「マスコミに載らない海外記事」の管理人コメントの一部を転載する。その前に掲載されたクリス・ヘッジス(私は彼のファンだ)の記事もいい内容だが、長くなるので割愛する。
私が危惧するのは、「喉元過ぎれば熱さ忘れる」という日本人の民族性である。悪を悪として徹底的に追及できない気の弱さ、粘りの無さが、日本をこのような地獄的状況にしてしまったのだが、今の状況をまだ認識していない人間も多い。第二次大戦から70年たってもまだ「ユダヤ人はこんなに迫害され苦しんだ」というプロパガンダ映画を毎年のように作っているユダヤ人(というよりユダヤ系資本)の根気強さを見習うべきだろう。
もうしばらくしたら、「今は被災者の救出と援護に全国民が一丸となるべき時だ。他人を非難している場合じゃない」という論調が現われ、またしばらくしたら、「日本が再建に向かっているこんな時に、他人を批判し、全体の足を引っ張るような行為をするのは間違っている」という論調が出てくるだろう。
下記記事の中で、保険のCMが無くなったことを指摘しているのは面白い。もちろん、自然災害の場合には保険金の支払いはしないという条項はどの保険でもあるだろうが、やはり少しでも保険金支払いの請求を減らしたいという気持ちだろうか? それは邪推、誤解であるにせよ、「報道されたものではなく、報道されないものを見よ」という姿勢は大事である。
タイトルに書いた「見えないものは存在しない」は以前の「メモ日記」の記事の一つで、ダブル・ミーニングの文である。
(以下引用)
高木仁三郎氏等が事故翌年(1987)出版された『われらチェルノブイリの虜囚』が手元にある。58ページに、当時の原発業界幹部の言動が紹介されている。読むに耐えない。今テレビで、平然と?語られている水素爆発については、当時の幹部の一人「水素問題は哲学論争に近い」とにべもない発言をしている。つまり、当時、日本での水素爆発、全く想定外であり、対策は用意されていないかったということだろう。現状は想定内か?想定内の事故だとしても、そのわりに、いくら素人目で見ても、対応は後手ばかり。
終章は水戸厳教授(故人)によるシミュレーション・レポート もし東海原発が暴走したら。
現在の福島原発、当時の東海原発より、東京からは遠いが、出力は遥かに高い。しかも、猛烈に毒性が高いプルトニウムを含むMOX燃料が福島第一原発三号炉に存在している。日本の為政者がプルトニウムを隠すため、意図的に造語した「プルサーマル」なる悪魔の核物質使用・製造システム(「流言蜚語」源になるつもりはないので、内容にはあえて触れない。プルサーマル、プルトニウム、MOX燃料、飛散のシミュレーション等、ご面倒でも、各自お調べ願いたい。たとえば最寄りの書店、あるいは図書館で、お金か時間を費やして。政府もマスコミもプルトニウムについては報道管制体制なので。)
念の為、この1987年の「あとがき」の一部を引用させて頂く。2011年迄には、24年もあった。担当各位におかれては、その気さえあれば、本格的対策、実施できていた可能性もあったろう。最善の対策は、もちろん、稼働中の原子炉の停止、廃炉、解体。そして、原子力推進政策の放棄。「経済が縮小する。国民が貧しくなる」としても、今の大惨事よりは、ましだったろう。それでも、中曽根を含む、原発推進論者にとって、なぜか全て「想定外」だ。
チェルノブイリ原発事故から早や一年。世界中を恐怖の底に突き落とした同事故も、もはやほとんど世間の口の端に上らなくなり、マスコミ報道からも、時たまの外電を除いて「チェルノブイリ」はすっかり影をひそめた。
だが、本書の中でも指摘されている通り、事故の影響はいまだに進行中であり、放出された放射能は、今後数十年間にわたって世界の人々を苦しめ続ける。チェルノブイリに終わりはないのである。
原発の危険性、一たび大規模原子炉災害が発生した場合の悲惨さについては、これまで幾多の科学者、専門家が口すっぱく指摘し、警鐘を乱打してきた。にもかかわらず、推進体制側は、「人が死ぬような原発事故は百万炉年(注、一基の原発が百万年間稼働した場合を仮定)に一度しか起こらない」とする、いわゆるラスムッセン報告などをもち出して安全PRにこれ努め、原発推進に血道をあげてきた。
