【悲報】あの76年前の「堪え難きを耐え、忍び難きを忍び」のヒロヒト天皇の「玉音放送」(大日本帝国の無条件降伏)を完全否定する狂気の産経新聞の錯誤 (満州国)ハルビン特務機関長時代の樋口季一郎(樋口隆一氏提供)
ナチス迫害から逃れたユダヤ人救った樋口中将 顕彰する銅像 米戦略家らが建立委員会設立
第2次世界大戦直前、ナチス・ドイツの迫害からユダヤ人を救った陸軍中将、樋口季一郎(明治21年~昭和45年)の功績を顕彰する銅像を樋口の出身地、兵庫県南あわじ市などに建立する計画が進んでいる。12日までに孫の明治学院大学名誉教授の隆一氏を代表とする銅像建立委員会が設立された。設立委員には、南あわじ市の守本憲弘市長や戦略論研究で世界的権威の米歴史学者であるエドワード・ルトワック氏らが名を連ね、来年秋、南あわじ市の伊(い)弉(ざ)諾(なぎ)神宮などに銅像建立を目指し、5月に一般社団法人を設立し、約2000万円の寄付を募る。
樋口中将はハルビン特務機関長だった昭和13(1938)年、ナチスの迫害を逃れソ連を通過してソ連・満州国境に逃れながら立ち往生していたユダヤ難民を満州国に受け入れ、脱出ルートを開き、救出人数は2万人とされている。
この2年後の40年、リトアニアのカウナスで杉原千畝領事代理が命のビザを発効しユダヤ人を救った。
また45年の終戦時、樋口中将は北の守りを固める第5方面軍司令官として、千島列島のシュムシュ島(占守島)や樺太での旧ソ連軍との自衛戦闘を指揮し、「ソ連の北海道への侵攻を阻止した」との再評価が進み、昨年9月、北海道の石狩に記念館が開設された。
ドイツと防共協定を結び、反対が根強い中、樋口中将は捨て身でユダヤ人難民を救出し、上司だった関東軍の東条英機参謀長もこれを不問に付した。樋口中将は、ユダヤ民族に貢献した人を記したエルサレムの「ゴールデンブック」に掲載されたが、軍人という理由から、杉原のようにホロコースト(大虐殺)の犠牲者を追悼するためのイスラエルの国立記念館「ヤド・ヴァシェム」から『諸国民の中の正義の人』(英雄)に列せられなかった。
ルトワック氏は、「樋口は混乱して予測不能の困難な時代に率先して勇気ある大胆な行動を取った。彼に助けられ、戦後、大使や科学者になった者も少なくない。しかし、ヤド・ヴァシェムから英雄に処されていない。いつ、どこにも良い軍人はいた。樋口は広く顕彰されるべきだ」と話している。(岡部伸)
4月12日 産経新聞
「日本降伏後の対ソ戦」明らかな戦争犯罪を何故か庇ったアメリカ
日本の病的な右傾化に悪乗りした対米従属命の売国右翼の産経新聞にしても酷過ぎる記事である。たとえ産経新聞が言うように樋口中将がユダヤ人2万人を救ったのが事実だったとしても大日本帝国の無条件降伏後に部下の将兵に無理やり戦闘継続を命じて、無意味に降伏した日本軍に膨大な損害を与えただけにとどまらず、民間人に対しても保護するどころがグアムやサイパン島のように集団自決を強いて大勢の非戦闘員の一般市民を犬死させた罪は万死に値する。
降伏すると見せかけて油断したソ連軍を奇襲、大損害を与えた日本軍
敗戦間近だったが戦争継続中のインパール作戦の牟田口廉也陸軍中将よりも、日本の敗戦が確定した「玉音放送」(1945年8月15日)後の樋口喜一郎中将の方がハーグ陸戦規定など国際法に真っ向から違反するので罪が重い明らかな戦争犯罪なのである。沖縄戦のアメリカ軍に匹敵する膨大な損害を出したソ連は樋口喜一郎を戦犯として訴追したがアメリカが731部隊の石井四朗軍医中将の様に免責して現在に至っているのである。
「戦争しないと死ぬアメリカ」トロツキー「世界永久革命」ならぬアメリカの永久戦争
奇妙奇天烈で摩訶不思議なこの産経新聞から分かることは、米ソ冷戦は第二次世界大戦の終了後に始まったのではない。
