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徽宗皇帝のブログ

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政府にカネを貸す連中
「るいネット」から転載。
日本が日露戦争遂行のための借金をモルガン家に払い終えたのは何と昭和末期だったと言われている。つまり、政府の借金は、その国が存在する限り、政府は払い続けるわけである。
ところが、日本政府は太平洋戦争(大東亜戦争)の敗戦で事実上解体し、「天皇制国家」から「民主主義国家」に変わったということになっている。言ってみれば、天皇制日本という企業は倒産し、米国という破産管財人が管理する民主主義国家になったわけだ。この場合、政府の借金を返済する義務は借金した政府の「経営者」にあるのであり、国民は政府出資者としては「有限責任」の立場であって、かつての政府の借金を税金で永遠に(完済するまで)返済し続ける「無限責任」を負うのはおかしいのではないか。
などと考えたのは、ナチスもまた政府経営や戦争遂行のために金融資本からカネを借りたはずだ、と思うのだが、その「ナチスの借金」はどうなったのか、と思ったからである。ドイツ国民はナチスの借金を、戦後、ナチスへの貸主に税金で払い続けたのだろうか。ナチスにカネを貸した連中は何の非難も批判もされず、「戦争事業への出資金の返済」を利子つきで受け取り続けたのだろうか。



(以下引用)



168821ナチス御用達の銀行だったBIS(国際決済銀行)
 
林昭光 ( 34 札幌 建築設計 )08/01/11 AM10 【印刷用へ

国際決済銀行(BIS・1930年設立)は、第二次世界大戦中、ナチスに対して融資を行っていた。
以下『ヘブライの館』:リンクより引用。

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『第2章:ナチス御用達の銀行だったスイスの銀行』

●「スイス銀行によるナチス政権への財政的援助がなかったら第二次世界大戦は数年早く終息していたであろう」と指摘する人がいる。実際、ナチスの戦争遂行能力の維持に、スイスほど大きな貢献を果たした“中立国”はなかった。

●第一次世界大戦で敗れたドイツの戦争賠償処理を主目的として、1930年にニューヨーク連邦準備銀行をはじめとする世界中の中央銀行が集まって、スイスのバーゼルに「BIS(国際決済銀行)」が設立された。

しかしこの銀行は、ヒトラーの政権掌握以降、アメリカとイギリスの資金がヒトラーの金庫に流入する窓口の役目を果たすようになり、正反対の機能を持つ銀行になった。BISは積極的にドイツへの融資を仲介し、その再軍備を大いに支え、ヒトラーの戦争経済に協力し、必要な財源確保に加担したのである。
 
●第二次世界大戦中、ヨーロッパ諸国間の金融取引は、金と中立国スイスの通貨であるスイスフランが唯一の決算手段として使われていたため、ナチス・ドイツは、征服した国々から金を略奪し、「スイス国立銀行」にあるBIS名義の口座に送り込むようになった。

BISや「スイス国立銀行」にとっても、ドイツとの金取引は魅力があり、取り引きは盛んに行なわれた。戦場では敵味方に分かれて戦っているにもかかわらず、各国の中央銀行の代表たちは、BISがドイツとの取り引きを続けることを容認し続けたのだった。

●BISの初代総裁には、ロックフェラー財閥系の「チェース・ナショナル銀行」の元頭取で、「連邦準備銀行」総裁のマッギャラーが就任した。その後1938年に総裁に就任したアメリカのモルガン財閥の一員であったマッキトリックは、1940年初め「ドイツ国立銀行」を訪れ、BISの役員兼ゲシュタポ高級将校のシュローダー男爵と会談、たとえアメリカとドイツが交戦しても制約なしにBISを存続させ、機能させることに合意したのであった。

イギリスはドイツと交戦状態に入った後でさえ、BISの存続を承認し、イギリス側役員のニーマイアー卿と「イングランド銀行」総裁ノーマンは戦争が終わるまでその地位にとどまっている。

BISの理事の何人かはナチスの人間だったが、スイスは1942年夏以降、保護を求めて流入するユダヤ難民に対してほぼ完全に門戸を閉ざしておきながら、「ドイツ国立銀行」副総裁兼BIS理事だったエミール・プールなどのナチス財務高官たちにはフリー・パスを与えていたのだった。

●1943年5月19日に、『ニューヨーク・タイムズ』紙は次のような一文を載せた。

「スイスのバーゼルにある国際決済銀行(BIS)では、連合国のスイス、スウェーデン、アメリカと、枢軸国のドイツ、イタリアの銀行家たちが、机を並べて仕事をしている。この戦争の中で敵味方が共同事業を行なっているのは筋の通らぬことではないか。一体どのような暗黙の協定があるのか?」

●このナチス御用達の銀行だったBISは、「ブレトンウッズ会議」で解散が決議されていたにもかかわらず解散せず、戦後になってもしぶとく生き残った。ナチス時代にBISの理事を務めた面々は、「イングランド銀行」総裁はじめ、そのまま名誉ある人生を送った。戦犯に問われたドイツ経済相シャハトらも、連合国の“政策一変”で、早期に釈放され、西ドイツ経済界の重鎮をつとめたり、アメリカの「チェース・ナショナル銀行」幹部に迎え入れられたりした。

●一説には、このシャハトは、第二次世界大戦後、ニュルンベルク裁判所に引き出されたとき、「自分は国際決済銀行(BIS)に代表される、国際金融体制の一員として行動していたに過ぎない。もしも自分が裁判にかけられるようなことがあれば、自分は国際金融陣営が『ヒトラー計画』を背後で操っていたことを示す証拠を公開するであろう」と、ニュルンベルク法廷を脅迫したので、アメリカとソ連の裁判官の強い反対を押し切って、釈放、無罪放免とされたとも言われている。




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