そしてTMIからわずか七年後にチェルノブイリが起こった。
ラスムッセンの確率論的安全論が、まやかし以外の何物でもなく、原発が、地球上の全生物にとって危険極まりない悪魔の産物であることは、もはや誰の目にも明らかである。
が、周知のごとく日本では、この全生物への「最後の警告」ともいうべきチェルノブイリ原発事故の発生もものかは、全原発が平然と稼働を続けている。
一体、この国はどうなっているのか。太平洋戦争で敗戦を体験するまで戦争をやめなかったように、東海原発で大原発事故が発生し、首都が壊滅するまで、原発を廃絶しないのではないのか。時折り、そんな想いにとらわれる。
ところで、この国の原発推進体制が、かくも強固な背景の一つに、新聞、テレビに代表されるマスコミが、体制内に取り込まれてしまっていることが挙げられる。第一線で働く記者一人ひとりに、「原発推進」の意思はなくても、組織の総体としては、残念ながら推進に加担しているのが実態だ。
原発のもつ反人間性、反社会性、犯罪性は無論その危険性にあるだけではない。原発は、生物とは本来的に相容れない放射能を、絶え間なく生産し続けるばかりか、地方自治を侵害し、民主主義を徹底的に破壊する。さらには、下請け、孫請けの労働者を情容赦なく使い捨て、人心を荒廃させる。
そんな悪の権化である原発をなぜ稼働させるのか。かつて盛んにPRされた経済性やエネルギー・セキュリティとやらも、すでに馬脚を現しているではないか。
東京都知事選挙が迫っている。今回の大地震・津波を天罰だと言い、地震で、壊れなかった築地市場を、想定通りに液状化した豊洲への移転を強行する男を再選するのか、それとも、地震・津波による原発災害の危険性を正面から取り上げてきた党も推薦する人物を選ぶのかが問われている。この記事の流れからすれば、当然、後者以外の選択肢、考えられない。アメリカ人である、クリス・ヘッジスも、ラルフ・ネーダーも、同じ意見に違いない。
不可避の事態を、未然に防げるのは、帝国と法人国家の迅速な廃絶を含む、日本社会の完全な再構築を中心に築かれた抗議活動しかない。より良い条件を求めて交渉するのではなく、日本の腐敗したエリートを権力の座から排除することを目指す、新たな、何者をも恐れない根本的変革主義の誕生によってのみ、我々は救われるだろう。
しかし、なんといっても、この国のマスコミ・政治家は「想定外」がお好きなので、結果はわからない。「小池晃さんを応援する市民勝手連Q」というものもあるようだ。市民社会フォーラム。Eメール宛先は、katteren2010@gmail.com。率直に申しあげて、あまり見かけは「ぱっとしない」。「反原発」ではなく、「脱原発を」とアピールしている。これは、座布団十枚!
チュニジアやエジプトのように、アメリカ国務省や、その意を汲むGoogle,Facebook,Twitterといったソーシャル・ネットワーク企業の支援を受けた傀儡若者運動とちがい、宗主国の支援がない手作り組織、資金もノウハウも不足だろう。しかし、名もなく、貧しく、美しく、手作りで大資本に対抗(脱大資本とおっしゃるのだろうか)してこそ、宗主国様がおっしゃる「市民革命」の本物。本当にトモダチなら、国務省には、「小池晃さんを応援する市民勝手連Q」に技術支援をお願いしたいものだ。「カッコよく資金潤沢な運動こそ、いぶかしい」と貧乏人はひがんでいる。
TVコマーシャルの多さにいまさらながら気づかされた。万一事態が収束した暁には、『オール電化』CM、復活するのだろうか?アメリカのアヒルもネコも最近みかけない。どうしたのだろう。代理に挿入される公共広告機構CM、節電の為、つまらないコマーシャルは見ずに、早くテレビを消しましょうという親心メッセージに違いない。
あるいは、またもや一億総懺悔を目指す洗脳だろうか?今回の人災、東京裁判ではなく、東京電力(政治家、御用学者、マスコミなどを含め、原発推進に関与した人々が、なぜ原発推進政策を進めたのか、どういう責任を問われるべきなのかを問う)公開裁判が必要だろう。それなくしては、再発必至。必要なのは、総懺悔ではない。
仁科亜季子の子宮頸ガン・乳ガン予防CMを飽きるほど見せられている「福島原発の虜囚」メタボ中年男の小生、連休明け、検診に行くべきか迷っている。:-)
