雁屋哲氏のブログより。一部の人間にとっては常識だが、マスコミにはほとんど載らないため、日本人の大半は知らない事実を書いてある。昭和天皇の戦争責任問題と、沖縄米軍基地への天皇関与を示す事実である。さらには、太平洋戦争開戦のすぐ後に、米政府が日本占領支配計画を立てていたこと。これは、太平洋戦争(日米戦争)がアメリカの意思で始められたという「陰謀論」の傍証としても考えられるだろう。もちろん、「陰謀論」とは、支配者にとって都合の悪い論説を圧殺するための常套手段的レッテルである。
(以下引用)
前置きが長くなってしまった。
鳩山首相の辞任の話をしたかったのだ。
私は、鳩山由紀夫氏が辺野古の問題を解決しようとした事を、氏が選挙目当てに嘘を言ったものだ、とは考えない。
私は、鳩山由紀夫氏は善意の人だったと思う。
ただ、辺野古問題は、上に書いた、竹の子みたいな物だったのではないか。
氏は、掘ろうと思えば掘れると思った。
ところが、どっこい、地下の根は複雑に入り組んでいて、しかも強力で、魑魅魍魎も跋扈していて、とても掘れない。
私たちの場合は、悪戦苦闘の末に、竹の子を掘り出すことは出来たが、氏は出来なかった。長濱義和さんの使ったような、兇悪な竹の根も断ちきることの出来る刃の長いクワを鳩山由紀夫氏は持っていなかった。
氏を妨げた物は、端的に言えば、アメリカが日本の社会に張り巡らした醜悪な竹の根である。
アメリカは日本中に根を張っていて、日本人がちょっと形の良い竹の子を掘ろうとすると邪魔をする。
ときには、掘ろうとした人間の社会的生命を葬ってしまう。
今回も、鳩山由紀夫氏はアメリカの張り巡らした節だらけの根に掴まって負けた。
氏は、次の総選挙にも出馬しないという。実質的に政治家生命は絶たれてしまった。
アメリカに逆らうとこうなる、と言うことが分かって、今度首相になった菅直人氏は勿論、これから誰が総理大臣になっても、沖縄に限らず日本の在日米軍基地に対して文句を言うことはないだろう。
話を続ける前に、今までに書いたことの中で、事実関係をきちんと示していない部分があったので、そこを補足する。
まず5月4日に書いた昭和天皇と沖縄の問題である。
敗戦後、昭和天皇の御用掛を勤めた寺崎英成という人物がいる。
その寺崎英成の残した「昭和天皇独白録」が1990年に発見され、それを文藝春秋社が発表し、当時大きな反響を巻き起こした。
「昭和天皇独白録」については、さまざまな研究書が出ている。
結果として、「昭和天皇独白録」は昭和天皇による自己弁護の書である。
当時の連合軍司令官マッカーサーは、天皇を日本支配の道具として使いたいと考えていた。
じつはこれは、マッカーサー個人の考えではない。
加藤哲郎・一橋大学教授が米国国立公文書館で発見した機密文書「Japan Plan」という物がある。
下記のページに、教授の詳しい記述が記載されているのでお読み頂きたい。
http://homepage3.nifty.com/katote/JapanPlan.html
これは、1942年6月3日の日付で作られた物である。
この中で、アメリカは既に戦後日本をどう取り扱うか構想を立てていた。
その構想とは、戦後、「天皇を平和の象徴として利用する」という戦略だった。
1942年6月と言えば、真珠湾攻撃からまだ半年しか経っていない。
その時期に、すでにアメリカは戦後の日本の取り扱いについての構想を立てていたのだ。
それも、思いこみによる構想ではない。日本を良く研究した上で、日本国民をどう取り扱えば占領政策が上手く行くか、論じているのである。
日本の指導者たちが、悠久の大義に生きるとか、皇道精神などと、現実離れしたことを譫言のようにいっている時に、アメリカは戦後の計画を冷静緻密冷徹に計画を立てていたのである。自分たちが勝つことを当然と考えている。
これだけ頭の程度に差があっては、戦争に勝てる訳がない。
