すべての若者、いや、すべての庶民に読んでもらいたい文章である。
恣意と無法が厚顔無恥に頭をもたげるのは、いつも、法律を防衛すべき任務を負う者が自分の義務を果たしていないことの確かなしるしである。そして、私法においては誰もが、それぞれの立場において法律を防衛し、自分の持ち場で法律の番人・執行者としての役割を果たすべき任務を負わされているのだ。
というイェーリングの言葉は、「法律が国民を守る」べき法治主義社会で、法律がなぜ形骸化していくか(それは民主主義がなぜ形骸化していくかと同じである。)を明確に表している。私法、すなわち私人間の法的問題に関する法律において、法律を守り、見張り、執行する主体は、実は国家ではなく当事者個人なのである。「自分は法律などに無知でも国家が何とかしてくれる」という甘い考えが、労働三法その他、労働者を守る法律を形骸化してきたし、社会全体のブラック企業化を進めてきたということだ。
私の考える「公教育の改革」では、高校段階からこうした「実践的法律知識」を必須科目として入れようか、と今思いついたのだが、若いうちから政治意識、法律意識を持つことが、これからの日本人には絶対に必要だろう。そのほか、自動車運転とか介護・保育の授業なども「あり」だろう、と私は考えている。そして、それらの「実社会と結びつく」技能にはすべて法律問題の知識がからんでくるのである。大学入試だけのための勉強という、「実社会と結びつかない」知識を生徒の頭に叩き込んで、生徒を阿呆に仕立て上げる公教育とはそろそろ決別すべき時だろう。
(以下引用)
●上西充子 - 個人 - Yahoo!ニュース - Linkis.com
キャリア教育が教えてくれない、入社後の身の守り方
上西充子 | 法政大学教授
http://linkis.com/news.yahoo.co.jp/xv7wk
2014年3月25日 16時30分
筆者の大学では昨日、卒業式があった。きつい業界であることは覚悟して、やりたい仕事を目指す者、長時間労働になりがちな業界だが、しっかり調べて選びましたという者、BtoB(Business to Business:企業間取引)のメーカーにおける堅実な働き方を選んだ者、進路はそれぞれだ。
どんな道に進むにせよ、「おかしい」と思ったら働き方を柔軟に軌道修正できる心構えを持っておきたい。これから入社する若者にお勧めしたい本が出版された。川村遼平『NOと言えない若者がブラック企業に負けず働く方法』(晶文社、2014年3月)だ。筆者の問題意識も付け加えながら、同書のポイントを紹介したい。
【NOと言えない若者】
同書の筆者の川村遼平は労働相談を行うNPO法人POSSEの事務局長。1986年生まれ、まだ20代の若者である。日々、若者からの相談に無料で対応している川村は、別稿(※1)で、被害に遭った若者が相談活動の中で発する典型的な言葉を紹介している。
「権利を主張することで同僚に迷惑をかけないか」
「会社も私の為を思ってやったのかもしれない」
「せっかく私を認めてくれた会社に出会えたから、もう少し頑張りたい」
「ブラック企業にしか入れなかった私が悪い」
筆者が日々接している学生の考え方も、よく似ている。アルバイトの違法状態、例えば不払い残業を取り上げると、身近な話題であるため学生は関心を示す。しかし違法であると分かっても彼らがまず考えるのは、「どうやったら支払ってもらえるはずだった残業代を受け取れるか」ではなく、「文句を言ったら職場の人間関係が悪くなって居づらくなるのではないか」なのだ。
彼らは何が違法なのかを全く知らないわけではない。不払い残業が違法だということぐらいはだいたいわかっている。しかし、権利を主張することによって自分に不利が跳ね返ってくるのではないか、権利を主張することはわがままではないか、と考える。権利が侵害されている状況をただ甘受することは、正義の実現のための法を萎え衰えさせてしまうことに加担することである、といった発想は、彼らにはそもそも存在しない(※2)。
権利主張の大切さを知る労働弁護士やユニオン関係者は、そういう彼らに対し、臆することなく声を上げることが大事だと語る。その話は、耳を傾ければ、彼らにも理解可能ではある。しかし、理解可能であるということと、自分がそのように行動することとの距離は、彼らにとっては非常に遠い。
【助けにならないキャリア教育】
