「東海アマ」ブログから一部を転載。冒頭部分と末尾は本題である「現代日本は奴隷制度社会である」というテーマからズレるので割愛した。
アマ氏の「儒教憎悪」がどこから来るのか分からないが、文中での「儒教の影響で日本も奴隷制度が広まった」という説は、私には理解不能である。
アマ氏は「論語」のどこに、そういう思想が書かれた文言があるというのか。それ(日本の奴隷制度)は、大陸渡来の弥生人による日本支配の一環でしかなく、儒教とはまったく無関係だろう。で、弥生人は現日本人(縄文人と弥生人の混血)の祖先でもあるから、今さらその歴史上の行為を批判しても仕方が無い。儒教に関して言えば、その「徳治主義」が日本人気質(和を重んじる)の土台にもなっていると言うべきではないか。民衆のその「道徳的自治」が、上への(正当な)反抗という気質や手段を塞いだ、というのはデメリットだろうが、これは日本の今後の課題である。
その部分以外は、ここに書かれたことにほぼ同意・同感である。
(以下引用)
「人が、他人に対して優位に立ち、その他人の人生を、暴力を使って自分に都合良く利用すること」
利用対象の人の自由な人生を否定し、自分または自分の組織の利権のために利用すること……という意味を「奴隷制」の原点と認識するなら、現代における企業雇傭や、犯罪の相当部分も、実は「人を利用対象として見て、同じ人間として見ない思想」=奴隷制の上に存在していると考えることもできる。
奴隷制というものは、「他人を自分の利権のために利用してやろう」と考えた瞬間に発生するものだと言い換えることもできそうだ。
そして、アメリカや欧州では、200年前、それを国家が容認し、奴隷制を支援したのだ。人を私有財産として自由に売買することが認められていたのだ。
そこには、欧州から米大陸に移住した人々が、先住民であるネイティブを実に2000万人近く虐殺して、土地を奪ったという歴史が前段にある。
人の命を軽く見る思想の土壌がなければ、奴隷制など存在できないだろう。
アメリカが日本に原爆を落とした本当の理由は、こうした先住民大虐殺の経験と正当化から来ているともいわれ、黒人やアジア人は同じ価値を持った人間ではないという価値観があった。
ちなみに、メイフラワー号に乗ってやってきた欧州清教徒たちの正体は、実はキリスト教徒を装ったユダヤ教徒だったとの説がある。
彼ら自身がボグロムという大虐殺ジェノサイドを逃れてきたのだ。
奴隷制がなかった国家の歴史は存在しない。
日本でも、奈良時代前後には明確な奴隷制度があった。それは魏志倭人伝にさえ出てくる。
奴婢という言葉が登場するのは、卑弥呼の墓に「奴婢」が殉葬されたという記述(「卑彌呼以死・大作塚・徑百餘步・徇葬者奴婢百餘人」)があり、権力者の死のために、人が命を無理矢理差し出さねばならなかった。
また、魏への朝貢に「生口」という奴隷を送ったとの記述が出てくる。
中国における儒教の影響から、奈良時代「白丁」と称された階級が奴隷的身分だったともいわれる。白丁は朝鮮における奴隷階級の表現でもある。
平安時代、貴族や豪族の荘園労働者の大半が奴隷的身分であったことは、「安寿と厨子王」のような物語からも伺い知ることができる。
戦国時代に至っても、暴力的に駆り出された民衆が、領主のために強制労働を行わされたという意味では、当時の「領民」の地位は文句のない奴隷だった。
しかし、日本の領民には「逃散」の自由がある程度あった。アメリカ奴隷は、逃げれば捕まって拷問を受け、また見せしめに殺害された。
日本史上、最悪だったのは、ボルトガル宣教師、商人による日本女性の奴隷売買だった。
1500年代には、九州を中心に日本女性約50万人がポルトガル人によって外国に奴隷として売り飛ばされたという。
日本人女性は「奴隷」として海外に売りさばかれていた…豊臣秀吉が「キリスト教」を禁止した本当の理由
当時、日本総人口は現在の10分の1、約1200万人だったので、当時、奴隷としてポルトガル人に連れ去られた日本女性は現在に換算すると実に500万人だった。
九州では、若い女性をほとんど見かけなくなったと記録されている。
女性たちをポルトガル商人に売り飛ばしたのは、実は、当時のキリシタン大名、大村純忠・大友宗麟・有馬晴信らだったらしい。今では人格者として美化されている高山右近や小西行長の名前も出てくる。
なぜ女性たちを獣のように狩って、強制的にポルトガル人に引き渡したかというと、ポルトガル人がもたらした鉄砲と火薬が欲しかったらしい。奴隷がイエスの御心に合致したかという問いは、なぜか存在しない。
当時のポルトガル宣教使は、カトリックのキリスト教を世界に普及するため、世界中に進出したのだが、実は、本当の目的は奴隷貿易であり、人類史上、もっとも悪質な奴隷商人だったともいわれる。
