下の書評だけで私には十分であり、ここに書かれた、この本の主張は、私が日本と世界について知ってきた事実や印象と一致する。私自身、日本が見えない階級社会であるということは(格差社会が云々されるはるか以前の)昔から言っており、世界もおそらくそうだ、と言ってきた。
しかし、姓で検証する、という考察は面白い。沖縄などでは、昔は王族は1字姓(つまり、尚家である。)、士族は2字姓、その他は3字姓というように、階級で姓の文字数まで決まっていたようだ。私の父方は3字姓、母方は2字姓であった。だからどう、ということもないのだが、私自身は、(血の半分だが)農民の子孫であることに誇りを持っている。私は基本的に安藤昌益の言う「直耕」する者、つまり、自分の手で耕作をする人間と、優れた芸術を作る(創る)人間しか尊敬していないのである。
他人の上前を撥ねて生活している人間、つまり王族や貴族は人間の屑だと思っている。(金融業もそれだ。)商売人の大半、芸能タレント、学者の大半も同様である。農工業(生産業)以外のこの社会の職業の多くは、芸術家以外は無くてもいいと思っている。
生産業は人間の生命を支え、芸術は人生に生きる意味を与え、生きる価値を増大させるからである。
(以下引用)
『格差の世界経済史』 姓で読み解く階級社会の不都合な真実
姓を手がかりに、歴史に埋もれたビッグデータを掘り起こした著者は、残酷な現実を突きつける。
“基盤的な、または相対的な社会的流動性は、社会学者や経済学者が一般的に考えている水準よりはるかに低い。
”
つまり、従来考えられていたよりも、わたしたちの人生はその生まれによって決定されており、本人の努力や意志で階級の階段を昇るのは従来考えられていたよりも困難だというのだ。時代・地域を問わない低い社会的流動性は、経済格差の大きなチリやペルーだけでなく、社会福祉の充実したスウェーデンなど北欧諸国でも変わることはなく、チャンスの国アメリカとて例外ではない。さらに驚くべきことに、この低い社会的流動性を向上させる政策などないという。北欧に見られる教育の無償化も、あらゆるものを破壊した第二次世界大戦も、人類史上最大規模で知識階級を虐殺した文化大革命でさえも、社会的流動性を向上させることはなかった。上流は上流のまま、下流は下流のままであり続けたのである。
この本で導かれる結論は衝撃的で、受け入れがたい。著者みずから「議論を呼ぶ本となるだろう」というように、本書には賛否が入り混じった反響が寄せられ、著者自身がNew York Timesに寄稿した記事には600件近いコメントがつく炎上状態となった。著者は慎重に言葉を選びながら議論を進めてはいるものの、人種差別的であるという印象を与えかねない、そのように利用されかねない内容でもある(もちろん著者は人種差別主義者などではなく、批判に対する反論記事も出している)。
感情的な反応も引き起こした本書ではあるが、著者が示そうとしたのは自身の意見や思想ではなく、データに基づく事実である。もちろん、事実を得るために用いられたデータの適切さや、データ解釈の真実性は、今後より精緻に検証されなければならない。なにしろ、本書の結論が正しいとするならば、現代の政策の多くは見直しが必要となる。
これまで社会の流動性は、所得、資産や教育などが親と子の間でどれだけ相関しているかを基準として語られてきた。この世代間の相関度は、その2乗が社会的地位の格差のうち「親からの継続性」によって説明できる割合を示すものとなる。例えば、ある社会での資産の相関度が0.3であれば、親の資産から説明できる現役世代の資産は9%(0.09=0.3×0.3)となる。この従来の基準で「所得水準の世代間相関度」を推定すると、格差の大きなペルーやチリでは0.6前後、社会福祉の充実したフィンランドやデンマークでは0.2前後となり、各国でその社会的流動性は大きく異なる。この結果からは、格差の解消と社会的流動性が深く関連していること、3~4世代で相続できるものがほとんどなくなることが読み取れる。
ところが、「社会経済的な成功の決定要因として家系や継承がどれだけ重要か」は時代や場所によって異なるという結論は、現実世界をうまく描写できていないと著者は指摘する。英国のピープス(Pepys)一族を例にとろう。
英国におけるピープスという姓は稀なもので、1881年には37人、2002年にはわずかに18人しか記録されていない。そんなピープス姓の持ち主がはじめてケンブリッジ大学の門を叩いたのは1496年のこと。それから今日まで、少なくとも58人ものピープス姓の人々がケンブリッジもしくはオックスフォード大学に在籍した記録がある。ここで、ケンブリッジやオックスフォードの学生数がどれだけ少ないかを考えると、事態の異常さに気がつく。