大学で近年積極的に展開されているキャリア教育も、その距離を縮めるものではない。いや、むしろ、その距離を広げるものである場合が多いのではないか。多くの大学で展開されているキャリア教育は、非正社員としてのキャリアの困難を知り、安定雇用を獲得することの大切さを伝える内容であったり、コミュニケーション能力やチームワークなど、企業が求める人間的なスキルを理解し、それらを高めることを実践的に促す内容であったり、グローバル化に対応した企業の戦略を知り、それに向けた心構えを身に付ける内容であったりする。企業が目指す方向性、企業が求める方向性に自分を合わせることを求める内容であることが中心であるため、権利主張という逆のベクトルは、キャリア教育を通して、むしろ抑圧されがちだ。
川村は、会社に対して「NO」ということがいかに今の若者にとってハードルが高いことであるか、日々の相談から身にしみてわかっている。だからこそ、「NOと言えない」若者の心情に寄り添いながら話を進めていく。会社に「NO」と言わずに状況を改善するにはどうすればよいのか、「NO」と言わずに状況を改善することはどこまで可能なのか、「NO」と言うためにはどのような条件・戦略が必要なのか、を丁寧に解説していく。「NO」と言えない若者と権利主張が必要な状況の間の大きな溝を、丁寧に埋めていく。本書の特徴は、その丁寧な姿勢にある。
【我慢は合理的な戦略ではない場合も】
「NO」と言えない若者は、我慢して会社の期待に応えようとする。しかし川村は、「ブラック企業」においてはその戦略は合理的ではないと説く。選別して辞めさせようとする戦略をとる企業においては、我慢してもさらに追い詰められることが繰り返されるだけだ。限界まで働かせる戦略をとる企業の場合には、我慢の末に心身の調子を崩してしまい、最悪の場合は過労死・過労自殺に至る。パワハラやセクハラが横行する職場で我慢をするということは、良心を保ち続けることと両立しない。だから「我慢」以外の戦略が必要だと、川村は説く。
「あと3年、いまの仕事をいまのペースで続けることはできるか?」―それが無理そうであれば、我慢する以外の選択肢を考えるしかない。それは会社を辞めるか、会社に残って働き方を変えるか、だ。どちらも大変な道ではあるが、我慢を続けてじわりじわりと追い詰められていくよりは、いくらか「マシ」な選択肢だと川村は語る。
【法律に詳しい専門家に相談を】
「我慢」以外の戦略をとるために川村がまず勧めるのは、法律に詳しい専門家に相談することだ。「法律に詳しい」という点がポイントだろう。親やキャリアカウンセラーは、我慢が合理的な戦略ではなくなっている「ブラック企業」のひどい実態を必ずしも知らない。実態を知らないまま、従来の価値観から若者にもう一歩の我慢と努力を求めてしまうこともある。また、若者を酷使する企業や離職に追い込む企業は、しばしば精神的にも若者を追い詰める。成長のためには限界を一歩超えることが必要だとか、適性がないとか、問題は会社にあるのではなく本人にあるのだという認識の枠組みを押し付けてくる。だから、「違法かどうかよくわからない」などと躊躇せずに、自分が置かれている状況が法律的にみてどのくらいおかしいのかを知ることは、会社の異常性に慣れてしまわない「毒抜き」としても大切だという。
【争わずに辞めてもいい。しかし・・・】
川村は、つらいときには逃げたっていい、争わずに辞めてもいいと語る。ぎりぎりまで自分を追い詰めることこそが最悪の選択肢だからだ。
しかし、争わずに辞めるということさえ、認めない企業はある。仕事に穴があくことや、新しく人を雇うコストを厭い、退職を認めなかったり、退職するなら損害賠償するぞと脅したり、離職票を出さなかったり、自己都合退職扱いにされたりする。「ブラック企業」においては、「穏便に辞める」ことさえ難しいのだ。
そこでようやく川村は、「向き合う」という選択肢を提示する。最初から「争え」「闘え」ではない。川村のこの本を読みながら、筆者は下記のようなイメージ図を作ってみた。あくまで筆者のイメージ図であって、必ずしも川村の本の要約ではない。しかし、この本の記述は、このイメージ図のように、いくつもの段階を踏んだものなのだ。
川村の本を読みながら筆者が思い浮かべたイメージ図。必ずしも要約ではない。【向き合わないことにより、かえって追い詰められる】
なぜ「向き合う」ことが必要なのか。労働弁護士もユニオンも行政も、あくまで支援者であり、本人が向き合わない限り、本人のかわりになって問題を解決することはできないからだ。しかしそれだけではない。
