少し長い記事で、しかも政治記事ではなく経済記事だが、「ゴーンの日産改革」がなぜ成功したのかについて、ずっと抱いていた疑問が解消されたので、備忘のためにアップしておく。同じく興味を持つ人もいるかもしれない。
最初に要点だけ言えば、「内部にいる人間で、しかも本流にいる人間は、過去のしがらみがあるために組織改革はできない。外部から来た人間がすべての責任を負い、しかも内部にもとからいて内部の欠陥をすべて知っている、アウトロー的人間が改革の絵図面を書いた場合に組織改革は成功する」ということである。ゴーン改革はゴーンの力だけでできたのではないが、確かに「すべての責任を負い、断行した」ということはゴーンの力だったようだ。
(以下引用)
『日本の人事部』トップ > インタビュー&コラム > 前屋毅さん:スペシャルインタビュー Last Update : 2010/07/25 19:26
キーパーソンが語る“人と組織”
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「外国人経営者」と「日本人社員」の企業再生コラボ
前屋毅さん ジャーナリスト
低迷脱出を「外国人経営者」の手腕に賭ける――そんな日本企業が増えています。最近ではソニーが初めてアメリカ人のCEOを迎え入れ、数年前にはマツダや三菱自動車なども外国人の経営トップを選任しました。「経営の国際化」などと言われますが、その先駆けとなったのは1999年、フランス・ルノーから日産自動車にやって来たカルロス・ゴーン氏でしょう。
史上最大の赤字を記録していた日産は、ゴーン氏のトップ就任から1年後、過去最高益を更新し、奇跡のV字回復を成し遂げました。そんな日産のケースにあやかりたいと外国人経営者を迎えた日本企業も少なくないはずですが、ゴーン伝説の裏には、じつは多くの「日本人社員」の活躍があったという事実はあまり知られていません。企業の再生を「外国人経営者」に頼ってもうまくいかない、彼を下支えする「日本人社員」が必要だ――日産自動車の再生のドラマを追った『ゴーン革命と日産社員』の著書があるジャーナリスト、前屋毅さんはそう強調します。
(取材・構成=丸子真史、写真=菊地健)
まえや・つよし●1954年、鹿児島県生まれ。『週刊ポスト』の経済問題メインライターを経て、フリージャーナリストに。企業、経済、政治、社会問題をテーマに、月刊誌、週刊誌、日刊紙などで精力的な執筆を展開している。主な著書に『全証言 東芝クレーマー事件』『安全な牛肉』(いずれも小学館文庫)『成功への転身――企業変質の時代をどう生きるか』(大村書店)など。近著に、奇跡のV字回復を成し遂げた日産自動車のドラマを描いた『ゴーン革命と日産社員――日本人はダメだったのか?』(小学館文庫)
カルロス・ゴーンひとりで日産自動車を改革したのか?
カルロス・ゴーン氏の登場で日産自動車が奇跡的なV字回復を遂げて以降、外国人の経営陣を迎える日本企業が相次いでいます。トヨタ自動車や旭硝子などに外国人役員が誕生し、ソニーでも最近、新会長兼グループCEOにハワード・ストリンガー氏が就きました。「経営の国際化」が急速に進んでいる、という見方をするメディアが少なくありませんが、その一方で、日産のような大企業の改革は日本人にはできないのか? ということも感じます。
やっぱり日本人じゃダメだとか、ゴーンみたいな人が来て、ウチの会社も改革してくれないかなとか、半ば本気で言うビジネスマンに私も何人か会ったことがありますね。長く低迷している日本企業の社員にとってみれば、ゴーンのような辣腕の外国人経営者は「神様」のように映るのかもしれません。
でも、外国人経営者が日本企業の改革をやればうまくいく、というのは、むろん「神話」でしかありません。たとえば、日産と同様、マツダや三菱自動車でも外国人が経営トップに就いて改革をやったけど、業績があがりましたか? V字回復した日産が目立っているだけで、その他の企業では外国人の経営陣が来たものの業績が一向によくならない、というケースのほうが多いかもしれない。
それでは、日産がうまくいったのはなぜか? ひとことで言えば、ゴーンだけじゃなくて日本人の社員も凄かったからです。日産には、ゴーンという優秀な外国人経営者を受け入れることのできる、改革の下地があったから、うまくいったんですね。
日産は、2000年3月期に6800億円以上の連結最終赤字を計上しましたが、わずか1年後の2001年3月期には約3300億円という過去最高益を達成しました。その復活劇の主役は、ほかでもない、カルロス・ゴーンだとメディアが取り上げて、日産の日本人社員が何をしたかという話はほとんど耳にしません。