当時の日本の指導者たちは、アメリカの指導者たちに比べると、正に精神年齢12歳の子供同然であったことが、この文書を読むと痛感させられて、実に悲しくなる。
アメリカは最初から天皇を傀儡として使うつもりだったから、「東京裁判」に引っ張り出されて有罪にされたら困る。昭和天皇に戦争責任がない形にする必要がある。
そこで、寺崎英成がアメリカ側の意を体して、同時に昭和天皇自身が欲した保身のための術として作り上げたのが「昭和天皇独白録」である。天皇が東京裁判に引き出されるのを防ぐのが目的の弁明書だから、一般の目に触れることはなかった。
その「昭和天皇独白録」は1991年に、文藝春秋社から、半藤一利氏の解説を付けて発売された。
同書には「寺崎英成・御用掛日記」も加えられた。これは、寺崎英成の残した1945年8月15日から、1948年2月15日までの日記である。
その1947年9月19日の記録に、次のような一文がある。
「シーボルトに会ふ 沖縄の話 元帥に今日話すべしと云ふ 余の意見を聞けり 平和条約にいれず 日米間の条約にすべし」
これだけでは何のことだか分からないが、1979年にアメリカの公文書館で発見された文書が、一体それがどう言うことだったのか示した。
この文書は沖縄公文書館がそのコピーを入手し、以下のホームページで公開しているので、一度見て頂きたい。
http://www.archives.pref.okinawa.jp/collection/2008/03/post-21.html
そのページを開くと、その文書の内容についての簡単な説明があり、最後にPDF画像(2頁)と書かれている。
そこをクリックすると、原文のコピーが出て来る。
これは、マッカーサーの政治顧問のSebaldが、1947年9月20日づけで当時の国務長官マーシャルに宛てた手紙で、寺崎英成が、マッカーサーに伝えた天皇の言葉を報告した物である。
寺崎が伝えた天皇の言葉は、大略すれば次の通りである。
1.天皇はアメリが、沖縄と琉球諸島の軍事的占領を続けることを望む。
2.天皇は、アメリカの沖縄(必要であれば他の島々も)の軍事的占領は、主権は日本のままで、25年から50年またはそれ以上の長期リースの形で行われるのが良いと言った。
3.寺崎氏は、アメリが沖縄とその他の島々を、軍事的基地として獲得する権利は、日本とアメリカ二国間の条約とするべきで、連合国との平和条約の一部とするべきでない、と言った。
(主語は寺崎氏となっているが、この文書の性格として天皇の言葉を伝える物だから、この言葉も天皇の物と考えるのが自然だろう)
このような一次資料を基にして、私は5月4日の日記の中で、沖縄をアメリカの基地にしたのは昭和天皇である、と書いたのだ。
無責任な憶測でも、噂話の又聞きで書いたのでもない。
事実が文書としてこうして残っていて、みんなが良く知っているのに、みんなが、言わないようにしている。
正しい事実を公に論じることをしない日本という国は、不思議な国なのだ。
天皇が、戦争犯罪に問われなかったのは、戦争は天皇が自分の意志で始めたのではなかったからだという理由による物ではなかったか。それを主張する物が「昭和天皇独白録」である。
戦争犯罪を問われそうになると、自分は立憲君主だから部下の言う事を認可してきただけで、主体的に戦争を指導したのではないと言った昭和天皇が、戦争が負けたら相手の国の元帥に、沖縄をずっと占領していてくれなど主体的に言う。
こう言うことが許されるのだから、日本は不思議な国だ。
米軍が沖縄を占領し続けることを天皇が主体的にアメリカに頼んでいるのである。
具合が悪いと、それは部下がしたことで自分は知らないと云い、自分の命に関わってくるところになると相手の元帥に自分の国を民ごと切り渡して与える。
しかも、他の国にはやらない、君だけにやるんだから、後はよろしく頼むよ、と言う。
先に挙げた「昭和天皇独白録」「寺崎英成御用掛日記」(文藝春秋社刊)の259ページに、秦郁彦教授が、マッカーサー記念館の「総司令官ファイル」の中から発掘した文書として、寺崎英成と思われる政府高官が伝えた天皇の言葉が記されている。
