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徽宗皇帝のブログ

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待っていれば兎が切株にぶつかってくれるか?
「阿修羅」のある記事へのコメントが、安易な「日本復活論」へのいい警鐘なので、転載する。
それに関連して、非常にイヤな、残酷に見える意見を書くが、テレビ報道などを見ていて、私のイライラ感は募るばかりなので、この意見が被災者の癇に障るのは承知の上で書く。私が被災者救済を何よりも優先せよ、と大震災当初から言っていたことを前提として読んでもらいたい。


今の状況を見ていて不安なのは、「現地被災者の声」のほとんどが、「元の状態に戻してほしい」という意見であることだ。
津波被害を受けた地域の住民も、「漁業なしにやってはいけないのだから、出来るだけ早く元の状態に戻してほしい」という意見が大勢を占めている。つまり、また地震や津波が来たら、また何万人もの人間が死ぬ、それでもいいということだ。彼らには「それ以外の選択肢はない」としか思えないのである。
東北の被災者への仕事のオファーもたくさんあるが、そのほとんどが他県での仕事であるために、それを受けるのはまだ1割程度だと言う。被災地には住む場所も仕事も無いのに、それでも自分がこれまで住んでいた場所から離れるのはいやだというのである。

きつい言い方だが、「馬鹿か!」と言いたい。
待っていれば、行政が何かしてくれるだろう、という期待があるのだろうが、この1か月あまりの被災者放置の後でも、まだ政府に期待するという「倭人」根性、奴隷根性が情けない。これが被災者への残酷な言葉だということはよく分かっている。だが、これでは政治権力と癒着して利益をむさぼる東電などの政商と同じ「たかり根性」ではないか。
自然災害に対し、政府の救済を求めるのはタックスペイヤーとして当然である。だが、救済のみを待って、自分は何もしない、あるいはすべて自分の望むとおりの救済方法でないといやだという人間があまりに多い。甘え根性を投げ捨て、新しい土地で生きていくという選択をする人間がなぜこんなに少ないのか。

私は、日本人の精神の変革が無いかぎり、日本社会は変わらないと思う。他人のために無償で働くボランティアも無数にいる反面、そういう無償の奉仕を平然と受け入れ、口先では感謝するが自分たちは何もせずにただ救済を待っている、そういう人間もいる。そういう自分の在り方に気がつくことが、精神変革への第一歩だろう。
「じぶんは老人だから働けない」「残り少ない人生を知らない場所で生きたくない」という人も多いだろう。だが、日本が半壊状態にある今、新しい社会の建設のためにできることはあるはずだ。役所は、そういう人々にデスクワークを分担させることでじぶんたちの過重な仕事を軽減させればいい。災害処理の仕事は肉体労働以外にも無数にあるはずだ。病人看護や衛生維持の仕事も素人に協力させればいい。もはや「国家資格がないと何もしてはいけない」という状況ではない。(この国家資格でがんじがらめになった「許認可国家」の変革もこれからの日本作りのポイントの一つだ)

「元の状態に戻してくれ」と言うことのほうが無理だろう。


(以下引用)

07. taked4700 2011年5月03日 17:06:22: 9XFNe/BiX575U : Dqc5CGFSuB

>当初のマイナス成長の時期が過ぎれば、再建に伴う大規模な投資支出の増加によって、日本経済の過去10年間の低成長率を乗り越えられるような高い成長の可能性さえも見込まれる。

 これはウソ。大規模な投資があれば必ず経済が成長するなら、どこでもやっている。基本的に、投資として成り立つのは投入金額よりも多くの産出金額があるから。今回の東北地方震災は、何と言っても、原発の後処理という側面が大きく、これは、何の新たな富も生み出すものではなく、単に費用をかけて被害の回復を図るもの。福島第一原発周辺は今後少なくとも10年、多分、30年とか50年は居住や耕作ができなくなるわけで、こちらは、資源がまさしくなくなると言うマイナス要素しかない。

 つまり、よっぽど投資効率のいいやり方をしないと、今回の財政支出に伴う赤字が将来のつけとなって、今後、悪性のインフレに悩まされるだけになる。

悪性インフレは大変ですよ。年金は物価スライドですが、一年遅れですから、物価が2倍になれば、年金は実質的に半額になる。行政も、多くの税金は一年遅れで入ってくるから、財政難に直面することになる。

本当に、311の震災は、日本の将来について、刃を突き付けた格好になりました。ここでちゃんとやるか、それともみんなで滅亡するか、その選択を迫っているのです。



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