私も当時、ゴーンだから改革ができたのだと考えていました。でも、1999年10月に「日産リバイバルプラン」が発表された後に、当時まだ社長の座にあった塙義一さんに「ゴーンさんじゃなければ改革は無理ですね」と聞いたことがあったんです。「やっぱり日本人ではダメでしょう」と。そうしたら、塙さんの表情がキッと豹変した。「そんなことはない。改革をやるのは日本人だ。リバイバルプランも日本人の社員が中心になって作成したものだ」と強い口調で言うわけです。
そのときのことが私の頭の中に残っていて、ゴーンひとりで日産の改革をやったかのようなメディア報道を見ているうちに、いくらゴーンが優秀でも、彼ひとりで改革を成功させることなんて無理だろうと。あのときの塙さんの言葉を検証してみようと、日産の日本人社員に取材を始めました。
評価の高い「日産リバイバルプラン」は、やっぱり日本人社員が中心になって作成したのですか。
そうです。ゴーンだけで作ったのでも、外部のコンサルタント会社に頼んで作ったのでもありません。日産内部で、日本人社員たちが作った。実際、ゴーンがトップになる前から日産には改革プランがいくつかありました。それは今の日産リバイバルプランとそんなに変わりがないんですね。それなのに日産は、そのプランを実行することができなくて、結局、「机上のプラン」に終わっていた。だから、ゴーン以前の日本人経営者たちが日産を改革できなかったのです。
改革プランをダメにする「社内調整」と「しがらみ」の取引
かつての日産自動車の改革プランが「机上のプラン」になってしまったのは、どうしてでしょう。
社内の企画室が中心になって作ったプランだったからです。これはどの日本企業でも同じだと思いますが、全社の経営方針を策定するときには、企画室のようなセクションにエリートと呼ばれる社員が集められてプランを立てていく。しかしそれでは現場の課題が反映されないプランになりがちなんですね。それに、一つのセクションが中心になってプランを立てると、社内の各セクションと「調整」する場面が出てきます。すると、こんなことをやろう、ではなく、これならできる、というプランが多くなってくる。各セクションに「これはできますか?」とおうかがいを立てると、「ウチは忙しい」とか「こっちの予算じゃなくて、あっちの部署の予算を削ってよ」とかいうことになって、改革プランの中身までやせ細っていくわけですよ。
それでも、とても立派なプランができたとしましょうか。たとえば、大手企業ならどこでも抱えている「ケイレツ」の整理を謳ったり、大胆なコストカットの方針を打ち出したり、現場の課題を根本的に解決するプランができたとする。それさえできたらコストカットはほぼ成功する――はずなのですが、そうならないことが多いんですね。というのは、コストカットの問題には必ず、「しがらみ」という問題が絡んでくるからです。
長年の付き合いがあるからという理由で、部品などの調達の際、「高くつく」とわかっているサプライヤーと取引を続けていく。
そういう取引関係のことですね。とくに大手自動車メーカーの社員というのは、ヒラの時代からサプライヤーとの「しがらみ」の中で仕事をしてきて、それをどんどん積み上げていって課長から部長へ、部長から役員へとなっていくわけですよ。ですから、立派なコストカットのプランが目の前にあっても、彼らはそれを実行することが難しい。「しがらみ」を断ち切れないからです。日産の場合がまさにそうで、過去の改革プランはいずれも、現場の課題がほとんど反映されていなかったり、「しがらみ」で実行されなかったりして、結局、ダメになっていったんです。
それが「日産リバイバルプラン」では内容も実行も伴うものになった。なぜですか。
まず、プランの作成を企画室のような1つのセクションでやることをやめたからですね。コンサルタントにも頼らない。その代わりに、「クロス・ファンクショナル・チーム」(CFT)という名前の組織を社内に新しく設けました。これはゴーンの指示ですね。どういう組織かというと、「マーケティング・販売」「研究開発」「購買」など9つの改革のテーマを立て、それぞれのテーマに取り組むチームをつくった。各チームのメンバーは10人前後。日本企業では馴染みのない組織だと思いますけど、ゴーンは過去に同じような組織を活用して、ミシュラン北米での改革やルノーでの改革を成功させた経験があったんですね。
そのCFTのメンバーは人事部が選んだのですか。
