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徽宗皇帝のブログ

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権力と金の亡者たち
「独りファシズム」から転載。
この筆者を私が高く評価するのは、常に広い視野で物事を見ているからである。特に、多くの情緒的ブログにある経済的観点ゼロの人道主義ではなく、現実の問題点を冷静に見ながら、その底に人間尊重の姿勢があるという点が好きだ。
さて、下記記事にあるように、今後の日本は、多くの大企業が国外脱出し、経済は大規模に縮小する。それに伴う生活水準の低下もあるし、失業も大規模にあるだろう。何しろ、日本の土地の半分近くが「使用不可能」になる可能性があるのだから。
だが、私が何度も書いているように、これは「強欲資本主義」から脱却し、「人道的社会」を築き上げていくきっかけにもできるのである。
にも関わらず、政府のやっていることは責任逃れと利権維持と敵対者弾圧、言論統制のスターリン的政治である。そのうち日本人の半数を収容所に送ることだってやりかねない。原発事故で半分が崩壊した日本の残った部分に作るのは被災者の仮住宅ではなく、政府批判者の収容所と、拷問・死刑のための殺人施設になるのかもしれない。
まあ、それは冗談だと(収容所に入れられたくないから)言っておくが、寛容な日本国民が社会体制の「小さな」悪事に目をつぶってきた結果が今回の原発事故だと私は思っている。「霜を踏みて堅氷至る」とは易教の言葉だが、すべては細事の積み重ねなのである。悪の芽を見逃し続けていると、それがやがて巨大な悪に成長する。
第一次世界大戦では貧しい一兵士にすぎなかったヒトラーが、権力の坂を上っていくその途中で、それに歯止めをかけなかったことが後の独裁者を生み出したようなものだ。(彼は一種の政治的天才ではあるから、私はヒトラーのすべてを否定はしないが)
願わくは、すべての政治家、官僚、経済人が心を入れ替えて、「いくら金があっても他人に対して恥ずかしい行為をして生きるのはいやだ」と思うようになってほしいものである。
金の亡者の一人かと思われていた孫正義の「百億円寄付」は、金より大事なものがこの世にはあるという思想の現れだろう。もちろん、貧しい庶民にとっては「金の無いのは首の無いのも同じ」だが、十分に金があるのにそれ以上に金を欲しがる人間が社会の上位の大半を占めているのが問題なのである。原発利権者はその代表である。


(以下引用)


世界最大規模の原発が制御不能となり、大量の放射性物質を吐き散らかすという破滅的状況にありながら、とんでもない報道管制が敷かれているわけです。これほどマスコミが露骨に政官財癒着の醜悪な本性をさらすのは太平洋戦争以来でしょ。

理由として①生産活動、社会秩序維持が困難となる。②医療費、各種損害賠償請求訴訟が続発する。③行政・監督責任の遡及世論が高まる。④国庫財政の逼迫により官僚機構の権益が損なわれる。⑤首都圏の地価が大暴落する。⑥企業の与信力、資金調達力が低下する。⑦不良債権が激増、金融機関の担保資産が毀損する。⑧投資家の金融資産が毀損する。⑨キャピタルフライト、海外拠点移設により歳入が激減する。⑩避難者支援に莫大なコストを要する。と、おおよそこんな具合に今更ながら連中のドグマは人命よりも金であり、この国は旧ソビエトを凌ぐ究極の官僚統制国家であるということです。

最良に収斂した場合においても関東平野は次世代以降も深刻な放射能汚染の万延に苦しみ、最悪の場合、日本民族は国土を失しユダヤよろしく世界に離散し流浪の民となるわけですからこの期に及んで利権とか桁外れに呑気な話です。企業名はさし控えますが、既にタイへ進出中の自動車関連メーカーや電気機器メーカーは日本での生産に見切りをつけ、国内工場と系列企業を当地の工業団地に移設させる運びとなっています。

また、これにともない現地法人からの部品調達率はさらに引き上げられる見込みで、関連する国内事業者は大打撃を被ることとなり、経済損失はさらに拡大するでしょ。とんでもない負の乗数効果です。土壌と水が汚染されたということは、もはや人が住むことができない、つまり生産活動ができないわけですから当然の帰結とも言えます。結局のところ日本の雇用環境はさらに悪化し、経済はシュリンク(縮小)へ向かうということです。

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