「競争は人間を成長させる」・・・・・そうだろうか?(切磋琢磨は否定しないが・・・)
わたしの観察によれば、「競争は人間を堕落させる、あるいは愚かにする」である。
そもそも、「競争可能なもの」は、くだらないものとおよそ決まっている。(愛は競えるか?)
あるいは管理者が労働者を、悪女が男たちを競わせて思いのままに操るための手段である。
裁判官や検察官が典型的な例だが、倍率が高くなるほど質が下がるのである。
よって、「ゆとり教育」は理念としては非常に正しいものだった。
しかし、権力闘争という「競争」のせいで、正しく修正されずに、ただ否定された。
そのせいで、日本人はますますバカになっている。
経済をみても、「勝ち組」とは、競争をまぬがれる武器をもっているところであり、
まともに自由競争にはまっているところは、ワーキング・プアではないか。とくに個人は分が悪い。
100年前に夏目漱石が、仕事がますます機械化、細分化され、不具な人間をつくっていると警告していた。
「学者なんて、不具中の不具だ。専門以外は無知。学士と博士では博士のほうが物知りだと、素人は勝手に思い込んでいる」といった趣旨の話をしていた。
「労働がサルを人間に進化させた」とエンゲルスは言ったが、資本主義の発展により、労働は断片化し、逆に人間をサルにしてしまっている。
さらに娯楽。芸能やスポーツは人間をバカにする。ネットの登場で、ますますバカになっていく連中と、知識を蓄えていく連中とに二分化していっているが、「バカが多数」になるものだろう。それは、2000年前から、ローマでも中国でもそうだったのである。
人間が好きなものは獲り尽くされ、利用され、変成させられ、結局滅びる。
人間が嫌いなものも、敵視され、狩られ、滅ぼされる。
いま、「生物多様性」なんぞが、話されているが、2000年以上前に荘子が”無用の用”をとなえていた。
競争し、あくせくすることで、ひとはひとでなくなってゆく。
すでに鬼畜と化した悪魔たちは、迷いもなく鬼畜権を行使して人権を否定する。
その者たちは、自分が宣言した鬼畜の法に従わざるをえなくなり、早晩鬼畜として裁かれよう。
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