いえ、人事部ではありません。CFTのまとめ役としてメンバーを引っ張っていく「パイロット」というポジションがあるのですが、そのパイロットが日産社内のあらゆるセクションから、文字どおりクロス・ファンクショナルに10人を選んでいった。ではパイロットは人事部が選んだのかというと、これも違う。事業部の担当役員が指名したんですね。指名されたのは30代の係長や課長クラスが中心でした。でも、そのとき多くの人が「何で、オレが?」と不思議に感じたと言います。なぜなら、日産の行く末を決める新しい組織のリーダーに指名された社員たちの大半が、いわば日産のアウトロー、下手をすると反乱分子だと見られていたタイプだったからです。
改革のためのリーダーに指名された「アウトロー」の人材
日産が生まれ変わるために求められた人材がアウトローだった、というのは興味深いですね。
組織の中にあってはアウトローだったけれども、現状を是とせず、自分が正しいと思ったことをはっきり口に出す。そんな人材が日産には少なからずいた、ということですよね。アウトローだったからこそ、「しがらみ」に固執しない勇気も持ち合わせている。日産は、人材には事欠かない組織だったとも言えます。それまでの人事部の査定で「優秀」とされていた人材はむしろ、取引先との「しがらみ」が強くなっていたり、各セクションの「エース社員」ということでセクション同士の縄張り意識にとらわれていたり、そういうところがあったのかもしれません。何しろ日産というのは「銀座の通産省」なんて言われるほど、縦割り組織が強いことで知られた企業だったんですから。実力はあるのにアウトローでいた人材を活用し、彼らを中心にCFTという組織をつくり、セクション間をまたいで協力する体制をつくったことが、縄張り意識とか縦割り組織を壊すことにつながったんだと思いますね。
アウトローからCFTのパイロットへと抜擢された日本人社員は、ゴーンから、本当の改革のためのプランをまとめて提案するように求められました。どうしたら日産がよくなるか、それだけを考えろ。大胆なプランを提案していい、その実行は心配するな、というわけですね。そしてゴーンは「君たちパイロットに期待しているぞ」と言った。多くの日本企業では、これと反対のことをやるでしょう。何かプランを立てたら、それを自分で実行して、成果を出せと言う。「もし成果が出なかったら評価を下げるぞ」って。言われた社員は萎縮してしまい、成果が簡単に出そうなプランを作ってお茶を濁す。日産はそうではありませんでした。ゴーンの言葉でCFTはやる気に火がついて、聖域のない改革プランをまとめた。それを実行するときの意思決定は、CFTの上の組織の、取締役10人で構成されるエグゼクティブ・コミッティーがやったんです。
ゴーンが経営トップにいたからそのような改革プランができたのは間違いありません、しかし実際にプランを作ったのは各CFTの日本人社員であり、それを実行していったのも日本人社員だったんですね。そもそもゴーンには日産における経験がありませんから、自分ひとりで現場の課題を反映した改革プランが書けるわけがない。ゴーンはうまく日本人社員を使って、日本人社員はゴーンの意向に応えるかたちで正真正銘の改革プランをつくった、ということです。
その改革プランを実行するとき、さっきの「しがらみ」はどうやって断ち切ったのでしょう。日産は1999年にプランを発表した後、1000社以上あった取引サプライヤーを「半分に減らす」という方針を打ち出しました。
その方針は3年ほどで実行されましたが、その間、こんどは日本人社員がゴーンをうまく使った、と言えるかもしれませんね。社員は「コストカッターの外国人トップが旗を振る改革プランですので、どうぞご了承ください」などと、サプライヤーに取引中止を告げて回ったと言います。これを日本人だけでやろうとしたら、大反発を食ったに違いありません。「しがらみ」などないフランスからやって来たゴーンが日産の実権を握っているんだから仕方がない、ということが殺し文句になって、サプライヤーたちは納得したのでしょう。ゴーン一本で日産の改革を売り出す。その流れをつくり出したのも、メディアではなく、じつは日産の日本人社員だったのかもしれないですね。
「危機感」が社員に共有されたとき企業再生は可能になる
それにしても不思議なのは、日産の日本人社員が外国人経営者に素直に従ったことです。いくらゴーンが優秀な経営者であっても、最初に大きな反発が起きてもおかしくないと思いますが。
