管理人氏コメント(「私のコメント」)部分は、軍人批判の部分には賛成するが、「従米路線」を提唱している部分にはまったく反対である。その従米の結果がTPPなどによる日本収奪であり、中国との戦争へのレールではないか。
しかし、軍人の思考法の限界というものが下記記事全体から分かる、というのはいいところだ。世界を軍事的に見るというのは、数学同様に現実から抽象された「軍事的世界像」の中で「いかにすれば勝てるか」という、最初から結論を決めた問題を、その結論に導く屁理屈を作り出す作業でしかない。蛸壺の中で蛸が勝手に世界を妄想しているようなものだ。
だが、その狂人たちの妄想が今も、現実に世界の戦争を作り出している。
蛸壺や はかなき夢を 夏の月 (芭蕉)
この夏は、戦争とは何か、軍隊(自衛隊)とは何か、国家(政府と国民の関係)とは何かを国民全体で再考する、いや、日本の歴史上初めて本気で考える夏になるだろう。それぞれが自分の蛸壺から出て、広い海を泳ぎ、海の上の本物の月を眺めることである。
(以下引用)
満州事変は、永田を中心とした一夕会の周到な準備によって遂行
されたものだったのだ。なぜ軍中央は彼らを粛清できなかったのか?
2015年7月27日 月曜日
◆「昭和陸軍」の失敗。エリート軍人たちは、どこで間違えたのか 敗戦は戦う前から見えていた 7月26日 現代ビジネス
カギを握る4人のエリート
「満州事変以降の『昭和陸軍』をリードしたのは陸軍中央の中堅幕僚グループ『一夕会』。満州事変の2年前の1929年に結成されました。メンバーは東条英機、永田鉄山、石原莞爾、武藤章、田中新一ら約40人。
一般的には東条が日本を破滅に導いたように思われていますが、昭和陸軍の戦略構想を立てたのは永田と、石原、武藤、田中の4人。東条は彼らの構想に従って動いたに過ぎません。
永田を中心にした彼ら4人とも、単なる軍事エリートではなく、当時の日本社会では知性と教養を併せ持つ知的エリートでした。戦前の陸軍は何も考えずに暴走したと思われがちですが、そうではなかったのです」
川田稔・名古屋大学名誉教授はそう語る。川田氏は、戦後70年に合わせて『昭和陸軍全史』全3巻(講談社現代新書)を上梓。永田、石原、武藤、田中の4人を軸に、なぜ日本が無謀な戦争に突き進んでいったのか明らかにしている。
「一夕会が存在感を強めたのが、1931年の満州事変の発端となった『柳条湖事件』です。満州事変は関東軍作戦参謀だった石原のプランに基づくものでした。彼は日中間で紛糾していた満蒙問題解決のため、武力行使による全満州占領を目指していたのです」
石原は関東軍赴任前から、20世紀後半期に日米間で戦争が行われるとする「世界最終戦争」という独自の世界観を持っていた。
「石原は将来的に、アジアの指導国家となった日本と、欧米を代表する米が世界最終戦争を戦うと予想。その戦争に勝つためには鉄・石炭などの資源が必要で、そのために全満州の領有、さらには中国大陸の資源・税収などを掌握しなければいけないと考えたのです」
石原らの謀略、越権行為に対し、当時の若槻礼次郎内閣は戦線の「不拡大」を決めたが、関東軍はそれを無視して戦線を拡大。陸軍省の軍事課長だった永田も、石原らの行動を支持した。
満州事変は、永田を中心とした一夕会の周到な準備によって遂行されたものだったのだ。
「陸軍きっての俊英と知られた永田は第一次世界大戦前後の6年間、ドイツなどに駐在。大戦の実態をまざまざと見ました。
人類史上初の総力戦となった第一次世界大戦でドイツが負けたのは、資源が自給自足できなかったため。次の世界大戦はさらに機械化が進み、資源や労働力が必要になると確信した永田はドイツの轍を踏まないよう、資源、機械生産、労働力のすべてを自前で供給できる体制を整えねばならないと危機感を募らせた。
永田の目には、敗戦で過重な賠償を課されたドイツが、次の大戦の発火点になるのは必至だった。そこに日本は必ず巻き込まれる。その時に備えて国家総動員体制を早期に整えなくてはならないと考えたのです」
だが、当時の日本は多くの物資をアメリカからの輸入に頼るなど、自給自足には程遠かった。
「そこで永田が考えたのが中国の満州と華北、華中の資源を確保することでした。当時、中国では反日ナショナリズムが盛り上がり、蒋介石率いる国民党政府が中国の統一を目指して北伐を実施。この動きに永田らは、日本の資源戦略が脅かされるとして安全保障上の危機感を強めた。永田や石原が満州事変を起こしたのは、そうした危機感によるものでした」
繰り返される内紛
そんな一夕会の構想とは逆に、当時の日本政府は、第一次大戦の戦禍を踏まえて結成された国際連盟の常任理事国として、国際協調を模索していた。
「この頃の一般世論の感覚は、いまの日本人の感覚と近かった。歴代内閣はワシントン条約など様々な国際条約を結び、平和を保つために国際協調路線を進めていて、政党政治はそれなりに安定していました。
一夕会からすると、とにかく波風をたてまいとする内閣、政党政治家はあまりに無知。いつまでたっても国家総動員体制はできず、日本は次の大戦で滅ぶか、三流国に転落すると、危機感が強まる一方だった」
そうして、永田らは政党政治家にとって代わり、自分たち陸軍の手で政治を支配しようと動きだす。
