今読みかけの、あるジュブナイルSF小説の舞台が第一次大戦の当時(主人公たちは主に欧州の少年たち)なのだが、その冒頭部分を読んでいて、「なぜ第一次大戦は起こったのか」という問題と、「なぜ兵役拒否権が基本的人権として主張されないのか」という、ふたつの疑問が頭に浮かんできて、これは大きな問題だな、と思ったのでこの文章を書き始めたわけである。
後者に関しての話、まあ、誰かの創作話だろうが、昔の(ローマ時代かギリシャ時代かは知らないが)どこかの国で戦争が起こりそうになり、女たちには退避命令が出されたが、その際、「大事なものをひとつだけ所持して退避してよい」と布告された、すると女たちは自分の夫を肩に担いで退避したという。まあ、当然、その戦争はそれで回避されたのだろうと思うが、つまり、「兵士がいなければ戦争はやりようがない」ということなのである。つまり、「兵役拒否権は絶対平和を作る」ということになる。(ウクライナという国の憲法に兵役拒否権があれば、あの戦争は即座に終わっていて、兵士の半数近くかそれ以上が死ぬか障害者になるという悲劇は起こらないか最小限にとどまっていただろう。路傍を行く男を強引に徴兵するという最悪の行為も、あの戦争では有名だ。もっとも、近世の欧州では普通の行為だったようだ。)
そもそも、戦争で「誰が」利益を得るというのか。まあ、現代の女性たちが、こういう場合に自分の夫を肩に担いで逃げるかどうかという愛情の問題や体力の問題は別の話だww
「なぜ第一次大戦は起こったのか」という問題についての主な疑問は、前述の、その「戦争で誰が利益を得るのか」ということだ。だいたいが、セルビアかどこかでどこかの小国の王族が暗殺されたことで、なぜ欧州全体(アジアも含むが)がまっぷたつになって戦争しなければならないのか。それで誰がどんな利益を得るのか。
そういう合理性(経済合理性に限定してもいい)だけで考えても、戦争というのは実に不可解な現象だと思う。この「戦争の拡大」という現象の根底には「軍事同盟」が存在し、軍事同盟は戦争防止より戦争拡大の効果しかない、というのが私の解答になると思うが、詳細な考察は今後のことだ。もちろん、「戦争で利益を得る」商人、大資本家という存在が、戦争の起こる最大原因だろう。現代では「領土拡大自体は(一部の個人の利益にはなっても)国家利益にならない」というのが、理性ある人間の思考だと私は思う。日韓合併で日本は利益を得たか? 日本はかえって韓国に侵食されなかったか? イギリスとインドの関係も同じだ。
「戦争論」というと、クラウゼビッツの「戦争論」しか想起されないが、あれはおそらく「戦略論」と「戦術論」が主で、「なぜ戦争が起きるのか」「戦争にはどんな利益があるのか」という根本についての考察があるのかどうかは不明である。「戦争とは政治の一部である」という常識など事々しく言うほどでもないだろう。(「戦争とは別の形をもって行われる政治の継続である」だったか)
宗教家の中には「(基本的人権としての)兵役拒否権」を主張した人もいるかもしれないが、私は寡聞にして知らない。もし、ほとんどいないかその発言が圧殺されてきたとすれば、私の
「なぜ兵役拒否権が基本的人権として主張されないのか」
という提言(疑問)は歴史的意義があるのではないか。つまり、私の一生は、この発言(発想)だけでも意義があったということだ。兵役とは明らかに「殺されない権利(生存権という人権)」や「他者を殺すなという法的義務」への違反なのである。戦争(兵役)だけがそれらに超越するというのは人権という思想における最大の矛盾だろう。
後者に関しての話、まあ、誰かの創作話だろうが、昔の(ローマ時代かギリシャ時代かは知らないが)どこかの国で戦争が起こりそうになり、女たちには退避命令が出されたが、その際、「大事なものをひとつだけ所持して退避してよい」と布告された、すると女たちは自分の夫を肩に担いで退避したという。まあ、当然、その戦争はそれで回避されたのだろうと思うが、つまり、「兵士がいなければ戦争はやりようがない」ということなのである。つまり、「兵役拒否権は絶対平和を作る」ということになる。(ウクライナという国の憲法に兵役拒否権があれば、あの戦争は即座に終わっていて、兵士の半数近くかそれ以上が死ぬか障害者になるという悲劇は起こらないか最小限にとどまっていただろう。路傍を行く男を強引に徴兵するという最悪の行為も、あの戦争では有名だ。もっとも、近世の欧州では普通の行為だったようだ。)
そもそも、戦争で「誰が」利益を得るというのか。まあ、現代の女性たちが、こういう場合に自分の夫を肩に担いで逃げるかどうかという愛情の問題や体力の問題は別の話だww
「なぜ第一次大戦は起こったのか」という問題についての主な疑問は、前述の、その「戦争で誰が利益を得るのか」ということだ。だいたいが、セルビアかどこかでどこかの小国の王族が暗殺されたことで、なぜ欧州全体(アジアも含むが)がまっぷたつになって戦争しなければならないのか。それで誰がどんな利益を得るのか。
そういう合理性(経済合理性に限定してもいい)だけで考えても、戦争というのは実に不可解な現象だと思う。この「戦争の拡大」という現象の根底には「軍事同盟」が存在し、軍事同盟は戦争防止より戦争拡大の効果しかない、というのが私の解答になると思うが、詳細な考察は今後のことだ。もちろん、「戦争で利益を得る」商人、大資本家という存在が、戦争の起こる最大原因だろう。現代では「領土拡大自体は(一部の個人の利益にはなっても)国家利益にならない」というのが、理性ある人間の思考だと私は思う。日韓合併で日本は利益を得たか? 日本はかえって韓国に侵食されなかったか? イギリスとインドの関係も同じだ。
「戦争論」というと、クラウゼビッツの「戦争論」しか想起されないが、あれはおそらく「戦略論」と「戦術論」が主で、「なぜ戦争が起きるのか」「戦争にはどんな利益があるのか」という根本についての考察があるのかどうかは不明である。「戦争とは政治の一部である」という常識など事々しく言うほどでもないだろう。(「戦争とは別の形をもって行われる政治の継続である」だったか)
宗教家の中には「(基本的人権としての)兵役拒否権」を主張した人もいるかもしれないが、私は寡聞にして知らない。もし、ほとんどいないかその発言が圧殺されてきたとすれば、私の
「なぜ兵役拒否権が基本的人権として主張されないのか」
という提言(疑問)は歴史的意義があるのではないか。つまり、私の一生は、この発言(発想)だけでも意義があったということだ。兵役とは明らかに「殺されない権利(生存権という人権)」や「他者を殺すなという法的義務」への違反なのである。戦争(兵役)だけがそれらに超越するというのは人権という思想における最大の矛盾だろう。
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