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徽宗皇帝のブログ

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韓国はむしろこれから内乱化するか
「世に倦む日々」記事で、韓国の「大統領の戒厳令クーデター」はまだ終わっていないどころか、これから異常な進展を見せる可能性が高いことが分かる。
書かれた内容の3分の1くらいは推測・推理だが、非常に合理的な推理で、妥当性・蓋然性が高い。合理的思考で真実に迫った推測は、「無意味で誤解を招く『糞事実』を積み上げた」糞記事の何百倍もの価値がある。そういう記事である。

(以下引用)画像省略。場合により記事の一部を割愛するかもしれない。

民主主義を勝利させ、世界を感動させた韓国市民に拍手 - 準備されていた「北朝鮮テロ」の偽旗工作

世に倦む日日
2024年12月18日 08:06

12月14日、全世界が注目する中、韓国国会で二度目の弾劾採決が行われ、尹錫悦の弾劾訴追決議が可決された。賛成204票、反対85票、棄権3票、無効8票。前回はボイコットに出た与党が投票に応じ、与党票が割れ、必要な3分の2の200票を超える結果となった。当日まで与党の動向が不確実で、誰もが緊張して票決の行方を見守ったが、無事に弾劾可決となった結果を慶祝したい。韓国国民は安堵したことだろう。国会周辺には20万人の市民がデモに集結、弾劾が可決された瞬間、歓喜の声で沸き立った。韓国民主主義の歴史にまた大きな、感動的な1ページが書き加えられたと言える。ハンギョレの 12/15 の社説は「12月14日は、主権者である市民の力で危機の民主主義を救い、新たな開始の扉を開いた国民勝利の日だ(略)今日は全員が一緒に大声で市民が勝利したことを、民主主義が生きていることを祝おう」と書いている。




ようやく尹錫悦の弾劾が成立し、大統領職務停止の首尾となり、憲法裁判所で罷免か否かの審理が始まる段となった。尹錫悦は「決して諦めない」という談話を発表、憲法裁判所で争う構えを貫いていて、戒厳令宣布を正当化したまま全く反省していない。尹錫悦の復権の意思は強固で、今後の情勢は混沌としたまま、依然として予断を許さない緊迫状況にある。尹錫悦が強気を崩さないのには理由があり、憲法裁判所の現6人の判事中4人が与党寄りという事情があるだけでなく、与党議員108人中8割弱の85人がなお尹錫悦を支持しているという事実があるからだ。院内代表で強硬な親尹派である権性東を筆頭に、与党議員の多数はあの戒厳令を容認していて、それを不当だと考えていない。与党は今後、権性東らの親尹派と韓東勲らの脱尹派とに分裂するだろうが、与党多数派が戒厳令を肯定したまま、極右イデオロギーの下に結束して開き直っているという現実は不気味だ。




尹錫悦も反省していないが、与党議員多数も反省していない。憲法裁判所で罷免不認の判断が出れば、尹錫悦は復職して再び戒厳令を発出するだろうし、与党議員はそれに賛同するだろう。憲法裁判所が審決で尹錫悦の罷免を退けるということは、あの戒厳令を憲法裁判所が正当な統治行為だとして認定するという意味に他ならない。まさかそのような悪夢の事態にはならないだろうと思うが、韓国の中には、どんな超法規的手段を使ってでも革新勢力を殲滅一掃し、保守=反共の韓国で政治と統治を一色化させたいと真剣に考える者が多くいる。今、欧州とアメリカの政治で右翼色が深まっていて、アメリカが新冷戦政策を東アジアで強行する中、どれほど韓国の中で左派勢力が多数派でも、西側世界の現状ではそれは少数派になるのだ。韓国は特に西側世界の動向に敏感で、その主潮流に合わせようという傾向が強い。アメリカの影響を強く受ける。その点も、尹錫悦の計算の中にあるだろう。




日本の報道を見ると、12/15 のサンデーモーニングに典型的だが、問題を尹錫悦の個性の異常とパニックの図に戯画化し矮小化している点に気づく。尹錫悦の極端で激越な独善性を論い、その偏見と我執を強調し、民主主義とは相容れない強権的独裁者像を批判する議論に収斂させている。極右ユーチューバーとの関係に焦点を当て、尹錫悦が陰謀論を狂信して錯乱したという理解と総括で纏めている。殊更に極右ユーチューバーの妄想性と過激性を前に出し、その特異な表象を尹錫悦に重ね、戒厳令の暴挙をこき下ろす意見で総括している。つまり、今回の韓国の戒厳令の騒動について、尹錫悦という”精神異常者”によって惹起されたハプニングでありアクシデントだという構図に描いていて、その言説と論調を日本社会全体の共通認識にしようとする視角が窺える。与党の8割が尹錫悦に同調し、戒厳令を肯定したままという深刻な事実に触れない。「木」のみに光を当てて「森」を隠している。




