「阿修羅」読者ならほとんどが読んでいる記事だろうが、なかなか面白い内容なので転載しておく。菅新総理の人間性について平野貞夫という人が書いた記事である。平野貞夫は元代議士だったか現代議士かは忘れたが、小沢一郎と親しい人間のようである。ここに書かれた鳩山・菅禅譲(形だけの選挙はあったが)の裏話と、平野による菅評価は、今後の政治を判断する材料の一つになるだろう。
(以下引用)
鳩山首相の退陣をめぐって、鳩山・小沢・興石三者会談が数回開かれた。6月1日の三者会談で興石参議院会長は参院の審議状況、選挙に臨む候補者の心境を鳩山首相に叱るように説明したと聞いている。この時点で退陣せざるを得ないことがわかったようだ。方法は、小沢幹事長がふりつけていた「鳩山首相が小沢幹事長の首を切る」というやり方だ。会談後の〝親指〟は、そのことで、返事は2日ということで話を持ちこした。
■何故、挙党体制がつくられなかったのか
この三者会談の夜、鳩山・菅会談が行われたとの情報がある。時期は別にして会談は事実のようだ。以下収集した情報を整理して、要点を再現すると。こんな感じになる。
鳩山首相「やめるので後をやってほしい」。
菅 「わかったが、小沢を切ろう!」というものといわれている。
この夜、鳩山首相は松井副官房長官に、退陣用の演説の原稿の執筆を指示する。
私は、5月28日、小沢幹事長と電話でやりとりをした夕刻、菅グループに属する親しい参院議員に、鳩山首相退陣の流れを説明し、菅氏中心の政局となるので挙党一致体制をつくるよう心がけるようアドバイスをしておいたが、まったく逆の方向になったのは残念だ。
6月2日(水)午前9時すぎ、小沢幹事長の代理から電話があり、鳩山首相退陣とその後の政治日程について憲法上、国会法上の運用や前例についての意見を求めてきた。会期末でもあり、参院選挙の日程も固まっている状況だけでなく、朝鮮半島問題、国際的経済危機、災害など危機管理のためにも、政治空白を最小限にするよう意見をいう。
同日午前の両院議員総会で鳩山首相が退陣挨拶する時期まで挙党一致体制が実現できそうになっていた。どうもおかしいと感じたのは、午後2時頃、民主党幹事長室から「官邸は首班指名を6月8日(火)に延ばしたい」との話が入ってからである。
「そんな発想だから鳩山政権はもたなかったのだ。国民の生命、国家の安全を考えない政治を続けるのかと、言いなさい」と伝えておいた。
情報通によれば、この頃、幹事長周辺に、6月1日の「鳩山--菅会談」の内容が伝わり、挙党一致体制が崩れたとのこと。ここら辺が事実に近いのではないか。
菅氏は2日の鳩山首相退陣を受けて、4日に行われる代表選挙に立候補を表明する。小沢氏は挨拶をしたいという菅氏に会おうとしない。私の推測は「鳩山--菅密談」を知ったからだと思う。
■菅代表の憲法感覚と人間性
菅氏は立候補の記者会見で「小沢幹事長は国民の不信を招いたことについて、少なくともしばらくは静かにしていただいた方が、ご本人にとっても、民主党にとっても日本の政治にとってもいい」と発言した。テレビや新聞のコメンテーターなどは「しばらく」とは小沢に甘いといっているが、そんな問題ではない。この菅氏の発言こそ、憲法感覚の欠如と人間性の欠陥を自分で吐露したものである。
■憲法感覚の欠如
人間は基本的人権として、言論と行動の自由をもっている。まして与党の幹事長を勤め、党の代表として政権交代に自己を犠牲にして貢献した小沢一郎という政治家に「日本のためにも静かにしていろ」との暴言は見逃せない。この発言は、政治家の言論・活動の自由を侵害するという憲法上、由々しき問題である。日本の有識者、政治家がこのことに気がつかないことが、日本の知的危機といえる。
■人間性の欠陥
この暴言は、憲法原理に対する無感覚と無知を表すだけでなく、小沢一郎の人間を冒涜したものだ。人間の尊厳がいかなるものか、わかっていない証である。
なんのために、四国八十八ヶ所を巡ったのか。空海の思想が何かを知らない、形だけの信仰なら空海の怒りも強かろう。小沢氏を外すにしろ、言い方がある。「小沢は悪者」と断言したと同じだ。これで政権を担当できると思っていたら大間違いだ。
実は3年前の平成19年元旦、小沢邸で菅氏は私をつかまえ国会運営の真髄について質問してきた。当時の小沢代表の意向もあり、その後2年間ぐらい国会運営や政治についてアドバイス役をやった。
率直にいって、菅氏の性格は他人を利用して自分の地位や利益向上に利用するというきわめて自己本位で人間としての礼や信や道に欠ける態度であった。「脱小沢」の選挙劇場を演ずる役者としては適当かもしれないが、日本の社会や国民の生活を一新させることは無理である。
■政治と金とは何か