そんな気骨のある会社だったら、あんなにひどく業績が落ち込んでいませんよ(笑)。実際、日産は1993年に座間工場の閉鎖という、日本の自動車産業史でも初めての危機的状況に直面して、メディアが大騒ぎしていたのですが、そのときでさえ社員は「まさか日産のような大企業が倒産するはずがない。倒産しそうになっても誰かが助けてくれるに違いない」と思っていたと言います。危機感なんて、なかったんですね。しかし1997年に山一證券が破綻した。そのとき初めて日産の社員たちは「もしかしたら、ウチも…」と危機意識を持ち始めた。自分の会社の悲惨な状況が目に入らないというのに、よその会社の悲惨な状況はすごく気になるんですね(笑)。
自分の会社が潰れるはずがないとか安泰だとかいう危機感の乏しい「大企業病」は何も日産に限ったことではなく、多くの日本企業に流れていたし、いまだに引きずっている企業も少なくありません。それが経営再建を阻む原因にもなっています。結局、なぜゴーンと日本人社員の日産改革がうまくいったかというと、ゴーンの登場によって日本人社員たちが危機感を持ったからなんですね。外国人が経営トップになったから社員は危機感を持ったのではありません。山一證券の破綻を目の当たりにして、それからゴーンという新しい経営者がやって来た。その最初の株主総会でゴーンは「改革を実現しなければ、私たち役員でさえクビになる」と宣言しました。その言葉にショックを受けて、日産の日本人社員たちは本当の危機感を持つことになったのです。
このインタビューの最初に言いましたが、日本企業の外国人経営者は、今では珍しさも薄れてきています。逆に、日本人社員の4人に1人が外資系企業に勤めているというデータもある。外国人経営者をトップにすれば、それだけで低迷している企業がよくなるとか、日本人社員が本当の危機意識を持つようになるとか、そういうことは一昔前ならともかく、現在では考えられません。そのことを最後にもう一度、強調しておきたいですね。
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(取材は5月20日、東京都内にて)
最初に要点だけ言えば、「内部にいる人間で、しかも本流にいる人間は、過去のしがらみがあるために組織改革はできない。外部から来た人間がすべての責任を負い、しかも内部にもとからいて内部の欠陥をすべて知っている、アウトロー的人間が改革の絵図面を書いた場合に組織改革は成功する」ということである。ゴーン改革はゴーンの力だけでできたのではないが、確かに「すべての責任を負い、断行した」ということはゴーンの力だったようだ。
(以下引用)
『日本の人事部』トップ > インタビュー&コラム > 前屋毅さん:スペシャルインタビュー Last Update : 2010/07/25 19:26
キーパーソンが語る“人と組織”
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「外国人経営者」と「日本人社員」の企業再生コラボ
前屋毅さん ジャーナリスト
低迷脱出を「外国人経営者」の手腕に賭ける――そんな日本企業が増えています。最近ではソニーが初めてアメリカ人のCEOを迎え入れ、数年前にはマツダや三菱自動車なども外国人の経営トップを選任しました。「経営の国際化」などと言われますが、その先駆けとなったのは1999年、フランス・ルノーから日産自動車にやって来たカルロス・ゴーン氏でしょう。
史上最大の赤字を記録していた日産は、ゴーン氏のトップ就任から1年後、過去最高益を更新し、奇跡のV字回復を成し遂げました。そんな日産のケースにあやかりたいと外国人経営者を迎えた日本企業も少なくないはずですが、ゴーン伝説の裏には、じつは多くの「日本人社員」の活躍があったという事実はあまり知られていません。企業の再生を「外国人経営者」に頼ってもうまくいかない、彼を下支えする「日本人社員」が必要だ――日産自動車の再生のドラマを追った『ゴーン革命と日産社員』の著書があるジャーナリスト、前屋毅さんはそう強調します。
(取材・構成=丸子真史、写真=菊地健)
まえや・つよし●1954年、鹿児島県生まれ。『週刊ポスト』の経済問題メインライターを経て、フリージャーナリストに。企業、経済、政治、社会問題をテーマに、月刊誌、週刊誌、日刊紙などで精力的な執筆を展開している。主な著書に『全証言 東芝クレーマー事件』『安全な牛肉』(いずれも小学館文庫)『成功への転身――企業変質の時代をどう生きるか』(大村書店)など。近著に、奇跡のV字回復を成し遂げた日産自動車のドラマを描いた『ゴーン革命と日産社員――日本人はダメだったのか?』(小学館文庫)
カルロス・ゴーンひとりで日産自動車を改革したのか?