アメリカ軍は第二次世界大戦中から周到に対ソ戦を準備していてWWⅡの同盟国のソ連に対して敵国の日本軍特務機関長(樋口喜一郎)と密かに組んで対ソ戦をヒロヒト天皇「玉音放送」を無視して始めていたのである。(ナチスドイツ敗北から3カ月しか経っていないし戦艦ミズリー号での降伏文章署名の前なのですから無茶苦茶。まさに「永久戦争」である)
因果は巡る糸車「昨日の友は今日の敵だが、昨日の敵は今日の友」禍福は糾える縄の如し「人間万事塞翁が馬」永久戦争
アメリカは当時世界一の科学技術力や二番目の経済力や軍事力を持っていたドイツをWWⅠとWWⅡの2回も叩いて完全に屈服させた後、即座に自分の脅威となる№2の同盟国ソ連に対して冷戦を始める。
30年前にはアメリカとの軍拡競争でソ連がゲームオーバー。1989年のソ連崩壊後には軍事力でアメリカに対抗する国は世界から無くなる。
ところが、すぐさまアメリカを脅かすGDPが世界第2位の同盟国日本に対する経済戦争を開始していてヘッジファンドの雄ジョージ・ソロスが言うように冷戦崩壊から30年間「日本は穏やかに死につつある」のですから恐ろしい。もちろん現在世界№2の経済大国は日本ではなく中国なので、現在のような胡散臭い5G次世代通信網ファームウェアやウイグル虐殺など対中プロパガンダ(対中経済戦争)が始まったのは当然な成り行きだった。何の不思議もない。(★注、30年間もの日本経済の停滞と中国の倍々ゲームの躍進とは一つのコインの裏表の関係にあり、どちらもアメリカが裏で仕組んだものだが、幸運な米ソ冷戦期の高度経済成長に惑わされて日本人知識層では理解できない)
腐敗した資本主義アメリカのケインズ政策
走ることだけに特化した競走馬(サラブレッド)は怪我などで走れなくなると体調不良で死ぬらしいが、世界規模の情報宣伝(プロパガンダ)能力など戦争に特化したサラブレッド国アメリカは何時も何処かの国と戦争をしていないと「死ぬ」のである。(★注、日本の無駄に大きい箱もの造りと同じケインズ政策がアメリカの戦争なのですから世界にとって迷惑な話だ)
終わらない対ソ(ロシア)戦争 2019年08月18日 | 東アジア共同体
・・・1945年8月18日,占守島の戦い。ポツダム宣言受諾後も,ソ連軍・日本軍間の戦闘は継続。日本軍優勢に推移するものの,21日停戦,23日武装解除。捕虜の日本兵はシベリアに抑留された。写真は放置された日本軍の戦車
『敗戦を認めない日本』
ソ連カムチャツカ半島対岸の千島列島最北端の占守島に最精鋭部隊を配備して日本軍が要塞化を進める
『玉音放送』で、いったんは降伏する心算だった守備隊に対して札幌方面軍司令官(★注、樋口季一郎中将)から徹底抗戦の命令が出され激戦が勃発、日本軍の武装解除に向かったソ連軍の損害は日本軍の二倍以上だった。
米ソの共同作戦だったソ連軍の千島占領
2018年01月04日 | 東アジア共同体
『ソ連の北方四島占領、米が援助 極秘に艦船貸与し訓練も』
2017/12/30 北海道新聞
根室振興局の調査によると、千島列島と引き換えにソ連の対日参戦が決まった45年2月のヤルタ会談の直後、連合国だった米ソは「極秘合同作戦プロジェクト・フラ」で、 米国は45年5~9月に掃海艇55隻、上陸用舟艇30隻、護衛艦28隻など計145隻の艦船をソ連に無償貸与。4~8月にはソ連兵1万2千人が米アラスカ州コールドベイ基地で米軍5100人から艦船やレーダー習熟訓練を受け、樺太南部や千島列島の作戦に投入されていた。
8月28日からの北方四島占領には、米の貸与艦船10隻を含む17隻が参加。ソ連軍は各島で日本兵の武装解除を行い9月5日までに完了した。
■ソ連の独断ではなかった
