「ギャラリー酔いどれ」経由で「長周新聞」記事の一部を転載。
日米開戦に至る経緯が、「学校教科書」の言わない部分(支配層の本音)も含めて、明確に描かれている。第二次世界大戦の戦争経緯を決めた要因の一つが、当時の社会主義の勃興に対する富裕層(それは当然、政治支配層でもある)の恐怖にあったことを、今の人間は知らない。
現代の若者の99%は、絶対に富裕層には属していないのである。にも関わらず、富裕層の主張の尻馬に乗って、社会主義的主張を批判し嫌悪するのはなぜか。それは、いつかは自分も富裕層の一員になれるかも、というはかない希望のため、そして、富裕層の味方をすれば、そのおこぼれを与えてもらえるだろう、という下劣な動機のためである。まあ、我が身大事なのは誰でもそうだから、それを非難はできない。しかし、奴隷であろうとも、表面的には主人に従っていても、心の中だけでも反抗心は持っていたいものだ。精神まで奴隷であっては生きる価値も無い、と私は思う。
というわけで、第二次世界大戦を資本主義対共産主義(あるいは社会主義)の精神的対立の面から見ると、大戦後の世界政治も水面下での戦争の継続にすぎなかったことが分かってくる。だが、ソ連の解体によってその「水面下の戦争」は終わり、敵を失った富裕層は新たに、「テロとの戦争」という自作自演路線に切り替えていったわけである。
さて、本当に世界的に社会主義は息の根を止められたか。そこが私が興味を持つ部分だ。もちろん、共産主義となると、それはファンタジーにすぎないが、社会主義(必ずしもマルキシズムではない)は、むしろこれから世界的政治潮流になるような気がする。実際、南米ではそういう気配があるようだ。
(以下引用)
☆中国戦線で大敗北 既に日本支配層は危機・余力失う日本軍
司会 8・15敗戦というとき、日本帝国主義の敗北の必然性が1つの問題だ。
その流れを追ってみたい。
A 明治維新以後の日本資本主義の特質がある。
明治維新で、日本は封建制から資本主義の道に入った。
欧米に比べて資本主義発展の基礎がひ弱なもとで、
天皇を権力の頂点に祭り上げた絶対主義的な権力をもって上からの資本主義化を進めた。
このもとで、農民はプロレタリア化し、
ブルジョアジーとプロレタリアートの矛盾が新たに起きる。
同時に地主階級と農民の矛盾がある。こうして、生産力は急速に発展するが、
市場はひじょうに狭隘だ。したがって日清、日露をはじめ侵略につぐ侵略をやり、
ひじょうに好戦的な性質をもった。
これが1929(昭和4)年の大恐慌後に、満州事変から日中全面戦争に突き進んだ。
この侵略戦争が中国人民の抗日戦争で、打ち負かされる。
このなかで、太平洋戦争に進んでいった。
E 中国戦線に送られた日本軍の総兵力は、当時の全兵力の、7割をこえる120万人。
八路軍、新四軍は日本軍の後方で遊撃戦を展開、非占領地内に解放区を広げた。
侵略1年後38年秋には、日本軍は主要都市とそれを結ぶ鉄道、
つまり点と線を保持しているだけで、侵攻作戦をつづける余力はなくしていた。
「3カ月で片づける」といっていた日本支配層にとって、
中国人民あげての抗戦は想定外だった。
C 日米開戦年当時、中国戦線での戦死者はすでに18万5000人を数え、
勝利の見込みは完全に断ち切られていた。
戦争の長期化は1938年の世界恐慌による打撃も加わって
政治、経済、軍事の全面で、日本支配層はのっぴきならない危機に追い込まれた。
☆米国は帝国主義国占領企む
D 中国やアジアでの日本帝国主義と被抑圧民族の侵略、反侵略をめぐる戦争は、
米英仏蘭との帝国主義間の戦争とは性質が違う。
しかも日本とアメリカとの戦争は古いパターンの市場争奪ではなかった。
アメリカは日本という帝国主義国を侵略・占領する計画を持っていた。
A 日本侵攻作戦計画「オレンジプラン」だ。
早くも1911年段階には、「米国は独力で日本を満州から撤退させるべく、
大陸への介入ではなく海上の作戦によって、戦うことになるだろう。それによって、
制海権を握り、失地を回復し、日本の通商路を抑え息の根をとめることになるだろう」
「日本の極限的な通商上の孤立が、日本を最終的な窮乏と疲弊に追い込む」と書いている。