私が危惧するのは、「喉元過ぎれば熱さ忘れる」という日本人の民族性である。悪を悪として徹底的に追及できない気の弱さ、粘りの無さが、日本をこのような地獄的状況にしてしまったのだが、今の状況をまだ認識していない人間も多い。第二次大戦から70年たってもまだ「ユダヤ人はこんなに迫害され苦しんだ」というプロパガンダ映画を毎年のように作っているユダヤ人(というよりユダヤ系資本)の根気強さを見習うべきだろう。
もうしばらくしたら、「今は被災者の救出と援護に全国民が一丸となるべき時だ。他人を非難している場合じゃない」という論調が現われ、またしばらくしたら、「日本が再建に向かっているこんな時に、他人を批判し、全体の足を引っ張るような行為をするのは間違っている」という論調が出てくるだろう。
下記記事の中で、保険のCMが無くなったことを指摘しているのは面白い。もちろん、自然災害の場合には保険金の支払いはしないという条項はどの保険でもあるだろうが、やはり少しでも保険金支払いの請求を減らしたいという気持ちだろうか? それは邪推、誤解であるにせよ、「報道されたものではなく、報道されないものを見よ」という姿勢は大事である。
タイトルに書いた「見えないものは存在しない」は以前の「メモ日記」の記事の一つで、ダブル・ミーニングの文である。
(以下引用)
高木仁三郎氏等が事故翌年(1987)出版された『われらチェルノブイリの虜囚』が手元にある。58ページに、当時の原発業界幹部の言動が紹介されている。読むに耐えない。今テレビで、平然と?語られている水素爆発については、当時の幹部の一人「水素問題は哲学論争に近い」とにべもない発言をしている。つまり、当時、日本での水素爆発、全く想定外であり、対策は用意されていないかったということだろう。現状は想定内か?想定内の事故だとしても、そのわりに、いくら素人目で見ても、対応は後手ばかり。
終章は水戸厳教授(故人)によるシミュレーション・レポート もし東海原発が暴走したら。
現在の福島原発、当時の東海原発より、東京からは遠いが、出力は遥かに高い。しかも、猛烈に毒性が高いプルトニウムを含むMOX燃料が福島第一原発三号炉に存在している。日本の為政者がプルトニウムを隠すため、意図的に造語した「プルサーマル」なる悪魔の核物質使用・製造システム(「流言蜚語」源になるつもりはないので、内容にはあえて触れない。プルサーマル、プルトニウム、MOX燃料、飛散のシミュレーション等、ご面倒でも、各自お調べ願いたい。たとえば最寄りの書店、あるいは図書館で、お金か時間を費やして。政府もマスコミもプルトニウムについては報道管制体制なので。)
念の為、この1987年の「あとがき」の一部を引用させて頂く。2011年迄には、24年もあった。担当各位におかれては、その気さえあれば、本格的対策、実施できていた可能性もあったろう。最善の対策は、もちろん、稼働中の原子炉の停止、廃炉、解体。そして、原子力推進政策の放棄。「経済が縮小する。国民が貧しくなる」としても、今の大惨事よりは、ましだったろう。それでも、中曽根を含む、原発推進論者にとって、なぜか全て「想定外」だ。
チェルノブイリ原発事故から早や一年。世界中を恐怖の底に突き落とした同事故も、もはやほとんど世間の口の端に上らなくなり、マスコミ報道からも、時たまの外電を除いて「チェルノブイリ」はすっかり影をひそめた。
だが、本書の中でも指摘されている通り、事故の影響はいまだに進行中であり、放出された放射能は、今後数十年間にわたって世界の人々を苦しめ続ける。チェルノブイリに終わりはないのである。
原発の危険性、一たび大規模原子炉災害が発生した場合の悲惨さについては、これまで幾多の科学者、専門家が口すっぱく指摘し、警鐘を乱打してきた。にもかかわらず、推進体制側は、「人が死ぬような原発事故は百万炉年(注、一基の原発が百万年間稼働した場合を仮定)に一度しか起こらない」とする、いわゆるラスムッセン報告などをもち出して安全PRにこれ努め、原発推進に血道をあげてきた。
そしてTMIからわずか七年後にチェルノブイリが起こった。
ラスムッセンの確率論的安全論が、まやかし以外の何物でもなく、原発が、地球上の全生物にとって危険極まりない悪魔の産物であることは、もはや誰の目にも明らかである。
