忍者ブログ

徽宗皇帝のブログ

徽宗皇帝のブログ

想像力は神の庭
「賀茂川耕介のブログ」から転載。
知らない人のために書いておくと、賀茂川耕介とは、ビル・トッテン氏の日本名である。ビル・トッテンは、カレル・ヴァン・ウォルフレンと並んで、私が敬愛する知日家知識人である。
下の記事にある、ソ連崩壊後にキューバが歩んだ道は、米国のドル崩壊後に日本が進むべき道を考察する手がかりの一つになりそうなので、備忘的に掲載しておく。まあ、日本でインチキ選挙が続き、安倍一味に国政が簒奪された状況が続くようなら、米国と共に沈んでいく運命しかないとは思うが、少なくとも、我々には考える自由だけはある。

映画「ナイン」(フェリーニの「8 1/2」をブロードウェイでミュージカル化したものの映画化。作品自体は凡庸)の中に、いい言葉がある。

「想像力は神の庭です」

というものだ。我々が自分の想像を楽しんでいる時、我々は神の庭で遊ぶ子供なのである。その想像の中から本物の創造が生まれる。だから、想像力は神の庭なのだ。


(以下引用)赤字部分は徽宗による強調。


                 




No. 1104 キューバの教訓


昨年末、アメリカのオバマ大統領がキューバと国交正常化に向けた交渉を開始するというニュースが世界を驚かせた。


アメリカがキューバとの外交を断ったのは1961年。キューバ革命でフィデル・カストロ氏が当時の政権を倒して農民や労働者のための政策をとり、農地改革でアメリカ企業を接収したことで対立が始まった。アメリカはキューバからの砂糖の輸入を停止、その砂糖を輸入して経済支援にでたのがソ連だった。こうしてアメリカはキューバとの国交断絶を宣言したのである。


キューバはスペインからの独立時、新憲法にアメリカの内政干渉権とグアンタナモなどに軍事基地を置くことが盛り込まれていたためアメリカの影響下に置かれていた。革命が起きたのは国民の反米が高まったことの表れだったろう。国交断絶後、ソ連の支援を受けて社会主義路線をとり国家運営に当たってきたキューバは、1991年、ソ連の崩壊という新たな危機に直面する。


ソ連に砂糖を売り、ソ連から石油を買うというバーター取引ができなくなり、キューバの経済基盤は大きく揺らいた。車から農業まで、あらゆる活動が石油に依存していたため石油がなくなった痛手は甚大だった。当時キューバは農薬や化学肥料を含め耕作に石油を大量に使い、収穫したものをソ連に出荷し、石油や他の食料を輸入していた。キューバで作るものはほとんどが輸出用で、食料は大部分が輸入だった。


アメリカの経済封鎖で農作物をソ連以外の国に輸出することもできず、輸入をする外貨もなかったため、経済、エネルギー、食料危機は国内で解決するしかなかった。こうしてキューバは自給自足ができる国に転換する政策をとった。石油がないため農業はほぼ有機栽培となった。教育を優先し、医療は無料で今ではキューバの乳児死亡率はアメリカよりも低く、平均寿命もアメリカに変わらなくなった。石油なしで貧困や食料不足を乗り越え、十分な食料を生産し、国民の健康や幸福を実現するチャレンジにキューバは成功したのである。キューバには多国籍企業が提供する種子を使った遺伝子組み換え作物はなく、土壌や気候条件に合った多様性に富む栽培が行われている。2006年の世界野生生物基金の報告書で持続可能な開発が行われている世界唯一の国にキューバは選ばれた。


国交の断絶と封鎖でキューバが自給自足できる強い国となったのは、アメリカにとって皮肉なことだ。ベネズエラなど反米の中南米8カ国が加盟する米州ボリバル同盟など、着実に南米での支援も得ている。このタイミングでの国交正常化は、キューバ経済の発展から得る利益に乗り遅れないようにというアメリカ企業の思惑かもしれない。


日本にとってキューバの教訓は、自給自足できる持続可能な国家にシフトすることが可能だということである。あらゆるものを輸入に頼る日本が、異常気象や戦争で食料輸入が途絶えても正しい政策転換さえしておけば必ず道は開けるのだ。そして鎖国を解かれたキューバが持続可能な国であり続けることができるのか。それはまた大きな実験となるだろう。









(徽宗追記)何となく、自分自身のブログの過去記事を読んでいて、次の記事に出遭って上の記事となにか通底するものを感じたので、参考として再掲載しておく。

1794年のアメリカ(政治が私物化される前の地上の天国)

ブリア・サヴァラン「美味礼讃」上巻岩波文庫p122,p123
(筆者ブリア・サヴァランが、米国のある地主から歓待された、その時の地主の言葉)
「ごらんのとおり、この世に幸福な男がいるとすれば、わたしこそその幸福な男ですよ。あなたをめぐるすべて、あなたがわたしの家でごらんになったすべては、皆わたしの持ち物から生まれたものです。このくつ下は娘たちが編んでくれたものですし、くつだって衣服だって皆うちの羊たちからの賜物です。羊はまた菜園や家畜小屋といっしょになって、わたしのために単純でしかも身になる栄養を供給してくれます。皆さんは政府をえらくおほめになるが、それというのもコネチカットに住む何千の農夫が、皆わたしと同様に満足しているからですよ。かれらの家には、わたしの家と同様、戸締りなんてものはないんですよ。
 税だってここではほとんどないも同然です。そしてその税金さえ納めていれば、われわれはまくらを高くして眠れるんです。議会はわれわれの始めたばかりの工業をできるだけ補助してくれるし、郵便配達は東奔西走してわれわれが売りたいと思うものをさっさと片づけてくれます。わたしは長いこと現金には事かきません。わたしは最近メリケン粉を一たる24ドルで売りましたよ。
 それらのことは、皆われわれが自ら獲得してよき法律の上に置いた自由の賜物です。わたしはここに来てから太鼓の音なんか聞いたことがありません。七月四日すなわちわれわれの独立記念日のほかには、兵隊も制服も銃剣も目にすることはないのです。」

徽宗皇帝注:上記の言葉の意味するものは何か。我々が政治を本来の主人である民衆の手に取り戻せば、地上の天国は簡単に生み出せるということである。なぜなら、その地上の天国はかつて実際に存在したのだから。それは、アメリカがイギリスから独立し、民衆が自らの手で政治を行っていた短い間だけのことだった。











拍手

PR

コメント

コメントを書く