それによると
「(前略)日本人の国民性には美点も多いが欠陥もあるから、占領は長期間つづくほうが望ましいと、陛下は感じている」
昭和天皇自らが、アメリカの支配を望むと仰言られたのだ。
どうして、下々の人間が天皇陛下のお言葉に反することが出来ようか。
その陛下の有り難い大御心を奉じたてまつって、アメリカは日本占領をいまだに続け、以来ずっと日本はアメリカの奴隷であり続けているのである。
沖縄戦では、多くの沖縄の人間が犠牲になった。
犠牲になった人達は、皇国のため(すなわち、天皇のため)に戦いに追いやられて亡くなったのである。
昭和天皇はそのような、自分のために死んだ沖縄の人達に思いを寄せることなく、その土地をアメリカに献上した。
その昭和天皇の大御心の有り難さを噛みしめれば、辺野古の問題で反対したりするのは非国民なのである。
「うみゆかば、みづくかばね、やまゆかば、くさむすかばね
おおきみの へにこそしなめ かへりみはせじ」
この、歌の文句を骨の髄までしみこませて、天皇陛下の御稜威(みいつ)をかしこみ、かしこみ、有り難いと思ってこそ日本人なのだ。
昭和天皇が、沖縄はアメリカにやると仰言っているのだ。
我々、下民が、天皇のお言葉に逆らって、辺野古問題を云々するだけで、実に不敬の極み、それどころか大逆犯である。
我々日本人は、昭和天皇のお言葉を心に刻んで信条としなければならない。
従って、沖縄の米軍基地に反対する者は、昭和天皇のご意志に反する者であるから、万死に値するのである。
沖縄の基地問題は昭和天皇が作った、と言う私の言葉が、事実に基いた物であることを示したところで、この続きは次回にする。
余り長いのは、読む方も辛いという文句を貰ったからである。
次回は、自民党政府、日本の新聞、マスコミなどが、アメリカのために奉仕してきたことを、やはり、事実を元にして語りたい。
そこをきちんと踏まえないと、沖縄の問題を語っても意味がない。
どうして、新聞などのマスコミが、アメリカべったりで、鳩山由紀夫氏を首相の座から引きずり下ろしたのか、それは、1950年まで遡らないと分からないのだ。
(以下引用)
前置きが長くなってしまった。
鳩山首相の辞任の話をしたかったのだ。
私は、鳩山由紀夫氏が辺野古の問題を解決しようとした事を、氏が選挙目当てに嘘を言ったものだ、とは考えない。
私は、鳩山由紀夫氏は善意の人だったと思う。
ただ、辺野古問題は、上に書いた、竹の子みたいな物だったのではないか。
氏は、掘ろうと思えば掘れると思った。
ところが、どっこい、地下の根は複雑に入り組んでいて、しかも強力で、魑魅魍魎も跋扈していて、とても掘れない。
私たちの場合は、悪戦苦闘の末に、竹の子を掘り出すことは出来たが、氏は出来なかった。長濱義和さんの使ったような、兇悪な竹の根も断ちきることの出来る刃の長いクワを鳩山由紀夫氏は持っていなかった。
氏を妨げた物は、端的に言えば、アメリカが日本の社会に張り巡らした醜悪な竹の根である。
アメリカは日本中に根を張っていて、日本人がちょっと形の良い竹の子を掘ろうとすると邪魔をする。
ときには、掘ろうとした人間の社会的生命を葬ってしまう。
今回も、鳩山由紀夫氏はアメリカの張り巡らした節だらけの根に掴まって負けた。
氏は、次の総選挙にも出馬しないという。実質的に政治家生命は絶たれてしまった。
アメリカに逆らうとこうなる、と言うことが分かって、今度首相になった菅直人氏は勿論、これから誰が総理大臣になっても、沖縄に限らず日本の在日米軍基地に対して文句を言うことはないだろう。
話を続ける前に、今までに書いたことの中で、事実関係をきちんと示していない部分があったので、そこを補足する。
まず5月4日に書いた昭和天皇と沖縄の問題である。
敗戦後、昭和天皇の御用掛を勤めた寺崎英成という人物がいる。
その寺崎英成の残した「昭和天皇独白録」が1990年に発見され、それを文藝春秋社が発表し、当時大きな反響を巻き起こした。