1世代にせいぜい30-40人しかいないピープス姓が、17世代で60人近くこの超一流大学に在籍するというのはあまりに多すぎる。全人口とオックスブリッジの学生数の比を考えれば、ピープス家はこの500年間にせいぜい2~3人しかオックスブリッジの学生を生み出せない計算となる。1496年のピープスがいくら優秀で、中世イギリスの「世代間の教育水準の相関度」が現代のブラジル並に高い0.6であったとしても、10世代も経ればその相関度は0.01未満となってしまうのだから、これほど多くの子孫をオックスブリッジに送り込める確率はゼロに近い。さらに教育水準だけでなく、資産や職業面においてもピープス姓は数百年のあいだ高い社会的地位を維持し続けているという。
これは、ピープス一族にのみ起きた奇跡ではない。また、階級社会が色濃く残ると言われる英国特有の事例でもない。著者は、英国以外にも、米国、スウェーデン、インド、韓国、中国、台湾、そして日本などを分析して、社会的流動性の普遍の法則を見つけようとする。これまで社会的流動性の分析に用いられることのなかった姓を体系的に使用したことが、著者の研究の革新的な点である。
姓を用いた分析といっても、その作業は容易ではない。先ず、複数の国で数百年に渡る大規模な姓のデータを集めなければならない。そして、その姓となんらかの社会的地位(資産、所得や職業など)が紐ついたデータを見つける必要がある。このデータ収集作業だけでも恐ろしく大変そうだが、データ整備はまだ完成には程遠い。集められたデータの中から時代を通して存続している稀な姓を見つける必要がある(一般的な姓では世代間の繋がりを推定できない)し、各社会での姓の付け方を理解しなければならない(自由に姓を変えられる社会では、姓は手がかりになりえない)。世界各地から多様なバックグラウンドを持つ優秀な学生が集まるアメリカだからこそ成し得た研究なのかもしれない。
日本の分析で鍵となるのは、旧華族・士族だ。著者は、幕府が1812年にまとめた武家の系譜などを用いて、旧華族・士族の希少な姓を特定し、この珍しい姓が「社会的地位の高い様々な職業に出現する確率」を「人口全体に出現する確率」で割ることで、その職業における相対出現率を計算した。その結果、医療研究者、弁護士、企業の管理職や大学教授などで、旧華族・士族の相対出現率は3~6となった。これは、「現代日本のエリート層における士族や華族の子孫の出現率は大幅に過大である」ことを示している(相対出現率が5であれば、人口比5%の旧華族・士族が、エリート層の25%を占める計算になる)。士族は1871年に、華族は1947年にその特権を失っているはずなので、従来考えられていたような日本の低い相関度0.3~0.46では説明できない偏りだ。
膨大なデータと社会的文脈を読み解いて著者が手にした、普遍的な世代相関度は0.75という高いものだった。従来の親子間に注目した研究と、姓を起点に数百年を対象とした著者の結果に大きな差がある理由は、ランダム成分にあると著者は解説する。
“ある家族の表面的・外見的な社会的地位と、直接には決して観察されない、より深い社会的能力とを区別しなければならないことを提言する。各家族について観察可能なのは、社会的地位のさまざまな部分的指標をどれだけ満たしているかであり、そうした指標とは所得、資産、職業、教育、住宅、健康、寿命などである。これらはそれぞれ基盤的な地位から派生するものだが、その際にはランダム成分をともなう。
”
観察できるのはあくまでも、ランダム成分を含んだ所得や資産などの部分的指標であるが、世代を重ねて見ればそのランダム成分はゼロに収束していく。2代の親子関だけではランダム成分が大きすぎて、相関度は常に実際のものよりも低く見積もられてしまうのだ。本書では宝くじ当選者を数十年追跡した調査を紹介し、瞬間的な部分指標の変化(資産の増加)が基盤的地位に変化を与えないことも示されている。
掘り起こされた法則は様々な角度から検証され、より強固なものとなっていく。後半に進んでいくと著者の議論は、想定よりもはるかに社会的流動性の低い社会は果たして良い社会なのか悪い社会なのか、わたしたちはこの低い社会的流動性にどのように向かい合うべきかへと進んでいく。社会的流動性を動かすレバーなどないのだから、格差そのものを小さくすることに注力すべきだとする著者の提案を受け入れるには、まだまだ議論が必要だろう。姓をきっかけとした分析は端緒についたばかりである。それでも、新しい切り口で歴史を見直すことで、従来と異なる社会の姿を浮き彫りにした本書が知的興奮に満ちていることは間違いない。
『格差の世界経済史』でも度々言及される、近年に入ってアメリカの階級断絶が深刻化していると訴える一冊。『格差の世界経済史』では近年に入って社会的流動性が落ちているわけではないとの指摘があるが、その効果はこれから数十年後に現れるのかもしれない。アメリカの相関共、カースト制のあるインドのように0.9~1.0程度にまで上がってしまうだろうか。 レビューはこちら。
戦後日本の格差がどのように変遷してきたかを総括する一冊。レビューはこちら。
出版会を超えて社会現象とまでなった一冊。Kindle版もある。
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