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徽宗皇帝のブログ

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戦争の記憶を持たない人間が社会の中枢を占める時に戦争は起こる
「播州武侯祠遍照院」転載。
私はこの世にはモラルが必要だと考えているが、それは絶対的な善悪というものがあるからではなく、社会秩序のため(ひいては個人生活の幸福のため。いや、むしろ個人生活の幸福のためにこそモラルは必要だろう。)には法律よりもまずモラルが必要だと考えているからだ。
そして、法律は理性に基づくものだが、モラルは理性よりもむしろ感情を基盤としているからこそ、より強く人を動かすと考えている。つまり、ほとんどの人間は理性よりも感情(たとえば自己防衛本能、暴力衝動、エゴイズム)で動くものだ、というのが私の考えだ。だからこそ宮台真司の「感情のフィールドで戦うべき時に、理性で応じても無駄だ」という趣旨の言葉に同感するわけである。これは夫婦喧嘩などを考えても分かるだろう。あるいは、幼い子供を説得する場合もそうである。そもそも、自分自身、自分の感情を制御できるなら、この世にはどんな喧嘩も悩みも起こらないだろう。
下の記事とは無関係な話のように見えるだろうが、日本人が70年近く戦争をしなかったのは、日本人自身がつくづく、戦争は嫌だ、と心の底で感じ、そうした感情を持つ人間が社会の基盤にいたからである。そうした「戦争への嫌悪感」を持たない(知らない、理解できない)人間が社会の中枢を担うようになってきたことが、今の日本社会の右傾化、軍国主義的傾向につながっていると思われる。
つまり、「憲法9条」は、我々日本人にとっては「理性」ではなく「感情」の基盤である、ということだ。(理性で考えるなら、自衛隊という軍隊を持ちながら軍備放棄を謳う憲法を持つことは論理矛盾そのもの、ということになる。)先に、法律は理性、モラルは感情と書いたことと矛盾するようだが、憲法とは法律(すなわち実施細則)の基盤であり、国家の理想状態を示したものであると考えられるから、国民感情の基盤でもある、と考えていいと思う。
我々は心の奥底で、憲法9条があることは、日本が平和であることの象徴である、と感じ、安心感を得てきたのではないか? そして、憲法に定められた様々な人権規定によって人権は守られていくだろう、という安心感を得てきたのではないか? そして、そうした「感情」は選挙などの政治的行動にも一定の力を与えてきたのである。

今の世の中に広がる不安感、絶望感、閉塞感は、経済問題もさることながら、日本がなし崩しに「憲法を守らない国」になりつつあることから来ているという一面もあるようだ。


(以下引用)

要するに戦争する奴は、カスであり、戦争を賛美する奴はアホである。 渾沌堂

Updated   
2014.11.11 (Tue)
https://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=78796 

上記文抜粋
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[銃とバッジは置いていけ 他]アカデミー名誉賞受賞の宮崎駿監督「アニメーションを続けられたのは日本が戦争をしなかったというのが大きい」

竹下雅敏氏からの情報です。
 最初のまとめ動画を見ると、宮崎監督が、本当に“世界の宝”だということがよくわかります。アカデミー名誉賞を受賞したとのことでニュースになっていますが、“アニメーションを続けられたのは、日本が戦争をしなかったというのが大きい。…70年過ぎてだいぶ怪しくなってきた”という部分が、NHKの報道ではカットされています。
 下の韓国でのニュースでは、かなり踏み込んだ発言をしており、こうした発言内容が日本で流れることは無いようです。宮崎監督のアカデミー名誉賞受賞記者会見の全文が出ていますが、“続きはこちらから”以降で、この中から重要な部分を一部取り上げました。
(竹下雅敏)


アカデミー名誉賞受賞の宮崎駿監督「アニメーションを続けられたのは日本が戦争をしなかったというのが大きい」
転載元より抜粋)
 
 

日本人として黒澤明監督以来となる、アカデミー名誉賞を授賞した宮崎駿監督。「アニメーションを続けられたのは、日本が戦争をしなかったというのが大きい。戦争と原爆の記憶があったから“戦争は絶対しない”というのが定まっていたが、70年過ぎてだいぶ怪しくなってきた

会見では、「大きなものは無理ですけど、小さいものでチャンスがあるときはやる。作れる限り作っていこうと思っています」と“生涯現役”を宣言。

詳細は(source: スポニチアネックス - 宮崎駿監督 アカデミー名誉賞に 生涯現役 短編製作「チャンスあればやる」 )

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転載元より抜粋)
 
(続きはここから)
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70年近く戦争のない時代が続き、幸せだった
転載元より抜粋)
 
――監督としては、今回のアカデミー名誉賞というものに対しては、あまり価値や意味は見いだせれないですか? 

宮崎: 
あらゆる賞に対して、ぼくはそうなんで。なにも、これ(アカデミー名誉賞)だからペケとかね、そう思ってません。だから、さっきも言いましたように、賞っていうのは相手にされないと悔しいし、貰って幸せかっていうと、それも幸せじゃないんですよ。だから、無ければいちばん良いものなんです。分かりません?

――ここにおられる方は、式典で宮崎さんが何をおっしゃっていたか分からないので、コメントを紹介したいと思いますけど、間違っていたら言ってください。3点、まず1番目、「奥さんに、あなたは運が良いと言われた。鉛筆と、紙と、フィルムの50年間を過ごせたこと、それが通用する最後の時代に立ち会えたことが幸せだった。」

――それから2番目、「そして、その50年間のあいだ、日本では戦争が一度もなかったことも幸せだった。
 

宮崎: 
違います、飛ばしてる。「戦争で儲けたりはしたけど、とにかく戦争はしなかった」って。実はプロデューサーが、来るとき飛行機の中でしたもんですからね、ちょっと付け足さなきゃいけないと思ったんです。正確に言うと、70年近くしてないんですね。

ぼくは、ちょうど『鉄腕アトム』が始まった1963年に、アニメーターになったんです。『アトム』をやったんじゃありませんが。1964年にオリンピックです。高度経済成長が始まってるころです。その後ね、いろいろあっても、とにかくアニメーションの仕事が続けてこれたっていうのは、やっぱり日本が70年近く戦争をしなかったってことが、もの凄く大きいと思ってます。特に、この頃、ひたひたと感じます。もちろん、特需で儲けたりとか、朝鮮戦争で。それで経済を再建したとかね。そういうことは、いっぱい起こってるんですけど。でも、やっぱり、戦争をしなかったっていうのは、日本の女たちが戦争をしたくないって、ほんとうにちゃんと、そういう気持ちを強くもって生きていたこと。

話が飛ぶようですが『ゴジラ』というのが出てきたときに、ぼくはあのとき中学生だったのか、小学生だったのか覚えてないですけど、怪獣ものを見に行くという気楽さじゃないんですよ。水爆実験の結果ゴジラがやってくるっていうんでね、ただごとじゃないインパクトを感じてたんです。それで、同時に、ニュース映画フィルムでやってたのは、ビキニ環礁の水爆実験のフィルムですからね。これは、もの凄く恐ろしかったです。そういう、戦争と原爆から繋がる記憶を持ってたから、やっぱり戦争をしてはいけないというふうに、それが国の中心として定まっていたんだと、ぼくは思いますよ。それが、70年過ぎると、だいぶ怪しくなってきた、ということだと思うんです。それについてとやかく、ぼくは言いませんけども、ぼくが50年この仕事を続けてこられたのは、日本がいろいろあっても経済的に安定してたこと。安定してたのは、やっぱり戦争しなかったことだって、ぼくは思ってます。

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