和田春樹東大名誉教授『北方四島占領を含む旧ソ連軍の対日作戦を米国が軍事援助していたことは、日本国内ではほとんど知られておらず、発見と言える。四島占領はソ連が勝手に行ったのではなく、米ソをリーダーとする連合国の作戦として行われたということを示している。』
『北方領土問題、米国の責任 ソ連の対日参戦後押し』
旧ソ連軍による北方四島占領は米国が軍事援助をしており、責任が米国にあることが示された。
米国は、日米開戦前には「領土不拡大」表明していたが、千島列島を取引材料に持ち出し、同じ連合国だったソ連から対日参戦の確約を取り付け、さらに極秘プロジェクトで大量の艦船を提供し、ソ連兵の訓練を自国内で引き受けてまで、ソ連の対日戦争を支援した。
戦後、米ソ関係が悪化し東西冷戦時代に入ると1956年日ソ共同宣言(歯舞色丹の2島返還による平和条約締結)にアメリカが強硬に反対したことから、一転して日本は『北方四島一括返還』を強く求めるようになる。
(抜粋)
2017年12月30日北海道新聞
★注、
現在政府は日本が放棄した千島列島に南千島の国後択捉は含まれないと説明するが、アメリカが主導したサンフランシスコ講和条約全権だった志田茂首相は『国後択捉など全千島が含まれる』と明言している)
『ソ連軍参戦こそが対日戦争の唯一の切り札だと知っていたアメリカ(ルーズベルト)』
一億玉砕の地獄の地上戦を目指していた日本が、突然それまでの『本土決戦』の決意を翻してポツダム宣言受諾(無条件降伏)した原因とは、トルーマンの『100万人の米兵を救った原爆投下』の禍々しい神話か、それともほぼ同じ時期のソ連赤軍の対日参戦の二者択一だった。
それ以外に突然日本が翻意した原因が無いのである。
ところが原爆とソ連参戦のどちらが真実であっても、あまりにも『結論』が恐ろしい。
特に最大のキーワードである『ソ連参戦』は、最初から考えたくも無い。
そこで、日本人の全員が思考停止に陥って仕舞い、仕方なく全ての真実をタブーとして封印、現在に至っている。
『30年前に新しく作られた都市伝説「天皇の御聖断」玉音放送神話』
現在の日本人は合理的な論理が出来ず、全員が歴史修正主義なので、『玉音放送の美しい神話』(天皇の御聖断との新しく作られた都市伝説)で誤魔化している、
もし負け戦で戦争を止めるだけの絶大な権力が昭和天皇にあったなら、開戦責任を問われ死刑になった東条首相以上の最高責任者だったことが自動的に証明され、東京裁判でヒロヒトの『絞首刑』は到底免れない。
だが『原爆神話』も嫌だ。『ソ連対日参戦』を認めるのはもっと嫌だ。
誰にも止められない太平洋戦争を止めた(無条件降伏で『本土決戦』を止めた)『御聖断』(日本人の救いの神としてのヒロヒト天皇)なる摩訶不思議な神話は、初めて1988年末からの天皇下血騒動(1989年1月7日ヒロヒト死亡)で突然マスコミが言い出した代物で、それ以前は右翼も左翼も有識者も誰一人も口にしなかった、
★注、
躍進していた共産党だけが赤旗紙面で連日『ヒロヒト天皇の戦争責任』キャンペーンを行ったが多勢に無勢で大惨敗。それ以降日本共産党は長い長い低迷期に突入して未だに抜け出せない。まさに死にいくヒロヒトの怖ろしい呪か祟りとのオチ。
『責任者には責任がある』最高責任者にはもっと責任がある
『玉音放送』当時の日本人の多くは現人神として戦争を指導した大元帥のヒロヒト天皇が自決するが、最低でも譲位するものと信じていたが、一切の責任を放棄した『人間宣言』で何事も無く現在に至っている。
★注、
これは信者が数々の殺人事件を引き起こし最後に未曾有の無差別テロ地下鉄サリン事件でやっと壊滅したオウム真理教を支配した麻原彰晃が、何の処罰も批判も受けず、後継組織のアレフやひかりの輪でも相変わらず教祖に収まったような有り得ない話だった。