「昭和天皇独白録」については、さまざまな研究書が出ている。
結果として、「昭和天皇独白録」は昭和天皇による自己弁護の書である。
当時の連合軍司令官マッカーサーは、天皇を日本支配の道具として使いたいと考えていた。
じつはこれは、マッカーサー個人の考えではない。
加藤哲郎・一橋大学教授が米国国立公文書館で発見した機密文書「Japan Plan」という物がある。
下記のページに、教授の詳しい記述が記載されているのでお読み頂きたい。
http://homepage3.nifty.com/katote/JapanPlan.html
これは、1942年6月3日の日付で作られた物である。
この中で、アメリカは既に戦後日本をどう取り扱うか構想を立てていた。
その構想とは、戦後、「天皇を平和の象徴として利用する」という戦略だった。
1942年6月と言えば、真珠湾攻撃からまだ半年しか経っていない。
その時期に、すでにアメリカは戦後の日本の取り扱いについての構想を立てていたのだ。
それも、思いこみによる構想ではない。日本を良く研究した上で、日本国民をどう取り扱えば占領政策が上手く行くか、論じているのである。
日本の指導者たちが、悠久の大義に生きるとか、皇道精神などと、現実離れしたことを譫言のようにいっている時に、アメリカは戦後の計画を冷静緻密冷徹に計画を立てていたのである。自分たちが勝つことを当然と考えている。
これだけ頭の程度に差があっては、戦争に勝てる訳がない。
当時の日本の指導者たちは、アメリカの指導者たちに比べると、正に精神年齢12歳の子供同然であったことが、この文書を読むと痛感させられて、実に悲しくなる。
アメリカは最初から天皇を傀儡として使うつもりだったから、「東京裁判」に引っ張り出されて有罪にされたら困る。昭和天皇に戦争責任がない形にする必要がある。
そこで、寺崎英成がアメリカ側の意を体して、同時に昭和天皇自身が欲した保身のための術として作り上げたのが「昭和天皇独白録」である。天皇が東京裁判に引き出されるのを防ぐのが目的の弁明書だから、一般の目に触れることはなかった。
その「昭和天皇独白録」は1991年に、文藝春秋社から、半藤一利氏の解説を付けて発売された。
同書には「寺崎英成・御用掛日記」も加えられた。これは、寺崎英成の残した1945年8月15日から、1948年2月15日までの日記である。
その1947年9月19日の記録に、次のような一文がある。
「シーボルトに会ふ 沖縄の話 元帥に今日話すべしと云ふ 余の意見を聞けり 平和条約にいれず 日米間の条約にすべし」
これだけでは何のことだか分からないが、1979年にアメリカの公文書館で発見された文書が、一体それがどう言うことだったのか示した。
この文書は沖縄公文書館がそのコピーを入手し、以下のホームページで公開しているので、一度見て頂きたい。
http://www.archives.pref.okinawa.jp/collection/2008/03/post-21.html
そのページを開くと、その文書の内容についての簡単な説明があり、最後にPDF画像(2頁)と書かれている。
そこをクリックすると、原文のコピーが出て来る。
これは、マッカーサーの政治顧問のSebaldが、1947年9月20日づけで当時の国務長官マーシャルに宛てた手紙で、寺崎英成が、マッカーサーに伝えた天皇の言葉を報告した物である。
寺崎が伝えた天皇の言葉は、大略すれば次の通りである。
1.天皇はアメリが、沖縄と琉球諸島の軍事的占領を続けることを望む。
2.天皇は、アメリカの沖縄(必要であれば他の島々も)の軍事的占領は、主権は日本のままで、25年から50年またはそれ以上の長期リースの形で行われるのが良いと言った。
3.寺崎氏は、アメリが沖縄とその他の島々を、軍事的基地として獲得する権利は、日本とアメリカ二国間の条約とするべきで、連合国との平和条約の一部とするべきでない、と言った。
