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徽宗皇帝のブログ

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日本における共産主義(共産党)嫌悪(恐怖)と中国嫌悪(恐怖)の考察
「紙屋研究所」最新記事の一節だが、いろいろと考察対象になる思考素がありそうだ。
先に引用をしてから、考察してみたい。

(以下引用)


 ぼくからみた、現時点での共産党の野党連合政権における役割とは「急進的な左派政策の方向に政権をひっぱる」ことではなく、「起きる問題に対して連合政権として民主的手続き上正しく・論理的・整合的に対応する」役目、つまり仕切り役としての役割だろうと思う。沖縄基地問題や消費税問題など、民主党政権はこれを間違えて破綻した、というのがぼくの見立てである。


 そういう名仕切り役、理屈と手続きにうるさく、整合性のある対応ができるのは、良くも悪くも「正論家」である共産党の役割が大きいと思う。ま、それは単にぼくのつぶやき。異論もあるだろうが、別に構わない。


 本題に戻る。


 ぼくからみれば、90年代の非自民連立政権、2000年代の民主党政権は、連立政権ではあったが実質的に同質の政党の集まりであった。同質の政党の間での調整などそれほど大した課題ではない。


 今回もし野党連合政権ができれば、共産党という異質の政党が加わる可能性がある。


 野党連合政権は、「異質なもの」が「よりよき統治」という小幅修正のためにどう団結できるかという実験であり、そこがまさに試されているのだと言える。そんなことは日本の戦後政治でやったことがないのである。


 「中道の穏健な政治」をつくるために立憲民主・国民民主・社民・れいわ・共産は組めるはずなのに組めないことの方がむしろ謎だと言える。その鍵になっているのは「反共」であろう。



(引用終わり)

私が主に考察したいのは、日本(あるいは世界)における「共産主義(共産党)恐怖(嫌悪)」の原因と、その妥当性である。これは「中国恐怖(嫌悪)」と通底しているだろう。
ただし、中国恐怖(嫌悪)は必ずしも共産主義恐怖(嫌悪)とすべて重なるものでないのはもちろんだ。日本と中国の間には歴史的な近親(隣人)憎悪と近親(隣人)愛の関係がある。それは中国が共産党政権になる前からのものだ。しかし、特に明治以降の中国人蔑視問題が大きい。昭和の時代の中国への軍事侵略もその根底には中国蔑視思想があるはずだ。そしてその出発点は、おおよそ日清戦争にあるだろう。
つまり、日清戦争遂行のために「敵国」中国への敵意と蔑視を国民に搔き立てるプロパガンダが行われ、その戦争の勝利によって中国蔑視感情は完全に日本国民に根付いたと思われる。実際には、対戦国家であった以外には日本が中国(当時は清国)から危害を加えられたことはほとんど無く、中国を憎悪する理由などまったく存在しなかったのである。まして、第二次戦後の日本が中国から危害を加えられたことはまったく無い。単に中国船が日本領海近くを通ったとか何かで右翼やネトウヨが大袈裟に騒ぐだけのことだ。それだのに、一般的な日本人がなぜこれほど中国を警戒し、あるいは厭うのか。そこにまったく正当な理由が存在しないのに、理由不明の悪感情がこれほど根強いというのは、社会学的考察の価値がある。
共産主義嫌悪(恐怖)もこれに似ている。つまり、まったく正当な理由が存在しないのに、共産主義や共産党が嫌悪され恐怖されるのはなぜか。それが、これから行う考察のテーマだが、まずは一休みして稿を改めることにする。







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