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日本の敗戦後も、住民を盾に「全員戦死まで」対ソ戦争を強いる札幌方面軍兼北部軍管区司令官(第5方面軍司令官)樋口 季一郎陸軍中将の卑劣さ
『NHKスペシャル「樺太地上戦 終戦後7日間の悲劇」』
2017年8月14日(月)
NHKの番組案内から、『北海道の北に広がるサハリン。かつて「樺太」と呼ばれ、40万人の日本人が暮らしていた。昭和20年8月、終戦後にも関わらず、住民を巻き込んだ地上戦が1週間にわたって続き、5000人とも6000人とも言われる人たちが命を落とした。なぜ終戦後も戦闘は終わらず住民の被害が拡大したのか。長年沈黙を守ってきた元住民たちの証言、そして国内外で発掘した資料から、樺太の悲劇に迫る。』
8月16日に樺太師団に届いた「死ぬまで戦へ」の札幌方面軍の理不尽な玉砕命令』多くの日本人が知らない、もう一つのオキナワ戦(地獄の本土決戦)
『玉音放送』で武装解除の準備を進めていた樺太師団の本部に、終戦後にもかかわらず『樺太を死守せよ』との命令が札幌方面軍司令官から届いた。
命令を受けた樺太師団の鈴木康参謀長(大佐)は戸惑い『泣いて終戦命令を下し各隊が涙と共に実行中の16日午後 軍命令が届いた。今頃何事ぞと怪しみ考えてみたが合点がいかない。電話で作戦就任に尋ねる。はっきりした回答は得られない。』
樺太死守の命令を守り戦闘を続ける樺太師団の鈴木参謀長とソビエト軍との交渉が決裂。8月20日、ソビエト軍は樺太で最大の3万5000人が上陸作戦を敢行。日本側が5000~6000人が死亡する。
『樺太死守』を命じていた札幌方面軍は、大本営の指示を受けて8月22日になって命令を翻して『ただちに停戦せよ』と樺太師団に命令したので、ようやく停戦が成立、7日遅れで意味不明の不思議な戦争がやっと終わっている。
『時間稼ぎ?』
満州でも樺太でも千島でも同じで、ポツダム宣言受諾後に部下の将兵に『最後まで戦うべし』との命令を残して司令官や参謀など日本軍幹部は飛行機で本土に逃げ帰って仕舞い、残された一般市民や下級将校や下士官など敗残日本軍は無理やりソ連軍と死ぬまで戦わされた、(ポツダム宣言に違反する)明らかな戦争犯罪なのである。ところが日本を占領したアメリカ軍は自国の捕虜虐待などのBC級戦犯は厳重に罰したが、これとは対照的に無条件降伏後に部下に交戦を命じた日本軍幹部の戦争犯罪に対しては一切無視。(★注、逆に『ソ連軍の蛮行』との話にすり替えるなど呆れ果てた歴史の改竄である)
『ヒロシマの大虐殺が起きるたった3週間前だったアメリカの核実験の成功』
アメリカ合衆国は1945年7月16日に人類最初の核実験であるトリニティ(Trinity)をニューメキシコ州の砂漠で行って成功させる。
トリニティ(Trinity)とはキリスト教の根本原理である『三位一体』(神と子と聖霊)のことであり、写真はトリニティの核爆発(神の矢)を塹壕から見つめる動員された米軍兵士たち。
『9.11を経験したミレニアル世代の僕が原爆投下を正当化してきた理由』2019年8月15日(木)現代ビジネスより転載ニューズウィーク日本版Newsweek_JAPAN
<終戦から74年を迎えた東京で、「記憶の歴史」をテーマに研究中のアメリカ人大学院生がいる。彼は約半数のアメリカの若年層と同様、原爆投下は「正しかった」と考えていた。
『原爆投下に感謝しろ』2015年12月23日長谷川 豊コラムから
「白人よりもはるかに劣るアジアのイエローモンキーが」「白人よりもはるかに弱いくせに我々白人に逆らった挙句」「パールハーバーで卑怯きまわりない奇襲攻撃をし」