カルロス・ゴーン氏の登場で日産自動車が奇跡的なV字回復を遂げて以降、外国人の経営陣を迎える日本企業が相次いでいます。トヨタ自動車や旭硝子などに外国人役員が誕生し、ソニーでも最近、新会長兼グループCEOにハワード・ストリンガー氏が就きました。「経営の国際化」が急速に進んでいる、という見方をするメディアが少なくありませんが、その一方で、日産のような大企業の改革は日本人にはできないのか? ということも感じます。
やっぱり日本人じゃダメだとか、ゴーンみたいな人が来て、ウチの会社も改革してくれないかなとか、半ば本気で言うビジネスマンに私も何人か会ったことがありますね。長く低迷している日本企業の社員にとってみれば、ゴーンのような辣腕の外国人経営者は「神様」のように映るのかもしれません。
でも、外国人経営者が日本企業の改革をやればうまくいく、というのは、むろん「神話」でしかありません。たとえば、日産と同様、マツダや三菱自動車でも外国人が経営トップに就いて改革をやったけど、業績があがりましたか? V字回復した日産が目立っているだけで、その他の企業では外国人の経営陣が来たものの業績が一向によくならない、というケースのほうが多いかもしれない。
それでは、日産がうまくいったのはなぜか? ひとことで言えば、ゴーンだけじゃなくて日本人の社員も凄かったからです。日産には、ゴーンという優秀な外国人経営者を受け入れることのできる、改革の下地があったから、うまくいったんですね。
日産は、2000年3月期に6800億円以上の連結最終赤字を計上しましたが、わずか1年後の2001年3月期には約3300億円という過去最高益を達成しました。その復活劇の主役は、ほかでもない、カルロス・ゴーンだとメディアが取り上げて、日産の日本人社員が何をしたかという話はほとんど耳にしません。
私も当時、ゴーンだから改革ができたのだと考えていました。でも、1999年10月に「日産リバイバルプラン」が発表された後に、当時まだ社長の座にあった塙義一さんに「ゴーンさんじゃなければ改革は無理ですね」と聞いたことがあったんです。「やっぱり日本人ではダメでしょう」と。そうしたら、塙さんの表情がキッと豹変した。「そんなことはない。改革をやるのは日本人だ。リバイバルプランも日本人の社員が中心になって作成したものだ」と強い口調で言うわけです。
そのときのことが私の頭の中に残っていて、ゴーンひとりで日産の改革をやったかのようなメディア報道を見ているうちに、いくらゴーンが優秀でも、彼ひとりで改革を成功させることなんて無理だろうと。あのときの塙さんの言葉を検証してみようと、日産の日本人社員に取材を始めました。
評価の高い「日産リバイバルプラン」は、やっぱり日本人社員が中心になって作成したのですか。
そうです。ゴーンだけで作ったのでも、外部のコンサルタント会社に頼んで作ったのでもありません。日産内部で、日本人社員たちが作った。実際、ゴーンがトップになる前から日産には改革プランがいくつかありました。それは今の日産リバイバルプランとそんなに変わりがないんですね。それなのに日産は、そのプランを実行することができなくて、結局、「机上のプラン」に終わっていた。だから、ゴーン以前の日本人経営者たちが日産を改革できなかったのです。
改革プランをダメにする「社内調整」と「しがらみ」の取引
かつての日産自動車の改革プランが「机上のプラン」になってしまったのは、どうしてでしょう。
社内の企画室が中心になって作ったプランだったからです。これはどの日本企業でも同じだと思いますが、全社の経営方針を策定するときには、企画室のようなセクションにエリートと呼ばれる社員が集められてプランを立てていく。しかしそれでは現場の課題が反映されないプランになりがちなんですね。それに、一つのセクションが中心になってプランを立てると、社内の各セクションと「調整」する場面が出てきます。すると、こんなことをやろう、ではなく、これならできる、というプランが多くなってくる。各セクションに「これはできますか?」とおうかがいを立てると、「ウチは忙しい」とか「こっちの予算じゃなくて、あっちの部署の予算を削ってよ」とかいうことになって、改革プランの中身までやせ細っていくわけですよ。