中国の権益を奪うために日本を占領し、基地にするという構想だ。
1923年には、「日本を取り囲む全海域を制圧し、封鎖作戦に相当するものを実施し、
日本領の遠隔の島島を残らず攻略・占領することによって日本を孤立させ、
その領土に空襲をかけて圧力を加える」ことが追加された。
B 第1次大戦と第2次大戦の違い、時代の違いを見ておく必要がある。
20世紀に入って、帝国主義による世界市場の分割が終了して
ロシア革命が勝利するなかで、社会主義を中心にして世界のプロレタリアートが
被抑圧民族を予備軍として帝国主義列強と対決する。こういう時代に入った。
それまで、植民地は帝国主義の後方地としての位置にあった。
それがロシア革命以後、被抑圧民族の民族解放運動がプロレタリア革命の予備軍になった。
それを中国革命が実証した。
D 当時、社会主義ソ連の権威はすごかった。
ロシア革命以後、日本を含めて世界の人民の運動は革命的に高揚した。
そういう大きな時代背景、労働者階級と人民、被抑圧民族が押している
という状況があって、帝国主義間争奪がやられている。
だから引き金になったのは1929年の大恐慌だが、
それがあれだけの大戦に突っ込んでいった背景には、
各国の帝国主義支配階級が各国の革命をひじょうに恐れたことがある。
帝国主義列強の共通の目的はまずソ連をつぶすこと、
社会主義をつぶし、民族解放斗争をぶっつぶすというのが基本だった。
帝国主義と社会主義、それに中国を代表とする民族解放斗争との大激突が基本的な原動力だ。
☆米国との戦争選択 日本支配層・北進ではなく南進
司会 そうしたなかで、日本の支配層の対米戦争の選択があった。その経緯はどうか。
C 1940(昭和15)年、近衛内閣が日独伊3国同盟を結び、
ソ連と戦争するのではなく、北部仏印(ベトナム)に侵攻、
アメリカの、蒋介石への戦略物資の支援ルートを断つ方向へと進んだ。
これで、アメリカとの戦争は、避けられないものとなった。
「北進か南進か」の論争があったが、結局のところ南進にいった。
中国であれだけやられた。ソ連と戦争をしてもまったく見込みがない
というのは39年のノモンハン事件で痛い目にあったことで実証されている。
中国に負けたままでは、天皇の権威は崩壊だ。ソ連に負けることは直接革命につながる。
天皇の側はヒットラーほどイデオロギーに忠実ではない。実利とわが身の安泰を選んだ。
D これに対して、アメリカは日本が到底受け入れられない「支那派遣軍総引き揚げ」を要求する。
アメリカは中国での市場権益を最大狙っていた。
日本を撤退させて蒋介石を通じてそれを握るというものだ。
日本政府がそれを拒否したことから、アメリカは41年8月、日米通商航海条約を破棄し、
在米資産凍結、航空用ガソリン、くず鉄の対日輸出禁止などの経済制裁を加え、
日本からの一撃を待って開戦する準備をととのえた。
アメリカの経済制裁はその当時から戦争の常とう手段だ。
同時に、アメリカの防衛水域に入ってくる枢軸国の艦船には攻撃してもよい
という大統領の許可を出す。もう戦争ははじまっているのだ。
他方では対ソ経済援助をはじめる。
満州事変のころのリットン調査団は、まだ日本に好意的な報告書を出していた。
対ソ攻撃に日本を使おうという腹があった。
アメリカとしては日本が中国への全面侵略を開始した時点で、
日本を滅ぼして占領するしかないと判断していたと思う。オレンジプランは動き出していた。
E そして、真珠湾奇襲を待ってましたとばかりに、戦争に国力を総動員していく。
B アメリカと日本の経済力はダントツの差があった。
国民総生産で見ても日本はアメリカの16分の1だ。
当時の日本の最大の貿易相手国はアメリカだ。
石油、鉄、工作機械は80~90%依存している状態。
三菱総帥の岩崎小弥太は敗戦を見越して、アメリカといっしょにやらねばだめだといっている。
A 天皇をはじめ、日本の戦争指導者にはアメリカとの戦争で、勝算の見込みはなかった。
山本五十六は1年しか持たないと見ていたし、永野修身海軍大将は
「日本海海戦の如き大勝は勿論、勝ちうるや否もおぼつかなし」と天皇に告げていた。
それでも、アメリカとの戦争に突っ込んだのはなぜかということだ。