が、周知のごとく日本では、この全生物への「最後の警告」ともいうべきチェルノブイリ原発事故の発生もものかは、全原発が平然と稼働を続けている。
一体、この国はどうなっているのか。太平洋戦争で敗戦を体験するまで戦争をやめなかったように、東海原発で大原発事故が発生し、首都が壊滅するまで、原発を廃絶しないのではないのか。時折り、そんな想いにとらわれる。
ところで、この国の原発推進体制が、かくも強固な背景の一つに、新聞、テレビに代表されるマスコミが、体制内に取り込まれてしまっていることが挙げられる。第一線で働く記者一人ひとりに、「原発推進」の意思はなくても、組織の総体としては、残念ながら推進に加担しているのが実態だ。
原発のもつ反人間性、反社会性、犯罪性は無論その危険性にあるだけではない。原発は、生物とは本来的に相容れない放射能を、絶え間なく生産し続けるばかりか、地方自治を侵害し、民主主義を徹底的に破壊する。さらには、下請け、孫請けの労働者を情容赦なく使い捨て、人心を荒廃させる。
そんな悪の権化である原発をなぜ稼働させるのか。かつて盛んにPRされた経済性やエネルギー・セキュリティとやらも、すでに馬脚を現しているではないか。
東京都知事選挙が迫っている。今回の大地震・津波を天罰だと言い、地震で、壊れなかった築地市場を、想定通りに液状化した豊洲への移転を強行する男を再選するのか、それとも、地震・津波による原発災害の危険性を正面から取り上げてきた党も推薦する人物を選ぶのかが問われている。この記事の流れからすれば、当然、後者以外の選択肢、考えられない。アメリカ人である、クリス・ヘッジスも、ラルフ・ネーダーも、同じ意見に違いない。
不可避の事態を、未然に防げるのは、帝国と法人国家の迅速な廃絶を含む、日本社会の完全な再構築を中心に築かれた抗議活動しかない。より良い条件を求めて交渉するのではなく、日本の腐敗したエリートを権力の座から排除することを目指す、新たな、何者をも恐れない根本的変革主義の誕生によってのみ、我々は救われるだろう。
しかし、なんといっても、この国のマスコミ・政治家は「想定外」がお好きなので、結果はわからない。「小池晃さんを応援する市民勝手連Q」というものもあるようだ。市民社会フォーラム。Eメール宛先は、katteren2010@gmail.com。率直に申しあげて、あまり見かけは「ぱっとしない」。「反原発」ではなく、「脱原発を」とアピールしている。これは、座布団十枚!
チュニジアやエジプトのように、アメリカ国務省や、その意を汲むGoogle,Facebook,Twitterといったソーシャル・ネットワーク企業の支援を受けた傀儡若者運動とちがい、宗主国の支援がない手作り組織、資金もノウハウも不足だろう。しかし、名もなく、貧しく、美しく、手作りで大資本に対抗(脱大資本とおっしゃるのだろうか)してこそ、宗主国様がおっしゃる「市民革命」の本物。本当にトモダチなら、国務省には、「小池晃さんを応援する市民勝手連Q」に技術支援をお願いしたいものだ。「カッコよく資金潤沢な運動こそ、いぶかしい」と貧乏人はひがんでいる。
TVコマーシャルの多さにいまさらながら気づかされた。万一事態が収束した暁には、『オール電化』CM、復活するのだろうか?アメリカのアヒルもネコも最近みかけない。どうしたのだろう。代理に挿入される公共広告機構CM、節電の為、つまらないコマーシャルは見ずに、早くテレビを消しましょうという親心メッセージに違いない。
あるいは、またもや一億総懺悔を目指す洗脳だろうか?今回の人災、東京裁判ではなく、東京電力(政治家、御用学者、マスコミなどを含め、原発推進に関与した人々が、なぜ原発推進政策を進めたのか、どういう責任を問われるべきなのかを問う)公開裁判が必要だろう。それなくしては、再発必至。必要なのは、総懺悔ではない。
仁科亜季子の子宮頸ガン・乳ガン予防CMを飽きるほど見せられている「福島原発の虜囚」メタボ中年男の小生、連休明け、検診に行くべきか迷っている。:-)
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