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徽宗皇帝のブログ

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立法府は事実として国政の最高機関か
「ネットゲリラ」サイトも新コロ問題以外では、わりとまともな常連コメントも無いこともないので、時々拾い物発言がある。
積雲氏の文章は読むのが面倒くさい(あの旧漢字文語体はそういうソフトがあるという噂を聞いたが、ソフト無しで書いているなら感心する。まあ、読者に自分を偉く見せる以上の意味があるとは思わないがww)のでいつもはほとんど読まないが、下のコメントは冒頭の問題提起に惹かれて全部読んでしまった。最後の一文は意図が分からない。大蔵省批判なのか鳩山民主党批判なのか。まあ、「行政府が立法府(政権与党)を踊らせて(操って)いる」意味だろう。ただ、それは安倍政権以前の話ではないか。安倍政権が行政の官僚人事権を完全に握ってからは、与党政権の一部の人間(安倍麻生その他)が国会も行政府も恣意的に動かす、「独裁政権」になっているのである。
まあ、政治の実権がどこにあるのか、いわゆる「三権分立」は本当に機能しているのかという本質を論じることは非常に大事なことだろうと思うので、積雲氏の面倒くさい文章を転載する所以である。
私の意見は、「三権分立は機能していない」「今の日本は統一教会と日本会議とマスコミ(電通)をバックにした、一部の人間による独裁政権であり、民主国家でもなく法治国家でもない」である。国政選挙でムサシによるインチキが行われているとしたら、それでなくても無能な野党による政権交代もほぼ不可能だろう。
となると、日本の政治に国民は絶望するしかない、という結論になりそうだが、そこはやせ我慢で「絶望の虚妄なること希望に相同じい」と念仏を唱えるのみであるww

まあ、立法府が国政の最高機関であるというのは、「行政府の役人は選挙で選ばれない。つまり国民による「処罰」が不可能なので恣意的な政治を行う可能性がある」からであり、行政府の役人こそ選挙で選んではどうか、というのが一案だが、先に書いたように、政権与党が行政府の人事権を握ることで結果的に立法府が行政府より上に立ってはいる。その結果が安倍麻生菅による「不法国家」化「私物国家」化なのであるwww
つまり、「国権の最高機関」が形式的にどこであろうと、結局は最高権力者の人格如何に問題は帰するのではないか、というのを当座の結論としておく。


(以下引用)


「國權の最高機關」などと態々憲法に記述があるのは、最高でない現實があるから。さうした現實は少くとも過去にはあつたし、現在も實體として最高であるかは疑はしい。國會は省廳の翼贊機關化してをり、役所の決定に御墨附きを與へるだけの存在ではないか。野黨の働きに期待する、といふところへの反論である。倭國に野黨など存在しない、が根源的な反論だが。



小泉以前も以後も土建屋ばかりが目の敵にされて來たが、土建屋行政の縮小した現在にあつては土建屋以外にこそ監視の目が必要だらう、とは思ふ。無駄に關して大藏は全て把握してをり、夫れが鳩山民主黨の仕分け劇場の脚本として世に現はれた格好ではあるが。


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