東京五輪・パラリンピックは各知事と五輪委員会の判断で、東京・千葉・埼玉・神奈川の一都三県は無観客開催とされた。その後、7月9日には北海道知事が、翌10日には福島県知事が、県内での五輪競技の無観客開催を決めた。コロナ禍が拡大している現状、この判断は妥当だろう。
東京五輪については、欧米の首脳が開会式に参加するかどうかが微妙なところとなっている。特に、菅政権が頼りとするバイデン政権は大統領と副大統領がともに公務を理由に来日せず、大統領夫人のジル・バイデン氏の参加で日程調整を進めているが、それを発表してからかなりの日数が経っている。
日系メディアではジル夫人の開会式に併せた来日を確定事項と報じているが、筆者がバイデン政権の関係者に確認したところでは、東京で誰と会うなど東京でのスケジュールは決まっておらず、「閣僚級が外国を訪問するレベルのものではない」ということだった。
様々な意味でミソがついている東京五輪について、米国はどう思っているのだろうか。それを知るために、米民主党回りで働いている米国人(日系人を除く、日本語がわかる人々)14人に話を聞いた。
彼らは日々、日本をモニターしており、それを陰に陽にバイデン政権に話している。その中には政権の方向と異なるものもあるが、バイデン政権は真摯に耳を傾ける。その事実を前にすると、改めて米国は日本と違って民主主義が徹底していると感じた。日本では、正直な意見を言っても、政府の意思と合わなければ無視されるという現実がある。
話が最初からややそれたのは、彼ら彼女らが異口同音に日本には信用できるメディアがないと言っていたからだ。
この14人の内訳を簡単に述べると、日本人男性と結婚した女性の米国人ジャーナリスト、高校生の時に日本に滞在してから日本人との関係を維持している州官僚、シンクタンクで日本を専門とする研究者、日本で数年仕事をしたことがあるビジネス関係者(弁護士や弁護士の卵を含む)、ファンド関係者、大学で日本について講義をしている大学教員などだ。
学歴で差別するつもりはないが、いずれもその道に関連した博士号や修士号を取得しており、日本によくいる「立派なふりをするなんちゃって専門家」ではない。自分の意見に対して、理論的に裏打ちされたしっかりした根拠を持っているという意味である。
まずは「日本には100%信頼できるメディアがない」という話を詳しく見ていこう。
日本には四大紙のほかに日経新聞などがあるが、彼らによれば、それは右か左に偏ることが多いという点に加えて、本質的に「政府礼賛」を前提としているため信頼できないと語った。
日経新聞は「政府のメディア」
例えば、「反政府」と言える朝日新聞にしても、パフォーマンスとしての「反安倍」「反菅」なだけで、最後は支持しているようにしか見えないと指摘する。森友・加計問題や「桜を見る会」の時も、仮にジャーナリズムの権化のような記者が問題追及で動いたならば、あやふやに終わることはなかっただろうと口を揃える。
「それでは日本経済新聞はどうか」と聞いたところ、日経平均株価(日経225)の発表母体である上に、英フィナンシャルタイムズ(FT)を買収した際に政府系金融機関(国際協力銀行)から融資してもらっているのだから、当然、政府のメディアだという認識である。彼らにすれば、FTも日本においては「政府お抱えメディア」という厳しい評価である。
このあたりは筆者としても賛同しかねるところがあるが、そう言われてみればそう感じる面がないわけでもない。
次に、東京五輪についてだが、彼らの本質的な主張は、日本国内が五輪実施で世論が割れている中、米政府がジル夫人の五輪開会式外交の詳細まで突っ込んで発表すれば、日本政府を支援することになってしまうリスクがあるということだ。このあたりの感覚は、民主主義が徹底している米国人ならではである。
また、「日本人が怒らない(デモをしない)理由がわからない」という意見も多く聞かれた。
職域接種を始めたことで、日本でもワクチン接種が進み始めたが、モデルナのワクチン数が不足していることがわかり、接種に急ブレーキがかかっている。モデルナワクチンの供給数が、当初予定の4000万回分(6月末までの数量)に満たない1370万回分しか入ってこなかったためだ。
記者会見で状況を説明した河野太郎規制改革相によれば、5月の大型連休前に6月末までの供給量が減らされることがわかっていたという。それを7月まで伏せていたことになる。しかも、接種が進むと、真面目な日本人の事務方が予想外に早く職域接種を進めたためという趣旨の発言をしたが、それが言い逃れのように聞こえたという。
観客がコロナでなくなった場合は誰が責任を取る?
