忍者ブログ

徽宗皇帝のブログ

徽宗皇帝のブログ

見えないものが「視得ない」人々
「谷間の百合」ブログから転載。
「阿修羅」は毎日のように見ているが、この記事には気づかなかった。重要な記事だと思う。

アメリカ政府の「弱点」は、彼らが「民主主義」を標榜していることであり、「民主主義」に反する行為は、表立ってはできないことになっている。彼らが他国の「民主主義革命」を装ったクーデターを使って、他国政府を倒した例は枚挙に暇が無い。これも、「民主主義」がアメリカの国是であることから出ていることだ。
そのアメリカが、日本国内に米軍基地を置いているのは、「それが日本国民の意志だから」ということに、アメリカ内ではされているわけである。つまり、「日米安保条約」が日本国民の意志を示している、ということになっている。その成立の状況や、日本国民の反対の声など、アメリカの人々はほとんど知らないだろう。むしろ、彼らは「我々が日本を守ってやっており、彼らは安保にただ乗りしている」という不満すら持っているのである。(「安保ただ乗り論」を言って、日本はもっと軍事的にも貢献すべきだと言う日本人評論家や政治家も多い。ただ乗りどころか、基地の維持費を日本が出し、自衛隊の兵器はアメリカ軍事産業から馬鹿げた金額で購入させられているのだが。)
で、日本国内の米軍基地の存在に日本国民が反対している事実、少なくとも、地元住民の絶対的多数は反対している、という事実を「米国民は知らない」というのが実情ではないだろうか。それどころか、下の記事にあるように、米議会の議員たちすら知らないのではないか。
であれば、「沖縄内の米軍基地は、地元住民の敵意の中に存在している」ということを知ったことは、米政府や米議会の今後の方針に大きな影響を与えるだろう。
その意味で、翁長知事の訪米は(目には見えない)大きな成果があった可能性が高いと言える。


(以下引用)


二十九日 その二  翁長知事訪米の成果。
翁長知事の訪米については殆どのマスコミが成果がなかったという論調だったようです。

たまたま、青山繁晴さんが知事の訪米について語っている動画を見たのですが、成果がなかったとした上、責めるような口調で「お金を使って」ということを何度も言っていました。

なによりも一介の知事が国(総理)の頭越しにワシントンに行ったことが許せないようでした。

アメリカが「分かりました、辺野古は取りやめましょう」と言うこと以外成果はなかったということでしょうか。

しかし、わたしは成果はあったと思っています。

ワシントンに行って直接訴えたことが大きな成果です。

「本気」を行動で示したことがどれほど相手のこころに響いたかは、すぐに結果に表れなくても、かならずなんらかのかたちで返ってくるはずです。

青山さんのように、目に見えるものにしか成果が認められない人間に、見えないところで胎動している大きな流れを感受することは不可能です。


わたしは以前、アメリカは日本の反米感情に敏感だと書きましたが、それを裏付けるような証言が、知事に同行した「かりゆしグループのCEO 平良朝敬さんの報告にありました。

それを取り上げた「モーニングバード」は見ていませんが、文字起こしされたものが阿修羅にUPされていました。

日本政府のロビー活動により、アメリカは「辺野古移設が唯一の選択肢」だというのが沖縄と日本政府共通の認識のように思っていたらしいのです。

辺野古埋め立て反対の市民運動はワシントンに伝わっていなかったのでしょうか。

案外、そういうことも「あり」かもしれません。

会談後、アメリカが県に、「反対ってどこまで反対なのか」「身体を張った反対なのか」「他の基地にまで波及するようなはなしになっているのか」と問い合わせてきたそうです。

わたしはここを読んで、安保反対のヒントがあるように思いました。

アメリカをもっと前面にだして強調することです。

アメリカは恐れています。

安保反対のデモがいつ反米デモになるかもしれないと息を殺して見守っているのではないでしょうか。

また、これは非武装中立を考える上でもヒントになりそうです。




以下「阿修羅」からの転載。


かりゆしグループ 平良朝敬 前CEO
「かなりの認識のズレ
日本政府のロビー活動ですね、我々が行って感じたのが、
日本政府の方で議員の日本部会みたいなのを作って
かなりの広報活動をしている。
ですから(議員の話す)言葉が全部同じなんです。
日本政府の言っている部分とアメリカの連邦議員が言っている(言葉が)」
「辺野古移設が唯一の選択肢」
しかし話を進めると様子が変わってきたといいます。
「地元の反対をかなり気にしていました。
前知事が承認したんで、沖縄県民はもういいんだろうと(米側は思っていた)」

「『いや地元が反対したらダメだよ』と直接言う議員はかなりいました。
知らないですね。日本政府から全く伝えられていない。
我々が行って感じたのは、反対運動が広がれば広がるほど
アメリカ側は引いていくという感じは物凄くしました。
どの議員も、どの議員補佐官も、とにかく『住民の反対が増えれば
これ(移設)はできない』ということは、はっきり申してました」

翁長知事の訪米後、アメリカ側にある“変化”が

前泊博盛 沖縄国際大学教授
「(会談した後)アメリカ側から『反対って、どこまで反対なんですか』
『体を張った抵抗まであるのか』と
あるいは「他の基地にまで波及するような話になっているのか」と
こういうことを県側にも聞いてきてるんです。
世論の動きというものに対しては
非常に敏感にアメリカは動いてきますから。
辺野古の問題を強引にやれば、嘉手納の問題、
たくさんの基地抱えてます、33の施設ありますから
どこまで影響が出るか。
反軍だけじゃなく、反米にまでなりかねない。
そういう懸念を持ってる。
沖縄が反米になったら、この場所に居られなくなるじゃないですか。

海兵隊が1950年代に岐阜や山梨から追い出された原因は
反米運動、反軍運動、これで居られなくなって
沖縄に渋々来ざるを得なくなったという歴史があります。

沖縄がそもそも返還された理由というのは、
米軍が統治をしてたけども
反米・反軍感情が高まったために
日本に返さざるを得なくなったという話がある」

前泊氏は、沖縄が日本に返還される直前、
沖縄問題担当公使(当時)リチャード・スナイダー氏に
インタビューしています。

「10万人を越すデモ隊が基地を全部包囲して
アメリカに対して『もう沖縄を返還しろ』という話をする。
その時に『我々はこのままだと殺されるかもしれない』と恐怖を感じたと。
この基地を守るのに残ってる兵が少なすぎる。
この沖縄の基地を維持するために、ベトナムに送り込んでる兵を
呼び戻さなければ無理だという話まで議論したという。
ベトナムを攻撃するためにある基地が
その基地を維持するためにベトナムから兵を呼び戻すということになる。
何のための基地なんだという話になる。
彼はその囲まれた時に、もう命の危険を感じて打電する。
ワシントンに、あるいは日本の大使館に、『もう沖縄は返せ』と
『そうでない限りこの基地は維持できない、無理だ』と。

辺野古の建設反対のために座り込みをずっとされて
シュワブの中にいる米兵達が物凄いストレスを感じてる。
今に爆発しかねないという話を
米軍関係者(軍の)中の方達から連絡がありました。
座り込みをしてる人達の前で
わざと銃の点検をガシャガシャとやってみせたり
あるいは看板を夜中に行って撤去してみせたり
米兵達も物凄いストレスを感じてきてる。
従来の基地の環境と違う環境にあることは
現場にいる米兵達の方がむしろヴィヴィッドに感じてる」

拍手

PR

コメント

コメントを書く