「多くの同胞を殺した挙句、敗戦濃厚になっても竹やりで飛行機を突っついてくる」「そんな愚かな行為をやめさせるために、神がアメリカだけに与えたもうた原子爆弾という『神の矢』によって…」
戦争を終わらせ、無駄な犠牲者を減らして「あげた」のだ。礼を言え。
私たちは唯一の被爆国(被害者)なのだ~という被害者感情など、基本的には世界の中で日本だけの感覚です。世界(★注、アメリカ)では、今から70年前の日本は、明確にバカで愚かな「加害者」なのです。(抜粋)
『最初から出口(ドイツ降伏から3カ月後の1945年8月9日ソ連軍対日参戦)が決まっていたアメリカの原子爆弾の投下期日』
1945年(昭和20年)7月26日のポツダム宣言(日本の無条件降伏)では国体護持(天皇制)については何も書いていないので日本は黙殺したことからアメリカの原爆投下やソ連参戦を招いたするのが公式な歴史認識なのです、
ところが政府与党も野党もマスコミも有識者も認める、この公式な歴史認識が正しとすれば、現在の象徴天皇制をポツダム宣言(Potsdam Declaration)に書き入れてさえいれば、7月26日の時点で日本は即座に無条件降伏していた。そもそも最初のポツダム宣言の原案では現在の象徴天皇制(国体護持?)の文言は入っていたのである。最終的に削除したのはアメリカ(トルーマン)で、7月16日に核実験に成功したばかりの原爆が完成して、何んとしても日本に投下したかった。
最初から『出口』(ドイツ降伏から3カ月後1945年8月9日未明のソ連軍対日参戦)のスケジュール俵が決まっていた。そのスケジュールに合わせて原子爆弾の使用(人体実験)がアメリカによって行われる。(原爆投下とソ連軍参戦とが、ほぼ同じだったのは偶然ではなく必然だった)
『ソ連労農赤軍は恐ろしい』
あるいは、「日本人の救い神」としての『ソ連軍対日参戦』
ソ連赤軍の対日参戦で、日本は即座に御前会議を開いて無条件降伏するとの『因果関係』を、曖昧に誤魔化すための巨大な『猫だまし』(あるいはred herring 間違いに誘導するニセの手がかり)としては、アメリカの原子爆弾の投下ぐらいしか上手い方法が無いのである。
この話は逆で(消去法で)、もしアメリカの原爆投下が『無かった』と仮定すれば、1945年8月9日未明のソ連労農赤軍の対日参戦で、即座に、日本の無条件降伏(ポツダム宣言受諾)が行われたのと、あまりにも明確過ぎる因果関係は中学生以上なら誰でも気が付く。(★注、ソ連赤軍による「ロマノフ朝滅亡」ニコライ二世皇帝一家の全員処刑は今では歴史の一コマだが、当時は目の前の厳しい現実問題だった)
日本人なら右翼左翼とか知識の有る無しに関係なく誰でも簡単に解るが、ただし、だからこそ180度逆に日本人は『ソ連軍対日参戦で戦争が終わって大勢の日本人が助かった』事実を死んでも認めたくないのである。
『原子爆弾の絶大な情報宣伝の威力』
現在は、ソ連軍参戦と日本の無条件降伏を関連付けて論じている有識者は日本国では誰も居ないが、その原因とは『天皇の御聖断』神話では無くて、アメリカの振りまいた『原爆神話』に惑わされた結果だった。
その意味では軍事的には何の意味も無かったヒロシマナガサキの原子爆弾投下ですが、逆に政治宣伝や情報操作では絶大な威力を持っていたのである。★注、宣伝・広報など原子爆弾が持つ情報操作の威力は絶大で、第二次世界大戦から5年後の朝鮮戦争ではアメリカ軍による原爆使用のうわさが広がった結果、少しでも安全な南へ南へ(★注、韓国南部)と人々は我先に逃げ出している。(★注、南北朝鮮の人口比が2対1になった原因の一つがマッカーサーの核の恫喝だった)
(抜粋)
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