菅代表はじめ反小沢グループが、念仏のように言う小沢氏の「政治と金」とは、東京地検特捜部と巨大マスコミがつくり上げた虚像であることは明確である。
特捜が不起訴としたものを、市民目線と称して人民裁判のように操っているのは、旧体制の自民の亡霊たちである。本来なら、菅氏自身が、民主政治の危機として彼らに反論すべき立場であった。それを小沢排除に利用したといえる。市民運動家・ポピュリストの限界で、世論を説得しようとせず、逆に世論を利用して小沢氏を切り捨てる方策に走ったといえる。小沢氏の問題はきちんと収支報告を出している問題への検察権力の意図的関与である。議会民主政治の確立のためには、こんなことを政治が許容してはならないことだ。
■菅新政権で気になること
菅首相、仙谷官房長官、枝野幹事長という三役揃い踏みで、日本の政治が始まることになる。三人の過去を問おうとは思わない。これからの政治にたいする姿勢次第だ。
しかし、早くも6月7日には、小沢グループの抱き込み人事が始まり、切り崩し作戦が展開している情報がどんどん入ってくる。これも問題である。
菅・仙谷・枝野三氏が進めようとする政策は、新自由主義の思想による「小泉亜流構造改革」の再生、ネオコン政治を私は予感している。仙谷氏と米国シティグループとの関係はよく知られている。枝野氏がやってきた仕分けは、まやかしで、人間性を無視した形だけのもの。民間の小泉ブレーンを活用し、新自由主義に有利な仕分けをしているだけだ。制度の根本を仕分けするものではなかった。
小沢グループは、自由党時代「日本一新11基本法案」を国会に提出して、共に生き共に幸せになろうという「共生社会」の実現を国民に公約したことがある。
小沢氏が、民主党代表選に出馬したとき、この理念を公約している。これを民主党の理念・政策に生かすことをこれからの活動方針にすべきだ。
「小泉亜流構造改革」の復活を阻止して「国民生活第一」の「共生社会」の実現をこれから、民主党の政治にどう取り入れ、日本に真の議会民主政治をいかに実現していくか、民主党の課題は重大である。
自民党政権が崩壊し、民主党政権に交代した後、民主党の「ネオコン派」による「小沢排除」が起きると想定していた。菅氏が、代表戦の出馬会見で小沢潰しを宣戦布告したことは「共生社会派」にとっては絶好のチャンスである。起用された政策担当者から、小泉政策の評価さえ言外に感じる。これからは、どちらが国民や国家社会の爲になるのか。どちらが本物なのか。民主党の洗濯が始まるのだ。
(以下引用)
鳩山首相の退陣をめぐって、鳩山・小沢・興石三者会談が数回開かれた。6月1日の三者会談で興石参議院会長は参院の審議状況、選挙に臨む候補者の心境を鳩山首相に叱るように説明したと聞いている。この時点で退陣せざるを得ないことがわかったようだ。方法は、小沢幹事長がふりつけていた「鳩山首相が小沢幹事長の首を切る」というやり方だ。会談後の〝親指〟は、そのことで、返事は2日ということで話を持ちこした。
■何故、挙党体制がつくられなかったのか
この三者会談の夜、鳩山・菅会談が行われたとの情報がある。時期は別にして会談は事実のようだ。以下収集した情報を整理して、要点を再現すると。こんな感じになる。
鳩山首相「やめるので後をやってほしい」。
菅 「わかったが、小沢を切ろう!」というものといわれている。
この夜、鳩山首相は松井副官房長官に、退陣用の演説の原稿の執筆を指示する。
私は、5月28日、小沢幹事長と電話でやりとりをした夕刻、菅グループに属する親しい参院議員に、鳩山首相退陣の流れを説明し、菅氏中心の政局となるので挙党一致体制をつくるよう心がけるようアドバイスをしておいたが、まったく逆の方向になったのは残念だ。
6月2日(水)午前9時すぎ、小沢幹事長の代理から電話があり、鳩山首相退陣とその後の政治日程について憲法上、国会法上の運用や前例についての意見を求めてきた。会期末でもあり、参院選挙の日程も固まっている状況だけでなく、朝鮮半島問題、国際的経済危機、災害など危機管理のためにも、政治空白を最小限にするよう意見をいう。
同日午前の両院議員総会で鳩山首相が退陣挨拶する時期まで挙党一致体制が実現できそうになっていた。どうもおかしいと感じたのは、午後2時頃、民主党幹事長室から「官邸は首班指名を6月8日(火)に延ばしたい」との話が入ってからである。
「そんな発想だから鳩山政権はもたなかったのだ。国民の生命、国家の安全を考えない政治を続けるのかと、言いなさい」と伝えておいた。
情報通によれば、この頃、幹事長周辺に、6月1日の「鳩山--菅会談」の内容が伝わり、挙党一致体制が崩れたとのこと。ここら辺が事実に近いのではないか。
