最近の風潮として、明治維新への批判をよく聞くが、それは明治以降の日本政府における長州支配(あるいは薩長支配)に対する批判に感情を支配されたもので、その長州支配の構造が田布施システムなどと言われたりする。その批判は一理も二理もあるとは思うが、冷静に考えたら、それは政府という存在が一部の悪漢どもに支配され食いつくされている、というだけの話であって、政治システムとして近代法治国家が江戸幕府より劣っている、ということにはまったくならないだろう。明治維新への批判が、感情的に江戸幕府や江戸時代を持ち上げるような話になっていないか。
実際のところは、江戸時代というのは庶民にとっては恐ろしく自由が制限され、富裕な商家を除いては生活の余裕などほとんど無かった窮迫の時代であって、商家であっても富裕なのは主人一家だけのことで、奉公人は奴隷的存在であるのは、今のブラック企業の社員以上だっただろう。そして江戸時代の国民の大半は百姓であり、幕府の「生かさず殺さず」の政策の下に、その生産した米の6割くらいも年貢(税金)として取り上げられていたのである。今の時代の人間が、所得の6割を税金として取られることを想像してみるが良い。しかも、これは高額所得者の話ではなく、最底辺の所得層からさらにその6割を取るという話なのである。
要するに、封建時代の経済というのは強盗経済であり、庶民の生産活動の収益の半分以上を武家が強奪する経済システムにすぎない。では、その「税金」に対し、何かの見返りがあるかというと、そんなものは無い。いくらかの福祉も、ただの気まぐれなお上の「恩恵」で、あったりなかったりするだけのことだ。
そう考えると、日本で革命が起こらなかったのが不思議であるが、当たり前の話であり、秀吉の刀狩り以来、武器は武士の専有物であり、庶民が武士と戦う手段が無かったからである。と同時に、「封建道徳」によって、お上への服従が美徳とされていた、つまり洗脳教育が行き渡っていたからだ。
さて、薩長連合を中心とした明治維新によって起こったのは政治組織の根本的改革であると同時に、江戸幕府から薩長を中心としたクーデター中心勢力への「権力の移転」でもあったわけである。これは必然的なものであり、権力闘争に敗れた江戸幕府や東北諸藩の子孫が今さら泣き言を言っても、別に江戸幕府や東北諸藩の側に正義があったわけではない。
私が最近の風潮を見ていて危ぶむのは、明治維新の背後に外国勢力の操作があったとか田布施システムがどうこうとかいった議論の背後に、権力闘争に敗れて「賊軍」とされた側の恨みがあって、それが議論を感情的に支配しているのではないか、ということである。
PR
コメント