の姿勢と平和主義には、本当に心が痺れるような感銘を受ける。皇太子だった1975年、海洋博名誉総裁として夫妻で訪沖し、ひめゆりの塔の前で過激派に火焔ビンを投げつけられる事件に遭遇したとき、その夜に沖縄県民に向けて発した声明が、肉筆の原稿を撮った映像で紹介された。「(沖縄戦で)払われた多くの尊い犠牲は、一時の行為や言葉によってあがなえるものでなく、人々が長い時間をかけてこれを記憶し、一人一人、深い内省の中にあって、この地に心を寄せ続けていくことをおいて考えられません」。その言葉を自ら忠実に守り、昨年の対馬丸の慰霊まで含めて計10回、沖縄を訪問し続け、沖縄に心を寄せ続けた半生が辿られた。番組では触れられなかったが、天皇陛下は琉歌も作っている。どれほど深く沖縄の歴史と文化を研究し、沖縄に内在する努力をしたことか。また番組では、「皆さんとともに憲法を守り」と宣言した即位時の言葉も登場した。天皇陛下の「憲法を守り」の誓いの絵は二つあり、1989年1月9日、即位後の朝見の儀の折に礼装姿で壇上から、「皆さんとともに憲法を守り,これに従って責務を果たす」と述べたものと、同年8月4日の記者会見の席で、「国民と共に憲法を守ることに努めていきたい」と述べたものがある。4/8の報ステで放送されたのは、後者の背広姿のときのものだったが、今回のNHKは朝見の儀での宣言を見せた。

天皇陛下の立派なところは、自分の立てた誓いを人生をかけて守り通す姿にある。裏切らない。感動させられる。ヴァイニング夫人と安倍能成の教育によるものだろう。人の上に立つリーダーは、こうして人の模範たらねばならない。焼け野原の新生日本の戦後民主主義が、どこまでも子どもにとって善良な倫理教育と平和教育の環境だったかを思わされる。



(引用2)同ツィッターから。


歴史問題でオバマ政権が安倍晋三に対してどんどん譲歩をしているということですね。その事実をよく注視しないといけない。右翼日本に対して宥和政策をとっているわけだ。嘗て英仏がヒトラーにしたのと同じように。つまり、それだけ米国にとって中国が巨大な脅威として意識されているということ。
米議会での演説を戦後70年談話の布石にするということは、オバマ政権が、戦後70年談話から「侵略」も「お詫び」の語も消すということを認めたという意味だ。TPPや防衛ガイドラインで日本側が米国側の要求を受け入れる対価として、歴史問題での安倍晋三の要求をバーターで認めたことを意味する。
脱構築をキャリーして80年代後半に流行させたのはニューアカの連中だったが、それをプロデュースしたのは全共闘系の元新左翼だ。吉本隆明からの流れの、松岡正剛とか三浦雅士とか。アカデミーでは、子安宣邦とか加藤尚武とか、今の大御所様たち。戦後民主主義を左から否定した走りが新左翼系。
戦後民主主義は、右からも左からも叩かれて、アカデミーやマスコミやネットでは完全に否定されていたが、死んではおらず、その思想性の説得力を放っているシンボルが両陛下ということになる。安倍晋三のまさに対極に位置して抵抗しているのが護憲の両陛下。戦後民主主義の申し子だ。
日本の右翼の側は基本的に何も変わってない。変わったのは左の側で、80年代以降、脱構築に変質して戦後民主主義を否定するようになった。そこから、90年代後半、右翼が草の根に勢力を浸透させ、リベラル寄りだった自民党がどんどん右翼化(岸信介への本卦還り)を強めて行く。
戦後民主主義の最大の敵が岸信介で、日本の戦後の歴史が、憲法と平和を守ろうとする左の勢力と、米国と一体化して改憲を果たそうとする右の勢力と、二つの勢力の鬩ぎ合いであった事実は否定できない。激突の最大の局面が60年安保闘争。安倍晋三は岸信介の孫。日本の右翼は昔から何も変わってない。
安倍晋三が生出演したBSフジの番組を見ていたけれど、「沖縄県民は辺野古への移設に明確に反対しているということをオバマ大統領に伝えていただきたい」という翁長雄志の要請についても、「伝えるか」と尋ねた反町理の質問に対して、今回の会談でわざわざ伝える必要はないという旨の回答をした。

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