それでも、とても立派なプランができたとしましょうか。たとえば、大手企業ならどこでも抱えている「ケイレツ」の整理を謳ったり、大胆なコストカットの方針を打ち出したり、現場の課題を根本的に解決するプランができたとする。それさえできたらコストカットはほぼ成功する――はずなのですが、そうならないことが多いんですね。というのは、コストカットの問題には必ず、「しがらみ」という問題が絡んでくるからです。
長年の付き合いがあるからという理由で、部品などの調達の際、「高くつく」とわかっているサプライヤーと取引を続けていく。
そういう取引関係のことですね。とくに大手自動車メーカーの社員というのは、ヒラの時代からサプライヤーとの「しがらみ」の中で仕事をしてきて、それをどんどん積み上げていって課長から部長へ、部長から役員へとなっていくわけですよ。ですから、立派なコストカットのプランが目の前にあっても、彼らはそれを実行することが難しい。「しがらみ」を断ち切れないからです。日産の場合がまさにそうで、過去の改革プランはいずれも、現場の課題がほとんど反映されていなかったり、「しがらみ」で実行されなかったりして、結局、ダメになっていったんです。
それが「日産リバイバルプラン」では内容も実行も伴うものになった。なぜですか。
まず、プランの作成を企画室のような1つのセクションでやることをやめたからですね。コンサルタントにも頼らない。その代わりに、「クロス・ファンクショナル・チーム」(CFT)という名前の組織を社内に新しく設けました。これはゴーンの指示ですね。どういう組織かというと、「マーケティング・販売」「研究開発」「購買」など9つの改革のテーマを立て、それぞれのテーマに取り組むチームをつくった。各チームのメンバーは10人前後。日本企業では馴染みのない組織だと思いますけど、ゴーンは過去に同じような組織を活用して、ミシュラン北米での改革やルノーでの改革を成功させた経験があったんですね。
そのCFTのメンバーは人事部が選んだのですか。
いえ、人事部ではありません。CFTのまとめ役としてメンバーを引っ張っていく「パイロット」というポジションがあるのですが、そのパイロットが日産社内のあらゆるセクションから、文字どおりクロス・ファンクショナルに10人を選んでいった。ではパイロットは人事部が選んだのかというと、これも違う。事業部の担当役員が指名したんですね。指名されたのは30代の係長や課長クラスが中心でした。でも、そのとき多くの人が「何で、オレが?」と不思議に感じたと言います。なぜなら、日産の行く末を決める新しい組織のリーダーに指名された社員たちの大半が、いわば日産のアウトロー、下手をすると反乱分子だと見られていたタイプだったからです。
改革のためのリーダーに指名された「アウトロー」の人材
日産が生まれ変わるために求められた人材がアウトローだった、というのは興味深いですね。
組織の中にあってはアウトローだったけれども、現状を是とせず、自分が正しいと思ったことをはっきり口に出す。そんな人材が日産には少なからずいた、ということですよね。アウトローだったからこそ、「しがらみ」に固執しない勇気も持ち合わせている。日産は、人材には事欠かない組織だったとも言えます。それまでの人事部の査定で「優秀」とされていた人材はむしろ、取引先との「しがらみ」が強くなっていたり、各セクションの「エース社員」ということでセクション同士の縄張り意識にとらわれていたり、そういうところがあったのかもしれません。何しろ日産というのは「銀座の通産省」なんて言われるほど、縦割り組織が強いことで知られた企業だったんですから。実力はあるのにアウトローでいた人材を活用し、彼らを中心にCFTという組織をつくり、セクション間をまたいで協力する体制をつくったことが、縄張り意識とか縦割り組織を壊すことにつながったんだと思いますね。
アウトローからCFTのパイロットへと抜擢された日本人社員は、ゴーンから、本当の改革のためのプランをまとめて提案するように求められました。どうしたら日産がよくなるか、それだけを考えろ。大胆なプランを提案していい、その実行は心配するな、というわけですね。そしてゴーンは「君たちパイロットに期待しているぞ」と言った。多くの日本企業では、これと反対のことをやるでしょう。何かプランを立てたら、それを自分で実行して、成果を出せと言う。「もし成果が出なかったら評価を下げるぞ」って。言われた社員は萎縮してしまい、成果が簡単に出そうなプランを作ってお茶を濁す。日産はそうではありませんでした。ゴーンの言葉でCFTはやる気に火がついて、聖域のない改革プランをまとめた。それを実行するときの意思決定は、CFTの上の組織の、取締役10人で構成されるエグゼクティブ・コミッティーがやったんです。