「彼らは『統帥権の独立』と『陸海軍大臣武官制』を使って内閣に執拗な恫喝を繰り返し、屈服させていきました。(後略)
(私のコメント)
日本の近代史において昭和初期までは大正デモクラシーの延長にあり、軍部も話の分かる軍人たちでまともだった。それがおかしくなり始めたのが昭和六年の満州事件以降であり、満州事変を引き起こしたのが一夕会という中堅若手の陸軍将校たちであり、石原莞爾もその一人だった。
石原莞爾自身も日中戦争を起こしたのは私だと認めており、しかしながら東京裁判では石原莞爾は起訴されなかった。一夕会の存在は私も知らなかったが青年将校とか皇道派とか統制派と言われる集団は一夕会を指しているのだろう。
それまでの軍部は政府の政策に忠実であり、おかしくなり始めたのは満州事変以降の軍部が一夕会に乗っ取られてしまった。首謀者の石原や板垣と言った一夕会のメンバーであり、軍中央は不拡大方針であり陸軍の統制が崩れ始めて陸軍の人事が一夕会によって占められてしまった。
本来ならば軍中央の命令違反で満州事変を引き起こしたのだから、石原莞爾をはじめとして一夕会のメンバーを処分しなければならなかった。しかしそれが出来なかったのは昭和恐慌などの経済情勢があり、軍事的な手段で経済の立て直しを図ろうという風潮があった。
当時の政府も金解や金解禁等の経済政策の失策があり、日本にも世界大恐慌の影響が及んできていた。この失策が響いて政府への信認が失われて軍部のエリート将校への期待が高まって行った。石原莞爾はそのキャラクターが国民に愛されましたが、満州事件の首謀者として処分されるべきだった。
515事件や226事件はこれらの一夕会の流れをくむメンバーが引き起こしたものであり、満州事変で関係者が処分されず出世した事から我も我もと逆上せ上った軍人が出てきて軍部の統制が効かなくなってしまった。515事件を引き起こした軍人に助命嘆願が30万通も集まったそうですが、当時のエリート軍人への期待がそれほど高かった。
一夕会と言っても一致団結したグループではなく、内部の主導権争いが226事件の元であり、相次ぐテロ事件が政府を骨抜きにしてしまった。満州事変が起きた時に徹底した粛清を行い、少なくとも一夕会のメンバーは陸軍から追放処分されるべきだった。
彼ら陸軍のエリート軍人たちは確かに幹部将校たちであり優秀な軍人だったのでしょうが、国際情勢や戦略などについては私から見ても間違っていると思えるような事だ。歴史を見ても日本が大陸へ進出しても最終的には撤退している。地政学的に朝鮮半島は大陸と陸続きであり補給戦で敵わない。
日露戦争で勝ってもロシア軍は満州の北に引いただけで満州の北半分はロシア軍が駐屯していた。中国は軍閥が割拠して英仏ロシアなどの利権が入り組んでいた。そのままでいればいずれはロシアと英仏は衝突していたはずであり、日本がわざわざ割込んで行っても摩擦を生ずるだけだ。
日本は朝鮮半島を米英仏露帝国勢力と中国などとの緩衝地帯にしておくべきであり、その戦略は今でも変わりがない。一夕会は国家総力戦を想定した国づくりを目指していましたが、戦略物資の自給自足を目指していた。しかしそんな事を言っていたら全世界を支配しなければならず無意味だ。
当時は鉄も石油もアメリカに頼っており、そうであるならばアメリカと戦争する事は鉄も石油も無しで戦争する事になる。当然中国に進出すれば英仏露のみならずアメリカとも衝突する事になり、最終的に仏印進駐まで進めばアメリカも経済制裁に出る事までどうして想定できなかったのだろうか?
その辺がエリート軍人の能力の限界であり、石原莞爾も武藤章も途中で気がついてストップをかけようとしたが大勢は強硬論が制して暴走してしまった。政府に忠実だった宇垣派は全て追放されて一夕会によって陸軍は占領されて政府も口出しできなくなってしまった。
大東亜戦争のきっかけは満州事変にあり、背景としては併合した朝鮮への過剰な投資が重荷になり不況を招いてしまった。朝鮮はあくまでも緩衝地帯であり敵対しないように関与する程度にとどめておくべきだった。経済的に見れば中国は巨大市場であり企業の進出はしても、政治や外交ではつかず離れずで距離を置くべきだ。
現在では集団的自衛権で左翼は集団的自衛権で戦争に巻き込まれると反対していますが、戦略物資も情報も食料もみんなアメリカに頼ったままなのは戦前も今も同じだ。戦略物資はカネさえあれば手に入るのであり自由貿易体制を守り公海の航行の自由を守る事で戦略物資は手に入る。しかし中国はレアメタルを禁輸して南シナ海には軍事基地を建設して航行を妨げようとしている。
自由貿易体制と航行の自由を確保するためにはアメリカとの協力が必要であり、中国の言いなりになって集団的自衛権に反対するのは戦略的に反する事だ。海軍にしてもアメリカとの戦争では勝てないと誰もが言っていたのに開戦に反対しなかった。陸軍は戦争に負ければ陸軍も無くなると考えて国民の事は考えなかった。この辺がエリート軍人の能力の限界が分かる。自分の出世しか考えない人物はエリートではなく単なる役人でしかない。
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