江戸時代、初期は大名領主と領民の関係は、四公六民(収穫の4割を領主が取り、残りを生産者が得る)システムだったが、徳川吉宗が五公五民制度を導入し、以降は、百姓一揆が頻発するようになった。
ちなみに、現代でも1980年代までは日本の税金は三公七民だったものが、安倍晋三による消費税10%導入によって、五公五民になり、日本国民の生活は格段に苦しくなった。安倍晋三と正社員制度を否定した竹中平蔵が、庶民の生活を破壊したと断定してもよい。
ついでに書くと、こうした政府の横暴を糾弾すべきメディアの大半が、韓国人(両班系)によって支配されてしまっている。メディア韓国人(統一教会)は、自民党政権とべったり癒着し、この異常な民衆搾取が自民党によって行われていることを報道しないのだ。
この理由は、安倍晋三政権を作り、自民党を支えているのが、韓国統一教会であることによるものだ。統一教会が日本のメディアを通じて日本政治を支配しようとしてきた。広告収入を通じてメディアを支配している電通のトップも韓国人である。
少し話が逸れたが、「人を人として見ない」奴隷制の思想の上に、現代資本主義が作られている。大企業の従業員は、間違いなく企業利益のためだけに働かされている奴隷に他ならない。
企業組織では、企業の金儲けだけが最大課題であり、労働者は将棋の駒か、家畜のような存在にすぎない。戦後、1980年代くらいまでは、労働者の生活を守ることを企業経営の目的にしていた人道的経営者もたくさんいたのだが、今は違う。
とりわけ竹中平蔵が登場して、アメリカの新自由主義思想を日本に持ち込んでから、「企業は株主を儲けさせるために存在している」という思想が定着した。
人間として生きている労働者の存在など、一切顧みられなくなった。金儲けのためなら、労働者の生活など、どうでもよくなった。だから、正社員を廃止して、首を切りやすい臨時派遣労働者に変えてしまったのだ。
まさに、日本の労働者は、限りなく奴隷の地位に近づいているのである。
今では、日本の労働者の半分が、臨時・派遣労働者に貶められている。
これをやった最大責任者が竹中平蔵であり小泉純一郎である。ちなみに、小泉の実父純也も朝鮮人疑惑が囁かれている。
竹中平蔵は、正社員制度を追放して、臨時派遣労働者制に切り替えたが、その派遣労働の最大企業、パソナの会長にちゃっかり納まった。自分が行った正社員追放で、自分が最大の利益享受者になったわけだ。これを「利益相反政治」と言う。竹中は歴史上、もっとも悪質な「利益相反=政商」と評されることになった。
アマ氏の「儒教憎悪」がどこから来るのか分からないが、文中での「儒教の影響で日本も奴隷制度が広まった」という説は、私には理解不能である。
アマ氏は「論語」のどこに、そういう思想が書かれた文言があるというのか。それ(日本の奴隷制度)は、大陸渡来の弥生人による日本支配の一環でしかなく、儒教とはまったく無関係だろう。で、弥生人は現日本人(縄文人と弥生人の混血)の祖先でもあるから、今さらその歴史上の行為を批判しても仕方が無い。儒教に関して言えば、その「徳治主義」が日本人気質(和を重んじる)の土台にもなっていると言うべきではないか。民衆のその「道徳的自治」が、上への(正当な)反抗という気質や手段を塞いだ、というのはデメリットだろうが、これは日本の今後の課題である。
その部分以外は、ここに書かれたことにほぼ同意・同感である。
(以下引用)
「人が、他人に対して優位に立ち、その他人の人生を、暴力を使って自分に都合良く利用すること」
利用対象の人の自由な人生を否定し、自分または自分の組織の利権のために利用すること……という意味を「奴隷制」の原点と認識するなら、現代における企業雇傭や、犯罪の相当部分も、実は「人を利用対象として見て、同じ人間として見ない思想」=奴隷制の上に存在していると考えることもできる。
奴隷制というものは、「他人を自分の利権のために利用してやろう」と考えた瞬間に発生するものだと言い換えることもできそうだ。
そして、アメリカや欧州では、200年前、それを国家が容認し、奴隷制を支援したのだ。人を私有財産として自由に売買することが認められていたのだ。
そこには、欧州から米大陸に移住した人々が、先住民であるネイティブを実に2000万人近く虐殺して、土地を奪ったという歴史が前段にある。
人の命を軽く見る思想の土壌がなければ、奴隷制など存在できないだろう。
アメリカが日本に原爆を落とした本当の理由は、こうした先住民大虐殺の経験と正当化から来ているともいわれ、黒人やアジア人は同じ価値を持った人間ではないという価値観があった。
ちなみに、メイフラワー号に乗ってやってきた欧州清教徒たちの正体は、実はキリスト教徒を装ったユダヤ教徒だったとの説がある。
彼ら自身がボグロムという大虐殺ジェノサイドを逃れてきたのだ。
奴隷制がなかった国家の歴史は存在しない。
日本でも、奈良時代前後には明確な奴隷制度があった。それは魏志倭人伝にさえ出てくる。