ゴーンが経営トップにいたからそのような改革プランができたのは間違いありません、しかし実際にプランを作ったのは各CFTの日本人社員であり、それを実行していったのも日本人社員だったんですね。そもそもゴーンには日産における経験がありませんから、自分ひとりで現場の課題を反映した改革プランが書けるわけがない。ゴーンはうまく日本人社員を使って、日本人社員はゴーンの意向に応えるかたちで正真正銘の改革プランをつくった、ということです。
その改革プランを実行するとき、さっきの「しがらみ」はどうやって断ち切ったのでしょう。日産は1999年にプランを発表した後、1000社以上あった取引サプライヤーを「半分に減らす」という方針を打ち出しました。
その方針は3年ほどで実行されましたが、その間、こんどは日本人社員がゴーンをうまく使った、と言えるかもしれませんね。社員は「コストカッターの外国人トップが旗を振る改革プランですので、どうぞご了承ください」などと、サプライヤーに取引中止を告げて回ったと言います。これを日本人だけでやろうとしたら、大反発を食ったに違いありません。「しがらみ」などないフランスからやって来たゴーンが日産の実権を握っているんだから仕方がない、ということが殺し文句になって、サプライヤーたちは納得したのでしょう。ゴーン一本で日産の改革を売り出す。その流れをつくり出したのも、メディアではなく、じつは日産の日本人社員だったのかもしれないですね。
「危機感」が社員に共有されたとき企業再生は可能になる
それにしても不思議なのは、日産の日本人社員が外国人経営者に素直に従ったことです。いくらゴーンが優秀な経営者であっても、最初に大きな反発が起きてもおかしくないと思いますが。
そんな気骨のある会社だったら、あんなにひどく業績が落ち込んでいませんよ(笑)。実際、日産は1993年に座間工場の閉鎖という、日本の自動車産業史でも初めての危機的状況に直面して、メディアが大騒ぎしていたのですが、そのときでさえ社員は「まさか日産のような大企業が倒産するはずがない。倒産しそうになっても誰かが助けてくれるに違いない」と思っていたと言います。危機感なんて、なかったんですね。しかし1997年に山一證券が破綻した。そのとき初めて日産の社員たちは「もしかしたら、ウチも…」と危機意識を持ち始めた。自分の会社の悲惨な状況が目に入らないというのに、よその会社の悲惨な状況はすごく気になるんですね(笑)。
自分の会社が潰れるはずがないとか安泰だとかいう危機感の乏しい「大企業病」は何も日産に限ったことではなく、多くの日本企業に流れていたし、いまだに引きずっている企業も少なくありません。それが経営再建を阻む原因にもなっています。結局、なぜゴーンと日本人社員の日産改革がうまくいったかというと、ゴーンの登場によって日本人社員たちが危機感を持ったからなんですね。外国人が経営トップになったから社員は危機感を持ったのではありません。山一證券の破綻を目の当たりにして、それからゴーンという新しい経営者がやって来た。その最初の株主総会でゴーンは「改革を実現しなければ、私たち役員でさえクビになる」と宣言しました。その言葉にショックを受けて、日産の日本人社員たちは本当の危機感を持つことになったのです。
このインタビューの最初に言いましたが、日本企業の外国人経営者は、今では珍しさも薄れてきています。逆に、日本人社員の4人に1人が外資系企業に勤めているというデータもある。外国人経営者をトップにすれば、それだけで低迷している企業がよくなるとか、日本人社員が本当の危機意識を持つようになるとか、そういうことは一昔前ならともかく、現在では考えられません。そのことを最後にもう一度、強調しておきたいですね。
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(取材は5月20日、東京都内にて)
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