日米開戦に至る経緯が、「学校教科書」の言わない部分(支配層の本音)も含めて、明確に描かれている。第二次世界大戦の戦争経緯を決めた要因の一つが、当時の社会主義の勃興に対する富裕層(それは当然、政治支配層でもある)の恐怖にあったことを、今の人間は知らない。
現代の若者の99%は、絶対に富裕層には属していないのである。にも関わらず、富裕層の主張の尻馬に乗って、社会主義的主張を批判し嫌悪するのはなぜか。それは、いつかは自分も富裕層の一員になれるかも、というはかない希望のため、そして、富裕層の味方をすれば、そのおこぼれを与えてもらえるだろう、という下劣な動機のためである。まあ、我が身大事なのは誰でもそうだから、それを非難はできない。しかし、奴隷であろうとも、表面的には主人に従っていても、心の中だけでも反抗心は持っていたいものだ。精神まで奴隷であっては生きる価値も無い、と私は思う。
というわけで、第二次世界大戦を資本主義対共産主義(あるいは社会主義)の精神的対立の面から見ると、大戦後の世界政治も水面下での戦争の継続にすぎなかったことが分かってくる。だが、ソ連の解体によってその「水面下の戦争」は終わり、敵を失った富裕層は新たに、「テロとの戦争」という自作自演路線に切り替えていったわけである。
さて、本当に世界的に社会主義は息の根を止められたか。そこが私が興味を持つ部分だ。もちろん、共産主義となると、それはファンタジーにすぎないが、社会主義(必ずしもマルキシズムではない)は、むしろこれから世界的政治潮流になるような気がする。実際、南米ではそういう気配があるようだ。
(以下引用)
☆中国戦線で大敗北 既に日本支配層は危機・余力失う日本軍
司会 8・15敗戦というとき、日本帝国主義の敗北の必然性が1つの問題だ。
その流れを追ってみたい。
A 明治維新以後の日本資本主義の特質がある。
明治維新で、日本は封建制から資本主義の道に入った。
欧米に比べて資本主義発展の基礎がひ弱なもとで、
天皇を権力の頂点に祭り上げた絶対主義的な権力をもって上からの資本主義化を進めた。
このもとで、農民はプロレタリア化し、
ブルジョアジーとプロレタリアートの矛盾が新たに起きる。
同時に地主階級と農民の矛盾がある。こうして、生産力は急速に発展するが、
市場はひじょうに狭隘だ。したがって日清、日露をはじめ侵略につぐ侵略をやり、
ひじょうに好戦的な性質をもった。
これが1929(昭和4)年の大恐慌後に、満州事変から日中全面戦争に突き進んだ。
この侵略戦争が中国人民の抗日戦争で、打ち負かされる。
このなかで、太平洋戦争に進んでいった。
E 中国戦線に送られた日本軍の総兵力は、当時の全兵力の、7割をこえる120万人。
八路軍、新四軍は日本軍の後方で遊撃戦を展開、非占領地内に解放区を広げた。
侵略1年後38年秋には、日本軍は主要都市とそれを結ぶ鉄道、
つまり点と線を保持しているだけで、侵攻作戦をつづける余力はなくしていた。
「3カ月で片づける」といっていた日本支配層にとって、
中国人民あげての抗戦は想定外だった。
C 日米開戦年当時、中国戦線での戦死者はすでに18万5000人を数え、
勝利の見込みは完全に断ち切られていた。
戦争の長期化は1938年の世界恐慌による打撃も加わって
政治、経済、軍事の全面で、日本支配層はのっぴきならない危機に追い込まれた。
☆米国は帝国主義国占領企む
D 中国やアジアでの日本帝国主義と被抑圧民族の侵略、反侵略をめぐる戦争は、
米英仏蘭との帝国主義間の戦争とは性質が違う。
しかも日本とアメリカとの戦争は古いパターンの市場争奪ではなかった。
アメリカは日本という帝国主義国を侵略・占領する計画を持っていた。
A 日本侵攻作戦計画「オレンジプラン」だ。
早くも1911年段階には、「米国は独力で日本を満州から撤退させるべく、
大陸への介入ではなく海上の作戦によって、戦うことになるだろう。それによって、
制海権を握り、失地を回復し、日本の通商路を抑え息の根をとめることになるだろう」
「日本の極限的な通商上の孤立が、日本を最終的な窮乏と疲弊に追い込む」と書いている。
中国の権益を奪うために日本を占領し、基地にするという構想だ。
1923年には、「日本を取り囲む全海域を制圧し、封鎖作戦に相当するものを実施し、