(主語は寺崎氏となっているが、この文書の性格として天皇の言葉を伝える物だから、この言葉も天皇の物と考えるのが自然だろう)
このような一次資料を基にして、私は5月4日の日記の中で、沖縄をアメリカの基地にしたのは昭和天皇である、と書いたのだ。
無責任な憶測でも、噂話の又聞きで書いたのでもない。
事実が文書としてこうして残っていて、みんなが良く知っているのに、みんなが、言わないようにしている。
正しい事実を公に論じることをしない日本という国は、不思議な国なのだ。
天皇が、戦争犯罪に問われなかったのは、戦争は天皇が自分の意志で始めたのではなかったからだという理由による物ではなかったか。それを主張する物が「昭和天皇独白録」である。
戦争犯罪を問われそうになると、自分は立憲君主だから部下の言う事を認可してきただけで、主体的に戦争を指導したのではないと言った昭和天皇が、戦争が負けたら相手の国の元帥に、沖縄をずっと占領していてくれなど主体的に言う。
こう言うことが許されるのだから、日本は不思議な国だ。
米軍が沖縄を占領し続けることを天皇が主体的にアメリカに頼んでいるのである。
具合が悪いと、それは部下がしたことで自分は知らないと云い、自分の命に関わってくるところになると相手の元帥に自分の国を民ごと切り渡して与える。
しかも、他の国にはやらない、君だけにやるんだから、後はよろしく頼むよ、と言う。
先に挙げた「昭和天皇独白録」「寺崎英成御用掛日記」(文藝春秋社刊)の259ページに、秦郁彦教授が、マッカーサー記念館の「総司令官ファイル」の中から発掘した文書として、寺崎英成と思われる政府高官が伝えた天皇の言葉が記されている。
それによると
「(前略)日本人の国民性には美点も多いが欠陥もあるから、占領は長期間つづくほうが望ましいと、陛下は感じている」
昭和天皇自らが、アメリカの支配を望むと仰言られたのだ。
どうして、下々の人間が天皇陛下のお言葉に反することが出来ようか。
その陛下の有り難い大御心を奉じたてまつって、アメリカは日本占領をいまだに続け、以来ずっと日本はアメリカの奴隷であり続けているのである。
沖縄戦では、多くの沖縄の人間が犠牲になった。
犠牲になった人達は、皇国のため(すなわち、天皇のため)に戦いに追いやられて亡くなったのである。
昭和天皇はそのような、自分のために死んだ沖縄の人達に思いを寄せることなく、その土地をアメリカに献上した。
その昭和天皇の大御心の有り難さを噛みしめれば、辺野古の問題で反対したりするのは非国民なのである。
「うみゆかば、みづくかばね、やまゆかば、くさむすかばね
おおきみの へにこそしなめ かへりみはせじ」
この、歌の文句を骨の髄までしみこませて、天皇陛下の御稜威(みいつ)をかしこみ、かしこみ、有り難いと思ってこそ日本人なのだ。
昭和天皇が、沖縄はアメリカにやると仰言っているのだ。
我々、下民が、天皇のお言葉に逆らって、辺野古問題を云々するだけで、実に不敬の極み、それどころか大逆犯である。
我々日本人は、昭和天皇のお言葉を心に刻んで信条としなければならない。
従って、沖縄の米軍基地に反対する者は、昭和天皇のご意志に反する者であるから、万死に値するのである。
沖縄の基地問題は昭和天皇が作った、と言う私の言葉が、事実に基いた物であることを示したところで、この続きは次回にする。
余り長いのは、読む方も辛いという文句を貰ったからである。
次回は、自民党政府、日本の新聞、マスコミなどが、アメリカのために奉仕してきたことを、やはり、事実を元にして語りたい。
そこをきちんと踏まえないと、沖縄の問題を語っても意味がない。
どうして、新聞などのマスコミが、アメリカべったりで、鳩山由紀夫氏を首相の座から引きずり下ろしたのか、それは、1950年まで遡らないと分からないのだ。
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