昨年末、アメリカのオバマ大統領がキューバと国交正常化に向けた交渉を開始するというニュースが世界を驚かせた。
アメリカがキューバとの外交を断ったのは1961年。キューバ革命でフィデル・カストロ氏が当時の政権を倒して農民や労働者のための政策をとり、農地改革でアメリカ企業を接収したことで対立が始まった。アメリカはキューバからの砂糖の輸入を停止、その砂糖を輸入して経済支援にでたのがソ連だった。こうしてアメリカはキューバとの国交断絶を宣言したのである。
キューバはスペインからの独立時、新憲法にアメリカの内政干渉権とグアンタナモなどに軍事基地を置くことが盛り込まれていたためアメリカの影響下に置かれていた。革命が起きたのは国民の反米が高まったことの表れだったろう。国交断絶後、ソ連の支援を受けて社会主義路線をとり国家運営に当たってきたキューバは、1991年、ソ連の崩壊という新たな危機に直面する。
ソ連に砂糖を売り、ソ連から石油を買うというバーター取引ができなくなり、キューバの経済基盤は大きく揺らいた。車から農業まで、あらゆる活動が石油に依存していたため石油がなくなった痛手は甚大だった。当時キューバは農薬や化学肥料を含め耕作に石油を大量に使い、収穫したものをソ連に出荷し、石油や他の食料を輸入していた。キューバで作るものはほとんどが輸出用で、食料は大部分が輸入だった。
アメリカの経済封鎖で農作物をソ連以外の国に輸出することもできず、輸入をする外貨もなかったため、経済、エネルギー、食料危機は国内で解決するしかなかった。こうしてキューバは自給自足ができる国に転換する政策をとった。石油がないため農業はほぼ有機栽培となった。教育を優先し、医療は無料で今ではキューバの乳児死亡率はアメリカよりも低く、平均寿命もアメリカに変わらなくなった。石油なしで貧困や食料不足を乗り越え、十分な食料を生産し、国民の健康や幸福を実現するチャレンジにキューバは成功したのである。キューバには多国籍企業が提供する種子を使った遺伝子組み換え作物はなく、土壌や気候条件に合った多様性に富む栽培が行われている。2006年の世界野生生物基金の報告書で持続可能な開発が行われている世界唯一の国にキューバは選ばれた。
国交の断絶と封鎖でキューバが自給自足できる強い国となったのは、アメリカにとって皮肉なことだ。ベネズエラなど反米の中南米8カ国が加盟する米州ボリバル同盟など、着実に南米での支援も得ている。このタイミングでの国交正常化は、キューバ経済の発展から得る利益に乗り遅れないようにというアメリカ企業の思惑かもしれない。
日本にとってキューバの教訓は、自給自足できる持続可能な国家にシフトすることが可能だということである。あらゆるものを輸入に頼る日本が、異常気象や戦争で食料輸入が途絶えても正しい政策転換さえしておけば必ず道は開けるのだ。そして鎖国を解かれたキューバが持続可能な国であり続けることができるのか。それはまた大きな実験となるだろう。
コメント