また、河野規制改革相は「ワクチン接種で妊婦が不妊になるという話はデマだ」と語っているが、米国では「可能性としてある」という認識なので、「何を馬鹿な」と感じたとのことである。
いずれにせよ、五輪開始までにワクチン接種がさほど進まないことは既に判明している。このようにコロナ対策が全くうまくいっていないのに、なぜ日本人はここまで馬鹿にされても怒らないのか、日本のことをよく知っている彼らにしてもわからないようだ。
「日本人は長いものに巻かれろだから」という説明も成り立つが、コロナは命に関わる問題であり、それだけでは説明がつかないと真顔で語っていた。
BBCは、1カ月前には8割の日本人が東京五輪の中止を求めていたが、ここにきて3割程度に減っているのは「仕方がない」という雰囲気に流される日本人の性格があるという趣旨の報道をしていたが、本当にそうなのだろうか。
そして、「国民が怒らないから政府は国民を無視するのだ」と彼らは言う。米国人にとって、日本人は中国共産党を独裁者と批判するのに、なぜ日本政府がそのような傾向を帯びてきても止めようとしないかが不思議でならないのだ。確かに、米国だったらデモが起きているだろう。
彼らの意見で興味深かったのは、五輪を有観客で実施する宮城県、静岡県の知事に対する見方だ。
有観客で実施すれば、当然のことながら東京や大阪などコロナ禍の深刻なエリアから観客が来る。それが見えているのに、どの程度の過密状況になるかを科学的に検証せず、感染者が県内に来ることを認めるリスクをそれぞれの知事が考えているようには思えない点があり得ないという。
筆者は彼らに、コロナ禍での東京五輪開催については、政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長も基本的には否定的だということを説明した(誰もが知っていたのだが)。また、東京五輪・パラリンピック組織委員会の武藤敏郎事務総長の「無観客では赤字になるということも覚悟しなければならない」というコメントと、「経済効果はない」という西村経済担当大臣のコメントもそれぞれ伝えた。
すると、彼らは日本政府と感染症学者のコロナに対する評価が異なるという点を指摘した上で(多くの日本人はもちろん知っている)、有観客での開催を主張する知事はその科学的根拠を示していないと述べた。多くの感染症学者が危険性を強調している中で有観客にするのであれば、その根拠を示すべきだという主張である。
中でも興味深い意見だったのは、「今がステージ2だから」というのは良心のある政治家なら絶対に口にしないだろう、というものだ。そもそも日本はデータを正しく発表するのではなく、自分たちの都合のいい形で出す傾向が強い。それゆえに、「ステージ2」という評価を科学的な理由として持ち出すのはどうかという疑問である。
逆を言えば、「ステージ2」が突如として「ステージ4」になるリスクがどういう時に顕現化するかを語るべきなのだが、全くそれがない。
そして、彼らは言う。有観客を決めた知事が間違えてはならないのは、知事選挙で彼ら選んだ時は、コロナがこんなに日本で危険な状況になることを誰も考えなかったという点である。緊急事態対応ができる知事なのか、県民の安全を考える知事なのかという点について県民は判断していない。その知事が科学的名根拠を示すことなく権限を行使するのはおかしいという理解だ。
国立競技場飛沫シミュレーションに漏れた失笑
また、有観客を正当化するため、文部科学省が公表したスーパーコンピューター「富岳」で国立競技場における飛沫シミュレーションについて、ある女性が「笑える分析」と一笑に付していたのも印象的だ。
富岳のシミュレーションでは、市中の感染率を約0.1%と仮定し、1万人の会場に10人の感染者がいると仮定した。観客の滞在時間は4時間で、マスクをした観客が終始、前向きで会話しているという前提だ。この前提だと、後方から風が吹く条件かでは感染リスクは限りなくゼロになる。
彼女が「笑える分析」と切って捨てたのは、通常の観客の観戦態度を無視しているからだ。サッカーの試合で贔屓のチームがゴールすれば、抱き合って喜ぶものだ。興奮した観客に「前を向いて喜べ」と言ったところで無駄である。そもそもチームと観客が一体になるのがスポーツの基本だ。別の米国人も、「あり得ないコンピューターの使い方」と笑っていた。
「富岳」は高い演算能力を持つが、入力する前提を操作すればどういう結果にもなることを忘れてはならない。
ご承知の通り、日本は「なあなあ」がまかり通る国だが、そうではない米国らしい意見もあった。五輪組織委員会の橋本聖子委員長は、今は五輪大臣ではないのだから、公の立場にあるような意見を言うべきではないというものだ。北海道知事に有観客での開催をと交渉したようだが、それ自体が知事に対する無理強いと感じたという(彼日本によくある「体育会系のノリ」だったのだろうと彼は見ている)。
現状を見れば、デルタ株など変異株の感染が強いことがわかっており、世界でもコロナ再燃の気配がある。ファイザーは変異株に対応するため、3回目の接種が必要だと言い出している。その中で、万一、協議会場でコロナ感染が起き、その患者が重症化して死に至った場合、誰が責任を取るのだろうか。
「米国であれば弁護士が政府を訴えている」
レバノンに逃亡した日産自動車元会長のゴーン被告の一件があったため、(検察などが政治的な影響を受けやすいという意味で)日本政府に対するバイアスがかかっているように筆者は感じているが、「米国であれば、政府による殺人として国を訴える弁護士が出てくるはずだ」というある米国人の意見に筆者は反論ができなかった。
菅首相や知事は、そういったリスクに対する覚悟があるのだろうか。死亡した人や患者に対する損害賠償リスクを想定しているのだろうか。
しかも、海外からの観客はいないにしても、日本在住の外国籍の観客が競技場でコロナに罹患して死んだ場合、国際問題となる可能性がある。よくよく注意すべきだ。
それ以外の意見として、「有観客を決めた県は独自の感染症分析などを示すことなく、日本国が作っている指標だけで判断をしている。これは米国とは大違いだ。しかも、日本の分析は東京五輪の観客を前提としていない。プロ野球や大相撲などで経験済みだという意見もあるだろうが、東京五輪とはレベルが違う。日本人が金メダルを取った際に盛り上がって喜ぶのを抑えきれるのだろうか。『抑えろ』と命令的な抑制をできるのだろうか」というものもあった。日本人以上に日本を知っている印象だ。
こうした意見を総合すると、国民に対して「安全」な環境を提供できない国が、国民を「安心」という気持ちにさせることができるのだろうかという疑問を持たざるを得ない。
今日はもう7月15日、開会式まであと8日だ。
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