菅氏は2日の鳩山首相退陣を受けて、4日に行われる代表選挙に立候補を表明する。小沢氏は挨拶をしたいという菅氏に会おうとしない。私の推測は「鳩山--菅密談」を知ったからだと思う。
■菅代表の憲法感覚と人間性
菅氏は立候補の記者会見で「小沢幹事長は国民の不信を招いたことについて、少なくともしばらくは静かにしていただいた方が、ご本人にとっても、民主党にとっても日本の政治にとってもいい」と発言した。テレビや新聞のコメンテーターなどは「しばらく」とは小沢に甘いといっているが、そんな問題ではない。この菅氏の発言こそ、憲法感覚の欠如と人間性の欠陥を自分で吐露したものである。
■憲法感覚の欠如
人間は基本的人権として、言論と行動の自由をもっている。まして与党の幹事長を勤め、党の代表として政権交代に自己を犠牲にして貢献した小沢一郎という政治家に「日本のためにも静かにしていろ」との暴言は見逃せない。この発言は、政治家の言論・活動の自由を侵害するという憲法上、由々しき問題である。日本の有識者、政治家がこのことに気がつかないことが、日本の知的危機といえる。
■人間性の欠陥
この暴言は、憲法原理に対する無感覚と無知を表すだけでなく、小沢一郎の人間を冒涜したものだ。人間の尊厳がいかなるものか、わかっていない証である。
なんのために、四国八十八ヶ所を巡ったのか。空海の思想が何かを知らない、形だけの信仰なら空海の怒りも強かろう。小沢氏を外すにしろ、言い方がある。「小沢は悪者」と断言したと同じだ。これで政権を担当できると思っていたら大間違いだ。
実は3年前の平成19年元旦、小沢邸で菅氏は私をつかまえ国会運営の真髄について質問してきた。当時の小沢代表の意向もあり、その後2年間ぐらい国会運営や政治についてアドバイス役をやった。
率直にいって、菅氏の性格は他人を利用して自分の地位や利益向上に利用するというきわめて自己本位で人間としての礼や信や道に欠ける態度であった。「脱小沢」の選挙劇場を演ずる役者としては適当かもしれないが、日本の社会や国民の生活を一新させることは無理である。
■政治と金とは何か
菅代表はじめ反小沢グループが、念仏のように言う小沢氏の「政治と金」とは、東京地検特捜部と巨大マスコミがつくり上げた虚像であることは明確である。
特捜が不起訴としたものを、市民目線と称して人民裁判のように操っているのは、旧体制の自民の亡霊たちである。本来なら、菅氏自身が、民主政治の危機として彼らに反論すべき立場であった。それを小沢排除に利用したといえる。市民運動家・ポピュリストの限界で、世論を説得しようとせず、逆に世論を利用して小沢氏を切り捨てる方策に走ったといえる。小沢氏の問題はきちんと収支報告を出している問題への検察権力の意図的関与である。議会民主政治の確立のためには、こんなことを政治が許容してはならないことだ。
■菅新政権で気になること
菅首相、仙谷官房長官、枝野幹事長という三役揃い踏みで、日本の政治が始まることになる。三人の過去を問おうとは思わない。これからの政治にたいする姿勢次第だ。
しかし、早くも6月7日には、小沢グループの抱き込み人事が始まり、切り崩し作戦が展開している情報がどんどん入ってくる。これも問題である。
菅・仙谷・枝野三氏が進めようとする政策は、新自由主義の思想による「小泉亜流構造改革」の再生、ネオコン政治を私は予感している。仙谷氏と米国シティグループとの関係はよく知られている。枝野氏がやってきた仕分けは、まやかしで、人間性を無視した形だけのもの。民間の小泉ブレーンを活用し、新自由主義に有利な仕分けをしているだけだ。制度の根本を仕分けするものではなかった。
小沢グループは、自由党時代「日本一新11基本法案」を国会に提出して、共に生き共に幸せになろうという「共生社会」の実現を国民に公約したことがある。
小沢氏が、民主党代表選に出馬したとき、この理念を公約している。これを民主党の理念・政策に生かすことをこれからの活動方針にすべきだ。
「小泉亜流構造改革」の復活を阻止して「国民生活第一」の「共生社会」の実現をこれから、民主党の政治にどう取り入れ、日本に真の議会民主政治をいかに実現していくか、民主党の課題は重大である。
自民党政権が崩壊し、民主党政権に交代した後、民主党の「ネオコン派」による「小沢排除」が起きると想定していた。菅氏が、代表戦の出馬会見で小沢潰しを宣戦布告したことは「共生社会派」にとっては絶好のチャンスである。起用された政策担当者から、小泉政策の評価さえ言外に感じる。これからは、どちらが国民や国家社会の爲になるのか。どちらが本物なのか。民主党の洗濯が始まるのだ。
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