日本領の遠隔の島島を残らず攻略・占領することによって日本を孤立させ、
その領土に空襲をかけて圧力を加える」ことが追加された。
B 第1次大戦と第2次大戦の違い、時代の違いを見ておく必要がある。
20世紀に入って、帝国主義による世界市場の分割が終了して
ロシア革命が勝利するなかで、社会主義を中心にして世界のプロレタリアートが
被抑圧民族を予備軍として帝国主義列強と対決する。こういう時代に入った。
それまで、植民地は帝国主義の後方地としての位置にあった。
それがロシア革命以後、被抑圧民族の民族解放運動がプロレタリア革命の予備軍になった。
それを中国革命が実証した。
D 当時、社会主義ソ連の権威はすごかった。
ロシア革命以後、日本を含めて世界の人民の運動は革命的に高揚した。
そういう大きな時代背景、労働者階級と人民、被抑圧民族が押している
という状況があって、帝国主義間争奪がやられている。
だから引き金になったのは1929年の大恐慌だが、
それがあれだけの大戦に突っ込んでいった背景には、
各国の帝国主義支配階級が各国の革命をひじょうに恐れたことがある。
帝国主義列強の共通の目的はまずソ連をつぶすこと、
社会主義をつぶし、民族解放斗争をぶっつぶすというのが基本だった。
帝国主義と社会主義、それに中国を代表とする民族解放斗争との大激突が基本的な原動力だ。
☆米国との戦争選択 日本支配層・北進ではなく南進
司会 そうしたなかで、日本の支配層の対米戦争の選択があった。その経緯はどうか。
C 1940(昭和15)年、近衛内閣が日独伊3国同盟を結び、
ソ連と戦争するのではなく、北部仏印(ベトナム)に侵攻、
アメリカの、蒋介石への戦略物資の支援ルートを断つ方向へと進んだ。
これで、アメリカとの戦争は、避けられないものとなった。
「北進か南進か」の論争があったが、結局のところ南進にいった。
中国であれだけやられた。ソ連と戦争をしてもまったく見込みがない
というのは39年のノモンハン事件で痛い目にあったことで実証されている。
中国に負けたままでは、天皇の権威は崩壊だ。ソ連に負けることは直接革命につながる。
天皇の側はヒットラーほどイデオロギーに忠実ではない。実利とわが身の安泰を選んだ。
D これに対して、アメリカは日本が到底受け入れられない「支那派遣軍総引き揚げ」を要求する。
アメリカは中国での市場権益を最大狙っていた。
日本を撤退させて蒋介石を通じてそれを握るというものだ。
日本政府がそれを拒否したことから、アメリカは41年8月、日米通商航海条約を破棄し、
在米資産凍結、航空用ガソリン、くず鉄の対日輸出禁止などの経済制裁を加え、
日本からの一撃を待って開戦する準備をととのえた。
アメリカの経済制裁はその当時から戦争の常とう手段だ。
同時に、アメリカの防衛水域に入ってくる枢軸国の艦船には攻撃してもよい
という大統領の許可を出す。もう戦争ははじまっているのだ。
他方では対ソ経済援助をはじめる。
満州事変のころのリットン調査団は、まだ日本に好意的な報告書を出していた。
対ソ攻撃に日本を使おうという腹があった。
アメリカとしては日本が中国への全面侵略を開始した時点で、
日本を滅ぼして占領するしかないと判断していたと思う。オレンジプランは動き出していた。
E そして、真珠湾奇襲を待ってましたとばかりに、戦争に国力を総動員していく。
B アメリカと日本の経済力はダントツの差があった。
国民総生産で見ても日本はアメリカの16分の1だ。
当時の日本の最大の貿易相手国はアメリカだ。
石油、鉄、工作機械は80~90%依存している状態。
三菱総帥の岩崎小弥太は敗戦を見越して、アメリカといっしょにやらねばだめだといっている。
A 天皇をはじめ、日本の戦争指導者にはアメリカとの戦争で、勝算の見込みはなかった。
山本五十六は1年しか持たないと見ていたし、永野修身海軍大将は
「日本海海戦の如き大勝は勿論、勝ちうるや否もおぼつかなし」と天皇に告げていた。
それでも、アメリカとの戦争に突っ込んだのはなぜかということだ。
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