奴婢という言葉が登場するのは、卑弥呼の墓に「奴婢」が殉葬されたという記述(「卑彌呼以死・大作塚・徑百餘步・徇葬者奴婢百餘人」)があり、権力者の死のために、人が命を無理矢理差し出さねばならなかった。
また、魏への朝貢に「生口」という奴隷を送ったとの記述が出てくる。
中国における儒教の影響から、奈良時代「白丁」と称された階級が奴隷的身分だったともいわれる。白丁は朝鮮における奴隷階級の表現でもある。
平安時代、貴族や豪族の荘園労働者の大半が奴隷的身分であったことは、「安寿と厨子王」のような物語からも伺い知ることができる。
戦国時代に至っても、暴力的に駆り出された民衆が、領主のために強制労働を行わされたという意味では、当時の「領民」の地位は文句のない奴隷だった。
しかし、日本の領民には「逃散」の自由がある程度あった。アメリカ奴隷は、逃げれば捕まって拷問を受け、また見せしめに殺害された。
日本史上、最悪だったのは、ボルトガル宣教師、商人による日本女性の奴隷売買だった。
1500年代には、九州を中心に日本女性約50万人がポルトガル人によって外国に奴隷として売り飛ばされたという。
日本人女性は「奴隷」として海外に売りさばかれていた…豊臣秀吉が「キリスト教」を禁止した本当の理由
当時、日本総人口は現在の10分の1、約1200万人だったので、当時、奴隷としてポルトガル人に連れ去られた日本女性は現在に換算すると実に500万人だった。
九州では、若い女性をほとんど見かけなくなったと記録されている。
女性たちをポルトガル商人に売り飛ばしたのは、実は、当時のキリシタン大名、大村純忠・大友宗麟・有馬晴信らだったらしい。今では人格者として美化されている高山右近や小西行長の名前も出てくる。
なぜ女性たちを獣のように狩って、強制的にポルトガル人に引き渡したかというと、ポルトガル人がもたらした鉄砲と火薬が欲しかったらしい。奴隷がイエスの御心に合致したかという問いは、なぜか存在しない。
当時のポルトガル宣教使は、カトリックのキリスト教を世界に普及するため、世界中に進出したのだが、実は、本当の目的は奴隷貿易であり、人類史上、もっとも悪質な奴隷商人だったともいわれる。
江戸時代、初期は大名領主と領民の関係は、四公六民(収穫の4割を領主が取り、残りを生産者が得る)システムだったが、徳川吉宗が五公五民制度を導入し、以降は、百姓一揆が頻発するようになった。
ちなみに、現代でも1980年代までは日本の税金は三公七民だったものが、安倍晋三による消費税10%導入によって、五公五民になり、日本国民の生活は格段に苦しくなった。安倍晋三と正社員制度を否定した竹中平蔵が、庶民の生活を破壊したと断定してもよい。
ついでに書くと、こうした政府の横暴を糾弾すべきメディアの大半が、韓国人(両班系)によって支配されてしまっている。メディア韓国人(統一教会)は、自民党政権とべったり癒着し、この異常な民衆搾取が自民党によって行われていることを報道しないのだ。
この理由は、安倍晋三政権を作り、自民党を支えているのが、韓国統一教会であることによるものだ。統一教会が日本のメディアを通じて日本政治を支配しようとしてきた。広告収入を通じてメディアを支配している電通のトップも韓国人である。
少し話が逸れたが、「人を人として見ない」奴隷制の思想の上に、現代資本主義が作られている。大企業の従業員は、間違いなく企業利益のためだけに働かされている奴隷に他ならない。
企業組織では、企業の金儲けだけが最大課題であり、労働者は将棋の駒か、家畜のような存在にすぎない。戦後、1980年代くらいまでは、労働者の生活を守ることを企業経営の目的にしていた人道的経営者もたくさんいたのだが、今は違う。
とりわけ竹中平蔵が登場して、アメリカの新自由主義思想を日本に持ち込んでから、「企業は株主を儲けさせるために存在している」という思想が定着した。
人間として生きている労働者の存在など、一切顧みられなくなった。金儲けのためなら、労働者の生活など、どうでもよくなった。だから、正社員を廃止して、首を切りやすい臨時派遣労働者に変えてしまったのだ。
まさに、日本の労働者は、限りなく奴隷の地位に近づいているのである。
今では、日本の労働者の半分が、臨時・派遣労働者に貶められている。
これをやった最大責任者が竹中平蔵であり小泉純一郎である。ちなみに、小泉の実父純也も朝鮮人疑惑が囁かれている。
竹中平蔵は、正社員制度を追放して、臨時派遣労働者制に切り替えたが、その派遣労働の最大企業、パソナの会長にちゃっかり納まった。自分が行った正社員追放で、自分が最大の利益享受者になったわけだ。これを「利益相反政治」と言う。竹中は歴史上、もっとも悪質な「利益相反=政商」と評されることになった。
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