もし、12/14 の弾劾採決が賛成3分の2に満たず、2週続けて否決されていれば、膳場貴子のコメントも変わっていただろう。ヨリ尹錫悦と与党に内在した立場に立ち、韓国の左右対立の根深さも困ったものですねなどと言って眉を顰め、どっちもどっち論に相対化し、左派多数市民の努力と韓国民主主義の成果を積極評価しない、冷淡で他人事的な評論で済ませていただろうと思われる。木村幹の所論がその代表格で、ニューズウィークの記事などにもその悪質性(右翼反動への親近性)が滲み出ている。前回も書いたが、日本の論者は例外なく、尹錫悦と韓国右派を「親日」として歓迎し、韓国左派を「反日」として嫌悪する態度で固まっている。そして、韓国左派が韓国民主主義に果たしてきた(今も果たしている)貢献や役割に意義を認めようとしない。丸山真男が言った戦後民主主義での左派の役割は韓国も同じで、民主化を先導し推進するのは日韓では常に革新勢力なのだ。それが真実である。




12/14 のハンギョレに掲載された 延世大の 金健大 の寄稿文が興味深い。12/12 の尹錫悦の談話の虚偽を暴露する内容だが、注目させられた分析は、戒厳クーデターの軍の作戦規模の大きさだ。これまでの情報では、12/3 深夜、①第707特殊任務団、②第1空輸特戦旅団、③首都防衛司令部所属の軍事警察特任隊から国会に280名が派遣され、またそれより前に、中央選挙管理委員会にも300名が動員された事実が報じられていた。だが、金健大の記事では、それに加えて ④第3空輸特戦旅団(京機道利川市) も追加投入されていて、出動中に国会で弾劾解除の決議が可決されたため、空中を旋回して基地に戻っていたと言う。さらに、12/4 中に ⑤第7空輸特戦旅団(全羅北道)と⑥第13空輸特戦旅団(忠清北道)の追加投入が計画され、出動待機中だったとある。何と4つの空挺部隊が全土から出撃態勢となり、首都の要所に展開して戒厳作戦を実行する計画だった。その規模数千人。




金健大は「共に民主党の党本部や文化放送まで占領したかもしれない」と書いている。民主労総(全国民主労働組合総連盟)本部とハンギョレ新聞社も確実に標的にされ、幹部が逮捕連行されただろうし、KBSなど主要放送局にも部隊が入り、通信とネットサービスの大手も軍管理下に入っていただろう。私は、国会に280人、選管に300人、というマスコミ報道を聞いて、韓国で戒厳クーデターを成功させるにはあまりに軍の動員規模が小さすぎると思ったし、他にも計画があるのだろうと想像していた。いくら尹錫悦が政治と軍事に無知で素人でも、この数ではあまりに幼児のママゴトに過ぎる。実際、実務の指揮を執った国軍防諜司令官の 呂寅兄 は、今回の戒厳クーデターの計画書を作成したと疑われている腹心(忠岩高)であり、諜報と特殊任務方面のプロの軍人だ。500人程度の動員で戒厳令が実効担保できるはずがない。4つの空挺部隊の出動計画という規模は相応で頷ける。




仮に国会を占拠して野党議員を排除でき、弾劾解除決議を葬っていれば、12/4 には夥しい数の市民が首都街頭に出て、戒厳令に頑強に抵抗しただろうと予想される。共に民主党本部や民主労総本部やハンギョレ新聞を守るべく、数万の市民が集合しただろうし、それと衝突して排除する武力が必要だっただろう。戒厳軍の国会制圧が成功していたら、12/4 から首都で流血の惨事が起きていたことは間違いなく、それを想像すると本当に恐ろしい。尹錫悦と金龍顕(国防相)と呂寅兄は、明らかにその事態を想定していたのであり、45年前の全斗煥の戒厳令と光州事件の再現を織り込んでいたのだ。63歳の尹錫悦が光州事件を知らないはずがない。知らないどころか、尹錫悦は光州事件のときソウル大1年生で、最も生々しく痛烈に、事件の衝撃に遭遇して記憶に刻んだ世代だ。尹錫悦、金龍顕、呂寅兄、3人とも昨年の『ソウルの春』は観ただろう。観た上で戒厳クーデターの暴挙を発案している。




呂寅兄が作成したと疑われている「計画書」には、1980年5月17日に布告された全斗煥の戒厳令全文が添付されていた。内容は今回の戒厳令とほとんど同じだ。光州事件の衝突と惨劇は5月18日から始まった。本当に、あの 12/3 深夜、国会に集まった勇敢な市民が特殊部隊を撃退しなかったら、今頃どうなっていたことか。戒厳軍はどれだけの市民を虐殺していただろう。尹錫悦、金龍顕、呂寅兄は、そして戒厳令に協力した国軍の朴安洙郭種根らは、光州事件の再現となる阿鼻叫喚の事態を想定し、それを前提として軍の出動に踏み切っている。空挺部隊を動かし、兵士を特殊任務に当たらせている。数千、数万の市民を殺戮してでも、大統領が発した戒厳令の目的を遂げ、韓国政治の主導権を左派に渡さないことの方が重要だと判断したのであり、それが国益上の優先事項だと了解したのだ。陸軍トップの朴安洙は、戒厳司令官に就任して戒厳布告に署名している。責任を引き受けている。