川村は、向き合わないことが却って不安を増幅させると説く。
当事者が「穏便に辞めたい」と強く希望する場合は、我々としてもその範囲でサポートするしかないのですが、こういう状況だと、「次に会社はどんなことをしてくるのだろうか」「嫌がらせをされたらどうすればいいのだろうか」という不安が次から次へと押し寄せてきます。しかし、「争う」という最強のカードを封じられているので、こちらとしてもなかなか手の出しようがありません。法律的におかしなことをされても何もしないというのは、実はとても難易度の高い選択なのです。(p.130)
そして、向き合わないことは、相手をより攻撃的にする、と語る。
POSSEがかかわっているような現場の労使間の交渉は、法律の解釈をめぐって高説を競うような高度な次元のものではありません。法律的にも常識的にも当たり前のことを主張して、それをただきちんと実行させるというレベルがほとんどです。だから、法律的に争うといっても、その主戦場は「どちらが法律的に正しいのか」という点にはありません。「会社が労働者をあきらめさせるか、色々な資源に頼りながら労働者があきらめずにいられるか」という点にあるのです。
「こいつはちょっと手を出せばあきらめるだろう」と思われてしまうと、普通は解決できるような事案でも、会社が開き直って反対に損害賠償を請求してきたり、実家に嫌がらせをしたりと、弱いところをつかれてしまいます。「向き合う」ことを考えておかないと、そういう戦略をとられてしまうのです。
裏を返せば、会社のプレッシャーを跳ね返してあきらめずにいられさえすれば、まったくこちらの要求が通らないことはないということでもあります。日本の職場ではそれだけ違法行為が当たり前のように横行しているという悲しい事実でもありますが、だからこそ、あなたがあきらめないことは、あなたの状況を改善する上でとても大きな一歩なのです。(p.134)
だから、向き合う方法、争う方法を知っておこう、というのが本書のメッセージだ。
我慢するか、さっさと辞めるか、そのどちらかが有効である場合もあるだろう。しかし、そのどちらも有効ではない場合もある。その場合にどうすればよいのかを、あらかじめ知っておくことは無駄ではないし、むしろ、これから働こうとする若者を勇気づけるだろう。
そう思える良書である。一読をお勧めしたい。
※1
川村遼平「若者自身の『NO』に何が必要か」(日本社会教育学会編『労働の場のエンパワメント』東洋館出版社、2013年、所収)
※2
ドイツの法学者イェーリングは1872年の著作『権利のための闘争』の中でこう語っている。
「私人が何らかの事情によって――たとえば自分が権利を持つことを知らずに、または安逸と臆病から――いつまでも全く権利主張をしないでいるならば、法規は実際に萎え衰えてしまう。(中略)恣意と無法が厚顔無恥に頭をもたげるのは、いつも、法律を防衛すべき任務を負う者が自分の義務を果たしていないことの確かなしるしである。そして、私法においては誰もが、それぞれの立場において法律を防衛し、自分の持ち場で法律の番人・執行者としての役割を果たすべき任務を負わされているのだ。」(イェーリング『権利のための闘争』岩波文庫、1982年、より)
正直に言って筆者にもそういう発想はなかった。イェーリングのこの考え方を筆者に教えてくださったのは、2010年10月に筆者の授業にゲストとして来てくださった濱口桂一郎氏(ブログはこちら)である。
上西充子法政大学教授
1965年生まれ。日本労働研究機構 (現:労働政策研究・研修機構)研究員を経て、2003年から法政大学キャリアデザイン学部教員。共著に『大学のキャリア支援』『就職活動から一人目の組織人まで』など。共訳書にOECD編著『若者の能力開発-働くために学ぶ』。2013年9月よりブラック企業対策プロジェクトの就職・教育ユニットに参加。「ブラック企業の見分け方」「企業の募集要項、見ていますか?-こんな記載には要注意!-」の2冊の無料PDF冊子を共著。http://bktp.org/downloads
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@mu0283
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