私は直観主義というか、自分の直感を信じやすい傾向があり、「シャンティ・フーラ」という名前が新興宗教臭いとか、アーロン大塚という人物の名前や顔が嫌いということで、下のような記事を目にすることがまず無いので、広く情報を渉猟している「混沌堂主人」には感謝している。もっとも、天皇に関する思想は正反対だが、それはそれ、これはこれだ。
ついでに言っておけば、私は天皇や天皇制を盲目的に支持するわけではなく、「政治システムとして優秀だ」という意見(社会や政治が腐敗と混乱の絶頂になるという「いざという時」の「伝家の宝刀」。これは日本にしかない宝刀である。)である。ただし、天皇が人格的にダメだったら、廃位して別の天皇にしていいという考えだ。(今上天皇に関しては、「何もしていない」が、それこそ象徴天皇の当然の姿勢なので、いざという時の「伝家の宝刀」にさえなればいい。)天皇の存在が日本をダメにしたという考えは愚論だと思っている。
日本国憲法下では天皇は政治的に権力を持たないし、天皇家関係にかかる費用など微々たるものである。天皇の存在が無ければ、ペリー来航の時点で、腐敗の極みにあった徳川(江戸)幕府支配の日本(幕藩体制の日本)は瓦解し、欧米の植民地になっていただろう。つまり、天皇という「伝家の宝刀」が日本を見事に救い、ほとんど無血状態で近代化に移行させたのである。ただし、それは「天皇の意志」ではなく、「天皇の存在をいかに利用するか」という、利用者の手腕の結果だ。おそらく、孝明天皇(親江戸幕府)はその目的に邪魔だったので暗殺されたと思う。天皇とは、そういう気の毒な存在でもある。
昭和天皇の場合は明治以降の長州政権によって神格化されるという「誤った天皇の在り方」から道を誤ったのであり、当時の「帝国主義の時代」の敗北者であるにすぎない。アメリカが昭和天皇の戦争責任を問わなかったのは、まさに「統治システムとしての天皇制の優秀さ」を認識し、利用する方針になったからである。
天皇嫌悪者、天皇家を殺し尽くせと言う人々は、日本という国の国宝である、そういう「伝家の宝刀」をゴミ箱に捨てろというのか? その後にはどういう「理想的(笑)政権や政治」を想定しているのだ? www
(追記)半藤一利「幕末史」より引用
なお、この顛末(注:廃藩置県の顛末)を聞いたパークスの感想がアーネスト・サトウの日記に残っています。
「欧州でこんな大変革をしようとすれば、数年間戦争をしなければなるまい。日本で、ただ一つ勅諭を発しただけで、二百七十余藩の実権を収めて国家を統一したのは、世界でも類をみない大事業であった。これは人力ではない。天祐というほかはない」
(中略)
まったくえらいこっちゃなこと(注:中略部にある司馬遼太郎談話)でした。
それぐらいの大事業であったのでしょうが、その一方でそうでもないかなと思うところもあります。なぜなら、日本人というのはそういうところがあるんです。終戦の時、あれほど断固として許さんといっていた陸軍が、天皇の詔勅が出た途端、あっという間に平伏しました。この時も同じで、力があるはずもない天皇というものの存在が、日本人のなかでいざという時にはものすごい力を発揮し、影響力をもつことがよくわかります。つまりそれが万世一系につながる天皇の畏るべき権威というものなのでしょうか。
(以下「混沌堂主人雑記(旧題)」より引用)
シャンティ・フーラ より
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