12/14 に放送されたTBS報道特集では、村瀬健介が現地を取材、戒厳軍の逮捕者リスト9人のうちの1人となった、あの髭面の革新系ユーチューバー 金於俊 にインタビューする映像が流れた。金於俊の証言によると、戒厳令宣布の直後、金於俊に連絡が入り、逮捕部隊ではなく暗殺部隊がそちらに向かっているという情報提供を受けたと言う。実際に、金於俊のスタジオのある建物の外には武装した特殊部隊15人ほどが到着し、銃を構えて展開している。その様子が4階のスタジオ窓側から撮影され、実況中継されていた。金於俊に緊急の一報を入れたのは野党議員で、おそらく軍の内情に詳しい者だろう。戒厳令に承服できなかった国家情報院あたりから野党議員に極秘通報が入り、そこから金於俊に伝えられた経緯だと推測する。その手口は恐るべきもので、北朝鮮の工作部隊が潜入して金於俊を襲撃した図に見せかけ、救出するフリをして戒厳軍特殊部隊が金於俊らを射殺する謀略が仕組まれていたと言う。




この証言は得心がいく。私は、逮捕者9人のリストにユーチューバーの金於俊が入っている点を疑問に感じていた。他の8人は、国会議長やら与野党代表やら国家的な大物政治家ばかりであり、そこに何でユーチューバーが入るのだろうと不思議だった。察するに、他の8人の大物は「B1バンカー」と呼ばれる、首都防衛司令部が管轄する京畿道果川の地下要塞に移送して拘禁する予定だったのだ。そして、金於俊だけは「北朝鮮のテロ」という、この戒厳令を成功に導くための偽旗作戦の餌にする目論見だったのである。その真否が検証され確認されるのは今後だが、私は金於俊の証言は正しいと思う。この戒厳クーデターを成功させる Key Factor for Success は、「北朝鮮のテロ」あるいは「北朝鮮軍の急襲」である。それを仕込んでないと、民主化から40年も経った先進国韓国で戒厳令など成功させられない。逆に言えば、そこが民主主義と市民社会を謳歌する韓国の急所であり、その一事ですべてが45年前に戻り得る。




国会を制圧した後、戒厳軍は「北朝鮮の謀略テロによる金於俊の暗殺」を言い上げ、ついでに「金於俊は北の工作員だった」と言い、さらに、逮捕した8人についても「北朝鮮のスパイだった」と「暴露」し、捏造した「証拠」を撒いて国民を説得しただろう。民主総連やハンギョレ新聞に踏み込んで、同様の「北朝鮮と内通していた証拠」を押さえたと吹聴しただろう。北朝鮮を出汁にしたプロパガンダと国家危機の扇動こそが、戒厳クーデターを正当化して世論を納得させる最大の武器であり、最も効果的な戦略戦術のオペレーションに他ならない。この言わば<北朝鮮カード>の情報戦こそ、街頭に出て抵抗する数万数十万の市民を一気に無力化し、彼らを武装解除させてしまう一撃必殺の”波動砲”なのだ。「北朝鮮の仕業」「北朝鮮のスパイ」「共産主義の脅威」、これらを駆使し連呼して、民心を恐怖させ、世論を戒厳令に順応させようと思惑していたのだろう。




最後に、論が前後して恐縮だが、韓国軍の空挺部隊が4つも出動計画され、数千人が動員される大規模な軍事作戦が始動していたにもかかわらず、その計画を在韓米軍司令部が知らなかったとか、駐韓アメリカ大使が何も聞いてなかったなどという政治があるだろうか。あり得ない。今、10月に平壌上空に無人機を飛ばした挑発について、金龍顕が、戒厳クーデターの呼び水として行った軍事工作だという疑惑が強まっている。仮にそうであったなら、在韓米軍の了承なしにこんな危険な謀略の決定が可能だろうか。かかる点について、日本のマスコミだけでなくネット論者も誰も嘴を入れず、疑念を発しようとしない。韓国の左派系も誰も問題視しない。韓国左派が黙過するのには理由があるし、彼らがアメリカに配慮し忖度する動機は理解できる。が、アメリカというピースを欠いた事件像のパズル絵に何の意味があるだろう。なるべく早い時点で、大統領府とアメリカ(CIA)との関係が検証され、事件の本質が究明されることを願いたい。


最後の最後に、あの極寒の中を、昼も夜も、幾派にもわたる抗議行動を果敢に戦い抜き、劇的な民主主義の勝利を勝ち取り、たくさんの感動を与えてくれた韓国市民に心から感謝したい。ありがとう。


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