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徽宗皇帝のブログ

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「財閥解体」と日本のDS
戦後に日本の民主化のひとつとして財閥解体が行われたにも関わらず、「三井、三菱、住友、その他」の「財閥名」がいまだに残っていることに釈然としない気持ちのある日本人(特に常に虐げられてきた庶民層)は多いと思う。その疑問へのひとつの回答が、下のコメントだが、果たしてそれだけかどうか、怪しいものである。実際には、元の財閥家が裏の支配者のままなのではないか。つまり、日本のDSだ。(電通で新人が最初に習うのが、「日本を支配するいくつかの家」のことだそうである。)

(以下引用)

その他の回答(2件)

tox********


2011/10/12 13:50


正確に言うと解体されたのは財閥家とその持ち株会社に支配された独占体制です。少数財閥が富の大半を支配し富の集中と偏在があり、競争もないため貧富の差が拡大、固定化。恐慌で疲弊した人民救済のため植民地求め戦争になった、財閥はそこからさらに利益得るため戦争推進した、だから解体するとGHQは考えました。 そのため独占禁止法、公正取引委員会により厳しく復活を監視していました。戦後しばらく混乱続きますが、逆に言えば自由競争によりのし上がるチャンスが与えられていたということにもなります。 しかし占領終了、GHQが去ると資本主義の基本的要請である資本集中の必要が出てきます。資本集中は独占を行い利益極大化するには必要不可欠でした。 そのため金融機関中心にかつての財閥各社が結集します。結集のさいに旗印として使われたのが財閥名(もっとも、各集団とも財閥名名乗ったことはないのですが。マスコミが通称として使用しただけ)です。 金融機関が一応の持ち株会社の役割果たし、各社がグループ各社の株式持ち合う「法人資本主義」が形成、他グループからの買収防ぎ結束して商売行い独占目指すシステムが形成されました。 三菱等財閥解体時に企業名として財閥名が残りましたが、単なる商標、ブランド価値程度であり財閥家との関係は完全に切れています。

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